2008年の講釈
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目次

2008/11/14 メルマガ「黎明2008年 7号」
2008/11/13 合併をプラスイメージにする、本庁と支所の関係
2008/11/07 不祥事処分から公務員改革へ
2008/10/23 社会との関わりについて、高校生に語ってしまう
2008/10/17 メルマガ「黎明2008年 6号」
2008/ 9/ 9 下水道事業について/情報公開で改革加速
2008/ 7/31 映画『闇の子供たち』を観たい
2008/ 7/17 メルマガ「黎明2008年 5号」改訂版
2008/ 7/15 全国一斉出漁停止に思う/持続可能な社会へ
2008/ 6/26 公開が全ての基本 その2
2008/ 6/24 公開が全ての基本(学校の耐震化を主題として)
2008/ 5/12 メルマガ「黎明2008年 4号」改訂版
2008/ 4/16 メルマガ「黎明2008年 3号」改訂版
2008/ 3/29 市立病院・徳州会病院の処分について国会でご質問いただいた阿部とも子議員へのご返事をもとに
2008/ 2/ 9 メルマガ「黎明2008年 2号」
2008/ 2/ 3 主張しよう宇和島2病院の処分回避のために
2008/ 1/21 市立病院を守ろう。
2008/ 1/10
 今年はメルマガ頑張ろう 「2008年 1号」



2008/11/14  メルマガ「黎明2008年 7号」
一緒に、地域の未来を考えませんか?
「 変わらなきゃ、宇和島!」【黎明】
  武田元介のまちづくり講釈 メールマガジン版
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年一のレース、四万十ウルトラマラソンも終わり、駅伝シーズンに突入いたしました。
と申しましても、3〜4つのレースに出る程度で、
子どもとの時間や、
地域作りについてお訴えをする時間の方が正直大切でございまして、
例年と比べて何かのレースをプラスするようなつもりはございません。
ただ、ストレス解消のために、あるいはいろいろな考えごとをする時間として、
プールで泳ぐ時間や町を走っている時間は大切にしたいと思っています。
一方、レース参加は時間的な拘束が長く、自由にならないので
どうしても限られた回数の参加となってしまうのです。
そんなこと言ってたら、前日から受付をしなければならない、
トライアスロンやウルトラマラソンに出るのはどうして?と問われるかも知れませんね。
人というのは、やはりトレーニングの成果というものを確かめたいもので、
それに、齢が進むほどに体力がどの程度維持出来ているか(あるいは落ちているか(笑))
を確かめたくなるものでして、
年に2〜3度人と競いながらの体力測定はお許し頂きたい!なんて、わがままを申しております。

相変わらず、仕事の方もばたばたと時間を取られ、
簡単に業績が上がるわけでもなく、まさに一朝一夕にはならずであります。

また、移植への理解を求める会の方では、市内で行われる様々な秋のイベントに合わせて、
仲間の皆でお互い無理のない程度でのビラ配り辻立ちを続けています。
ビラを配る仲間から聞くと、
「もう既に処分は終わったのでは?」だとか、
「もう処分はないんじゃない?」だとか、
ひどいものになると、
「万波先生は日本から脱出して米国で医療を続けているのか?」だとか、
そんな話をする方がいらっしゃるようです。
でも、この件は、まったくもって終わったわけではなくて、
真実や正義よりも自分たちの面子を大切にする官僚(一部だと思いますが)が、
未だに振り上げた手を下ろさずにいることは、
皆さんに知っていただきたいと思っています。
また、いつになるか読めなくなってしまった衆議院の解散に合わせて、
(修復腎移植を認めるべきであるという見解を厚労省に突きつけてくれた議員連盟の方々の隙を見て)
万波医師や宇和島市立病院への処分手続きを進めるのではないかということも懸念されるところです。
油断をせず、
メディアが報じなくなった
(興味本位の行き過ぎた万波パッシングや学会や厚労省が出した偽りの情報によって作った
誤った報道を改めることをしないまま)
この時期にこそ、市民の皆さんに真実を伝え、
危機意識の共有を訴えなければならないと思っています。
天気なんかのせいで、たまに飛ばすこともありますが(笑)、
概ね「週一」の辻立ちを続けております。商店街周辺で行っておりますので、
お見かけになりましたら、お配りしているビラをお受け取りいただいて、
是非にお目通し下さいませ。
修復腎移植の真実、臓器移植の現状というものを知っていただきたいと思います。

今回も、HPの更新履歴と前書きと編集後記というメルマガで失礼いたします。
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2008/11/13  合併をプラスイメージにする、本庁と支所の関係
各支所は、本庁から見れば、窓口機関であります。
しかしそれは市役所の下請けをするような下部組織であってはなりません。
本所では出来ない、より広範な市民のニーズや地域の課題を把握し、
それを政策として企画立案し実行に移す、
その上に、
説明責任を確実に果たす自律した組織として転換を願いたいと思っています。
地域にとっては市役所そのものが、自分たちの地元にある、
そういう気持ちを持っていただけるように、組織は変わらなければならないと思います。
そうでなければ、
合併というものは、無かった方が良かったという、
負のイメージを払拭できないと考えるからです。

合併の負のイメージを、プラス発想に変えていくため、
そのために、各支所の役割は重大です。
その役割を果たすため、優秀な人材に各支所へ赴任していただくのもいいでしょう。
優秀な人材が、本庁の奥の方にいなければならない道理は全くないと思いますから・・。
地域の声がより活かせるような組織改革を考えるためにも、
人材の配置もダイナミックに考え直すことが必要でしょう。
機能面だけでなく、支所という名前そのものも考え治すべきでしょう。
ガバナンスのイメージとしては、本庁が小さな政府として、
支所を「自立した地方自治体」としての統括機構に変えるというイメージで、
分権の推進が必要だと思っています。

例えば、地域ごとの土木予算についても、
当然に予算のゼロシーリングという基本的なスタンスを守りますので、
固定的に既得権益的な配分はするべきでないと思いますが、
その上で、
それぞれの地域(旧市町)から必要な工事計画に優先順位を付けて提出をしていただく
システムを採るのは当然に必要なスタイルでありましょう。
そして、それぞれの地域から出てきた要望を比較して、予算配分を考えることが必要です。
しかしながら、一方で、地域ごとにフリーハンドで使える予算やその裁量権の付与というのは、
その決定プロセスの確立とともに、検討するべき課題であると思っています。

地域をまたがる問題についてだけ、本庁予算として計上することが適切だと考えたりもしています。
地域の実情がわかるのはその地域に住んでいる人たちであるという基本的な考え方に立つと、
必然的にこういう柔軟性が必要であると言うことになるのです。

一方で、予算案を作っていく財務職員は、
現場に足を運び、計画案と計画案の先後優劣を判断する能力を備えなければ成りません。
そして、地域ごとの計画案の決定プロセスと市(行政)のガバナンスの関係、
議会(立法)がどの段階でその地域ごとの事業計画立案に関わっていくかという問題、
クリアする問題はありますが、
現状で各地域の民意の吸い上げが十分であるかという問題意識からすると、
地域ごとのあるいは地域を横断したり市域全域のテーマにつながる仕事でもあるわけで、
地域にとっても支所の大切な仕事・役割だと考えます。

同様に、各部局の予算配分にしても、ゼロシーリングを守りながら、
その部局の裁量で使える予算措置を考えていくべきだと思いますが、この点はまたの機会に。

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2008/11/07 不祥事処分から公務員改革へ
宇和島海上保安部の職員が148万ほどのお金を横領していたとして、
告発されると同時に懲戒免職処分を受けたと報道されました。
さてさて、果たして、宇和島市では、否、現在の市政リーダーは、
こういうすっきりとした処分を下すことが出来ているのか、
詳しい方に教えていただきたいものです。

私が記憶する限り、そして耳に入ってくる批判を聞く限り、
告発もされず、懲戒免職処分も受けない人が多いと言います。
当然のように退職金を受け取り塀の外でのうのうとしていると聞きます。
民間企業での勤務経験がある石橋市長がまさかこの様な事を許すわけがないと思うのですが、
なにか大きな力に抗せられず、前例踏襲というスクリーンの裏へ隠され、
市民感覚と離れた処分が行われているのでしょうか。

 こういう(宇和島で国家公務員の不祥事に対する処分がニュースになった)機会に、
その辺りを明らかにして、
もっと言えば、
市職員の待遇がどうあるかというものにメスを入れて
市民に納得される処遇というものに変えていくのが「改革加速」であると思います。

まずは、不祥事は全て公開されるべきであります。
それをもって、実名が明示されて報道されるかどうかはマスコミ各社の尺度とするべきだと思います。
また、告訴は当然であり、起訴されるか否か、有罪か否かという事も、
役所内で前例に沿って決められるのではなく、
国民の多くが納得しているところのルール「法」に則って
処断されるべきものと考えなければならないのです。

 役所の組織が、「本来、市民のためにある」という姿勢を忘れてしまい、
いかにすればその組織内で快適に暮らせるかということ
(波風建てず、「事なかれ」とも言う)を価値判断の基準としてしまっては、
当然に市民の評価・満足度はそれなりでまとまってしまうというのが帰結となるところでありましょう。
役所内の融和や役所内での快適さというものが、
役所が本来の機能を果たすために無用なものと言ってしまうと言葉が過ぎるとも思いますけれども、
少なくともそうした言葉を耳に入れて、
気づいてもらわないといけないほどに組織がぬるま湯化していると考えるのは、
私だけではないのではないでしょうか。
そういう意味で、全くのよそ者が役所へ乗り込んでこそ、
行政改革というものが迅速にスタートを切れるのかもしれません。

一度、その組織の中で、その価値観を守りながら仕事をした経験がある人は、
かなりの決意と実行力がないと、
その問題意識は、絵に描いた餅のままでいてしまうのです。

 もちろん、行政の重要な課題について失敗の責任は、
首長や議会議員が責任を持つべきです。
しかし、現在、巷で批判されている体質というものは、
(役所では数年で仕事が変わり、別の部署で仕事をする事が多い為もあり)
「誰が選任をとるのか(説明責任を含め)」わからないという無責任な構造になっています。
そして、結果的に、
『形だけ』時のリーダーがその部署の役職者と供に頭を下げることで、
不祥事を幕閉じさせる場合が多いことになります。
もっとも、過去の不祥事について、発生当時その任になく、
たまたま発覚当時その任にあるということで、詰め腹を切らされるのは酷な話なのでして、
記者会見で頭を下げて終息とすることはある意味正しいのかも知れません。
しかし、これも、「正しい=楽」であっては成らないわけで、
誰が決裁権者であった仕事に問題があったかという事をつまびらかにし、
当時の担当者や幹部が説明する立場に立つ方が適切な処理が行えると思うのです。
その上で、組織構造の改革、システムの変革といった、
再発防止策を含めた政策判断をするのが発覚時のリーダーに求められる責任の取り方として
正しいのではないでしょうか?
解りやすく言うと、
「その場しのぎをやっておいて、問題が発覚するのは先の先」なんて言う意識があると、
それこそ持続可能な無責任環境が出来上がってしまいます。
職員全員に、仕事が変わった後でも、過去に行った仕事は評価され、
ある場合には責任を問われるというルールに変えなければならないのです。
そうすることで、悪い事(法律違反を犯して)でなくても、
マイペース(既存の組織のペース)で、もたもたと(お役所仕事の常?)していたり、
重大な判断ミスがあった場合には、その責任を追及され、
場合によっては処分(降格や減俸などという)を受けるという
私たち民間では当たり前の価値判断が組織の中に醸成すると思われます。

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2008/10/23 社会との関わりについて、高校生に語ってしまう
あるインタビューを受け、それをまとめた原稿のチェックを致しました、
その原稿を元にして、若い方へお伝えしたい事を綴ってみます。
大学生が働く(インターンシップですね)NPOからの取材です。

 どの脈絡で出てきたのか良く覚えていないのですけど、
「地域の為に清掃活動をするとか言いながら、
わざとらしくネーム入りのジャンパー等を着込んでちゃっかりと企業PRまでしている企業は
あまり好きではない。」とお話しをしました。
もっとも、企業の社会貢献、それは社会のシステムの中で欠く事の出来ない、
重要なお仕事とは考えています。
特に、税を食べている(公共事業をしている)企業や、
法で寡占状態を守ってもらいながら事業を営んでいる企業が、
災害時等の緊急時に企業の資産を住民サービスや復旧に優先的にし向けるという契約をする
(私の会社も、災害時には、宇和島市立病院の食養課の求めに応じ、
全ての食材を提供する準備をしている)
のは当然であり、
企業メセナなどの文化的貢献、
企業であればこそ持つその資産を利用したり、
個人よりも大口の協力者として、
存在すべき事は企業の存在価値を構成するファクターである事に異論を唱えるつもりは一切ございません。
私が言っているのは、
企業としてではなく、まず、人として地域に関わって欲しいということであり、
企業の人材育成は、そうあって欲しいという事なのです。
そして、企業組織に忠実であるという前に、
人間としての良心に忠実であるべきと考えていますから、
個々人が、地域社会の中でいかに生きるか、
その一つの舞台が企業組織であると考えたいわけであります。

これは、公務員の方々についても言えるのですが、
所属する組織・企業での地位や立場は離れ、
その中でなかば強制的に作られたような機会ではない他の場面で、
利他的行動ができる人材を作るべきで、就業時間中に、
そろいのジャンパーで事業所の周りを掃除するなどと言うのは、それは業務でしか無く、
わざとらしいとしか思えないわけです。
ウチの社員さんには、
「地域のために役目があるなら、もちろん会社を休んでもらったってかまわない」と言っています。
地域社会との接点が仕事だけというのは悲しいと思いますし、
企業として、
人の価値を高めるという事は、いかに地域に貢献できる人材を育てるかという事に尽きると思うわけです。
会社の利益意識と、
企業が社会へ果たすべき役割(安全安定した社会づくりへの役割等といった)は何かという意識とが
相反しているとでも思わせる犯罪や事件が頻発する昨今でありますので、
まさにそう思うわけであります。
古くから、お金持ち(お庄屋さんや大商家の方々は、篤志家として)の多くが、
道路や橋の普請や寺社仏閣の造営などにお金を出してきたのであり、
ある事業家の、
「企業は社会の公器であり、お金は社会からの預かり物である」という言葉が伝えられているように、
公共心の充ち満ちた国であったようです。
少し、矛盾する批判をしているようですけれども、
普段は着もしないネーム入りのジャンパーを着て、
どこかを掃除する事が公共心の具体化ではなく、
それぞれのお店(事業所や店舗)が、そのお店の周囲をお掃除なさればよいわけで、
お隣の敷地を少し含めてお掃除するのが日本人の良心であったはずです。
なにも他所の会社やお店の前まで掃除する事はないわけです。
それよりも、
社員さんが自分のお家や近所の公園などを家族やご近所さんと一緒にお掃除する事こそ、
公共心の自然な発現の場では無いかと思っています。

高校生の皆さんには、そういう古き良き日本というものに思いをはせていただきたいと思っています。
機会が有れば、どんなものでも良いので、地域活動ってものに参加してみて下さい、
お祭りでも消防団でも溝掃除でも良いのです。
祭りなんかは、見物して楽しむ側だけでなく、参加してみたり、準備や後始末、
終わった後のお掃除でも参加してみるとまた違った感じ方が出来ると思います。
夜警をしても、草刈りをしても良いでしょう。
たった一人で、近くの路側の花壇の草引きをしても良いのです。
そうすることで、地域というものとの関わりが実感できると思います。
ただ住んでいるという住人としてではなく、
市民(地域を構成する人間)として、
地元というものを感じることができるはずです。
それを体感することで、必ず、その地域を汚すような事は出来なくなるわけで、
ゴミが落ちていたら拾う人となるわけです。
そうすると、
例えば、「ゴミは落ちていないか」と一日中それを業務とする人は減らすことが出来るし、
「火事はないか・急病人は出ないか」と一日中待機している人間は減すことが出来るということなのです。
警察官でさえ、減らす事が出来るはずです。
大きな危険を伴うものや専門性の必要な場合は別ですが、
ひどい例ですと、タクシー代わりに救急車を使うだとか、
仕事をしていて診療時間内に病院に連れて行けなかった子どもを
救急外来や夜間外来に連れて行くという非常識が無くなると言いたいのです。

子どもの安全をみんなが守る、老人の不安をみんなが癒す。
そうして、市民が応分な負担を出し合う事で、
結果的にその負担の足し算以上の効果、
社会のコストが軽減できると言いたいのです。

タックスイーターにはなって欲しくないと思います。
何でもかんでも、市がやってくれないとか、国がどうしたという前に、
自分たちの税金の使われる先を適切で必要なものとするために、
自分たち自身が
「何もかもを公に求めない」、
「自分たちで出来る事は自分たちでやってしまう。」、
税金の無駄遣いをしない意識が持てれば良いと思っているのです。

繰り返しになりますが、誰もが地域というものを構成している一員であり、
全ての事でつながり合っているという感覚を持って下さい。
社会にコスト(例えば、不法投棄はそれを処理する自治体やボランティア団体の仕事を増やす)を
かけない生き方をすべき市民として、
自覚をもって欲しいというお話しをしてきました。
社会人というのは、権利義務のある国民であり市民であります。
国や地域の事を他人事ではなくて自分の事であると思って欲しいのです。
自分家の庭にゴミを捨てますか。その感覚です。
家の周りにゴミが落ちていれば拾う。
どんなささない事でも、
自分の行為や行動一つひとつが地域にどんな影響を与えるかを考えて行動すれば、
その人が社会に負わせるコストは低減していくと思います。
地域のためになり自分のためにもなっていくと考えて下さい。

最後に一言、市民としての向上心という脈絡でお伝えします。
若い方には特に、なんでもよいから自分が興味をもったことに専心して欲しいと思います。
何かに打ち込んでいる人は顔が違ってきます。
そして、広い土台(人としての幅)が出来てくるものです。
その興味を持ったもの以外の他の物事に関しての判断力も備わってきます。
自分の価値観をしっかりと語れる人になっていくと思います。
興味を持てる何かが見つかれば、そのことをとことん追っかけてみる生き方が素敵だと思います。
自分が変わっていくこと、成長を感じてみて下さい。
人はそれを「夢」と呼んでいるかも知れませんね(笑)。

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2008/10/17 メルマガ「黎明2008年 6号」
一緒に、地域の未来を考えませんか?
「 変わらなきゃ、宇和島!」【黎明】
 武田元介のまちづくり講釈 メールマガジン版
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あっという間に夏が過ぎ、朝夕は肌寒いくらいになってきました。
毛布と夏布団、そろそろ寒いかなーと思うこの頃です(笑)。
寒暖の差が激しく、体調を崩しやすい季節です、皆様、お風邪など召されますぬように。

週一の辻立ち、夏場も続けて参りました、
移植を受けられた患者さんと供に、街角で頑張っています。
短いフレーズでお伝えしにくい内容ですので、フレーズが長くなってしまい、
ただでさえ下手なお話しを町中でばらまいていることをお詫びしながらも、
ご一緒いただいている患者さんが配布される、
ビラをお読みいただければご理解も進むのではないかと思いますので、是非にとお勧めいたします。
「移植への理解を求める会」の方は、NPO化へ、
そして移植の進まない日本にあって、修復腎移植を認めない事は、
憲法上認められる生存権あるいは幸福追求権の侵害に当たるのではないかということでもって、
国、そして、
科学的なデータに基づかず(医学的な治験無く)「修復腎移植は医学的妥当性がない」と言う見解
(これが、厚労省の実質的に修復腎移植を禁止する通達の根拠となった)
を出した学会関係者を
被告とする訴訟の支援という大きな仕事が始まります。
中心になっているのは患者さんですが、宇和島市民の一人として、
今後も参加を続けて参りたいと思います。

今回も、HPの更新履歴と前書きと編集後記というメルマガで失礼いたします。
昨今のページ更新お知らせ
http://motosuke.net/ にてご笑覧下さい。
 改革加速「9/ 9 下水道事業について/情報公開で改革加速」
 国を憂う「7/31 映画『闇の子供たち』を観たい」

編集後記
「改革加速」と新しいキーワードを掲げ、約三ヶ月振りのメルマガ発行です。(後略)
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2008/ 9/ 9 下水道事業について/情報公開で改革加速
以前、「下水道事業による借金(2005/8/23)」で、
下水道事業の生む大借金について触れてみたことがあります。

かなり昔の話ですが、
石橋市長自身が「止められるなら、止めたい」と仰ったことを受けての論考でありました。
このことについては、その後何度も、
整理をしてまとめて皆さんにお知らせしなければならないと思っていましたが、
疲弊する地域経済を基盤とする仕事柄、
そして競技志向のスポーツマンであるという草鞋をはき(ジョギングシューズですかね。)、
修復腎移植への無理解に抗する活動
(私自身としては、当初、宇和島の一市民として、
 厚労省による市立病院や宇和島徳州会病院への処分問題に
 抗議する運動が中心であった)
に参加させていただき、
まさに「これは正義の闘いである」と、
地域の医療が守られ、
移植を待つ患者さんに希望の灯明を示すことが出来る時まで、
この運動を今後も続けていきたいと思っているところから、
他の案件について後回しにしてきたことで、
ほったらかしみたいに見えたかも知れません(笑)。
もちろん、この活動に取り組む中で、市民のみなさん(一部でしょうが)に、
武田は医療で地域作りを考えているというご評価を頂くに至ったことは、
「市立病院建て替え問題」でスタートした私のサイト(motosuke.net)を見ていただいても、
その後も津島・吉田両病院の問題等に触れてきたことでも、
医療についてずぶの素人である私にとって、
市民サービス「命を守るための」セーフティーネットをどうしていくかという、
サービスを受ける側の目線で主張してきたことがご評価頂いた結果であると
たいへんうれしく思っています。
切り口は、主に財政的な面からの問題提起でありますが、
基本的に、医療サービスの充実は、この地域が次代においても光り輝く地域であることを担保しうる、
最大のポイント(売り)となると考えていることを、
ここでも改めてお伝えしたいと思います。
桜内さんと医療特区の話をしたと触れたこともありますが、
機会を改めて(「いつのことやら」と合いの手を入れないで下さいね。)
具体的にお伝えして参りたいと思っています。
いつものとおり、かなり前置きにスペースを割いてしまいました、
本論に入りたいと思います。

(と言いながら(笑)
 私の行動指針の一つに【公開が全ての基本】がありますが、
 本稿の表題に登場させた【改革加速】も指針の一つとして、
 私の立ち位置を示すキーワードとしようと思っています。
と前置きした上で、さわりを少し。)

石橋市長が下水道事業について、
(たぶんに、私からの誘導尋問で発された言葉とも思えますが)
「止められるなら・・・」と仰った(現在、どう考えているかは知りません(笑))ことを、
どう実現するかが、改革であります。
思うだけなら誰でも出来る(石橋氏への批判ではないので、誤解無きよう)のでして、
事の重大さ(下水道事業の生む借金や事業自体の不採算性)を市民に知らせて、
この事業をどうしていくのかを考え直す機会を作ることは、
少なくとも「止められるなら・・・」と感じるセンス
(当然に、費用便益の分析などの数字を把握されたものでしょうから、
 失礼な表現かも知れません)の持ち主(選ばれた者として)としては、
命を懸けて取り組むべきではないかと思っているのです。

9月10日の下水道の日を前にして掲載された先の愛媛新聞の広告記事は、
その下水道整備工事で便益を受けている企業スポンサーがほとんどの紙面でありました。
ここでは、工事に関係する企業を批判するつもりは毛頭ありません、
今の時代談合も減り、
かなり突き詰めた工事額で工事を請け負って下さっていることに
感謝しなければならないとさえ思っていますから(これ、ホントに感じています。)、
問題にしたいのは、石橋氏のご挨拶文です。
それが、ご本人の言葉ではなく、どこかから天下ってきたようなものであることです。
たぶん、ご本人は目を通されていないはずです。皆さん、ぜひにお読み下さい。(笑)。つづく。

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2008/ 7/31 映画『闇の子供たち』を観たい
郵政民営化問題の頃よりやりとりをしている議員さんから
「闇の子供たち」(監督・阪本順治、原作・梁石日、出演・江口洋介、宮崎あおい、妻夫木聡、佐藤浩市他、配給・ゴー・シネマ)という映画の紹介を受けました。
来月の一般公開を前に、試写会を見てこられたそうです。

//下記、メールを引用します。
この映画はタイを舞台に、臓器移植を目的に、あるいは大人の性的搾取の
対象として、人身売買される子供たちを題材にした非常に重たく、かつショッ
キングなものです。

(中略)
立法段階においても、こうした児童の売買はアジア全体の貧困が基本的な
原因であり、それが解決できないのであれば根絶は不可能だということを
繰り返し議論しました。現代の国際社会ではあらゆるものを対象に「市場」
が作られ、とりわけ‘闇’の市場では‘貧しい売り手’と‘裕福な買い手’
という否定できない関係が成立します。そこで無垢な子どもたちの肉体や
臓器までもが売買されていることを、‘裕福な買い手’の側にいる私たち
日本人はもっと厳しく見つめなくてはいけない−そんな思いがいま再び、
私を捉えて離しません。

//ここまで
以前から献血や骨髄バンクや臍帯血バンクに興味を持って、
今回深く関わることになってしまった、修復腎移植を中心とする「移植への理解を求める会」の活動の中で、
私はドナー不足の現状を再認識しました。
また、昨年「2007/10/16 臓器移植法施行10年目に思う」と題して、
拙文を作って(考察をして)みたりしております。
幸いに、身内に移植を必要とする者は居ないのですが、
透析を受けながら移植を待つ患者さんや移植を受けた腎臓がいつまで機能するのかと不安でいるだろう移植経験者やそのご家族と接し、
その実情を知ったり、また、一方でこれらを含めた真の姿を伝えることをせず、
万波医師らを中傷する記事を作り続ける一部報道機関に対峙するために、
マイクを握って、仲間と供に街頭に立っている私です。
真実を訴えるための資料として、関係する数字をピックアップしていますが、
日本の(脳死による)臓器移植法は、移植を止める方に働いているのではないかと思っています。
また、その根幹組織である(社)日本臓器移植ネットワーク
死後に臓器を提供してもよいという人(ドナー)やその家族の意思を生かし、臓器を提供してもらいたいという人(レシピエント)に最善の方法で臓器が贈られるように橋渡しをする日本で唯一の組織です。サイトより引用。)
にしても、
その全国規模のネットワーク確立以前の、
もっと小さな地域や人的つながりでもって医師あるいは所属する医療機関の熱意が機能するころに
構築されていたネットワークでやりとり(斡旋)された臓器の方が多いのではないかという地区もあるといいます。
また、フロリダ大学の移植医藤田先生やその他の海外の医療関係者からもたらされる
各国でのドナー不足に対する対応は、
まさに「患者を救うために医療がある」というヘルシンキ宣言
( ヒトを対象とする医学研究の倫理的原則)を地で行く崇高な行為と見えます。
一方、日本では、保身やら自らの名誉欲、金をいくら得るかや自分の面子を守るために、
医学(倫理的にも、科学的にも)というものがねじ曲げられているようで成りませんでした。
話がだいぶそれてきましたが、
海外からの情報の中には、日本は自動車やら電気製品やら多くの物を海外に輸出している。
しかし、本来その国で賄われるべき移植臓器は輸入に頼っている、
すなわち、○○ちゃん基金などとして資金を募り、海外へ移植の旅に出る。
あるいはフィリピン・タイなどのいわゆる貧富の差がとても激しい国や、
死刑囚の臓器が売られていたという中国などへ、臓器を買いに行っている。
このことを批難する論調が、高いレベル(国際移植外科学会の役員の発言等)であることも知りました。
このような実態から、日本は「移植難民」「臓器ハイエナ」と呼ばれている。(高杉敬久・広島県医師会副会長)」とのことです。
まさに、この問題を小さな家族に視点をあてて描こうとしているのが本作(闇の子供たち)であります。
つまり、臓器移植法成立以降もいっこうに移植数が増えないという現実とともに、
子供のドナーが完無に近いという日本の現実であります。
具体的には、現在、日本では15才未満の子どもの臓器摘出は行うことができません。
その点について、
//ここから再度引用
『闇の子供たち』には、心臓の難病で臓器移植以外生きる道のない8才の息
子を抱える夫婦が登場します。日本でドナーを見つけることのできない現状
で、彼らはある仲介者を挟んでタイで臓器移植を受けるルートを得ます。
しかし、提供者の子どもは生きたまま臓器を摘出される、という驚愕すべき
事実を知った記者やボランティアの人たちが、それぞれに異なる思いでその
衝撃と向き合い、必死でもがきます。

//引用終了
というストーリーで問題提起をしてくれるようです。
私自身、臓器売買というものは知っているつもりでした。
しかしながら、提供者の子どもたちが生きたままで病院に連れ込まれて、摘出を受ける。
つまり摘出される臓器によれば生きて出てこられない(命を商品とする市場である)ということまでの
事態を想定したことはありませんでした。
そう、貧しい国の貧しい家庭に生まれたが故に、
命と引き替えに家族を食わせるという現実を、
そしてその命を買うのが日本人であるということを、
描く映画であります。早い時期に見てみたい映画であります。
エアコンをかけないために、汗をいっぱいかいて寝ている娘の横で、
一人パソコンを打つ。なんと幸せなのか。世の中全ての人が健康に暮らせますように。

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2008/ 7/17 メルマガ「黎明2008年 5号」改訂版
一緒に、地域の未来を考えませんか?
「 変わらなきゃ、宇和島!」【黎明】
  武田元介のまちづくり講釈 メールマガジン版
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辻立ちを続けております。
2月にスタートした街頭でのアピールです。
季節もうつり、これだけ暑くなると10分も立っているとシャツが汗でびっしょりと濡れてしまいます(笑)。
恥ずかしい話ですが、汗かき(運動を続けているので、新陳代謝力が優れていると勝手に思っている)の私は、
下着も濡れて腰の辺りに汗がたまってしまいそうです。
修復腎移植の正当性と市立宇和島病院・宇和島徳州会病院の両医療機関と万波先生らの医師への保険診療資格取消処分の不当を訴えております。
週に一度、移植への理解を求める会の仲間、数人の患者さんと供に街頭に立たせていただいております。
お見かけになりましたら、ビラだけでもお受け取りいただければと思います。

今回も、HPの更新履歴と前書きと編集後記という代わり映えのしないメルマガで失礼いたします。
昨今のページ更新お知らせ 
http://wwwi.netwave.or.jp/~mot-take/index.htmにてご笑覧下さい。
 地球の未来のために
   「7/15 全国一斉出漁停止に思う/持続可能な社会へ」 
 まちの未来のために「6/26 公開が全ての基本 その2」
 まちの未来のために「6/24 公開が全ての基本(学校の耐震化を主題として)」

編集後記
今回は、約二ヶ月振りでございます。
内容については、修復腎移植を離れて、ぼちぼちと元の路線に戻っていくようです(笑)。
修復腎移植については、
幸いに、「修復(病気)腎移植を考える超党派の会」(会長・杉浦正健元法相)によって、
修復腎移植を容認する、
そして病院と医師に対する処分を認められない
という見解が厚労省に示され、
修復腎移植を促進する為の法律を議員立法すると発表して頂いたおかげで、
処分問題自体は聴聞も行われず、膠着状態が続いています。
しかしながら、1年間で3万人が透析に入られ2万人がお亡くなりになるという透析の現状を考えると、
一日でも早く修復腎移植で救える命を救っていただきたいというのが切実な思いでございます。
まさに生命の危機の問題として、
腎不全で苦しみドナーが現れることを待ちこがれる患者さん方にとっては、
一日一刻が大切なのであります。
全国で2万個摘出される臓器の内、千個から二千個が、修復の後、移植に使えるのではないかと試算されている修復腎移植、
現在の脳死・心臓死のドナーからの移植数が年間200件に満たない日本の国では、
これこそが患者さんを救う新たな道となると思うのですが、どうでしょう。
この道を実質的にとざしてしまう通達を出した厚労省や、
その元になる
(科学的な治験もなく)医学的妥当性がないと実質的禁止の見解を示した学会幹部にたいして、
患者さん方が訴訟を起こす動きが出てもおかしくないと思っています。
薬害エイズや薬害肝炎に続く、国民の生命を危機に陥れる失策です。
小さな声でもたくさんの声を集めて、この国のおかしなシステムを変えて参りましょう。
今後とも、どうぞ、ご指導ご鞭撻のほど、お願い申し上げます。
                   変わらなきゃ、宇和島!【黎明】
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2008/ 7/15 全国一斉出漁停止に思う/持続可能な社会へ 
異常な原油高に伴う、燃料費高騰によって
全国の漁業者の経営は逼迫していると云います。
A重油の価格は4年半前の約三倍に跳ね上がっており、
当然、
漁に出るコストすなわち魚介類を獲得する為に必要なコストが上がっているわけで、
魚価が上がるか漁獲量が上がって販売収入が上がらなければ、
そのコストは漁業者自身が負担することになります。
一方、魚価は主に市場(いちば)での競り取引で決まる物が大部分
(養殖魚類を中心に、
 量販店や外食チェーンとの直接取引や切り身加工や骨取り加工などを施して、
 加工度を上げた製品に仕上げることで、価格支配力を高める努力もなされていますが)
であり、
漁業者が燃料費高騰を価格に転嫁することは極めて困難であると云います。
実際に、この燃料費の右肩上がりの間も主要魚種(鰯や鯖など)の平均産地価格は
5年前と比べて3割程度上がっているに過ぎないと云います。
(漁業情報サービスセンター発表)
世界的にも、欧米での健康食志向と新興国での魚食需要増大
(今まで食べなかった国の人たちが食べ始めた)で、
価格は上昇傾向にありますが、
とてもこの間の燃料価格をまかなうだけの収入(価格×漁獲量)は確保できていません。
市場(しじょう)での価格決定のメカニズムは需要と供給によって決まります、
消費者が欲する物をちょうど良い量だけ市場(しじょう)へ供給することで、
価格高騰によって多くの利益を得ることがない代わりに、
低落により大きな損をすることもないというのが
メカニズムとして至極当然に働いているのであります。
つまり、現在の取得原価(漁に出ることの費用を積み上げたもの)を賄え無い評価しか
市場で得られない魚介類は、
市場に出回る量が過多であるとしか言えないわけであります。
すなわち消費者が求める以上に出荷をすればその商品の価格は低落するのが当然なのであります。
このことに加えて、
獲りすぎて漁場が疲弊していることで、
出漁一回当たりに獲れる漁獲量は減少しているようです。
自ずと単位当たりの漁獲コストが上がるという構図であります。
休日もなく、漁に出られる漁業者自身の勤勉性を批判しているわけではありませんし、
燃料高騰で利が薄くなりながらも食うために出漁を続ける漁業者の窮状を無視しようというものではありませんが、
しかし、
今回の一日限りの休業を機会に、
漁業関係者と供に国民全体が考えなければならないことを指摘したいと思っているのです。
農産物の場合、国等から政策的な予算措置など支援はあるものの、
その生産現場(農地)を自身がリスクを負って整備をし、
反収(単位面積当たりの収量)を上げる努力をしているわけであります。
農薬をどの程度使うか、どういう肥料を使っていくか、
そういうことも考えながら生産を続けていきます。
年に一作の作物もあれば、数十日単位で収穫を得られる作物もあります。
また、桃栗三年と言う言葉もあるように、
何年もかかって苗木の段階からあるいは接ぎ木等によってその果樹を育てることも行っております。
そういう努力をしても、
消費者の嗜好に合致した物を適量(過多になると暴落はありがち)市場に供給できなければ、
その努力とコストに見合った評価(価格)は付きません。
養殖漁業はともかく、育苗のことや資源保護のことを考えないで、
獲れる物を獲っていく、そして獲れた物を市場に出していくという商売が、
勝ち残っていけると考える方が不思議だと思うのですがいかがでしょう。
これは、現在の漁業者の有り様や考え方を非難しているのではないので、
誤解をして欲しくないのですが、
そもそも魚価がどう決まり、
それによって収入を得ることになる漁業者が食えるか食えないかという問題の根底には、
こういう決定的な市場原理があるということを知っていただきたいということなのです。
板子一枚下は地獄と言われる、
危険の伴う現場で作業を続けられる漁業者が食べられるだけの魚価を実現されなければ、
当然休業どころか廃業と言うことにつながります。
事実、八幡浜のトロール船はもう数年前から激減しており、
各地のまぐろ船の減船も行われております。
他の食材との代替可能性を考え(魚よりも肉が良いとか言って)ると、
当然ながら値段が上がることは需要量の低下につながります。
ならばこそ、
今まで大いに自然に頼ってきた漁業がその姿勢を考え改めるときが来ていると思えて成りません。

農業にも薬漬けの問題や化学肥料に依存することの危険性
(その原料である原油やカリウムなどが輸入に依存している)、
旬のない供給(作物に季節外れが無くなって、いつでも食べられる状態)を続ける為に
大量に資源とエネルギーを投入している現状があります。
それとて、同様に、
持続可能性という人類に突きつけられた最大で最後のテーマを解決するために、
その産業自体の有り様を考える好機だととらえることが必要だと思うのです。
例えば、乱獲という実態はないでしょうか、
生態系を破壊して、資源の枯渇を招くような事態に陥っていないでしょうか?
逆の発想での危機ですが、
全人類が食用に利用する魚介類よりも多い海洋生物を消費する(食べている)「鯨」を保護するという、
多分に感情論的な国際世論が漁業資源を枯渇させる、
生態系を破壊する事につながっているという研究データもあるようです。
持続可能性と言うことを考えて、
原油高は長期的に自然の摂理の中にあるという風に捉えてみてはどうでしょう。
炭素税が取りざたされる時代になっても、
原子力発電のコストに「放射性廃棄物の処分・処理の費用」を含めないで
売電を続けて国際競争力を高めようとする誤った経済尺度を持つ日本など、
それぞれの国家の持つエゴを、取り払う理念、
先に提示した「持続可能性」という大命題の元に国際会議が開かれるべきではなかったかと思っています。
最後は、サミットの評価にまで踏み込んでしまいそうなところへやってきました(笑)。
具体的にすぐにでも検討する方策、
漁民自らが漁に出る日を削り、
市場における価格維持と海洋資源の維持の両面を考えることが必要でないでしょうか。
「もっともっと(more&more)」の経済拡大では、持続可能性は生まれません。
特に、環境維持(資源維持)を自然に頼る産業は大きなしっぺ返しを受けることでしょう。
当地でも、過去に在った、自然の許すところを超えた規模に拡大した養殖漁業によって、
海の環境が疲弊してしまったことを忘れてはいけません。
「たるを知る。」このことをこそ、日本は先進国の先頭に立って主張するべきであります。

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2008/ 6/26 公開が全ての基本 その2
先稿の学校の耐震強度についての私の投稿に対して、同日(2006年9月13日)、
あるメンバーから下記のようなコメントがありました。(原文のまま)

> がっこうの安全面のお話
> とある学校&公民館の出入り口では、見通し
> が悪く、交通事故が起きやすいと予てから心配しながら財政の都合で中
> 々改修できませんでしたが、あるとき校長先生が安全面を指摘されてから、
> すぐに改修が実施されたようでした。
> 私、個人的に思うのですが、校長先生の権限はかなり強いように思うので、
> 設備の安全面などで
> ご意見がある場合、学校以外でも大いに発言していただきたいと思います。
> 
> 財政の問題では、給食センターを建て替えて、新市全体の小中学校をカバ
> ーする市の方針に旧津島町のPTA連合会が、自校式を主張しておられるそ
> うですね。
> 経済的な面からだけで言うと、「センター方式のほうが安上がり」という
> ことだと理解していますが、具体的にどうなのでしょう?
> 
> 自校式が教育的にすばらしいものなら、全市を挙げて自校式にすると言う
> 風に持っていったほうが、より現実的ですし、反対署名を集めるにしても、
> 宇和島市全体から支持を得られる方向にすべきではないでしょうか?
> 
> 自校式のメリットをもっと深く報告していただき、それがよければ、全市
> をあげての反対運動を展開すべきです。
これに対して、翌9月14日私からのご返事です。過去logの切り貼りですが、
私の考え方を知っていただくのに良い例題だと思いますし、
またml(メーリングリスト)に登録している方だけが読んでいるだろう内容ですので、
あえてご紹介してみました。

市の事業や予算、すなわち「何をやるか」や「何に使うか」を
どのように決定していくべきと考えているか、その主張をする前段としてご紹介をしてみます。

//ここから(一部校正しております)
ありがとうございます。
現場以上に、問題がわかる場所はありません、
どんなに優秀なコンサルタントでも、現場を離れた机上では、良いプランは出来ません。
そういう意味でも、
とにかく、情報公開でもって、
新任の先生から校長先生まで、皆が教育現場の問題を、
機会あるごとに発言して欲しいものです。
つぎに、給食センターの件、浅薄ですが、私の意見は、
自校式に近い、寄り小さなテリトリーを担当するセンターでもって
運用されることが望ましいと考えています。
特に食材については、可能な限り地元産にこだわるべきと思っています。
また、ナショナルブランドの食材の商流も地元の業者を使い、
疲弊した経済に余力を与えるべきと考えています。

しかしながら、こういうスタイルを採ると、
1食あたりの原価は幾分高くなるはずでして、
その場合に、「経済性」という尺度をどこまで重視するのか、
すなわち、政策決定の際にそのコスト高という点をどれほど重要度が高いものとして
判断基準の中に入れ込んでくるか(加味する順番をどうするか?)という点は
かなり議論しなければならないことでしょう。
だからこそ、私の主張は、ここでも「情報公開」なのです、
現在の自校式でよりよい食育環境が作られているとして、
現状のコストは、一食いくらかかっているのか?
センター制にして、いくらに下げられるのか、
そしてその減額された費用をどこへ回すつもりなのか?
その差、金額によっては、地元の保護者らが負担を増やすという選択肢もあるわけです。
負担の仕方も、交代で調理のお手伝いをすることや、
自分の畑でとれた作物を安く提供するということも出来るはずです。
また、一方、削減された予算を何に使うか、
使い道によっては、「現在までの無策のつけを子供達に押しつける」という批判に
耐えられないことになろうとも思います。

**さんのご意見にあるように、
地域のあり方、地域の子育てを考えれば、
市域全体で、自校式などのより身近な場所で給食を調理して、
子供達に食べてもらうことにしてはどうかと思います。

また、横領犯の処断について、**さんのご意見の通りかと思います。
卵が先か鶏が先かの議論をしていくよりも、システムの構築です。
今の時代、人格や倫理意識に期待するのは愚かなことなのかもしれません。
「日本人は、かくも幼稚になってしまったのか?」と思うこと再々です。

しかし、希望を失わず居たいと思います。
いつの日か、こうして語る友と共に、地域の未来を描く日が来ることを信じたいと思います。

福沢諭吉の言葉です、
「独立の心なき者国を思うこと深切ならず」
俺がやるんだ、私がやるんだ、という気概のない者が国や地域のことを
論じたとしても、
説得力もなくただのうわ言に過ぎない。
//こう結んでいます。
正確な情報を示すこと、
そうしてそのデータに基づいた市側の判断を早くから公にしていくこと、
情報を「どこ(誰から)から知らせなければならないか」とか
「△△へは、ここまで知らせるが、◎◎にはここまでしか知らせない」とかいう、
くだらぬ処世術から抜け出して、
そんな些末なことに囚われずに、
事の本質を見て議論が進んでいくことが必要です。
宇和島では、そんな了見の狭い議員さんはいらっしゃらないでしょうが、
全国では、
情報が伝えられる順番が気に入らない(自分より先にどうして○○が知っているのかと言って)から、
原案に賛成できないなどとごねる輩がいると言います。
「人のふり見て我がふり・・・」でも結構です、
「改革加速」宇和島を変えましょう。【続く】

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2008/ 6/24 公開が全ての基本(学校の耐震化を主題として)
中国四川省の地震による学校の倒壊から、突然学校の耐震構造は注目を浴びています。
一方、国内では、「耐震診断の実施率」がかなり進んでおり(全国で96.2%)や
耐震基準を満たすか建物と改修済みの建物を含め耐震性が確認された建物の割合「耐震化率」
(愛媛は54.9%)の集計はされているのですが、
その診断結果を公表しているのは半分の自治体だと言います。
この辺りについて、一筆申し上げたいので、スタートしてみます。
耐震診断については、2006年の9月13日、
911のビルの崩壊をテレビで何度も見せられた私は、
管理者を務めるmlに下記のような書き込みを致しました。
//ここから、
宇和島の小中学校の耐震強度は調べられていますが、調査結果の報告がないですね。
調査の結果が出た後、もう何カ月経ちましたか?
採算がとれないほどに立派で大きな市立病院が必要ないということは常々申し上げてきましたが、
学校の安全性はどう考えますか?
市立病院建設は、規模も建設コストも宇和島の身の丈に合わない愚策と考えています。
学校は、災害時には、避難場所避難施設となります。

(学校の耐震化を後回しにしているのですから)
現に居る在校生たちの安全を祈りますが、
これって、子供達が学校にいる時間に地震が起こらないように祈ることと極めて近い「お祈り」
であることに戦慄さえ覚えます。
情報を明らかにし、政策決定を市民に委ねるべきです。
一方、17年度の県内の各市町の実質公債費比率の一覧を見ましたが、
18年度の予測数字ははどうなっていますか?
17年度も、宇和島より悪いのは、大洲と四国中央ですよね。
一躍トップに躍り出たりして、大規模事業の償還が始まるまでの猶予期間など考えずに、
借金として捉えないとたいへんなことになりますよ。
18年度から償還が始まる津島と吉田の大規模事業費、いかほどですか?
情報公開、これに尽きます。情報公開すれば、公務員の給与見直しなんか、
簡単に出来るはず。
それをしないのは、大票田に慮る愚かな行政運営です。
今の市職員の給与で民間のパートさんが何人雇えますか?
市職員の高収入を維持する根拠は何ですか?
市長、今度の犯罪者は、告訴してくれますよね。
//ここまで。
ちょうど、職員の刑事事犯発覚の直後でしたので、告訴云々が添えられています(笑)。
これに対する、市からの回答は、以下です。
> 「学校の耐震強度」についてお答えいたします。
> ご承知の通り教育施設の耐震診断につきましては、文部科学省の指導の下、平
> 成15年度より旧4市町で実施を行ってまいりました。
> 新市の教育施設のうち旧耐震基準で建設の施設は80棟ございますが、平成17年
> 度時点で耐震診断を行ったものは47棟、残る33棟につきましては平成18年中に
> 診断を完了する予定でございます。
>
> 耐震診断につきましては、市議会定例会でも幾度となくご質問いただき、ご回
> 答させていただいており「市議会だより」で目にされたこともあるかと思いま
> す。
> ご指摘の通り学校は、児童・生徒が一日の大半を過ごす場所であり、多くが災
> 害時の避難施設となっており、安全で安心できる学校の整備は行政の責務であ
> ります。
> 本年完了する耐震診断の結果に基づきまして耐震性(耐震強度)が確保できて
> いない施設につきましては早急な補強工事等の対応を行っていく予定でござい
> ます。
とのことでした、いたずらに市民の不安をあおるとか言う理由で、
未だに診断結果は市民に明らかにされておりません。
また、巷に話題の「旧津島町のやすらぎの里の指定管理者決定」についても
審査ルールが3パターンもあって、そのうち一つが根拠とされて
(議会での市長答弁の新聞報道より解釈した)、
県の天下り法人の一つである「南レク」に決定されたと言われています。
これらも、どうしてオープンにしないのでしょうか?
ルールは、公募を開始する前に決定されているべきだと思います。
そして、決定ルールも含め、それぞれの応募者の事業プランもすべてが公にされるべきです。
形式だけ、決定を外部の有識者を中心とした機関に委任したようにさえ見えてしまう、
今回の案件は、非常にダーティーなイメージを持ってしまいます。
石橋氏自身がこの闇の決定に深く関わっているとは思いませんが、
なにか大きな力が働いて、密室での決定、
それも理解しがたい金額差のある決定となったのではないかと思ってしまいます。
すべての情報を公開をした上で、
予算を決定していくプランに付いては次稿でご紹介してみたいと思います。

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2008/ 5/12 メルマガ「黎明2008年 4号」改訂版
一緒に、地域の未来を考えませんか?
「変わらなきゃ、宇和島!」【黎明】
 武田元介のまちづくり講釈 メールマガジン版
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春が来たと思っていましたら、この号では、半袖で走る頃となってしまいました。

まったくこのメルマガ自体が手前味噌なのですが、これまた手前味噌な話でございます。
先日隣町で行われました、桃源郷マラソンで、年代別連覇を果たしましたが、
なんと昨年より、4分近くタイムを落としてしまいました。
以下、ちょっぴり、言い訳でございます。

10時40分スタートと言いますのに、目が覚めたら8時53分。
あわてて着替えて、身支度して受付へ向かうと、なんと10時過ぎでございました。
ちょうど、机や椅子を片づけて、その場から立ち去ろうとする担当の方に、
遅れたことをわびてなんとか受け付けをしていただきました(笑)。

レースナンバーを付けて、トイレに行くともうレースウェアに着替えなければなりません。
いつもなら身体を温めた後行うストレッチも無し。
大変なことになりましたが、故障が怖いので、消炎鎮痛剤を体中に塗りたくり、
ぎりぎりまで動き続けまして、
トイレに行く間とスタート地点までのジョグでもってウォームアップとしました。

こんな準備不足は、精神的にもかなりきつうございました。
歳ですから、こんなことは故障の元ですね。
至って元気ですが・・・。

今回は、前回お約束した、
修復腎移植(病腎移植)についての国会議員さんの動きのご報告を致します。

長文となりますので、下記のページをご覧下さい。
http://www.kenkoude.com/ishoku/giinnougoki.htmlにてご覧下さい。
修復腎移植(病腎移植)についての国会議員さんの動き

編集後記 
今回のブランクは、約一ヶ月。
内容についても、修復腎移植についてとなります。
今晩は、明日出されるという、
「修復(病気)腎移植を考える超党派の会」(会長・杉浦正健元法相)による、
病気腎移植容認の見解をまとめた政策提言を楽しみに眠りたいと思っています。
厚労省前でハンドマイクで街宣をして以来、おおかた週一のペースで、
患者さんがビラ配りをされる横で、
急遽購入したメガホンを肩に提げて懸命に主張を続けて参りました、
回を重ねる事に理解者が増えている感触を得ました。
足を止めて聞いて下さる方も増えて参りました。
また、差し入れを頂いたり、声をかけていただく方もいらっしゃいました。
一方、2/21に結成された、
超党派の国会議員さんの「修復腎移植を考える超党派の会」も結成以来5度も会合を開いて下さいました。
2ヶ月弱の間で誠に駆け足で進めていただきました。
患者さんには一分一秒が勝負です。
修復腎移植が一日も早く再開され、多くの患者さんが生活の質を上げ、
健康な人生を一日でも長く過ごすことが出来るよう祈っています。
また、こうして、市立宇和島・宇和島徳州会病院で行われた、
「修復腎移植」が正しく評価され、いわれのない「処分」を受けることがないよう願っております。
次号には、この問題も一件落着として、喜びのご報告が出来ますこと、祈っています。
明日以降の動きが本当に楽しみです。
今後とも、どうぞ、ご指導ご鞭撻のほど、お願い申し上げます。
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2008/ 4/16 メルマガ「黎明2008年 3号」改訂版
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あっという間に、春が来て、上着が必要なくなりました。

修復腎移植の実質的禁止の厚生労働省通達への疑義やら、
臓器売買事件に端を発し市立宇和島病院と宇和島徳州会病院に対して行われた
厚労省の監査の結果をもとにした両病院の保健医療機関資格取消に対する抵抗など、
週に一回メガホンマイクを肩にかけて街宣して頑張っておりますが、またまた、
このメルマガは、前回の発行から2ヶ月もたってしまったようです。

年賀状代わりのご挨拶状もやっと300を超えました。発信を始めてから、
いろいろとお声掛けを頂くなど、反響の大きさを感じております。
仕事の忙しさにくじけそうになりながらも頑張ってといける力を戴いております。
小泉前首相の「なんとか風」発言もありまして、ねじれ国会という改革の好機に、
動きを取れないで居る政権与党には、下野するほか無いのではないかとつくづく思ってしまいます。

つい先日には、友人が、次期衆議院選挙へ立候補を表明致しました。
ここ数日の春の嵐を感じさせるような雲行きとなってしまいました。
同じ選挙区にJCの先輩で、お会いする度にお話しを頂く現職が出馬を表明していますから、
八幡浜から出馬表明している民主党の候補との三つどもえとなってしまいます。
お三方の実力について雑ぱくに勝手にコメントするとすれば、
経験に裏打ちされた現職(期数で職が獲れる面も否定できないわけで)と
財務省キャリア出身の私の友人との間には大きなものは無いのではないかと思います。
明らかに実力が不足していると思われるのは、民主党の方でありましょう(笑)。

了見が狭いと叱られそうですが、
「宇和島地区出身の2人」vs「八幡浜の1人」という構図もあり、
政権選択の意志とは別に、実力のある政治家を選びたいと思うわけで、そのためには、
公開討論会で保守系の実力ある二候補の政策論争を行って決着を付けるのが
もっともふさわしいのではないかと考えている私です。

今回も、HPの更新履歴と前書きと編集後記という代わり映えのしないメルマガで失礼いたします。


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感謝します「3/29 市立病院・徳州会病院の処分についてご質問いただいた阿部議員へのご返事をもとに」

期待する「2/22 修復腎移植を考える超党派の国会議員連盟 発足」

まちを憂う「2/21 市民vs市長の戦いで真実を明らかに?」

国を憂う「2/19 東京抗議行動」

国を憂う「2/18 松山抗議行動」

編集後記
今回のブランクは、約二ヶ月。内容についても、けして目新しいものでないですね。
2月にも病院の処分問題等解決のため、東京行きも行いました。
いつもの国会議員さんとお会いしてお話しをすることのほか、
今回は厚労省前でハンドマイクで演説をしたりして帰って参りました。
国会がらみの動きとしては、2/21超党派の国会議員さんが74名集まって、
「修復腎移植を考える超党派の会」が発足致しました。
今日までで5回の会議がもたれ、早期に腎不全患者さんの未来を開く
「解決策」が早期に打ち出されるものと期待しております。
また、それとは別に社民党の阿部ともこ議員が宇和島に訪れ、20分ほどですが、
患者さんたちと供に懇談をする機会を得ました。
帰京され参加した国会の委員会でさっそく病院の処分問題について、
ご質問を頂いたようです。

与野党問わず、こうして目を向けて下さっていることには、心より感謝をしたいと思います。
厚労省が行う情報操作で、マスコミの多くが修復腎移植の効果を正しく国民に伝える
ことが出来ずにいます。
また、国会議員に対しても厚労省は自分たちの主張に沿う形に都合良く作った資料を提示して、
薬害エイズや年金問題、薬害肝炎に続いて、
またもこの修復腎移植についての評価・判断を誤らせようとしています。
しかし、ここにきて、官僚にだまされ続けてきた国会議員の皆さんが、
「厚労省は情報操作している」といったことを記者会見などで指摘するなどして下さり、
風向きは完全に変わって参りました。
次号にて、超党派の会の動きについてはご報告したいと思います、お楽しみにどうぞ。
今後とも、どうぞ、ご指導ご鞭撻のほど、お願い申し上げます。                    変わらなきゃ、宇和島!【黎明】

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2008/ 3/29 市立病院・徳州会病院の処分についてご質問いただいた阿部議員へのご返事をもとに
市立宇和島、徳州会病院への処分問題について、先般視察においでになった阿部議員(社民党政策審議会会長 東京大学医学部卒業 小児科医)が、その件で早速に国会でご質問頂いたとのご報告を、速記録付きで頂戴したことについて、お礼したメールをリライトした物です。
//ここから
私共の地域の医療を様々な切り口の内、「地域にとっての市立宇和島病院や宇和島徳州会病院の位置づけ」その点は、十分にアピールして、ご質問いただけたと思います。
立地の問題、そして公立病院の中でもたかだか人口7万人に満たない(合併前)市が、(その地理的閉鎖性にも助けられた点もありますが)500を超える病床数を抱えながら、全国でもトップクラスの経営状態を維持して、長きにわたりサービスを続けられたことについて、先人のご苦労を思うと、とても不当・不正請求やらと社会保険事務局がリークしただろう情報で、この病腎移植がスタートするに至った事の本質から目をそらして、単に興味本位で記事を作り続ける一部マスコミを含めて、厚労省には、腹立たしいを通り越して、情けなくさえあります。
積み重ねられた信頼を基に、広い範囲の患者さんを集めて、また系列大学や地元大学の協力の下、なんとか経営(大きな赤字も出さず)が続けられてきたことは、ただそれだけでもすばらしいことであります。当然、経費面を切り詰める努力もなされ、その一つが、医療事務の外部委託でありました。結局のところ、病院の管理運営者(市側では)は、医療請求の細かな事務まで携わってはいないのです。細かな部分は委託されたNICが責任を持つべきかとさえ思います。市立宇和島病院が監査で指摘された、「不正・不当請求」とされたもののほとんどは、その事務を委託された会社の研修が不十分で、その社員が内容を理解されずに請求しているようなものがその大部分を占めていると思います。
一方、黒字経営の基盤となってしまった、一次外来の受け入れは、現場医師の疲弊を産み、カルテの不備と、そしてそれをレセプトと突き合わした監査で発見されることになった疑義へつながったのではないでしょうか、
つまり、その多くが過誤請求と報告されるべき筋合いのものであったのに、それを「不正・不当請求あり」という情報に変えて(中身を明らかにせず、マスコミへリークするかあるいはマスコミが根拠もなく書いてしまった、前者でしょうが)報道がなされているのだと解釈しています。
それと同様に、正義感あふれるように見える舛添氏が、「不正な請求を含めて違反は許さないという立場と、しかしながら地域医療の確保、これを念頭に置いて対処する、これはしっかりやりたいと思います。」と主張するのは、もっともらしくは聞こえますが、厚労省の官僚から解説を受けた結果の片側からしか事実を見ていないと思えます。
愛なき力は暴力成り。
診療報酬の不正請求による処分は、実際に保険財源を毀損するなどの実態が有るや無しやという点、医療行為そのものに妥当性が無く(これは学会が判断することでは無く、患者が評価すべきものです)患者の権利を侵害している場合であるべきでしょう。
この病腎移植(修復腎移植)は、保険財源を節約しており、また、患者さんが喜んでいる医療サービスであります。にもかかわらず、それを成したが故に(それを根拠として)、死刑判決に等しい処分が検討されると言うことは、まったく理解が出来ないのです。
後半、万波擁護の調子に入ってしまいましたが、今後とも、地方の医療崩壊をこれ以上進めないように、また数年前厚労省が自治体病院長会議(全国の公立病院長が集まった会議)で、将来的に、公立病院は不要であると言うようなを発言した(と聞いています)とおりのシナリオを進めること無いよう、ご尽力下さいませ。 戻る

2008/ 2/ 9  メルマガ「黎明2008年 2号」
一緒に、地域の未来を考えませんか?
「 変わらなきゃ、宇和島!」【黎明】
 武田元介のまちづくり講釈 メールマガジン版
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はや、2月です。

地元の医師会では、市立病院への保健医療機関資格取消が、
4月1日から一ヶ月に決まったなどと情報が流れています。
処分が下りないようにと、今まで戦ってきた私たちとしては、
最後まで希望を捨てず、正義が必ずや勝つと信じて、
舛添大臣のご決裁が劇的な解決を産むことをイメージして、頑張っていきたいと思います。

一方、地元選出国会議員のみなさんも、加戸知事・石橋市長ら多くのみなさんも、
処分を回避するために精一杯の動きをされているだろうこと、
患者さん・患者さんのご家族を中心とした「移植への理解を求める会」に一市民として参加して
いる立場の私としても、心より感謝を申し上げたいと思います。
また、「供に戦う戦友として、最後まであきらめずに頑張っていきましょう。」
そうお伝えしたい気持ちがいっぱいです。

私のサイト内の「トレーニング日記」で、小出しにしておりますが、
1月の市長との東京行きも、なんとか実を結んで欲しいものです。

さてさて、【黎明】と名前を変えたメルマガ、ポスティングや配布用の体裁も
考えていきたい今日この頃ですが、事務所の食卓件作業机の上は、
新聞などのスクラップでいっぱいでございまして、ネタばかり集めて自分の考えがまとまらず、
発信が滞っております。しかしながら、知名度に欠ける若輩者ですから、
こういう地道な部分から、政策(武田元介の考え方)を第一に知っていただくことを続けて行きたい
と思っています。
(後略)

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2008/ 2/ 3 主張しよう宇和島2病院の処分回避のために
マスコミは、
調べてくれていないのか、知っていても報道してくれないのかわかりませんが、
「現時点では医学的妥当性がない」として、
実質的に地方の医療機関では禁止されたように思える「病気で摘出された腎臓の移植」
いわゆる病腎移植は、

国内で、論文を検索しただけで(万波医師らのグループを除いて)、

○腎動静脈奇形修復例 42例以上

○腎血管外傷の修復例 5例以上

○腎・尿管奇形・瘢痕修復例 11例以上

○腎動脈瘤・FMD切除修復例 37例以上

も行われ、その移植によって患者さんが救われています。

当方で個別の調査も進めており、途中経過を聞くところによると
その多くが保険適用されているとのことでありますが、
これらは、生体腎・献腎で見つかったもの
(秋田大学の医学部の例でそれを認めた理屈でもって、
 万波移植と保険適用の構成要件を分けようとしているもの)です。

一方、非血縁者間の移植では、

1991年 呉共済病院 光畑医師によるもの
1993年 藤田保健衛生大学 星長医師によるもの
等が公にされております。


これら、各地で独立して行われた病腎の移植が保険適用されている中で、
時系列的にもばらばらな病腎移植が「どのような形でレセプト処理され、保険適用されたか」
というところまで踏み込んでみると、そして同じ手続きで処理されていたことを考えると、
厚労省がある時点以降、病腎移植の存在を認識し(その時点で、禁止もせず)、
社会保険庁地方支分部局である、各都道府県の社会保険事務局は、
同様の認識を基にして、その診療報酬について共通した手続きを求めていただろうことが想像できます。
でなければ、全国で行われた病腎移植についての処理が一致しているのはおかしいと思うのです。

すなわち、私たちが一昨年の年末から主張していること、

社会保険事務局が処罰根拠とする
「診療報酬は「健腎」を使用した場合に限って支払われるという解釈」は、
過去に出したものとはまったく違った見解である(処分を正当化するためのルールの変更)
ということを立証する、これこそが真実の積み重ねであると思っています。

また、「癌やネフローゼで摘出された腎臓を移植に使うことを想定していなかった」
という主張にしても、

「使える病腎と使えない病腎を単に明確に分別していなかった」ということが
もっとも適した分析なのかと考えます。
このような経緯がありますのに、病腎移植の診療報酬の請求が不正であるとして、
医療機関への処分が科されるのは、
法の大原則である、罪刑法定主義の観点からも、まったくおかしいのです。

幸いにして、超党派の国会議員で構成する病腎移植を推進するプロジェクトチームは、
病腎移植で救われる患者がおり、その生着率も生存率も決して低くないことを理解され、
「プロジェクトチームの検討結果が出るまで、
 関係する医師並びに医療機関への処分を軽々に下すことは許さない」と、
厚労省の担当部局に指示を出して頂いております。
また、本省でも、この件は一地方の(愛媛の)出先である社会保険事務局の決済案件ではなく、
大臣マターとして、「自らが決済する」としている情報が厚労省OBを通じて入ってきています。
先の加戸知事との折衝での厚労大臣のコメントを聞きましても、
我が地域事情も合わせて勘案され、処分については決定出来ていないと言うのが、
現状であるとも思い、整合を見いだしました。(希望的観測でないはず)

舛添大臣は、その政治センスから風を読んでいると思うのですが、
医学的論争の決着もおおかた付き、病腎移植で両病院を処分することは、
ただでさえ進まない日本の移植医療をますます停滞させ、
臓器輸入過多の日本が世界各国から非難されることになるとまで考えているのではないでしょうか?
(国際移植学会のトップが既に指摘している。)

重ねて申し上げますが、
病腎移植の診療報酬等の適正処理については、
一昨年の12月、万波たたき華やかかりし頃、
私共からすでに報道各社へアピールしていることであります。
ここに至っても、ほとんど取り上げられていないのが実際です。
各社は、まるで、市立宇和島病院や宇和島徳州会病院が処分受けることを望んでいるような、
この地域の医療が崩壊し地域住民が診療を受けられない危機に陥ることを望んでいるのではないか
と思ってしまいます。

当時の移植コーディネーターや担当の医師が、厚労省に確認の上で、
特定のルール(生体腎加算も死体腎加算もしない)で診療報酬の請求をすることで
了解を受けているのです。
また、病気で摘出された腎臓を他の医療機関へ斡旋することが
(通常は、献腎いわゆる腎バンク登録者の腎臓、脳死移植法施行以降なら
 脳死腎を斡旋することが想定されていた為)、
斡旋業禁止の法規に反することに成りはしないかとも確認しているのです。
そして、移植件数の統計においては、生体腎として計上することなどまでオープンに
相談されているのです。
一方、現場の医師・医療事務をするサイドでも、
例えば、生体腎加算も死体腎加算もない腎移植が行われたレセプトが不思議に思われて
受理されず戻ってきたこともあり、
これは病気で摘出された腎臓を移植に利用したものであると追記した上で、
医師自らがサインをして、適正なレセプトと処理された例が何例もあるわけです。
以上のことからも、
これをもって、処分を検討されるのは明らかに不当な「万波つぶし」、「市立宇和島つぶし」なわけです。
病腎移植について、
たまたま臓器売買の舞台となった宇和島で、また、その執刀者である万波氏であるからと、
二つの病院が監査を受ける、愛媛社会保険事務局だけが監査を実施しているのは理解できません。
ここに二つの矛盾があるのです。

@かつて明らかに病気で摘出した腎臓が移植に使われたことを認識した上で、
 適正な請求であるとして支払われた診療報酬を今になって不正請求であるとルールを変えられている。

A病腎移植をしている医療機関がたくさんあるにもかかわらず、
 (俗に言う瀬戸内グループと名付けられた医師の所属する病院でさえも)宇和島の2病院以外は、
 監査を実施していない。

これらのことは、報道各社は、まったく触れようとしないのです。

いくら、当初から万波パッシングを続け、
「癌の腎臓を移植に使うなど言語道断」等と万波氏らの移植を評価しなかった各社であったとしても、
世界が認め、多くの国から病気腎移植の試みを報告する論文が出始めている今日に至って、
それらを報じようとしないのは奇異としか思えないのです。

残念なことに、市立宇和島病院では、
「内視鏡手術を開腹手術としてレセプト処理していた」
(万波医師は無関係で、たぶん、医療事務がミスを犯したのではないか)ことを始め、
50件を超える不当請求が見つかったと言います。
しかしながらほとんどが些末なことで、どこの病院でも、ケアレスミスはあるわけで、
そういう付け増しとか振り替えと判断された不当請求が見つかったとされたのであります。
「不当」というと犯罪的に感じますが、
ほとんどは許容される
(ルールとして診療報酬の返還はするとしても、保健医療機関の資格取消まではいかないという意)
べきミスの範囲内であろうと思います。
(この損害は、医療事務外注先にも責任有りとして、損害賠償を行うのでしょうか?)

この点が、藤枝市立が恒常的にインプラントに係る口腔外科の手術を保険診療として行い
その診療報酬を請求していたと評価されたこととは根本的に違うのであります。

また、その上に、市立宇和島は、保存が義務づけられているカルテ(診療録)を破棄していたと
指摘されていますが、
これについても、市立宇和島が保存義務を「診療終了後5年」と考えていたのに対し、
「完治後5年」であると指摘され、結果的に通常の廃棄が保存義務のあるものの破棄として、
悪質と判断しようとしているのです。
しかしそんなナンセンスな話はありません。
完治かどうかは神のみぞ知ることでありまして、受診したことのあるすべての方
(亡くなられた方も含め)のカルテを保存しておかなければ、
いつ病気が再発するかなど誰もわかりはしないのであります。
亡くなられてからも5年というと、
圏域人口を超すカルテが常に保管されなければならないということになるのではないかと思うわけです。

一方、徳州会病院は、40件ほどの指摘であるといいますが、
こちらも些末なことで、
とても悪意の存在や故意と判断される事情など考えられない不当請求だそうです。
いずれにせよ、こんなことで、「処分した」とされたなら、後々の不利益な取り扱い
(補助金カットや保健医療機関以外の様々な資格の取消など)になにも抗弁出来ない立場に
追い込まれてしまうのです。

療養費払いについても、甘く考えていると大変であります。
患者さんの受け入れや治療継続にかなりの制約を受けるのです。
また、保険機関が支払ってくれなかった治療費を市の予算から支出するとなった場合、
宇和島市外の患者さんを市民の税金でもって診察治療しなければならないということにもなります。
それを市民が納得するでしょうか?
排他的に患者さんを分けることは医療機関としてしてはならないことでありますが、
そういう事態を回避するためにも、厚労省との戦い方として、主張するべきは主張して、
処分回避する方策も採るべきかと思います。

このことについては、市内で街宣活動をして、是非に皆様にお伝えしたいのですが、
メガホンマイクがございません、どなたかご提供いただける方いらっしゃいましたら、
ご一報下さい(笑)。アレルギー性鼻炎で、美声が曇っておりますが、頑張りたいと思います。

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2008/ 1/21 市立病院を守ろう。
ニュースでご覧になった方も多いと思いますが、
国際シンポジウム「日本とオーストラリアの病腎移植」が、
「移植への理解を求める会」主催のもと、無事、開催されました。

私は、雨の中、南予マラソンで走っておりまして、不参加でございましたが、画像データができあがりましたら、

http://www.kenkoude.com/ishoku/

に、アップロードいたしますので、興味のある方はご覧下さい。

さてさて、世界の動きを見ても、医学的な勝負は、
もう既についていると思うのですが、残るは、病院への処分問題です。

みなさん、情報に敏感に居て、場合によっては市民運動をスタートし、
供に地域の医療を守りましょう。

先に、市立宇和島への共同監査が終了した診療報酬の不当請求についてです。
今回、市立宇和島病院への指導のほとんどが担当者が規則をよく理解していないことによって
発生したものであっただとか
あるいは単なる入力ミスが対象ではないかと思っています。

また、レセプトとカルテの突き合わせで、レセプト(いわば請求書)どおりの医療行為
(カルテの記録にある)がないと判断された不当の多くは、
検査依頼書等に医師のサインがないとかいう、雑務の省略が原因でありったりします。

すなわち、
今回の臓器売買が発端の市立宇和島や宇和島徳州会への監査で指摘された不当請求についても、
今まで行われた多くの指導や監査と同様“医師の倫理”に反する行為とされたものは無かったのが
実際ではないかと思います。

市立宇和島に見られるカルテの破棄も故意ではないのであって、
建て替えがスタートしている現況にあって、
古い物から(5年を超えるものは保管義務はない)廃棄することを責めるのであれば、
今回、一部解決をみた薬害肝炎に関わる投薬記録のある古いカルテを破棄した医療機関は
すべて指導・監査を受けるべきです。

そして、重箱の隅をつつくような指摘でもって、不当とした請求について返還を求め、
著しく不当であるとして、それを根拠に保険医の取消の処分をしなければならないことになります。

レストア腎の移植についても、全国で、瀬戸内グーループ(万波氏らの)意外にも
100件近い「病気で摘出された腎臓を修復して移植医療に使うと言う手術」が行われており、
その治療を実験的医療とせず、
保険診療と扱っていたならば、
それらすべての医療機関が監査・指導されるのが法の下の平等といえましょう。
もっとも、罪刑法定主義という法原則を無視する厚労省にそれを求めるのは無駄でしょうが・・・(笑)。

少なくとも、私たち宇和島市民は、どこの病院医療機関でも、
多かれ少なかれ、
調べられれば不当請求とされる「間違い」が見つかるというのが実際なのだということを理解し、
興味本位でかき立てる一部マスコミの記事によって、
市立病院への信頼を失うことがないようにお願いをしたいと思っています。

確かに、完璧なレセプト処理がなされるのが理想でありましょうが、
現場はそう思うとおりに動かないのが現実でしょう。

カルテの記入やら、レセプト処理の正確を期すために、
救急患者の受け入れを拒否するような事態にも成りかねません(笑)。

保険診療上の規則を知らないがために行われた行為と、
規則違反を意識的におこなった行為とは明確に区別しなければ成りません。
しかし、カルテとレセプトのチェックでは、それは判別しがたいのであります。
ほとんど不可能と言っていいでしょう。

そして、両者には決定的に大きな違いがあるにもかかわらず、
マスコミは、“不正行為”として報じます。それが大問題なのです。

レセプト上の過誤請求は日常茶飯事であるそうです。
そして、その大部分が保険診療上の規則を理解していないことに起因していると言います。

ここで、報道機関は過誤請求と不正請求との区別を出来ず、
医療機関の不正行為、
それも臓器売買で話題になった両病院ですから、話題性には事欠かないわけでありまして、
地域の医療がどうなるかよりもむしろ、
センセーショナルな報道で、
部数や視聴率を伸ばすことに躍起になっているのです。

良心的な診療をしていても、保険診療上批判の対象になる行為は少なくないのが現実です、
現場の医師が、杓子定規なルール通りに診療を進める方が奇異なのであります。
適用除外の薬剤でも効能が有れば、患者さんに使ってあげるのが医師の良心と思うのですがどうでしょう。

もちろん、保険財政にうらうちされた、
世界に冠たる、国民皆保険制度を維持している医療保険が、
医学的根拠に乏しいのではないかということを述べているつもりはありません。
なんでもあり、検査した者勝ち、出した者勝ちに成りかねない保険診療という契約制度
(患者本人負担の3割を受け取った残りの7割は保険基金から負担される)の制度維持
のためには、不正請求に目を光らせるのは当然成すべき努力であります。
しかし、マスコミが、「不正」と報じれば、その読者や視聴者は、
文字通り「不正」と受けとります。

そして、それによってもたらされる、医療機関への不信感は、
さらなる不利益を社会にもたらすと思っています。
医療の上の信頼関係が崩れれば、良好な診療行為など望むべくもないわけです。

インフォームドコンセントの話など、医療機関サイドの万一事故があったときのための、
訴訟対策としての役割が大きいのが現実でしょう。
ですから、世界中の権威ある医療機関の中には文書によるインフォームドコンセントを
義務づけていないところが希でないというのが本当のところなのです。

そのことは、その医療機関あるいはその担当医師と患者さんの間に、
書類上で証する信頼関係を超える、患者と医師の人間同士の厚い信頼があり。
それに基づいた医療行為が行われていることを表していると思います。

今回の市立病院の監査について、市民のみなさんには、
どうか処分容認論をとらないで頂きたいと思います。
愛媛新聞などで報じられた、監査結果に基づく診療報酬の返還の大部分が、
調べればどこでもあり得る、過誤請求であるはずです。
(癌で摘出された腎臓を移植に利用した治療行為は診療報酬返還の対象にされるべきではないですから・・)

なぜ、宇和島だけがと言う意識、皆で共有できればと切実に思います。

地域医療崩壊の火に油を注ぐ愚行を厚労省の一部役人は行おうとしています。

1億だろうが、4億だろうが、市立宇和島病院や宇和島徳州会病院を
スケープゴートとされることは許してはなりません。
特に市立に関しては、私たちの税金が巻き上げられます。
そして、私たち市民の病院を閉めさせようしているのです。
両病院を、いつまでも、信頼できる地域の病院として、
私たちは、けして処分を容認してはいけません。

万一の時に、体調が悪いときに、私たちを守ってくれる病院を、
今度は、私たち市民が守りましょう。
それが、私たち市民のつとめだと思います。
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2008/ 1/10 今年はメルマガ頑張ろう 「2008年 1号」 
一緒に、地域の未来を考えませんか?
「 変わらなきゃ、宇和島!」
【黎明】
 武田元介のまちづくり講釈 メールマガジン版
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ご無沙汰でございます。 そして、皆様方が、お健やかに新年をお迎えだろうこと、 心よりお慶び申し上げます。 残念ながら体調をお崩しになっている方がいらっしゃると すれば、一日も早い治癒をお祈りいたしております。 仕事に追われ、御世話になった皆様にはたいへんご無礼を 致しております。年賀状代わりに作るご挨拶状も現在作成 中でございます。 今年は、そんな自分からの脱皮を図りたいと思っています。 メルマガも、【黎明】と名前を変えて、宇和島に夜明けが 来るように、陽の昇る時が訪れるように、思いを込めて発 信を続けて参る所存でございます。 今回も、前回同様、極めてほったらかしに近い、HPの更 新履歴のご報告が主となります。

(後略)
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