第5話 天皇陛下と戦争責任

1)はじめに

 多くの日本人は、程度の差こそあれ「昭和天皇には戦争責任はあるが、政治的判断で訴追されなかった」、「昭和天皇の戦争責任はあいまいにされた」と感じているのではないだろうか?昭和の時代を振り返るとき、何かすっきりしないものがあるのはその為であろう。この稿では昭和天皇と戦争責任について読者とともに考えてみたい。

 まず、一つ気になることは「戦争責任」を論ずる場合、実はそれ以前に「天皇制自体に対する感情」、「好意の有無」という主観的な問題が、「責任論」と言う法的あるいは客観的事実に関する問題を左右しがちではないか。「見方によっては責任があるとも言えるし無いとも言える」というのは「相対的な責任論」に過ぎない。

 次に問題なのは、一口に「責任」と言うが、その定義が曖昧である。
通常法的な責任という場合『誰が(責任主体)、どのような行為に基づくいかなる結果について(帰責事由)、誰に対して(責任の相手方)、どのような内容の責任を負うか(制裁を受けるとか義務を負う等)(責任内容)』が特定されなければならない。

 また、この帰責事由があるというには、『ある人の特定の行為の結果として、ある事態が発生した』かどうか『因果関係の立証』が必要である。しかし、法的責任原因としての因果関係は、社会的に相当な(合理的な範囲内の)因果の流れの結果発生した原因結果の間にだけ認められなければならない。何故なら自然界に限らず、人間社会の全ての事柄は、無限の因果関係の連鎖の中にある。故に、ある人の特定の行為とある事態の発生の間に、どんなに細かくとも原因結果の糸が通じているとするならば、極めて些細な行為でも、因果関係の連鎖の結果として重大な事態に結びつくこともあり、正義に反すること甚だしいからである。

 そして、この相当な因果関係の範囲内にあるかいなかは、客観性と合理性を備えた事実認定の結果、認定されなければならず、そこに主観や感情をさしはさむことが許される性質のものではない。

 また陛下に限らず、いわゆる戦争責任問題は、一般に「日本が負けたから言われている」という結果論的な側面があると思われる。一部の例外はあるものの、一般に「日露戦争を引き起こした」として明治天皇が非難されることもなく、第一次大戦では、日本は米英とともに連合国の一員として戦った為、米英からは当然ながら「日本が戦争をしたことに対する非難」は無い。また「戦争犯罪」が問題とされることもなかった。にもかかわらず、第二次大戦後「平和に対する罪」(戦争を起こし平和を乱したこと自体に対する罪)などという新しい罪名をつくってまで日本人が起訴されたのは、日本が米英と道をたがえ、その結果敗北したという事実に起因している。敗戦というマイナスの事態からさかのぼって、開戦責任論が構成されていくというのが実状ではないか?
 本稿は、詳細な法律論争を意図したものではない。しかし、現在言われている戦争責任とは、あまりに漠然とした概念であるため、、少なくとも「戦争責任」とは何を指すのかを明らかにする必要があると考える。

一つの考え方として、戦争責任は次のように分類が可能である。

(帰責事由に基づく分類)

1.開戦責任:    戦争を開始したことに関わる責任
2.戦争遂行責任: 戦争を遂行した課程に関わる責任
3.終戦責任:    戦争を終結したことに関わる責任
4.敗戦責任:    戦争に敗北したことに対する責任

(責任の相手方に基づく分類)

1.国際責任:    他国家、他国民に対する責任
2.国内責任:    自国家、自国民に対する責任

(責任の内容に基づく分類)

1.法律的責任:  不法行為をなした場合に課せられる法律的制裁
2.政治的責任:  権力の行使によって生み出された結果に対する政治行為者の責任
3.道義的責任:  前期の責任を免れたとしても自己の良心において負担する内的な責任

 以上の通り、理論上は一人の責任主体に対して上記それぞれによって24通りの組み合わせが可能になる。これらは明確に区別して論じられるべきである。一般に、昭和天皇の戦争責任について問題にされるとすれば、「開戦責任」に関する主として国際的(戦勝国に対する)な法律的、政治的、道義的責任であろう。

2)開戦責任を理解するためのいくつかの前提

(1)現人神ということ

 現在(執筆当時)、森総理大臣の「日本は天皇を中心とする神の国」という失言(?)により、政界はにぎやかである。しかし、国民の多くが「現人神」というご存在を誤解していると思われる。天皇は、神に対して祭りを行う「祭り主」であって「祭りを受けられる神」ではない。ちょうど神社の神主さんが、ご祭神に対して神事を執り行われるように、天皇陛下は祖先神である「皇祖皇宗」の御霊に対し祭りを執り行われる。天皇は神に接近し皇祖神の神意に相通じ、精神的に皇祖神と一体たるべく不断の努力をなさっている。すなわち地上において神意を表現なさるお方である。その意味では地上の神とも考えられる。しかし、戦前は天皇が唯一絶対の神であり、超法規的存在であったとするような短絡的な考え方は間違いである。

(2)祭政一致 

 保守派の論壇の一部に、天皇の戦争責任問題を回避する目的で、「日本は律令制の昔から『政教分離』であり、天皇に政治的実権はなかった為、戦争責任も生じない」とする考え方がある。しかしこの考え方は、いわば苦肉の策とも言うべきで、日本の国体(国柄とか国の本来のあり様のこと)を正しく伝えていない。

 日本においては、古来より「祭り事」と「政り事」は一体であった。すなわち天皇の「祭祀大権」と「当地大権」とはもともと一体であり、このような考え方は中国においても見られる。しかし、決定的に違うのは、日本においては祭り主である天皇とご祭神である「皇祖皇宗」は、先祖と子孫の血縁関係であるのに対し、中国皇帝とその主祭神の『天』の関係は、血縁ではなく天命に基づくものである。このため別の者に新たな天命が下れば、易姓革命が起こり王朝は交代する。祭政一致と言う事は、ともすれば「権謀術策」の場となりやすい政治の世界の上に「神聖感」を置くことを象徴している。あくまでも「祭政一致」が日本古来の正しい「国体」の姿を顕わしている。

(3)国体と政体

 明治憲法下では天皇が「統治権を総攬(まとめおさめること)」するとされているが、実際に天皇が司法、立法、行政の複雑多端な問題に直接介入なさるわけではない。だからといって統治大権そのものが天皇に帰属するとの意義を失ったわけではない。国体というのは時代の変遷に関わらず普遍のものである。しかし、実際の政治の運用となるとこれは政体の問題であり、その時代に応じた政治形態に変遷を遂げてきた。ゆえに国体と政体、この二つの事は明確に区別を要する。

(4)立憲君主制

明治以降の日本の政体は、「立憲君主制」である。君主としての天皇はおられるが、天皇は中国皇帝のような超法規的権力者ではなく、憲法を尊重し自らも憲法に規定されるご存在であった。すなわち天皇は憲法の規定に従って、帝国議会の協賛を受けて立法権を行い、国務大臣の輔弼(権能行使による助言)と枢密顧問の答申を受けて国事行為を執り行われた。(注)

(注) 明治憲法<大日本帝国憲法>第4条に、統治権の総覧があるが、それは、「この憲法の条規に依って行う」とされている。つまり、天皇でさえも、憲法に規定される存在であり、憲法の枠の中で憲法に従って行為をされる御存在であった。また、第55条、56条に、国務大臣が天皇を輔弼し、枢密顧問が審議によって天皇に応える形で重要な国務を行うと記されている。

 実際には、輔弼は内閣によって行われ、責任も内閣がこれを負った。輔弼が天皇を法的に拘束するものと解すれば、日本国憲法における、内閣の『助言と承認』とほぼ同じ意味になる。

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