3)尊王、攘夷の思想

 「尊王」とは天皇の古代的権威を復活させ、崇拝する思想で、幕府が勅許なしで開国の条約を結んだことなどは「尊王派」の志士たちをいたく刺激し、幕府非難の論拠となったのである。

 「攘夷」とは自国と夷狄(外国)を区別する名分論であり、排外的な思想です。幕府がペリーの脅しに屈したとして開国の一歩を踏み出したとみる攘夷派からは強い不満が噴出し、幕政批判につながっていきました。

 このため「尊王論」と「攘夷論」は、ここに幕府に対する批判的な思想として結合し、「尊王攘夷論」という反幕スローガンとなっていきました。

 ここで誤解してはならないのが、「開国論者」は決して、「尊王攘夷論者」ではないというわけではなく、ここで外国と戦っても他のアジア諸国のように植民地化されるのは目に見えており、「とりあえず開国して軍備をととのえるべきという意味では、方法論の異なる「攘夷論者」であり、また同様に「尊王」の意識を持たずにいたということでもない。

 欧米による侵略の危機を前に、幕藩体制化での「お国とは藩」との帰属意識を改め、「お国とは天皇の国・日本」という共通認識に基づく、近代的な国民意識としての「尊皇思想」が形成されていたと見るべきであろう。

 明治維新とは、世界史の荒波の中に日本がまきこまれ、さまざまの国を憂う人々の考え方がモザイクのようにからみ合い、新生日本の誕生へ向けての痛みの中で、多くの貴い命が散ってゆく過程であったのである。

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