上海レポート’93

中国の上海市普陀区を訪れる機会を得て、3泊4日の旅行をすることができた。
事前の勉強やテレビ、雑誌で得た情報を元に、中国というイメージを自分なりに造り上げていたが、それらは非常にちぐはぐなもので、一つの形をなさず、断片的な情報を持ったまま、偏見に満ちて出発し、次の行程で見て回った。
今回は、通常では見ることができないところや、一般家庭への招待、また幼稚園園児の合奏、小学生の皆さんに、熱烈な歓迎を受けた。

6月7日

大阪国際空港からの所要時間、約2時間10分、上海空港に着く。
普陀区役所表敬訪問。出席者紹介の後、相互の政行地区の概要を説明すると共に、徐区長を始めとする関係者との交流を持つ。

上海普陀区の概要(説明内容)

上海市12区の中の1つで、面積53ku、人口80万人以上。
おもに工業は医薬品・計器・化学。上海における一部商業地でもある。
区の下に14の「まち」があり、その内郊外に2つある。
中・小学校は100校以上あり、科学技術研修所も多く、病院は20か所。文化レベルは高い。
また開放・改革以来発展がめざましく、給料もアップし、市民アパートの建設も進んでいる。
海外からの投資も活発になり、アメリカ・フランス・日本・香港等、その中でも日本からの投資が多く、よい関係を持っている。今回の訪中でもっと友好を深めたい。
浦東新区、南浦大橋、外難公園見学
花満桜酒店にて、徐区長を始めとする普陀区人民政府の方々の歓迎を受けての晩餐会が設けられ、中国料理の円卓を囲んで交流し親睦を深めた。

6月8日

曹楊幼稚園、曹楊文化センター、曹楊農業試験所、曹楊商物、上海工芸品鎖公司見学、雑技団鑑賞

住民家庭訪問

5班に分かれて一般家庭を訪問した。私の班では、巖勇造さん宅を訪問。
ご夫婦共に大学を出られ、ご主人はエンジニアということで、中流以上の家庭であるが、意外と質素な生活ぶりである。ここで、昼食をご馳走になった分けであるが、ご主人は一週間も前から我々を迎えるために準備して、ご主人自ら十数品の料理を次から次へと、自分は食べる間もなく作って頂いた。ここでも熱烈な歓迎ぶりであり、食事はレストランに勝る味であった。

英雄金筆廠工場見学

午後からは、行政班と産業班とに分かれ、私の産業班は、万年筆工場を見学。工場長の説明後、作業行程を見学したが、機械化しているものの、手作業の部分が大半を占める根気のいる仕事を、あまり環境のよくない所で若い従業員がコツコツと作業を続けていた。日本ではあまり見かけない風景である。

HEROPEN

売上 1億8千万元 輸出850万ドル
輸出先 60か国〔アメリカ、ヨーロッパ、日本(横浜の中華街で販売)〕
市民が買い物をする百貨店を見学。3階建で1階が化粧品、医薬品、食料品。2階衣料等、3階が電気製品、カメラ。1階は明るい店づくりであるが、2階3階と行くにつれて、倉庫のような殺風景を感じた。どの売り場でも、陳列ケースの上に、5玉のそろばんが置いてあるのはまさに中国である。

6月9日

蘇州[虎丘、寒山寺、シルク工場、拙政園]名所見学(人口56万人)
龍門飯店にて(3日間宿泊したホテル)夕食を兼ねた送別会が開かれ、歓迎会と同様に徐区長をはじめ、普陀区人民政府の方、訪問の間お世話頂いた方々、また昨年多度津に訪れた方々も出席されて、相方から歌が飛び出すほど益々親交を深めた。

6月10日

豫園、上海友宜商店、玉佛寺見学

上海市について

人口約1300万人、面積約6000kuに広がる上海市、12区7県からなる。上海の市街地は約160ku(全体の3%弱)と狭い。
以前から貿易港として栄えた都市ではあるが、経済開放政策を推進する中心都市として活気にあふれ、その発展はめざましい。中国最大の商工業都市、文化都市として国際感覚あふれる街並みや底知れぬエネルギーを持った反面、一種怪しげな魅力を放つ街。一言で言い表せない、掴み所のない街。
出発前に描いていた、まとまりのないイメージは、まさしくその通りであった。旅行雑誌で見かけた言葉、『ごった煮の街』がどうもピッタリするのではないかと思う。しかし、バイタリティーあふれる活動的な街の息づかいを感じた。

生活について

労働者の給料は、1か月約400〜500元。日本円で8千円〜1万円と聞いて驚くが、日本と比べ物価が安い。特に、家賃は、給料の5%くらい。贅沢をしなければ充分生活出来るとのことである。
経済自由化政策で物が豊富に出回り、家電製品もだいぶ普及し、今はカラーテレビ、ビデオ、クーラー等。テレビゲームも普及しつつあるようだ。
冷蔵庫は充分に普及していないため、買物は毎日のことで、自由市場はどこも大いににぎわっているとの話であった。
また、中国は一人っ子政策をとっており、国をあげて人口抑制に努めている。このため、晩婚で晩育。2人目以上を産むと高額な罰金。さらには職を失うことにもなるらしく、非常に深刻である。
一人っ子のため親は教育熱心であると同時に溺愛し、これが子供の着飾にもあらわれ、道を行く親子連れがよく目に付く。

買物・食事・宿泊について

中国の通貨の単位は元で、外国人が使用する 兌換券と国民用の人民幣の2種類ある。ホテル・友宜商店などの支払は、兌換券の使用が義務付けられている。(現在では人民元に統一されている。しかし、二重価格で旅行者は区別されていると聞く。)
土産物は、中国ならではの手工芸品・伝統工芸品が主で、どこへ行っても「掛け軸」が目に付いた。
食事は、フランス料理と並び称されることだけあり、非常に美味である。円卓を囲んでの食事は、料理もさることながら雰囲気がよい。
味は、比較的しょうゆ味で、それほど濃くもなく、油こい中国料理というイメージはかなり違っていた。朝は粥で、味はついていなく、漬物と一緒に食べる。お茶は請求しないと出してくれない。今回珍しい料理を口にしたのは、北京ダックとラクダのヒズメの所の肉料理。砂糖をかけたスライストマトには閉口した。飲物は、紹興酒と冷えてないビールとスプライト(ホテルでも。)。
中国式のお茶の飲み方は、湯のみに茶の葉を入れて湯を注ぎ、葉が沈むのを待って飲む。変わった飲み方だが、私も面倒な時はそうする。
泊まったホテルの設備は、一応整ているホテルで快適に過ごせた。テレビには、衛生放送番組(MTV)が流れていた。ホテルもまた建設ラッシュで、今回泊まったホテルも築4〜5年で、旅行マップにも載っていなかった。

交通について

中国の人の足は自転車とバス(トローリバスと2つの車両を蛇腹でつなげた特殊なバス)。朝夕の出退勤の時間には、自転車で道路が埋めつくされ、その間を自動車が通りにくそうにのろのろと走っていた。このラッシュはすごい。
また、車の通行は、日本と反対の右側通行で、歩行者優先でないので交通事故には、注意しなければならない。
流しのタクシーは、先ずつかまえることができず、ホテル等で呼ぶしかない。

ガイドによる説明

上海市は、人口1300万人、自転車台数 800万台、自動車50万 台。
自動車速度は市内で30〜40km、時に25km、市外では70km。
自動車は、国・会社の所有。値段は労働者の40年分の収入で20万元。ガソリンスタンドは、全て国営。
オートバイは約4500元。しかし、ナンバープレートは、自由市場が 1万元で取り引きされている。オートバイも個人事業所主の所有。
1家族の最低1か月の生活費150元。
マンション1uが2年前は2000元。今は3200〜4000元。
日中合作企業 1500社以上
上海の大学 51か所

上海は、モダンな国際都市の反面、地味な庶民の生活ぶり。バラエティにとんだ食事に、人情みあふれる性格。そうした素顔の街を、あちこちの通りを、自由にぶらぶらと見て歩く時間がなかったのが、残念であっが、熱烈な歓迎を受けていろいろな所を視察させて頂き、中国そのものに接すれば接するほど、底知れぬエネルギーとバイタリティを感じ、中国の経済を中心とした開放政策の心意気が強く伺えた。
ただ、庶民の意識が社会主義に根付いたものであるためか、個人のプライドは高いものの、中流意識やそれに似合った生活様式が伴っていない。街で見かける若い女性は、非常にフッショナブルで、ほとんどがミニスカートである。にもかかわらずガッシリした自転車に乗って走っている。非常にアンバランスな光景である。住宅にしても、7階建て以下の建物にはエレベータが付いていないと言うことで、日本では考えられない。
しかし、今後資本主義経済に触発され、庶民の意識改革がなされたときは、経済発展に更なる拍車が掛かり、世界のリーダーにも成り得るパワーを秘めている。
日中国交回復が遅れたこともあり、アメリカやヨーロッパ以上に『遠い国』となっていたが、これからは同じアジアの隣国として、共に発展していくように努力しなければならない宿命を背負っているのではないか。

 「百聞は一見にしかず」と言われるとおり、現地へ出かけて体験することが、一番の勉強である。大いに世界へ出かけることをお奨めします。