(参考資料)

マッカーサー回想記 (訳文) 

 

(本文は、1964年に出版された、Douglus MacArthur著 Reminiscencesの中で昭和天皇との最初の会見の様子を記した、P288を和訳したものである。訳文は、昭和39年1月25日付け、朝日新聞より引用している。傍線は、本稿筆者が付した。)

 天皇は落ち着きがなく、それまでの幾月かの緊張を、はっきり顔に表していた。天皇の通訳官以外は、全部退席させた後、私達は、長い迎賓室の端にある暖炉の前に座った。

 私が、米国製のタバコを差し出すと、天皇は礼を言って受け取られた。そのタバコの火をつけて差し上げたとき、私は、天皇の手が震えているのに気がついた。私は、できるだけ天皇のご気分を楽にすることにつとめたが、天皇の感じている屈辱の苦しみが、いかに深いものであるかが、私には、よくわかっていた。

 私は、天皇が、戦争犯罪者として起訴されないよう、自分の立場を訴え始めるのではないか、という不安を感じた。連合国の一部、ことにソ連と英国からは、天皇を戦争犯罪者に含めろと言う声がかなり強くあがっていた。現に、これらの国が提出した最初の戦犯リストには、天皇が筆頭に記されていたのだ。私は、そのような不公正な行動が、いかに悲劇的な結果を招くことになるかが、よく分っていたので、そう言った動きには強力に抵抗した。

 ワシントンが英国の見解に傾きそうになった時には、私は、もしそんな事をすれば、少なくとも百万の将兵が必要になると警告した。天皇が戦争犯罪者として起訴され、おそらく絞首刑に処せられる事にでもなれば、日本に軍政をしかねばならなくなり、ゲリラ戦が始まる事は、まず間違いないと私は見ていた。結局天皇の名は、リストからはずされたのだが、こういったいきさつを、天皇は少しも知っていなかったのである。

(昭和天皇のお言葉)

 「私は、国民が戦争遂行にあたって、政治、軍事両面で行った全ての決定と行動に対する、全責任を負うものとして、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためにおたずねした。」

 私は、大きい感動にゆすぶられた。死を伴うほどの責任、それも私の知り尽くしている諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引き受けようとする。この勇気に満ちた態度は、私の骨の髄までも揺り動かした。私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格においても、日本の最上の紳士である事を感じ取ったのである。

(付記)

 マッカーサー元帥は、側近のフェラーズ代将に、「私は天皇にキスしてやりたいほどだった。あんな誠実な人間をかつて見たことがない」と語ったと言う。(当時外務大臣であった重光葵氏が、1956年9月2日、ニューヨークでマッカーサー元帥を尋ねたときの談話による。)

 他にも、「一言も助けてくれと言わない天皇に、マッカーサーも驚いた。彼の人間常識では計算されない奥深いものを感じたのだ」〈中山正男氏、日本秘録98項〉

「この第一回会見が済んでから、元帥に会ったところ、陛下ほど自然そのままの純真な、善良な方を見た事がない。実に立派なお人柄である」と言って陛下との会見を非常に喜んでいた」〈吉田茂、回想十年〉などの記録がある。 

 マッカーサー元帥は、陛下がお出での時も、お帰りのときも、玄関までは出ない予定であった。しかし、会見後、陛下がお帰りの際には、思わず玄関までお見送りしてしまい、慌てて奥に引っ込んだ事が、目撃されている。〈吉田茂、回想十年104項以降〉。

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