(4)「リメンバー・パールハーバー」は本当か?

 アメリカ公文書館に保存されていた資料が公開されるようになり、日本の暗号はFBIのスパイによって真珠湾奇襲攻撃(昭和16年12月8日)の一ヶ月程前から完全に察知され、アメリカは奇襲の情報をつかんでおり、ルーズベルトが米国民に戦争を決意させるため意図的にハワイにだけ知らせていなかったらしいのです。それについては若干違う意見もあり、開戦は知っていたが真珠湾は知らなかったと見る考えもあります。「真珠湾を忘れるな」は現在も広くアメリカでうたわれ、学校教育の中でさえもそう教えられているらしいのですが、終戦直後のアメリカ議会ですでに裏事情が指摘されており、結果的には念願の開戦に至ったアメリカの国家的な情報操作と言えなくもないと思います。また日中戦争のさなかの昭和16年4月の段階で、アメリカはすでに中国軍を装った米軍航空機師団フライング・タイガーを派遣し、日本と戦争をしていたようです。高価な米軍機を使用するわけですから国策と考えるのが自然ではないかと思います。ほかにも真珠湾の3ヶ月前に日本本土爆撃計画を示す公文書も大統領のサイン入りで見つかっています。冷静な事実確認が必要なところですが、ABC包囲網・ハルノート、明らかに日本に戦争を仕掛けさせていると思えるのです。『国民の歴史』、『真珠湾』(G・モーゲンスタン著)『國破れてマッカーサー』(西 鋭夫著)「発覚した真珠湾のウソ」(前田 徹著『正論1999.10』)を参照されたい。

(5)GHQから、日本のマルキストへ。

 GHQは、政治犯の釈放(1945,10,10)を行いました。「占領軍にとって利用できる人物」、「友好的日本人」として「歴史学研究会」(マルクス主義的傾向を持つ人が多かった)を近づけ、彼らの歴史観を占領政策で利用しようとしましたが、結局「急進的」すぎて使えませんでした。しかし彼らはその後の歴史学会の要となってしまったし、そのときの歴史観が今の教科書に反映されているのです。抑圧の経験を持つ彼らには、当時の歴史は暗黒に違いないのです。GHQは、今までの歴史観と彼らの革新的歴史観の中間を期待していたようですが、前述の通り「急進的」すぎたため企画段階のラジオ放送は中止になりました。GHQの「共産主義的記述」に対する強い批判を紹介します。

(弥生時代に)私的所有(形態)はまだなかった、とのマルクス主義的理論は間違っている。なぜ、そのようなマルクス主義的理論が、歴史についてのポピュラー・トークに出てくるのだ! マルクス主義的理論は正しくない!(『検証戦後教育』)

 弥生時代のこのような原始共産制礼賛記述は、現在の教科書に明らかに残存しています。また日清・日露戦争ほかについてラジオ放送の草稿を紹介します。

日本は明治維新以降非常な速度で資本主義化してきましたが、それは少数の上流階級を富ましただけで、一般の民衆は利益にあずからなかったのみならず、搾取されて苦しみました。・・日清戦争で大いにもうけた日本の支配階級は、国民の生活を犠牲にして戦闘準備を整え、さらにロシアとの戦争に国民をかりたてようとしていたのです。・・・日本共産党が大正十一年に誕生し、人民の先頭に立って、勇敢に正直に戦いました。・・・戦争に反対し、専制政治に反抗し、資本家地主貪欲と戦い、・・・虐げられた人民を守り、人民のための社会をつくるために、わたくしたちの先輩は献身的な努力をしました。そのため、幾多の人々は、官憲のために、あるいは捕らわれ、あるいは殺されたのです。(『検証戦後教育』) 

 この草稿の中にも今の歴史教科書の問題点を見ることができます。ではなぜそこまでの偏向した視点が生まれるのでしょうか。藤岡信勝氏はこう述べています。

・・講座派の人々は明治維新の革命性を低める絶対主義説になぜあのように情熱的に固執したのだろうか。それは、・・・国際共産党組織・コミンテルンが一九三二年に「三二年テーゼ」とよばれる日本革命の方針を出したからである。その方針は天皇制を絶対主義として規定し、その打倒を日本共産党の任務とした。』(『自由史観とは何か』藤岡信勝)
(注)講座派・・・社会科学者のグループで、「日本資本主義発達史講座」の編集・執筆を行ったことからこう呼ばれる。

「天皇制」の用語についても若干の説明をしておきます。『皇室傳統』(谷沢永一 PHP研究所)によれば、

「天皇制」という造語が、我が国に初めて出現したのは、大正十二年三月十五日、東京府北豊島郡石神井村の料亭豊島館で開催の、日本共産党拡大執行委員会においてである。

とあります。その後昭和6年3月以降、『赤旗』は「天皇制打倒」を掲げ、昭和7年(1932年)7月10日に「主要任務」の第一として、「天皇制の転覆」が明記されました。

 日本にはそもそも天皇について、何か他のものと換わりうる、存在すら疑うような価値観などあったのでしょうか? そういった「32年テーゼ」が示されるのも、終戦まで日本の多くの人々にとって、天皇の存在は全く疑いようのない大きな存在であり、歴史・精神・文化や生活に密着していたからではなかったでしょうか。

 大学の入試問題もこの「32年テーゼ」の線上にありそうです。今の我々には想像もつきませんが、彼らは革命を起こす準備に歴史を使ったのです。またGHQ文書に出てくる50数年前の内容が、今でもそのまま歴史教科書に出てきます(「教科書の現状について」を参考)。日本の歴史は、戦勝国と共産主義者によって破壊され、作り直され、められ現在に至るのです。

                   【目次】 【次へ】