鳥屋森城 | (別名 鳥居森城 豊ヶ森城 宿間城) |
築城年 | |
築城者 | |
城の形状 | 連郭 |
現存物 | 郭 堀切 土塁 石垣 碑 |
所在地 | 喜多郡内子町宿間 |
中央の山頂 | 主郭の碑 | |
主郭土塁の石垣 | 堀切 | |
標高280m。大登山から南に伸びる尾根の中で最も急険な山頂に築かれている。 主郭は12m?30mほどで、東へ向けて5段の郭が1〜4mの段差で続く。 南の小尾根にも二の郭から下に3〜5mの段差で2郭。 西尾根には主郭からやや離れて2m幅の小郭が3段続き、さらに小さな堀切が見られる。 主郭西側にはわずかに土塁が残り、外側に石垣が見られる。 城から南西に伸びる尾根に2つのピークがあるが、城から二つ目の山頂には祠が祀られており、 位置的に見張り場であった可能性もある。(最初間違って登った) 龍王城の支城で城主は藤田伝之助就昌とその子小左衛門昌光。 藤田氏は伊豆藤田郷から移った伝右衛門尉昌盛から始まる。 天正7年(1579)曽根城主の曽根氏が土佐長宗我部氏と結び、龍王城が落城。 その後、三手に別れた曽根勢の内、栗田友徳、深田越中守に攻められ落城。 昌光は浪人し出淵に移住。その後宇和川へ(庄屋?) 栗田宮内小輔友徳、宗徳が城主となる。 天正13年(1585)豊臣秀吉の四国攻めの際は下城し、後、郷地区の庄屋となる。 県道32号線下宿間の集落に入り、集落を抜けて林道へ。ひたすら進んで四差路まで進む。 車の場合ここで降りるが無難。(地図には四差路は載ってない) 北への道を上って行くと広場があり(本来の駐車場)、保安林の看板があるのでその裏が登山口。 登山道の状態はあまりよくないが、一応整備されている。登山口から主郭碑まで9分。 参考資料 五十崎町誌 日本城郭大系(新人物往来社) 愛媛県中世城館跡(愛媛県教育委員会) 伊予の古城跡(伊予史談会) 只海村シリーズ 菊が森城(別名・丸山城)址と若一皇子神社(季羽 哲二/著) |