行くところがあるからここで待っていろ、とだけ言い残して何処へか去った尚隆を見送ってから半時余り。
未だ戻らぬ尚隆を待つ茶屋の店先で、陽子は通りを行過ぎる人々の姿に、何気ない風を装いつつも目を凝らす。
(そう簡単には見つからない、か――)
街道を行き交う人々の中から、蓮花に絡んでいた男達や、言いがかりをつけてきた男達の姿を捜してはいるが、そうそう簡単に見つかるものでもない。それは充分承知しているし、闇雲に歩き回ってもどうなるものでもないと分かっているつもりだが、一刻も早く蓮花の手がかりを掴みたいのに、足を痛めたことになっている為、大人しく座っているしかないというのはもどかしくて仕方なく、気持ちばかりが焦る。
女主人の出してくれた茶もとうに飲み干し、空になった湯呑を手の中で弄びながら、痛めたことになっている足とは別の足をプランプランとさせながら、通りの方ばかりを気にしている陽子に、店の奥から声がかかる。
「兄さん、遅いねぇ」
振り向いた陽子の目に、賑わっていた店が一段落して落ち着いたらしい女主人が、気さくな笑顔で新しい茶を運んできてくれた姿が映る。
兄においていかれて手持ち無沙汰なのだ、と見て取ったのだろう。頭を下げる陽子に新しい茶を出しながら、女主人は陽子の気を紛らわすよう、何くれとなく話しかける。
「どこ行っちまったんだろうねぇ」
「さぁ……」
陽子もどこへ行くとも知らされていないのだ。適当に相槌を打つ陽子の前の席に、女主人が腰を下ろす。
店が落ち着いている暫くの間、話相手をしてくれるつもりのようだ。
(――この人に聞いてみよう)
人通りの多い街道沿いで商売を営んでいる店ならば、人の出入りも多い。加えて、世話好きで話も好きそうなこの女主人なら、いろいろな噂なども知っているのではないか。とはいえ、ここで事の次第を話して、蓮花を探していることを知られるのは良くないかも知れない。逆に噂として陽子が蓮花を探し回っていることが相手に伝わってしまう可能性もあるのだから。
尚隆との事前の打ち合わせの通り、慶から探しに来た架空の『行方不明の妹』を上手く蓮花と重ね合わせて、蓮花に繋がる情報を引き出したほうが、今の段階では得策だろう。
不自然にならないように気を配りつつ、女主人の関心を引くように、陽子は慎重に言葉を選ぶ。
「――多分、妹を知っている人に会いに行っているんだと思います」
「妹さん?」
細心の注意を払いつつ、憂い顔で『訳あり』を匂わせる陽子に、女主人は興味をひかれたようだ。
僅かに身を乗り出した女主人に、陽子は伏目がちに頷いた。
「はい――。離れて暮らしていた妹と、急に連絡が取れなくなってしまって……」
「連絡がつかないって……いつ頃から連絡がつかないんだい?」
「三月前に出した手紙にまだ返事が届かなくて……いつもは一月もすれば必ず返事が届いたのに。それで、居ても立っても居られなくなって、慶から訪ねて来ました」
慶、と聞いて女主人は表情を曇らせた。離れて暮らしている、というのが予王の政策によるものだとすぐに察しがついたのだろう。予王の政策で国を追われた女達は多い。新王が立ち、安定を見せ初めた慶に希望を見出して戻る者も多いが、長きに渡る女王への不信は根深く、今度も女王だと二の足を踏む者や、もはや帰るだけの余裕も気力もない者も少なくはない。諸々の事情があることを察した女主人は、同情の篭った眼差しを視線を陽子に向けた。
「そりゃあ、遠いところ難儀だったね。……で、妹さんは家にもいないのかい?郷府に届けは?」
「手紙の住所を頼りに訪ねてきましたが、空き家になっていて――郷府にも届け出ましたが……」
陽子は力なく首を振る。
我ながら、よくもまあいけしゃあしゃあと、と陽子は内心で呆れる。親切にしてもらっているのに、二重に嘘をついているのは心苦しいが、蓮花の安全を考えると止むを得ない。
陽子の内心の葛藤など知る由もない女主人は、眉を曇らせて陽子の話を聞いていたが、ちょっと躊躇ってから口を開く。
「誰かいい人ができて、その人と一緒に暮らしてる、なんてことはないのかい?」
女主人の問いかけに、陽子はキッパリと首を横に振る。
「いいえ。仮にもし、そんなことがあっても私には話してくれるはずです。」
なんの連絡もないだなんて考えられません、と言い切って、陽子は女主人を縋るように見つめる。
「妹は、十七です。そのくらいの年頃の娘がいなくなった、という話を聞いたことはありませんか?」
何か事件に巻き込まれたのではないかと心配で、と縋るような陽子の眼差しに、女主人は考え込む仕草を見せる。
「あんまり憶えがないねぇ……」
暫く記憶の糸を手繰っていたが、心当たりのなかった女主人が、茶屋で働く他の者達にも聞いてくれたが、皆一様に首を横に振る。
「そうですか……。性質の悪そうな男達に絡まれているところをみた、という噂を聞いて、心配で……」
「えぇ?そんな話があるのかい?……そりゃあ心配だねぇ」
眉を顰めた女主人に頷くと、陽子は蓮花に絡んでいた男達の風貌を思い出しながら、一番印象に残っていた男の特徴を挙げる。
「この辺りで、頬に刀傷のある男を見たことはありませんか?」
「頬に傷……。あんたの妹さんに絡んでた、って話の男かい?」
こっくりと頷いた陽子に、女主人は眉を顰めた。
「見たことがあるような気はするけど、そういうことは役人に任せて、あんたは危ないことするんじゃないよ。」
思い詰めた陽子が無茶なことをしでかさないよう釘を刺す女主人に曖昧に頷きながら、陽子は髪の長さや瞳の色、背格好など、蓮花の特徴を伝え、頬に傷のある男のことも併せて、見かけたら教えて欲しいと頼む。
「教えるには教えるけど……」
教えたら、すぐにでも一人で探しに飛んで行きそうな陽子に、くれぐれも無茶なことはするんじゃないよ、と諭す女主人の背後から、苦笑交じりの男の声がかかる。
「何の我侭を言って困らせているんだ?」
「兄さん!」
店先に姿を現した尚隆を、陽子が立ち上がって迎える。
保護者が戻ってきたことに安堵の表情を浮かべた女主人に向かって、尚隆は頭を下げた。
「世話をかけた――。これがなにか我侭を言って困らせていたようだが……」
そういって陽子の頭をポンポンと叩く尚隆に、陽子は抗議の視線を向けるが、あっさりと受け流される。
そのやり取りに、我侭なんてとんでもないよ、と女主人が慌ててとりなしに入り、頭を下げる尚隆を押しとどめた。
「我侭ってことはないんだけど、一人でどこかへ行っちまいそうで心配でね……話は聞いたよ、妹さんを探してるんだって?」
大変だね、と声を落とした女主人に、尚隆は何か知っていることがあったら教えて欲しい、と頼む。
「実は、頬に傷のある男なら、この界隈で時たま見かけるんだけど……」
「本当ですか?!」
女主人が皆まで言い終わらぬうちに、気色ばむ陽子。
女主人はその勢いに苦笑しながらも頷いてみせる。
「あんたが一人のときに教えたら、飛んでいっちまいそうだから黙ってたけど、兄さんが戻ってきたからもう大丈夫だね。……あんたが聞いた話の男と同じ男かどうかは分からないけど、時々この辺りを通るよ。その先にある賭場にでも出入りしてるんじゃないかねぇ」
「――賭場……」
「そういつも見かけるわけじゃないんだけど、一度姿を現すと十日かそこらはいるんじゃないかねぇ。いなくなって清々したと思っている頃にひょっこり現れて、通りすがりにうちの店の娘にも絡んだりしてきて迷惑しているのさ」
そういうと、女主人は忌々しげに鼻を鳴らす。
「最近はみかけましたか?」
「いいや。でも、一月ほど見かけないから、そろそろ現れる頃かも知れないね。」
おお、嫌だ嫌だ、と肩を竦めた女主人は、再び混み始めた店内を見て、椅子から立ち上がる。それを合図に尚隆と陽子も女主人に礼を言って、席を立つ。
陽子に出して貰った茶の代金と椅子の礼だといって、尚隆は如才なく女主人に金を握らせた。握らされた金額の多さに驚いた女主人が慌てて返そうとするのを押しとどめながら、尚隆はなにかあったら知らせてくれるよう頼む。一瞬戸惑った女主人だったが、目配せした尚隆を見て、口止め料も含まれている、と理解したのだろう、もともと愛想のいい笑顔を更に深いものにして、いそいそと懐へしまう。
店先まで見送りに出ながら、女主人は陽子にふと疑問に思っていたことを尋ねる。
「妹さんは延へ来て、どうしてあんたは慶に残ってたんだい?」
女が国外へ追放される慶にあって、姉妹のうち、妹だけが延へ逃れるというのが賦に落ちない。女主人にはこれといって他意のない、素朴な疑問のようだったが、陽子は咄嗟に返答に詰まる。
答えに窮した陽子の代わりに、尚隆がサラリと答えた。
「最初は家族全員で延へ逃れるはずだったが、当時俺は仕官したばかりでな。延へ行っても先行きは分からんから、俺だけ慶に残ると言ったら、コイツが俺だけではどうにも心配だといって、自分も残るといって聞かなかった。それで結局、両親といなくなった妹だけが延へ逃れ、俺とコイツは慶に残った。」
「兄さん想いなんだね」
淀みない尚隆の説明に納得した様子の女主人が関心したように呟くのに、尚隆はニヤリと笑う。
「まあな。しかし蓋を開けてみれば、今の景王が起つまで男として暮らしていたせいか随分なじゃじゃ馬に育って、俺の面倒を見てくれるどころか、俺の方が振り回されて苦労している、というわけだ。」
そういって片目を瞑って見せた尚隆に、女主人が噴出した。
「お転婆もほどほどにして、兄さんに心配かけないようにしないといけないよ」
笑いながら諌める女主人の言葉に背に、人の悪い笑みを浮かべた尚隆と複雑な表情を浮かべた陽子は茶屋を後にした。
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