《船上山(せんじょうさん)山行報告 2001/10》
26日は某研修会にて、偶然にもポレポレ会員の塚地先生の迷走する講義を受
け、急ぎ南国の中村さん一家と合流したが、人に影響されやすい僕の乗車で、交
流会開催地である赤碕町に向かう車も、夜の中国地方を迷走することになってし
まったのである。
宿泊地の船上山少年自然の家についたのは深夜1時半近くであったが、主管の
H・Cかざぐるまの担当者は笑顔で迎えてくれた。
片や・・・、
部屋の戸を静かに開くと、我が会の先発隊は、ほのかなアルコールの香りと安
らかな寝息で迎えてくれるのであった。
翌朝は、6時半過ぎの起床だったが深夜到着の疲れで、目くそやあくび、よだ
れを引き連れての実に眠たい朝であった。朝食のパンを口の中に詰め込み、責任
者会議とやらに向かったが、会議の途中から朝の生理的現象の徴候が現れ、もう
後半は僕の覚醒している意識のほとんどが便意に支配され、1秒でも早い会議の
集結を念ずるばかりで、僕にとってはすっかり無責任者会議となっていた。
8時半。いよいよ第7回視覚障害者交流登山・西日本集会の開会式である。我
が会のメンバーの大半が遅刻したということは言うまでもないが、「船上山に登
る人は班ごとに2列に並んでください!」という拡声器の声に、「僕らは船上山
に登るんだっけ!?」というメンバーもいれば、会長自信もその場に行くまでポ
レポレが2つの班に分かれるという認識もないという、実に理想的なまでにお気
楽極楽なおとぼけサークルである。
ポレポレは、小谷さんと種田さん、筒井さん、中村ファミリー、正岡さんたち
6班と、川島さんと林ファミリーの5班の二つに分かれ、それぞれにかざぐるま
のメンバーや地元のボランティアなどを加えた混成グループで歩き始める。
天気もまずまず、とりあえずは下山までは雨の心配もなさそうだ。登山初挑戦
の中村さんの奥さんや子供たちも順調に歩いているようだ。そして我が家のお坊
ちゃんも順調に歩かなく・・・ なっている。必然的に5班は隊列から徐々に遅
れ出し、あまりみなに迷惑かけてもと思い、背負子に乗せようとしたが、班長の
先輩お母さんが、「泣いても姿が見えなくなったらちゃんと歩いてくるから大丈
夫!」っと強気の指導に、僕も甘んずることにした。
宿泊場所の自然の家から、本来の登山口である県道までは、道も広く階段など
もよく整備されている。茶園原には点字の案内板も設置されていたりして、受け
入れ側の苦労が伝わってくる。
同行の地元ボランティアの方々は、歴史や草花にも詳しく、茶園原は後醍醐天
皇が船上山に逃れたときの古戦場だということで、船上山の歴史物語をいろいろ
と聞かせてくれて、きっとこの山は地元の人たちにとって、特別なものなのだろ
う。
県道沿いの登山口に到着したときには、うちのお坊ちゃんは目からは涙、鼻か
らは鼻水、口からはよだれ、。。。からは×××・・・っと体中の坑からでる水
は全部出しながら、全身で親に対する不信感を表していた。
さてと、ここらでしごきから解放し、今度はお父さんの修行でも始めるか!
(冷や汗)
ここからの道は、斜度も出てきて、おまけに粘土質の地面とコケのせいでよく
滑る。きっとこんな環境はミミズには快適なのだろう。班長が、登山道を横断中
のカンタロウを背負子の中のお坊ちゃんに見せようと、手でつかんで僕の顔の近
くに持ってきた。息子も「いやぁ〜!」っと言っていたが、内心僕の法が失神し
そうであった。(実は僕は山登りをするわりに、知る人ぞ知る大の虫嫌いなので
ある。 (冷や汗)
紅葉の法はまだちょっと早いのだろうか。同行者からはあまり紅葉を感嘆する
声は聞こえてこなかった。振り返ると工事中の赤崎ダムがわずかに水を蓄えてい
るらしい。サポーターが、ナナカマドの実や栗に手を導いてくれる。実りの季節
である。
途中の記念写真撮影ポイントで、ようやく本隊に追いついた。中村さんの子ど
もたちもドングリを拾いながら、元気に登っているようでよかったよかった。
そこからはワンピッチほどで視界が開け、程なく頂上に着いた。頂上は広々と
した草原であり、三方が急な断崖であるために、天然の要害として、後醍醐天皇
の一群が立てこもるのにも適していたのであろう。
・・・っという歴史ロマンも頂上に漂う昼食の臭いにはかなわない。焼き肉の
臭いも鼻毛をくすぐり、もう頭の中はビール! ビール! である。2本持って
きたうちの1本を中村さんにあげようとしたら、正岡さんの分もないかとの声!
ことビールに関しては、けっして残りの1本を正岡さんにあげて、自分は我慢
するなどという考えには達し得ないのである。1秒も惑わずにさっさとその1本
を飲み干し、「中村さんのやつを二人で分けてくださいっ!」っと素っ気なく言
い切るのであった。 (ぽりぽり)
ラーメンをすすり終わった後、なぜか頂上よりも高いところにある船上神社を
目指す。 普段4000歩以上歩いたことがないという中村さんの奥さんは、ち
ょっと足がじんじんするということで、頂上に残ることに。そして我が娘も、こ
の広い草原が気に入ったのか、ここで遊んでいるとのこと。
少し登ると木の鳥居と灯籠があり、参道に入ったことを知らせてくれる。周囲
は鬱蒼とした林であり、巨木も点在している。マムシグサも赤い実をびっしりと
つけて重たそうだ。
鎌倉時代の終わりには、後醍醐天皇が伯耆の名和一族に守られ80日間船上山
にたてこもり、幕府の滅亡を願ったという。そんな歴史を伝える行宮所跡や船上
山神社、奥の院などを巡り、再び頂上へ下る。「えっ、頂上へ? 下る...?^^);
・・)?ロ_ロ)?」
頂上へ戻ると、まだ時間があるということで、オプションコースで滝を見に行
くこととなった。おそらくこのコースが、この日最大の難所であったのではない
か。しかしその先にあった絶景も、この日最高のものであり、思わずおしっこを
ちびった人がいたような、いないような・・・!?
下山は、お坊ちゃんも春凪(はるな)と軽快に歌を歌いながらぴょんぴょんと
歩いてくれた。空席の背負子に乗りたいという大人の希望者も多少あったが、す
べて却下で、お父さんも楽をさせてもらった。
自然の家に下る登山道には参加者の長い列が続き、ほぼ時間通りに全員無事に
下山できるなどということは、主管の方々の綿密な計画と苦労のなせる技に違い
ない。改めて「ご苦労様&ありがとう」と言わせていただきたい。
その夜は、記念コンサートに引き続き、食堂での宴会へとつながり、我がポレ
ポレ一団は最後までしつこく反省会をしていた。きっと今後の会の活動に生かさ
れ、なお一層ポレポレに磨きがかかることであろう。
翌日のお別れ集会の場で、以下のような大会アピールが決議されました!
『第7回視覚障害者全国交流登山
西日本集会・船上山アピール』
国内を二分しての初の全国交流を歴史に彩られた中国山地、船上山の地で成功
のうちに催すことができました。
各地方の方々と紅葉の山々を登り、夜のコンサート「2001EYE・愛船上山」
では音楽を通じ交流を深めました。
今回の催しでは、中国全県からの参加と併わせ、地元鳥取県と開催地赤碕町、
周辺の行政当局の力強いバックアップがありました。又、地元登山会、ボランテ
ィア団体、教育関係者の準備段階の2年間にも及ぶ長期のご協力があったことに
心より感謝するものです。
登山を通じ、視覚障害者の社会参加と理解を広げたいという私達の願いが、多
くの方々の胸に届きはじめていることを実感しました。
しかしながら、その一方で「家からの一歩」が困難な方々が存在している現実
も伝えられています。障害者が身近な友人・仲間として、自然な形で受け入れら
れ、山と自然を楽しむ社会となるには、行政・マスコミその他各界、とりわけ登
山会の方々の理解とご協力が必要です。
私達のこうした活動に共感をもって御支援・御協力いただけることを心より念
願するものです。
2001年10月28日
第7回視覚障害者交流登山・西日本集会参加者一同
−−−<地元「日本海新聞」に翌日載った記事>−−−−−−−−−−
『各地から430人参加』
〜 視覚障害者が登山で交流 赤碕 〜
「第七回視覚障害者全国交流登山・西日本集会」(全国視覚障害者登山実行委
員会=徳本茂孝代表=主催)が二十七日、赤碕町の船上山周辺山域で開かれた。
北は新潟県、南は高知県から視覚障害者やボランティアの人たち合わせて四百三
十人が参加、紅葉し初めた山々を堪能しながら、登山で交流を深めた。
視覚障害者登山全国交流集会は、視覚障害者にいつでもどこでもアウトドアを
楽しめるよう、ボランティア組織との支援の輪を広げようと、二年に一回開催。
NPO(特定非営利活動法人)「ハイキングクラブかざぐるま」(大阪市生野区)が
運営している。
この日は午前八時半から船上山少年自然の家前広場で開会式があり、徳本代表、
田中満雄赤碕町長らが歓迎の言葉などを述べ、上・中・初級、散策のコースに分
かれて登山した。初級の船上山を目指すコースには百五十人が参加。視覚障害者
一人ひとりにボランティアの人が付き、「木の根がありますよ」「左側に気を付
けて」「前に石段が」などと言葉をかけながら、約一時間四十分で頂上に着いた。
介助犬と一緒に登った視覚障害者の野沢実さん(四九)=国府町=は「初めは不
安だったが、汗をかいて登山ができ、すがすがしい気持ち」、正岡光雄さん(六
三)=高知市=は「鳥の声が聞きたくて来た。涼しくていい山登りだった」と感
想を述べた。
頂上付近では船上神社やブナ林を見たり、ネーチャーゲームを楽しみ交流を深
めた。
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