《妹背山(いもせやま)山行報告 2001/2》


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(山 名) 妹背山(いもせやま)
(所在地) 高知県宿毛市沖の島  標高404m
(山行日) 2001年 2月3日(日)
(メンバ) 11人 (視障者1人)
(記 録)  2月3日
南国市役所( 8:10)→高知→須崎→宿毛着(12:00)〜(昼食)〜片島港(13:00)
巡航船発(14:00)→沖の島母島着(15:20)
2月4日
母島発( 9:05)→学校(登山口)(10:05)→林道出会い(10:30)→山頂(11:05)
下山開始(12:10)→学校(13:03)→母島着(13:35)
母島発15:20)→片島着(17:20)→夕食後宿毛発(18:35)→南国市役所(21:35)

   走行距離:313km

[山行概要]

 塚地車の接触事故で10分遅れで南国市を出発。天気は上々の沖の島日よりで、ほぼ予定通り片島港に到着。
 酒井と合流。少々揺れたが、船酔い薬を飲んだりして、ゲロゲロもなく無事母島港に着岸。
 15時30分、港のすぐ前の澤近旅館にチェックイン。その後、担当と女性5人はチャーターした軽四ワゴンで島の反対側の久保浦と谷尻集落の見学にまわった。
 その時、久保浦港のケーソンの継ぎ目に亀の手の群生を見つけた一行は、旅館にもどって網と鉄棒を用意して再度に引き返し、これを鍋一杯採集したのだった。
 この時の女性軍団の動きが、この山行の中で一番活発であった。食い物のことしか考えてないのだ。いうまでもなく最高の夜のビールのつまみになった。
 おいしい夕食のあともビールとワインで盛り上がった。このあとのことは担当は記憶にない。

 翌朝、小雨。しだいに本降りになりそうな小雨。8時半に元気な川島と蒼白の西原が巡航船で到着。
 西原は船酔いで倒れる。それでも30分で奮起し、9時少し過ぎ、母島を出発。林の前のサポートはいつものように川島、後ろは決めないで済んでしまった。
 迷路のような石段を登って、天ぷら材料を物色しながら学校裏の登山口まで1時間。真冬のこととて、材料は、ヨモギと古い堅いツワブキくらいしかなく、あきらめた。
 登山口から上は、沖の島特有の樹林の中の道で、タブとスダジイを主体に、中低木類はヤブツバキやタイミンタチバナなどの暖帯特有の樹種構成で、沖縄のヤンバルの森のような。行ったことはないが。
 途中先の組はイノシシの子が5頭も並んで逃げるのに遭遇。イノシイの噂は聞いていたがまさか本ものに出会えるとは、超幸運。
 ちょうど2時間で山頂に到着。見通しは全くないとの四国百山本の情報だったが、広く刈られていて、おまけに櫓があって、危なっかしい梯子を登ると鵜来島や反対側の柏島もよく見えた。
 しかし、雨がしだいに強くなってきて、寒い。樹林の中に逃げ込み、昼食。材料がない天ぷらでも少しは暖まるかと、やってみた。結果は、イタドリの蔓のようなツルソバを初めてトライしたが、イタドリと同じ酸っぱさでいける!を新発見。
 筒井の採った春ノゲシもまー喰える。椿の花びらも喰えるが、まじめに採集してこなかったので量が少なく、頼みの堅いツワブキはあの春のような香りもなく木を喰っているようで問題の多い野草天ぷらパーティーとなった。反省しきり。
 下山は雨の中を、よたよたと、快調に学校までおりた。途中で渓翔は会長の背中の背負子で眠ってしまった。その林は最後の沖の島特有の狭い石段に苦労したが、無事、みんな怪我もなく船の出る2時何前に母島に着いた。
 2時間の船旅で片島に着いて、「あき」というおいしい焼き肉屋で夕食を食べて、解散。

 沖の島は、小金があれば隠遁生活をするには良いところかもしれない。小さな家と畑があって、犬と猫と鶏が放し飼いで、海を見て暮らす。誰かやらないかねー。
 最後に沖の島音頭の一節。

・・・・・・沖の島ららら風の島ららら波の島、遠い南ーの夢


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