*****妊娠後期*****


***切迫早産・入院***

後期に入ると診察の度に、子宮口が開き気味だと言われていました。
葵の時は子宮口が固いと言われ続けていたし、帝王切開で出産していたので、こうゆう事態には
まずならないと思っていたからとても不思議でした。妊娠は毎回違うものなんですね。
検診は2週に1度なのですが、毎週の検診になりました。
毎週の検診とゆうのも面倒ですが、ごくうにとっては嬉しい悲鳴でした。
しかし、毎回のようにドクターから入院を勧められました。赤ちゃんの事、自分の事を考えると即入院が正しかったのかもしれません。
でも、家やちち、葵と離れる事は精神的に参りそうで、絶対安静、とゆう事を条件に入院を免れていました。
しかし、家にいると全く安静にはなれず、その結果、子宮口の開きも大きくなり頚管も短くなり、
赤ちゃんの頭も下がってきてしまい、やむなく入院とゆう事になってしまいました。

入院中は身体の心配は軽くなったのですが、精神的にはボロボロでした。
できる事なら個室が良かったのですが、切迫では個室はおろか2人部屋にも入れず、4人部屋に入る事になりました。
入った時の隣のベッドは出産後の方でした。ラッキーな事にごくうが入院した翌日に退院のようです。
しかし2人目出産で退院する時お迎えに来ていたのは、葵サイズのお子チャマでした。
同じ2人目でも全然違う、こうゆう些細な出来事かもしれませんが、異様に反応してしまいます。
もう1人の方も2人目を妊娠中。ここで話題になるのはどうしても「上の子」トークです。
「出産して退院したら、ずっとガマンさせてた上の子を抱きしめてあげるの」・・・耳が、心が痛いです。
退院されたママさんは1度も話をしなかったのですが、もう1人の方は長い入院で、まるで入院患者さんのドンのようでした。
「ごくうさんは何人目?」どうしてこの話題から入るのでしょうね。
「一応2人目です。」と答えると、「一応って???」。「1人目は死産だったので」と言うと「ふ〜ん」とゆう返答でした。
こんなものでしょうね。あれこれ聞かれてもうっとおしいばかりです。
入院中は持続点滴が続き、ずっとベッドの上で安静が続いていました。
少しでも動けるなら、婦人科病棟を離れる事が許されているなら、気も紛れたかもしれない。
看護婦さんの目を盗んで外に出る事も出来たかもしれないけど、もしも・・・とゆう思いと、悪化してしまったら
このまま出産まで入院とゆう事にもなりかねない。それだけは避けたかったので、ガマン、ガマンの日々でした。

そんなある日の事、ごくうの涙腺が大爆発してしまった事がありました。
同室のママさんは1人目出産の後、すぐに妊娠。初期から入院していました。つまり1人目のお子チャマの育児とゆう育児をしていないのです。
1週間に1度ご主人とお子チャマが来るのですが、ある日歩行器を持って来たのです。
廊下や病室を歩行器の音を響かせながら遊んでいるのです。ベッドから起き出してお子チャマを見てるママさんに
ご主人が寝ているように言ったのですが、「成長が見たいから」と、言っていました。
見たくても見れない子供の成長、ごくうにこの一言は突き刺さりました。
ちちに電話をしても泣いて言葉にならず、何事かと心配したちちが病院にすっ飛んで来てくれましたが、涙も悲しさはどうにもなりませんでした。
状況を悟ったちちに「今、お腹の中にいるんだからいいやん」と言われましたが、そうゆう問題ではありません。
死産した後も思ったことですが、病院はおめでたい人ばかりではありません。
どちらかとゆうとそうでない人が来る所ではないのでしょうか?
そのママさんにどうこうゆう筋合いではないのですが、改めてごくうは、自分はあんな人にはなりたくない、と思ったのでした。

ごくうが入院していたのは産婦人科だけではなく、他の科の女性も入院している女性病棟。
偶然にも親戚が入院しておりトイレでバッタリと会ってしまった。
その時言われた言葉「大丈夫なの?今度はちゃんと産みなさいよ」
・・・葵の時もちゃんと産んだんだけど・・・ちゃんと産んだと思ってるのはごくうだけなのかしら?・・・

入院前からまたしても逆子だと言われていました。
が、帝王切開をする予定だったので逆子体操は指示されませんでした。
それなのに、いつの間にか逆子が治っていたのです。
葵の時は体操、体操!と言われ続けていた事、あの時自然分娩に執着しなければ今頃・・・と考えてしまいます。
自然に治る時は治るんですよね。無理は禁物なのですね。。。

***出産方法***

入院前にドクターから出産方法について聞かれました。
ごくうは1人目が帝王切開ならば、2人目も必ず帝王切開になる、と思っていたので少しビックリしました。
妊娠が発覚した時から帝王切開で早めに・・・とゆうプランは頭の中にあったのですが、
ごくうの中に帝王切開=死産、とゆう図式が出来上がってしまっていたのです。
そして少なからず、懲りずに自然分娩を夢見ていたのも事実なのです。

切迫早産で入院中同室の方が出産され、翌日には歩いていました。帝王切開だとどうしても寝たきりの日が続きます。
入院中、勇気を出して優しそうで葵の事も把握し、そしてベテランの看護婦さんに聞いてみました。
「ドクターから帝切にするか自然分娩にするか聞かれたんですが、前回帝切なのに、自然分娩は可能ですか?」
答えとしては・・・「可能です。が!誘発剤などは一切使えず、いきむ事もできないし、最終的には吸引分娩になります。
リスクは高いですよ。ドクターやご主人とよく相談したほうがいいと思います。」
ちちに相談してみると「どうして自然分娩にこだわる?帝王切開でいいじゃない」でした。予想通りの答えでした。
自分の希望と不安とリスクと・・・ドクターに相談するまでもなく、帝王切開とゆう答えが出てしまいました。

***NST***

10ヶ月に入ると、NST(ノンストレステスト)とゆう赤ちゃんの心拍やお腹の中での様子を見ます。
NSTは陣痛室とゆう場所で行うのですが、今回の妊娠で初めてのNSTの時はこれ以上ないくらいの不安がありました。
何かの悪戯なのか、初めてのNSTは葵の時と全く同じような状況でした。
葵を無事出産する、とゆう意気込みで向かった陣痛室で2台あるベッドの右側で出産を控えた妊婦さんと赤ちゃんの心拍音。
左側のベッドで葵の心音を一生懸命探す看護婦さんの姿。どうしてもフラッシュバックしてしまいます。
陣痛室に入ると同じように右側のベッドでNSTを受けていた方がいました。
思わずごくうはお腹を押して寝ていただろう赤ちゃんを起こして胎動を感じる・・・
看護婦さんが赤ちゃんの心音を探す前に生きている事を確認したかったのです。
胎動を感じながらも、それでも心音が聞こえるまで落ち着かない。
それくらい頭の中に、心の中に、そして身体に、強く、強くあの日の事が焼きついてしまっているのです。

そんな中で少し嬉しかった事。最後のNSTの時、付き添いで来ていたちちに看護婦さんが「赤ちゃんの心音聞くの初めて?」と聞いてきた。
ちちが「いえ」と言うと「上のお子さんの時、聞かれてるのね」と言ってくれた。
葵の存在を、葵が生きていた事を覚えてくれていたのがとても嬉しかった。

***赤ちゃんの用意***

出産予定日が近づいてきても、なかなか赤ちゃんの用意ができませんでした。
用意をしてもまたムダに終わってしまうんじゃないか・・・と考えていましたが、このまま何も用意をしないわけにもいかず重い腰をあげました。

葵の時はなるべく自分達だけで頑張ろうと、お互いの両親には何も買ってもらうことはありませんでした。
あるお友達に「親に孫のものを買わせるのも、それも親孝行のひとつだと思うよ」と言われた事があります。
本当にそうですね。今思うと後悔です。葵のものを買ったのが棺だけだったのが悔やまれます。

今回は母に肌着と退院時の服を1枚だけ買ってもらいました。悩んだのですが、葵の服をそのまま使う事にしました。
葵の時と同じように洗濯をしている時、キレイにたたんでいる時、この服を着た葵を見たかった・・・
赤ちゃんに葵の服を着せてもいい?と心の中で聞き、そして照れくさそうな顔で「いいよ」とゆう葵の顔を想像してみる。
親の都合のいい解釈になってしまうけど、葵の為に用意した服・・・
この服を赤ちゃんが着ているのを見たかっただけなのかもしれませんね。

***予定日と出産の延期***

葵の予定日は2月3日でした。そして今回の妊娠の予定日は12月24日。
節分とクリスマス・イブだなんて、兄妹そろってイベント好きなのね・・・
帝王切開で出産と決まったのでお誕生日を決めなくてはいけません。
当初は12月10日が出産予定だったのですが、エコーで見る限り赤ちゃんが小さめとの事。
毎回の検診で推定体重が変動するのであまりあてにしていなかったごくうは、絶対に2500gある!と確信していたので
そのまま10日に出産したかったのですが、問答無用で1週間後の17日に延ばされてしまいました。
この1週間は後1週間だ、とゆう安堵よりも不安しかありませんでした。
葵の時、帝王切開も視野に入れていたのに逆子体操をドクターの指示通り行っていた事。
今回もドクターの指示通りで、後悔はないのだろうか?また後1週間だったのに・・・と泣く事にならないのだろうか?
そこまで考えながらも何も言えずに帰ったごくう。本当に本当に情けなかったです。
こんなに心臓に悪い1週間はなかったと思います。

後1週間、たった1週間、でも、とてもとても長く感じた1週間でした。