43年間帰ることのなかった・・・
ハンセン病回復者である山本さんは73歳になる。
43年間帰ることの無かった故郷、少年時代をすごした思い出の土地を今日、踏んだ。何十年ぶりの、そしてこれが最初で最後という覚悟を胸にしての訪問であった。その覚悟が山本さんに
「これが最後じゃ。」
「これが見納めじゃ」という言葉を何度も繰り返し言わせた。
夏以降、里帰りを自分で決めてから、それを話題にする時は必ず言ったし、今日、故郷へ向かう車の中でも言っていた。
普通なら、「最初で最後の機会ならさぞかしあそこもここもと悔いの残らぬよう思い切り良く見に行くんだろう」と、思うだろう。が、多くのハンセン病回復者の方にとっての現実は違うのだ。
山本さんが見に行きたいと望む場所も、じれったいほどささやかだ。
「住んでいた家の近くまででいい。家には寄らんでいい」。
山本さんは実家のお兄さんから、「戻ってくるな」といわれている。
そのうえ、「わしより先に死ぬなよ」とも言われている。
先に死ぬなという言葉は、何も考えずに聞くと、普通は「長生きしろよ」という励ましや優しさと感じるであろう。実は逆で、山本さんが死んでしまったときに、自分は療養所を訪ねたくないから、面倒かけてくれるな、先に死ぬなと言う事であるらしいのだ。
「何でそういうこと言うんかいなと思うて、忘れれんのじゃ」と故郷に向かう車で山本さんは言った。
山本さんは、友人である高塚さんに車の運転を頼んだ。高塚さんは自分の車が車検で使えないので、レンタカーを借りて療養所へ向かった。高塚さんは、山本さんは実家に寄らんでいいというけれど、山本さんの手を取り、実家まで一緒に行くつもりだと言った。ならば私も二人に付いて、一緒に行きたいと思った。しかし、それを聞いた日、私は自分が付いていっていいものかどうか、一晩真剣に悩んだ。
車の運転も出来ない、地図も読めない、実家で家族と会ったときに、取り返しのつかない言動を行ってしまうかも知れない。自分があまり役に立つ実用的な人間で無いということを自覚しているだけに、負担だけはなりたくないと思った。
また山本さんが43年ぶりに故郷へ向かう真剣な覚悟の気持ちが解るので、ますます自分が一緒に行く事が山本さんにとって良い事なのか悪い事なのか、悩んだ。ただ、山本さんならば、私はなんでもいいから、家で待ってるだけでも役に立てるなら立ちたい。もし山本さんが私を少しでも必要とするなら隣にそっと佇んで見つめる以上のことは出来ないかもしれないがどこだってかけつけようと思った。
私は、自分がもし山本さんだったらどうしてほしいだろうかと一生懸命思いを凝らした。ある意味、山本さんの一番深いところに触れる旅だ。少ない人数でそっと目立たぬように帰りたかったり、感情が溢れるようなところを見られたくなかったりして、出来るだけそっとしておいて欲しいのではないかと思ったりした。
一晩考えて、私が出来るのは無関心でいないことだと決めた。気をきかせてそっと遠くから見てるだけなんていうのは、もし私なら寂しい。相手が何を望んでいるのか解らないこんな時、人は語ったり行動することしかできない。言葉や態度でちゃんと自分の気持ちや考えを話し、それで決めればいいじゃないか。そうして、私は高塚さんに自分の気持ちを正直に相談し、高塚さんが「あー、来たらええんじゃ、山本さんも喜ぶとおもうよ!」と言ってくれ、いとも簡単に行くことになって、今日、山本さんと高塚さんと一緒に、故郷の地に立ったのだ。
山本さんに限らず、回復者の方の中には、家族に対して
「自分が病気にかかったせいで迷惑をかけてしまった」という罪悪感みたいなものが理屈ではなくあるように思う。しかし、私は筋違いだと思う。山本さんはじめ、回復者の方が罪悪感を感じるというのは何か物事の筋のよじれ、すり替えがあるように感じる。もし回復者と共に、家族の方が差別に苦しんだ時、本当に苦しめたのは誰?迷惑をかけたのは誰?つまりそれは差別をしたのは誰だ?と今日は強く思ったのである。
こんな思い出す文章がある。