2006年の講釈
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目次


2006/11/11 宇和島にあって−臓器移植問題から−
2006/10/28
 公教育の在り方(履修漏れ問題に接して)
2006/ 9/23
 市役所の組織風土を変える
2006/ 7/20
 許すな政治利用・天皇陛下のご発言メモ
2006/ 6/24 【黒字決算】の夕張市倒産の報に接し
2006/ 6/22
 宇和島が姉妹都市縁組み?
2006/ 6/21
 夕張市倒産の報に接し【第一報】
2006/ 6/20
 日銀福井総裁辞めなはれ(笑)・高橋さんからの投稿と供に
2006/ 6/12
 吉田病院の崩壊
2006/ 6/ 4
 金がないけど【離島航路維持】
2006/ 5/29
 じゃこ天ソングからオヤジダンサーズへ【地産地消】
2006/ 5/28
 市民に我慢させるなら
2006/ 5/ 5
 談合を無くしたい!よね?
2006/ 5/ 4
 横領しても告訴されない町宇和島 2報
2006/ 4/22
 Earth dayに寄せて
2006/ 4/14 何で告訴を見合わせる?横領職員に対する大甘
2006/ 2/11
 金利払うなら市民へ(笑)
2006/ 2/09
 公立病院 経営破綻時代到来・舞鶴市民病院を題材として



2006/11/11 宇和島にあって−臓器移植問題から−
宇和島市立病院は、腎移植医療でたくさんの患者さんを救ってきました。各地からたくさんの患者さんが訪れ、多くの方が透析から解放され、命の不安を取り除かれたはずです。
現在、宇和島徳州会病院にうつられた万波医師は、瀬戸内グループと称される勇気ある医師グループへと広がる批判のまっただ中に居られます。
 法の不備こそ非難されるべきですのに、先端的に患者治療に尽力する医師グループが非難されることは慚愧に堪えません。
 批判している人に考えていただきたいこと、それは、ご自分やご家族が、腎臓移植が必要なほどに重篤な腎臓病になったことを考えたらどうかということ。日々の生活を大きく制限される、透析を続けなければならない身体になってしまったらどうでしょう。それも半永久的にです。
死体腎・あるいは親族(移植法法定内の)からの提供を待ちながら死の恐怖と闘うのです。
そして、一方でごみとして廃棄される腎臓があるとしたらどうですか。その腎臓にすがりたいと思うことを批判できるでしょうか?そして、その腎臓を利用して、患者さんを救える可能性があるとして、移植に取り組む医師を批判できるでしょうか?医は算術と言われて久しい昨今、医師生命を賭けてまで取り組んだ勇気ある医療行為について、たたえることは出来ても、健康な自分でしかなく、健康な家族を持つしかしない者が安易に非難するべきではありません。
ましてや、万波先生らをスケープゴートにしている風が感じ取れることに、日本人の幼稚さを感じ取り、悲しくまた一種のむなしささえ感じています。少なくとも、宇和島の市民の皆さんには、単純に非難するだけの傍観者にはなって欲しくないと思っています。特に、市政のトップからは、しっかりとした意見が述べられるべきと思います。
以前に下記のとおり意見を示してみました。
「私の地域構想のひとつですが、メンフィスのような町をイメージして、多くの患者さんが宇和島を訪れる、あるいは高齢な方々が、安心して老後を過ごせる街として、市立病院の規模と在り方は再考が必要だと思うのです。」
そういう地域作りを考える私ならば、堂々と持論で万波先生と供に法整備を求めます。市民を守るためです。すなわち、広く市民を守ること、それは国家に繋がるのです、それは、国民の使命であります。

この地域は、研究者や技術者へ理解のある地域として、住みよい街がイメージできれば尚幸いです。戻る

2006/10/28 公教育の在り方(履修漏れ問題に接して)
 故意で、履修内容を変え、履修したものとして成績までつけている、こんなモン許されてたまるかと言う気持ちで一杯です。受験に必要ない科目の授業時間数を削り、受験科目の勉強時間が多い環境で受験準備が出来た生徒と、受験には不利でも規定通りのルール(受験に必要ない教科の授業がある)を守った真面目な者が、最後まで不利なままでは、ますますこの国の品性は失われていくと思います。
 卒業証書授与までに補習を行うというのは当然のことであって、すでに推薦入試等で提出された虚偽の成績証明書等は、虚偽記載として無効再提出を求められるべきです。多くの大学の懸命な判断を聞き、胸をなで下ろすところもあるのですが、なにやら、受験生救済とかと言って、子供らのご機嫌を取るようなことを言う輩には腹立たしくさえあります。適正に、ルール通りの履修でもって、卒業の資格を与えるべきです。大検(今は呼び名が変わっているはずですが・・)で、再チャレンジをしようという人々は、そんな輩の厚遇を受けることなく、正規の履修と同程度の学力が要求されるはずであります。難易差はそれぞれの学力によって感じ方は違うと思いますが、少なくとも履修してない科目を履修したものとはされないはずです。単位制高校しかり、通信制高校もまたそうでありましょう。
 そして、この違法なカリキュラムを組んだ教員、あるいはこのルール違反を承認した管理職も一時の感情に流されることなく、罪刑法定主義を守りながら、適正な告訴・処罰がなされるべきと思います。例えば、履修していない生徒に「履修したものとした履修表」が作成されたと言うことは、公文書偽造であります。生徒に対し、今からでも規定の単位を得るための要件を満たすだけの時間をかけた授業を行うべきです(時間短縮などもってのほかです)。
 そもそも、私学の受験科目に迎合して、受験科目をどんどんと減した国立大学、一方で私学並みの授業料にまで値上げを続けた国立大学。そして、独立行政法人として、行きすぎではなかろうかと思うほどの競争を求められた先に何が見えるのか。同様に、教育バウチャー制度の導入まで検討されている昨今、一体、教育改革とは何のための改革なのか?その神髄は何なのか?教育再生を語るのであれば、再生の先の公教育のあり方を、明らかにすべきだと思っています。そして、そのための議論が必要です。《なお、義務教育とその他の高等教育(日本の高等学校は、前者に当たると思っていますが、)の自由度(学問の自由)については議論を待つものではありません》
 いじめ自殺や履修漏れ、その根幹に何があるのか、それが語られなければなりません。例えば、教員の免許更新制についても、どういう教師に公教育の現場を委ねようとするのか?それが議論されなければなりません。免許更新制など、当たり前です。自動車運転免許の更新が良しで、教員免許の更新が受け入れられないというのだろうかと不思議に思います。税金でまかなわれる教育現場が特定のイデオロギーに毒された教師達の大きな(たくさんの声ではない)声によって歪められている現況を何とかしなければならないのです。そもそも、国旗・国歌をないがしろにする公教育機関があって良いのでしょうか?それらを否定するよう児童生徒を扇動する教員がいて良いのでしょうか?そういう方は、国からの助成をお断りになる私学で自らのイデオロギーを実現なさればよいのではないでしょうか。
 税金でまかなわれる、公教育。すなわち、「公」。その根本に立ち返ることから、再生の先の教育のあり方を議論していきましょう。
 一方、国立大学の務めるべき役割。
 安い授業料で待つていてくれるべき、その高等教育機関は、田舎の公立高校で真面目に勉強していれば、すなわち予備校などの受験テクニックに流されない、英・国・数・社会2・理科2と言った(共通一次試験が5教科7科目でした(笑))広く基本的な教養を身につけた人にこそ門戸は開かれているべきと思います。どうして、国は私学に助成をし、一方で国立大学の学費を上げるのでしょう。そうした国に将来があるのでしょうか?大学が金儲けをする必要があるのでしょうか?そう思っています。
 歴史教育もしかりです。
 税金でまかなわれる教育は、当然に国の法により制約を受けるのです。そんな当たり前のことを声高に取り上げるマスコミも罪ありますが、教員の一部は、厳に襟を正すべきです。教育委員会、文部官僚またしかり也。

【補足】誤解を招かないように
 先にも触れましたが、学問の自由や大学の自治に対する制限という問題と、教科書検定や検討される免許更新制等による公教育への制約という問題の違いは理解した上で、申し上げているつもりです。申し添えます。戻る


2006/ 9/23 市役所の組織風土を変える
 松山の中村市長は若く魅力ある方です。JC(青年会議所)の同輩(学年はいっこ上ですが。35年組(同級生)と一緒の卒業だった関係で)で、何度かお話しをさせて頂いたこともありますし、先般の中島トライアスロン大会でも、前夜祭で「知事候補」と声をかけて、お話を聞かせて頂きました(笑)。トライアスリートの中では最も色白な(笑)私よりももっと色白で、そんな意味でも親近感をもっております。(ここ笑うところ)
 彼が、この四月に始めたごみの分別回収(より徹底した)の結果が公開されました。4月度のゴミの量ですが、前年費で23.3%減ったと言います。内訳は、これまで焼却していたゴミのうち、再資源化するとして分別された資源ゴミが、プラスチック類13.4%増、紙類16.1%増、結果焼却ゴミは、24.9%減り、『1万797トン』になったと言います。
 リサイクル業者に引き渡されたリサイクルマーク付きのプラスチック類がペットボトルと合わせて665トン(6.1%)増加したというから、効果有りと評価すべきでしょう。リサイクルの前に、リフューズ・リデュース・リユースを考えるべきとか言う問題(発生するゴミ量を抑制する施策)や、すでに発生してしまったプラスチックごみをどういう形で再資源化(サーマル化等)することが環境負荷が低いのかという問題は、ここでは議論致しません。(数値部分、産経新聞記事を参考にしました。)
参考 下記サイトより転載、
http://web.thn.jp/NPO.4R/recycle1.html

4Rとは、リフューズ(Refuse)・リデュース(Reduse)・リユース(Reuse)リサイクル(Recycle)の4つの言葉の事を言います。
@リフューズ(Refuse)とは、不要な物を買わない・断ることをいいます。
スーパーのレジ袋や包装紙・割り箸等を購入時点で断ったり本当に必要な物以外を衝動買いをしないと言う事になります。
Aリデュース(Reduse)とは、ゴミの発生量や資源の使用量を減らす事や購入した製品を直して使う事をいいます。又長く使える物を選んで購入したりする事もゴミの量を減らす事に繋がります。
Bリユース(Reuse)とは、一度使った物を廃棄せず、そのままの形で再利用する事を言います。
ビール瓶や一升瓶など洗って何度も繰り返し使用する事や着ない衣類などをフリーマーケットに出す事などを言います。
Cリサイクル(Recycle)とは、一度使った物を廃棄せず、再び資源化して利用する事を言います。
牛乳パックやダンボールなど回収してトイレットペーパーにしたり、新聞紙にしたりして別の物を作る事をいいます。

 ここで、問題としたいのは、市が分別を求めるプラスチック容器・包装の汚れを洗い落とすための水の新たな需要発生を「0」と試算していたと言うことであり、そういう試算を許す、市役所(行政組織)の組織風土であります。
 ボトルやチューブ入り製品の包装容器は付着した汚れを拭き取ったり洗い流して回収に回すことが原則とされており、市が行った事前のごみ分別の説明会でも「(捨てる)古布などでぬぐってから食器洗いの残り水、風呂の残り湯で洗い、水道水を極力使わないように」と呼びかけていたといいます。(産経新聞記事より引用)
 松山市は、水の供給能力を超える都市拡大の結果、深刻な水不足の常況にある。隣町(西条市)の工業用水の分水を求めており、節水都市を標榜することから、水道水を使って、プラスチック製容器・包装の洗浄を行うことはおおっぴらに出来ないという事情があるのかとも思われます。しかしながら、こんな「容器・包装を洗って排出することを求めた」段階で、水の利用量が増えることは想定外に置くことは罪でしかないと思います。首長・議会としては、エゴイスティックに自分たちのまちの拡大を考え、このような政策手段を選びがちになるのもしょうがないのかとも思います。しかし、中村市長にはそうであって欲しくなかったわけであります。環境施策としても、国内の(環境後進国である日本の)他自治体に先行してすすめられたゴミの分別の施策でありますが、環境先進国のヨーロッパ各国と比較すると、まったく追いついていない政策決定であります。たとえば、肱川にダムを造ってその水を松山地区へ分水すると言うことを考えた時には、水はとても高くしか販売できないものであるべきなのです。私はけしてダムを造ることを良しとは考えていませんが、水の価格というのは、ダムを建てるためのコストとは別に、そのダムによって破壊された環境を取り戻すためのコストまで考慮したものでなければならないと考えています。
 話が逸れてきました。今回の件、市役所内部の政策的統一について触れたかったのです。市清掃課としては、水道水の需要増を想定する必要性は理解していたはずです。それが、水道局の需要予測に反映されるよう、どう情報交換がなされたかということであります。市役所というのは大きな組織であります、その中で部署横断的に考察されなければならない様々な事柄は多々あるはずですし、今後はますます高度な行政対応が必要とされる時代でもあります。今いちど、(松山でさえ)市役所の組織風土を見直す必要があると思います。(これを機会に一層と言うことで、常に組織の在り方は考察されるべき。)
 先の、「松山市のゴミの分別とそれに伴う水需要の増大の」例でもお感じになったはずですが、市役所という組織がとても大きなものであり、その職務が多岐にわたるが故、部署間で利益(自分たちが推し進める施策を実現するために役立つかどうか)が相反する情報を市役所として発信しなければならないこともあると思います。その時に、二面的(あるいは三つ以上の多面的な)な価値判断を示した上で、どう政策決定したかをきちんと示すことが必要だと思っていますから、良い意味で部署毎に持つ理念と具体的施策を闘わせることがないといけません。
 発信する文章のまとまりよりも、相反する状況を示し、そういう中でこういう政策を選んだという、解りやすい説明が必要だと思っています。先の例に沿って申し上げるとするなら、
「ゴミを分別して環境問題に取り組むことの必要性は理解頂けると思いますが、その分別を進めるために、容器を洗浄する水需要増大が考えられます。水資源問題も同時に合わせ考えなければならない松山市にあって、これは看過できないことであります。これは、二者択一の問題ではございません。どちらも犠牲に出来ない、松山にとって必要なことであります。両立させなければならないという問題なのです。
 また、ゴミの処理のために、税金がどれだけ投入されているか、それをこの分別を進めることによって、これだけ削減できると考えています。一方、水を今まで通り自由に使おう、また今回の容器包装を洗うために水を余分に使うとするならば、新たに水の供給元を開発の必要があり、その結果、水道料金は、これこれに上げなければなりません。どちらも取り組まなければならない問題でありますから、ゴミの処理費用の排出者責任を、そして水道は使用量に応じた利用者の負担を自己完結的に実現しなければならないと考えています。そして、その時の水の価格は、これこれこれまで上げることになると想定されます。そうすることで、今までゴミ処理や上水道事業に差し向けられていた税金をここへ回します。」とはっきりと伝えるべきと思います。具体的にわかりやすく、どう変わるかという道筋と未来像が示されなければ、市民の一部は一向に地域のことを我が事とは考えてくれないでしょう。
 市役所は、今ある組織を守ろうと考えないで、市役所という組織が市民の生活をよりよく変革していくにはどう変わればよいか、あるいは日本という国にあって、この地域が如何にあるべきかを考え、その為に組織はどうあるべきかを考えたものに変えなければなりません。そのためには、まず組織風土を見直さなければなりません。そのためには、トップの強いリーダーシップと本気の職員にだけ残ってもらえる、あるいは職員に本気になってもらえる、そういう風土的大改革が必要だと思いました。
 たとえば、「信賞必罰」、前例主義に捕らわれ、犯罪者を刑事告訴しないことなど、愚の骨頂です。
 変革の心意気のある、そんなリーダーが宇和島に必要です。戻る


2006/ 7/20 許すな政治利用・天皇陛下のご発言メモ
 日経新聞のトップ記事に昭和天皇のご発言メモが出ました。
 このメモの真偽や、また、あくまでメモですからその行間を補う報道各社が解釈する際の色眼鏡について、その点について今の段階で発言することは避けたいと思います。
 しかし、この時期になぜ、このメモがスクープとして報道されたのでしょう?
 今、まさに、占領政策によって消し去られた感のある「国の誇り」を取り戻そうという風が吹き始めた時に、
 他国の首相決定に自らの物差しを示し、内政干渉甚だしい中国への批判の声が高まったこのときに、
 多分に首相となるはずの現政権与党の党首選挙が迫るこのときに、
真偽よりも、このメモがどうして今出てきたかについて、大きな違和感を持ってしまいます。
 また、このメモの行間を勝手に補って、政治利用しようとする姿勢は、絶対に許してはならないのです。メモを一人歩きしても良いほどに軽いものと考えるのであれば、そう扱えばよいのですが、ただ単にメモであるにもかかわらず、もっともらしく、重いものと捉えて、勝手な個人の解釈を加えて、自分たちの考えを重いものとしたいという個人的意志が見え見えであります。
 メモは、メモとして扱えばよい。現在の報道各社が勝手な補足を加えた解釈を重いものと考えてはなりません。
そして、真偽よりもこのメモが政治利用されることがあってはならないということを今伝えたいと思います。戻る

2006/ 6/24 【黒字決算】の夕張市倒産の報に接し
本当に解りません。
 自治体の財務諸表は、一般の市民にわかりにくい、しかも実態を現しにくい、現金出納的な、単式簿記であります。これは、今まで何度も触れてきたことです。
 その上、今回驚いたのは、「一時借入金」という、予算書や決算書では表面化しない借金があったということです。
年度内に返済も金利支払いも完結する性格の勘定であるから、決算書や予算書に出ないというのですが、どうにも理解できません。返済する原資がないから借り入れを起こすのであって、新たに借り入れを起こさないで、年度内に返済できるのなら、それは一時の融通でしかなく、歳出超過で借金が増えていくことはあり得ないと思うのですが、いったいどういう操作で決算書に現れないと言うことになるのでしょう。仮受けとか前受けの収入を年度内の収入として計上するなどしないと、あり得ないことかと思うのですが・・。
 この名張市の破綻事態をふまえ、自治省は一時借入金の実態について調査すると言うことですが、こんなもの、調査以前に自治体のリーダー・議会人は、認識しているはずです。方々が、理解力のない方々だったとしても、少なくとも財政方は把握して、それを理事者に説明した上で、了解を得て予算書・決算書は、議会へ提出されるはずです。
 も一つ、恐ろしいことに、
一時借入金の限度額は自治体の予算額とされているそうです、こんな借金を、予算書にも決算書にも載せないで良いというのは異常です。
 そして、夕張市では、一時借入金が負債の半分以上を占め、その返済のために別の金融機関から借り入れるという「自転車操業」を繰り返して、帳簿操作し、その大借金は表に出ず04年度決算は約50万円の黒字となっていた。というのです。やっぱり、良く解りません。
 やはり、町の家計簿(わかりやすくと言う意味で)です。いま再び。戻る

2006/ 6/22 宇和島が姉妹都市縁組み?
高橋さんのこちらの情報に対するコメントです。高橋さん>いつもありがとうございます。
 良いですね。私も北海道行ってみたいです。この時期は、良い季節なんでしょう?
 まさか、岩出山町の閉村式後にでもあった懇親会の場で良い気分になって、交流をってことになって、今回の視察と言うことになったのでしょうか?私がイメージする(今時、○○でさえしないようなお調子交流)でないことを祈っています。
 様々な地域や人々との交流は必要なことです。否定いたしません。しかし、姉妹都市ってなんですか?なぜ議員さんが視察へ行く必要があるのですか?上で決めた交流事業なんて、今時、上手く行くはず無いでしょうに。時代遅れです。
 財政難の宇和島ですから、議員さんや市長のポケットマネー(自己負担)で視察に行かれたのでしょうか?それなら、視察そのものは批判しません。市議会を休んで行かれたのではないのですから、非難するべきではないでしょう(笑)。
 肝心なことは、ここ。
 議会の皆さん>
 視察の結果、いかがでしたか?私達と同様の疑問を持ち出発され、同様の心証を得て帰られたのではないでしょうか?
 私は、議会の声は市民の声であると信頼しているつもりです。今回の視察によって、何らかの結論を導かなければならないのであれば、議会人が英知を発揮していただくことを切望致します。
 「交流によって活性化」言葉に出すことは簡単です。
 こちらは、具体的に何が出来るのか?
 相手方は、どこまでやってくれるのか?
トップセールスを自称するなら、具体案が必要です。ポケットマネーで行くなら、勝手ですが・・・。戻る

2006/ 6/21 夕張市倒産の報に接し【第一報】
 夕張と言えば、夕張メロンやら国際映画祭などあります。それなりに頑張っていたのでしょうけど、たいへんなことです。過去には炭坑で栄えた町で、現在の人口はピーク時の9分の1ほどになっているようです。どうにもならないところもあったのでしょう。
 さて、宇和島もいつかこうなるのでしょうか?
 一般論として言えば、自治体の破綻については法整備が進んでおらず、「どうなることやら」と言うのが、感ずるところです。
 かなり昔の話ですが、JCでまちづくりを勉強していた頃、自治体の倒産という事例を聞いて、討論したことがあります。カリフォルニアのあるまちの話であったと記憶しています。
 自治体の借金は、多くが社会資本の整備にあてられた投資であり、単純に浪費の結果としての借金ではないはずです。そういう便益を受けた市民が倒産のリスクを負うのは当然であり、市民が首長や議員選挙等、意思表示の機会のある時代なのだから、情報公開が適正に行われていれば、それは市民の意思が具体化された結果でしかない。と談じた覚えがあります。歳入不足に陥れば、市民としては、限られた収入の中で不便を感じながらも政策課題の優先順位を考え、最大効果が上げられるように支出を振り向けることを自らが選択をしていけばよいのだということです。政策立案者・あるいは政策の最終決裁者を選んだ市民の責任は重大であると言うことです。
「市民参加のまちづくり」等というお題目の頃でもございましたから・・・(笑)。その頃は、純粋でした・・・。
 一方、自治体の過去の債務は棚上げにされればよいのだと考えていました。すなわち、選挙の度に人事の「不連続の連続」が存在し、市民の一部が去り一部は新しく加わって来るという不連続が存在する組織なのですから、過去に囚われて現在から未来の地域づくりが停滞するようでは困ると考えていたのです。そもそも、自治体の倒産処理はどうすればよいのかという問題でもあるのですが、債権者は、その自治体故の信用(安定した収入のある社団でしょう?)に基づいて、資金を融通しているわけで、それぞれの斟酌によって、融資が行われるのですから、それを踏み倒されることもあり得ると考えるべきで、担保を付けようと思えば、それなりの担保を要求して、融資を決定すればよいのです。それは、県や国についても同様なことであります。
 明確に、今までと今からを分けて考えるべきという意見です。
 翻って、国や地方の無駄遣いが明らかにされる昨今、福沢諭吉の「立国は公にあらず、私なり」という言葉が、むなしく響きます。私利私欲に凝り固まった、政治屋や行政屋が跋扈する昨今であると、震えが来るほどに悔しく思っています。社会資本の名の下に、住民サービス向上の名の下に、どれだけの無駄遣いが行われているのでしょう、そして、その無駄遣いについて、多くの者は責任を取ろうとしません。
 しかし、みなさん、彼らを選んだのは私たち自身です。自分たちの手で、供に地域(国)の未来を変えていきましょう。いまや、一にリーダーの器量頼みではいけません。そんな時代はとうの昔に終わっているにもかかわらず、リーダー批判に終始するくだらぬ風潮があるのもまた悲しいことです。
 今必要なリーダーは、市民の意見に耳を傾け、それを自らが実践する、そういう新たな市民民主主義を標榜する者であるべきと思います。
 そういう意味で、批判も甘んじて受けるべきリーダーも多い(あんたのことやで!)と思いますが、しかし、そのリーダーを選んだのは、自分たちだと言うことをまず第一に考え、行政参加の機会を一つでも多く求めていく市民でありたいと考えます。
 市民のうちの一人でも多くの人が市政運営(宇和島市経営)の立役者として活躍される市政こそ未来を展望させます。
今後、三年間が停滞の時であっては、宇和島にとって取り返しの付かないものとなるでしょう。
 少なくとも、今のままではいけません。皆で、考えましょう。戻る

2006/ 6/20 日銀福井総裁辞めなはれ(笑)・高橋さんからの投稿と供に
 福井総裁は、私もやめていただくのが良いと思っています。
 ゼロ金利政策を進めながら、自分は数年で元本が倍以上に膨らむような、常軌を逸した投資先(株の世界はゼロサムですから、株価の差益を獲得した者が有れば、必ず一方で、差損を被っている者がいる)へ投資を続けていたことは、職を辞しても、天は許されないと思いますが・・・。もちろん、辞職に賛成です。退職金も0でよろしい。
 また、年金の運用利回りが下がる裏返しでファンドは利益を得ています。生保の予定利率引き下げの裏で、ファンドは阪神を無くし、シンガポールにマンションを購入しました。
 ホリエモン事件から、村上ファンドまで、日本人は、どうしてこんなに幼稚になってしまったのか、駄目なものは駄目という、義なるものを峻別する能力のない大人が増えてしまっています。赤ちょうちんで焼酎を呷るオヤジ、経済優先に毒されていない、善良な市民の方が、いかにまともな道義心を持っているのか、そう感じずにいられません。
一日働いて、5千円少々。そんな人の気持ちは彼らにはわからないでしょうね。

以下、高橋さんから
uwajima_dmlにあった投稿です。名文です。
//ここから
 東京帝国大学卒。海軍主計科短期現役第8期生。海軍経理学校を卒業し、戦後は農林省(現農水省)に入省した。政治家に転じて中曽根内閣の郵政相。このユニークな人物は89歳の今でも、日曜日には必ず競馬場にいる。

 彼は、これまでに全レース的中のパーフェクトを3回達成した。競馬の神様・大川慶次郎さんもパーフェクトは数回である。
 69年のダービー。食糧庁長官だった彼が記者団に「本命のタカツバキは馬体が小さい。大きい馬に囲まれると、落馬することだってある」と話した。
 当日は泥んこの不良馬場。28頭が1コーナーで好ポジションを確保しようと殺到し、何とタカツバキは彼の予想通り?落馬。騒然となった。
 レース後「監督官庁が本命馬の落馬を知っていた?」という変なうわさが広まった。もちろん、そんなことはない。このうわさが即座に否定されたのは、この時も、彼は馬券を買っていなかったからだ。彼は退官するまで馬券を買わなかった。
 このレースには、もう一つ、逸話が残っている。直線で競い合っていたダイシンボルガードの厩務(きゅうむ)員が思わずコースに飛び出し、大声を上げ、愛馬と共に走り出した。この応援?でダイシンボルガートは2着馬をクビ差で抑えて優勝。愛馬を思う心情にファンは感動したが、もちろん、厩務員は重い重い処分を受けた。
 ギャンブルは「公正」が命である。競馬法は「馬券を買ってはいけない人」を定めている。ハズレ、当たりに関係なく“掟(おきて)”を破れば官僚の首は飛ぶ。
 村上ファンドに1000万円を投資した日銀の福井俊彦総裁は「応援しただけ」と言い訳する。冗談じゃない。村上ファンドは「日銀総裁が味方」と宣伝し、その見返りに総裁をもうけさせた。必ずもうかる仕組みを、ギャンブルの世界では「八百長」と言う。
 13年間。日銀の低金利政策で、304兆円の預金金利という「所得」がわれわれの家庭から消えていった。その半面、銀行は余ったカネをファンドや消費者金融に回す。ファンドも、消費者金融も、銀行も巨額の利を得る。
 その異常な(しかも八百長含みの)ギャンブル資本主義。そして日銀のトップがぼろ儲(もう)け……福井さんはまれに見る「無意識の詐欺師」である。
//ここまで
戻る

2006/ 6/12 吉田病院の崩壊
はぐれメタルさんの投稿へのコメントです。

 まず、「合併と吉田病院の崩壊との関係」についてですが、
 吉田病院の崩壊?と申しますか、津島病院も含めた両病院の恒常的な赤字体質、そして医師不足に象徴される組織維持の危機的状態。市町村合併にはまったく関係なく、実態としてあった事象ですね。
 しかし、公共下水道の問題も、旧宇和島市民のうちで完結する財政問題であればしかたがないと言えたところに、合併があって、受益者以外の旧町民の皆さんの税金も
公平に使われる(負担しなければならない)ものであるが?と、改めて問題提起したのと同様に、この三つの公立病院の問題も、一つの自治体で3つの総合病院を持つことが必要か、それも赤字体質のままで、存続を約束する安易な市政の政策決定に疑問を感じることになったのは確かではないでしょうか。
 私自身は、宇和島市立病院の改築問題が出た時にすでに、病病連携、あるいは病診連携で、医療地図の書き直しを主張してきました。そして今、合併なのです。吉田・津島・宇和島という3つの枠組みでは、地域のエゴもあり、統一できない意見も、一つの町になって、税金を一カ所でやりくりする町になったことを機会に、意見をとりまとめる事が必要だと考えていました。しかし、現状追認の工夫のない、無策の状態が見えて参りました。ある意味、現場放置と見えるようにもあります。
 この地域は、合併を機会に、全てを見直すという、ダイナミックな、新たなる維新をイメージできないとだめだと思っています。それぞれの町が独自に地域作りをやってきて、それでは未来が陰っていると考えての合併であり、合併後の未来は当然に明るい物として描いたはずであります。ところが、この三病院の問題についても、次善策を講ずることもできず、まるで無策であると言えそうなくらい、対応策が後手後手にまわったことで、こういうこと(ここまでの緊急事態)になっていると考えています。
次の、
>病院の人事や経営に対し、医療行政や医療資源(人&物)
>の状況を理解していない町議・町長が必要以上に干渉し
>た結果だと思っています。
については、自治体病院の経営危機に際して、よく言われることで私も一理あると思っております。吉田病院についてということではなくて、一般論として「さもありなん」と、想像に難くない問題であろうと思っています。同級生(地元の自治体病院とは一切関係のない人です(笑)。なにせ、医者が多いものですから・・、迷惑がかからないように申し添えます・・)の医師からも似たような指摘を受けて、考えていたところでした。そして、自治体病院の管理・運営(経営)について事務方(市長も含めた広義の)がどう関わるべきか、特に、経営会議的な場面でどこまで発言できるのかという点の難しさを感じ、不勉強を恥じる以外ない状態です(笑)。
 この辺りについて、またいろいとご教示いただければ幸いです。

 基本的には、サービスを受ける側「市民」の代表として、また、税金の使い道(今後、完全黒字の公立病院は存在し得ないとの認識です。黒字化は基本的に難しいと考えています。)として、何を選択すべきかという政策決定の最終決裁者としての立場はありますが、医療については素人なのですから、現場との完全なる意見統一は難しいと考えています。
 最後の、
>薬のデリバリー
 今の法制度上、問題があるようであれば、特区として、薬のデリバリーサービスを行えるように考えてみてはどうでしょう。すなわち、人口密度が低く、地域の基幹病院から住民(患者さん)の住まいが遠い地域の代表地として、(そのようなサービスの要請は確かに有ると思いますので)特例として新たなサービスの可能性を探るべきかと思います。そのあたりは、十分にご認識のはぐれメタルさんかと思いますが、住民の要請という観点からあえて付け加えてみました。
 皆さんは、いかがお考えですか?戻る

2006/ 6/ 4 金がないけど【離島航路維持】
 金が無ければ、知恵をださなあきまへんなー。なんて、関西弁を使おうたからいうて、別にもうかりまへんが・・。
 国も県も市も金がないから、しわ寄せが各所に顕在化しています。今回は、離島航路維持の予算が削減されたと言う話です。
 国鉄の民営化と、地方バス路線維持費補助制度の大幅な見直しによって、JR四国が赤字バス路線から撤退をしたのを覚えていらっしゃる方が多いと思います。そんなおり、宇和島でも、他の自治体とともに、地元バス会社さんの協力を得て、補助金で赤字を一部補う形で路線維持に努めています。(宇和島自動さんですね)一方、津島や吉田、お隣の松野では行政サービスの一つとして、コミュニティバスが運行されています。これにも、当然税金が投入されています。
 道路で繋がっていると比較的バス路線維持に対する税金投入の納得は得られやすいのかと思いますが、海の場合はどうでしょう。今回、予算的に同様の問題が発生していて、順番(予算削減の順番)が後回しだったのでここへ来て話題になっているよう(新聞で取り上げられるなどして)です。特に、多島海として美しい情景を残す瀬戸内海や、リアス式海岸の先に多くの島を持つ宇和海など、たくさんの離島を持つ愛媛の場合、いろんな市や町で緊急な(今年度予算から)対応を迫られています。
 国道や県道を通るバス路線と比較して、離島航路の場合、受益する人口(極端に言えば島民人口)が限定されやすいので、わがまま勝手に、税金投入に抵抗感を持つ人も少なからずいらっしゃるのではと思います(笑)。私自身、離島航路維持について、どこまで公が責任を負うべきなのか、考えあぐねているのが実際のところです。
 松山市の例で恐縮ですが、安居島の場合、島民29名の島で、その航路維持のための年間の赤字額がおよそ42百万円と言います。国から30百万円の補助がありますから、残りの11百万円余を県と市でどうするかという問題となっています。当然のことですが、今の時代、事業者は、赤字(補助を受けた後の)が続けば、航路から撤退することになるでしょうから、たいへんなのです。他の航路の利益で吸収して行くにも限界があるでしょうし・・・。
 今回取り上げた、航路維持の他にも、金がないから予算を切るという場面が、今後ますます増えていくことでしょう。ところが、未だに、利権に絡む大規模事業が、地元の大きな声で誘致され、そこへ税金が投入される旧態が未守られていたり、官製談合や天下りなど税金の無駄遣いは、いつまで続くのやらと思うほどに、
「あら、あんたもか」と、まさに「どいつもこいつも」状態が続いています。
 まずは、お金の使い方、
洗いざらい、市民の目にオープンに(解りやすく説明する)することが必要です。そして、本当に必要なところへお金が回っていくように、市民みんなの目でチェックして、納得できる形でお金が使われるように、「ヤリクリ」しなければならないと思っています。戻る

2006/ 5/29 じゃこ天ソングからオヤジダンサーズへ【地産地消】
 isshoさんの Re: そうめん流し、残念!に対するコメントに加筆しました。
 聞くところによると、冷凍みかんも歌と共にリバイバルしたようですね。
 1.8gさん>
 地元の歌、ぜひ、歌を作ってみて下さい。地元おじさんダンサーズの振り付け付きで!
 パパイヤ鈴木に鯛飯をたんまり食べさせて、振り付けを頼みますか?
 こういうのって、わりとお金をあまりかけなくても情報が広がっていく場合があります。
 コミカルソング?も良いですよね。私なら、
地元物産ソングプロジェクトを立ち上げて、コンペします。低予算で、最大効果(笑)。
 賞品は、蜜柑の木5本から採れた蜜柑5年分とか、真珠かご*枚とか、養殖魚、お歳暮券 50枚とか、地元の物でにこだわります。
 地産地消が叫ばれる昨今、蜜柑を給食に!週に一度は、蜜柑を出そう。施設給食には、地元産養殖魚類を骨なし加工した、魚切り身(骨なし切り身が最近売れているので(笑))の料理を!
 とにかく、地元にこだわる施策を考えたいですよね。とっかかりは、歌作り?楽しい話題で盛り上げていきましょう。戻る

2006/ 5/28 市民に我慢させるなら
※これは、まーきみさんから寄せられた、
「薬師谷のそうめん流し」が昨年の台風のため、大幅に遅れる。という そうめん流し、残念!の問題提起に対して、政策決定如何にあるべきかという観点から、コメントした内容に加筆したものです。

 現在の宇和島市のように財政的に困窮している状態では、予算配分に優先順位付けやら取捨選択が必要です。かってのバブリーな頃のように、「あれもこれも」と言う時代ではありませんよね。「あれかこれか」と言う時代です。
 ですから、既存の枠組み・システムの中にある限り、様々な面で、今まで通りの行政サービスは維持できず、市民が不便を強いられることがたくさん出てきます。
 既存の枠組みに囚われない、新しい市民サービス提供のシステム作りについては、また後日触れてみたいと思います。題して、時給700円の恐怖大作戦。お楽しみに。
 また、優先順位付けについても、もちろんのこと、悪弊をぶっ壊す必要があります。どんな事業かというよりも、誰が持ち込んできた事業かで、優先順位が決まるようではいけません。有力者がねじ込んできた事業であるからと、恣意的な順位付けが市民の意志とは関係なく成されては困ります。必要性・緊急性などを評価してなされるべきであります。そのために、優先順位決定のための客観的基準作りを模索して、その客観的基準に基づいて事業の順位付けを行うべきです。この辺りも、是非に後日触れてみたいと思います。
 一億円以上の規模の公共事業についてはすべて市民の意見を求めるという志木市の「公共事業市民選択権」という制度などもあります。

 ここからが、今回の本題です。
 限られた財源故に、市民に不便を強いるとき、あるいは我慢を求めるときに、すなわち、それらのサービス低下という痛みを市民に受け入れてもらうためには、自らも身を削ることが必要です。それがまず第一でないと、市民は当然納得しないでしょう。ですから、私ならば、職員の皆さんの手当、給与、賞与、勤務時間等、待遇の全てを見直すことを、すぐに始めるべきだと思っています。
 そうした後(「見直しをスタートした後」という意味、同時進行で行うべきです。)にこそ、受益者が今まで通りのサービスを受けられないという痛みに耐えることが出来るというものです。
 一方、市民は今まで通りのサービスを求めることをやめること、そして、改革を自らが実践して行く当事者となるべきと思います。すなわち、
「出来ることは自分たちで」、そして、「自分に何かできないか」ということを考えて欲しいということです。そうして、行政のコストを下げて、最低限必要な環境整備に資金をまわしていかなければならない、そんな時期に来ていると思います。(危機感のない人が多いのですが・・・)

 私は、けして、薬師谷そうめん流しのオープンがおくれることをしかたないことと考えて申しているのではないということをご理解いただきたいと思いますので、若干話を戻しますが、台風被害にあった、施設の補修を行政に頼ることが、はたして時流にあったことなのかを考えて欲しいと思ってはいます。そして、そうめん流し施設の補修がシーズン入に間に合わない、残念な結果になっているのは、すなわち、真に予算組の問題(金がない)ではなく、事業仕分けの問題であり、市民との協動の問題であると指摘しているのです。
 吉田病院や津島病院の問題でも顕著であったように、問題先送りと、
「困っていることを困っている」とオープンにしない役所の体質が結果的に何も解決策を生まず、問題解決を遅らせる(手遅れになりそうな)根底にあると考えております。
 そうめん流しの施設補修なんぞは、「ボランティァで治してくれる企業や個人はないですか?」と問いかけるだけで、結果は違ってくると思います。材料費は市が負担することを良しとしたとして、大工手間をボランティァで提供される有志の方は宇和島の場合には現れるのではないかと思っていますから。けして、無償である必要はありません。市民の意識改革によって、安い価格でもって提供してくれれる人が増えていけば、自らを助けることにも繋がると言うことなのです。その企業個人を顕彰などすることも必要でしょう。サイト上に協力者を掲示したり、構造物などの場合は、構造物のどこかに提供者・協力者を掲示することも良いでしょう。市民の皆さんに公共心を発揮していただく動機、「生きがい」や「やりがい」を感じていただくことでもって、市民サービスを行政から外部化することが広がっていくと考えているのです。
 そして、政策決定については、市民が直接参加できるシステム(市民参加条例等の制定)づくりが改革の第一歩であります。
【公のことを他人事としてではなく、我が事として、考える。】
 そのためには、情報公開(条例化や、掲示板やブログ利用による情報発信と、情報の双方向化)が不可欠です。
【考えるための材料を示す】
1.政策決定への市民参加
2.情報公開
これが、改革の大きな柱となります。戻る


2006/ 5/ 5 談合を無くしたい!よね?
 東京都の「多摩ニュータウン環境組合(八王子・多摩・町田)」の発註したゴミ焼却炉建設工事の入札で談合があり、高い価格で契約がなされた。そのため、自分たち(町田市の住民が原告)は、損害を被ったとして、工事を受注した日立造船に約38億円の返還を求めていた裁判の判決があった。
 東京地裁の判断は、「日立造船は談合で予定価格に近い価格で落札し、組合に損害を与えた」として、約13億円の返還を命じるものでした。入札には大手5社が参加して、日立造船の落札したのだが、予定価格に対する落札率は、98.99%だったという。
 判決理由がとても画期的であると思いました(笑)。他の焼却炉建設工事で五社が談合していたことが認められるメモがあったことから、「この工事でも談合があり、日立造船が落札したと推察するのが相当」としたものです。もって、同組合が日立造船に損害賠償請求をしないのは違法と認定した。五社が関係した同様の訴訟で、京都・埼玉・福岡の三地裁で企業側に賠償を命じる判決が出ているという。
 公共工事受注大手企業の常識は、世の中の非常識。様々な非常識を見つけてつぶしていけば、かなりの無駄遣いが省けると思います。頑張っていきましょう。
匿名で結構です、
談合情報など、お知らせ下さいませ。戻る

2006/ 5/ 4 横領しても告訴されない町宇和島 2報
まーきみさんから、私の「横領しても告訴されないまち宇和島」に対していただいた、コメントへのご返事です。

>大量の(金額より件数)の横領
の件、ごもっともです。
 職員の規律意識がここまで低いこと、不祥事がこのように頻発する背景には、職員個人の倫理観もさることながら職場風土が多分に影響していると思います。
 盗っていても、返せば告訴されないのですから・・、それに名前も発表されないのですよ!!!
 そして、まーきみさんにはもう一歩踏み込んでいただきました。無鉄砲な人事院勧告に応じて、膨らませてきた、人事費。
 市民がいつまでも黙っていると思ったら大間違いです。
 最近になって、地方公務員の給与について、その地域ごとの民の給与水準に応じた是正をしていくことを、やっとのこと人事院が発布してくれましたが、市民の感覚と離れぬ市政であれば、そんなもの待つ必要はないわけで、市民の声をバックに、同じく市民であるだろう市職員の給与見直しの話し合いを(組合相手ですか・・)スタートすることにどんな逆風が吹くというのでしょう。民間であれば、みんなでリストラに取り組んで危機を乗り越えるのです。そんな民の感覚を失ってしまえば、
組合との交渉以前の問題ですよね。大票田(市役所職員)におもねる愚策で無ければ良いがと、心配しているのは、私だけでしょうか?
> 国が滅びる前兆として、「税の不払い」が起こることを歴史
まさに、おっしゃるとおり。今後とも、市民の感覚で発言を続けて参りましょう。戻る

2006/ 4/22 4/22 Earth dayに寄せて
 (社)宇和島青年会議所の1995年、まち未来特別委員会で作成した、もったいないハンドブックの冒頭の一文を校正加筆して、掲載をしたいと思います。

 私が宇和島青年会議所の理事長を務めた1994年、井上さん(有限会社 大宮)が「もったいない運動推進会議」へ、島原さん(島原かまぼこ)が「企業の環境運動推進会議」へと、宇和島青年会議所から日本青年会議所へ出向して下さいました。私ども地域の情報を発信して、全国(時に世界の)の情報を集め、宇和島へ様々な情報をフィードバックしてくれました。同年に私が掲げた、「まちの未来に対する長期ビジョンの作成」と、「そのビジョンの中での環境問題への取り組み」をテーマのうち一方の柱「環境」を主要課題とした会議体で、前者は、世界への「mottainai movement」の発信をし、後者は、「家庭・企業・地域それぞれが果たす環境への取り組み」(全国6万人のメンバーのそれぞれの家庭・企業・地域が環境に取り組めばかなり大きな変革を遂げられるとした)のうち企業の環境活動の研究に取り組んでいました。翌年、その流れを継いで、「まちの未来像グループ」と「環境グループ」の2グループで構成する特別委員会を設置したのですが、その環境グループの一つの事業が、このはしがきで始まる「地球市民Jr.のリサイクル&地域協力・国際協力システムの構築」事業のまとめとして出版したもったいないハンドブックであります。

「もったいない」というキーワード

 1992年、ブラジルで開かれた「地球サミット」に参加していたある青年会議所メンバーが、一人のブラジル日系三世の女性からこんな話を聞いたそうです、「もったいない」という言葉には“おそれ多い”という謙虚な心、”ありがたい”という感謝の心、そして“惜しい”という品物や時間の浪費を惜しむ心があり、自分以外に対する気配り、愛がある。この「もったいない」という精神こそが日本人の心であり、日本がここまで発展を遂げた秘訣である・・・。子供のころ、おぱあちゃんからよく聞かされた話なんだと。 そんな話を聞いて、日本人が忘れかけている心のあり方を改めて教わった気がしました。
 そんなところから、私ども宇和島青年会議所でも「もったいない」をキーワードに取り込んだ事業が展開され、既存の事業についても「もったいない」意識を取り入れた見直しをして来ました。 

 また、アメリ力・インディアンは「地球は子孫からの預りものだ」と言い伝えているといいます。彼らは実際の生活でも、食用として必要以上の動物は捕獲せず、木の実も必要な分だけしか採りません。つまり自然と共に生きるという考えが根本にあります。たったひとつの地球をできる限り大切に使って、子供たちに手渡していく(永続可能な)。そういう生き方をしているといいます。そこには、全ての事物に対する謙虚な心があり、感謝の気持ちがあります。まさに「もったいない」という心で生活していると言えます。
 それにひきかえ今の日本はどうでしょうか。人口は世界全体の2%しかないというのに、穀物消費量はなんと14%にのぼっています。発展途上国の中には、今日も飢餓で死んで行く子供たちがたくさんいるとうの、明日の食事にさえ不自由な二百万人を越える難民がいるというのにです。そんな地球の中の「ある地域」ニッポンの話です。輸入してまで食べ残す国日本、東洋の神秘かも・・・(笑)。

 時代は「モノの豊かさから、こころの豊かさへ」と変わってきていると言いますが、一方で、今日も各地で民族紛争・宗教対立が続き、南北問題もいっこうに解決しません。飽食を繰り返し、王様のような生活を続ける人々がいる一方で、貧困の負のサイクルから抜け出せずにいる人たちがいるのです。
 自然を恐れぬ我々王様は、環境などおかまいなしにどんどんと破壊しているのです。人類の生存に危機的な影を落としていると、批判してくれる科学者の声に耳を覆って・・・。

 そんな中で子供から大人まで、この古くて新しい「もったいない」という言葉を伝え、その心で“今”を変えてみようというわけです。
 それは、今からを生きるための一つの大切なキーワードです。

「たった一つの地球」というキーワード

かけがえのない地球。子供達のために。

 「地球はひとつの生命体であって、
 そのなかで私たちのような人間、動物が共存して生きている。
 本当に生命共同体なんだなと思いました。」
 これは、日本人初の女性宇宙飛行士向井千秋さんのことばです。

向井さんだけでなく、宇宙へ行った人たちは国や人種を越えて、
 「地球は 小さな星」
 「地球は 美しい星」
 「かけがえのない 運命共同体」
 「宇宙船地球号」‥‥

と、みな同じような表現をして、しみじみと地球を「たった一つしかない」のだと感じて帰ってきます。

では、現実の地球はどうでしょうか?
・熱帯雨林の減少(過度な焼畑農業,薪としての過剰伐採,商業的伐採による森林の減少)

・電気製品やスプレー製品のフロンガスによるオゾン層の破壊・自動車の排気ガスなど温室効果ガス濃度増大やクーラー等の廃熱による温暖化

・酸性雨(硫黄酸化物,窒素酸化物が雨に取り込まれ硫酸や硝酸になり、森を痛めつける)

・土や水に返せない廃棄物

・その他 海洋汚染(油の流出,ごみの海洋投棄)、有害廃棄物の越境移動(有害ごみの輸出)、野性生物 の種の減少(乱獲、生息環境の破壊)、砂漠化(家畜の放牧、農業用水による塩類の集積、燃料用樹木の 過度な伐採)、開発途上国の公害問題(先進国からの公害移転、環境観念の欠落)

 水が汚れ、空気が汚れていく。数え上げたらきりがないほど恐ろしい危機が迫っています。計数的にも漁獲量の減少、地下水位の低下、鳥類の個体数の減少、記録的な熱波、穀物備蓄の減少など、地球の限界を示す兆候はいくつもあらわれています。自分勝手な小さな便利さを追うあまり、自然の大きな恵み(人類が地球という生態系のなかに生かされ、育まれて来たこと)を忘れてしまった私たちは、文明や開発という名のもとに大切な地球を破壊し続けてきたのです。いわば、現在の私たち人類と地球との関係は最悪な状態なのかもしれません。しかし、経済や社会システムを極端に減速させることには無理がありましょう、持続可能な経済発展を求めながら、私たちの生活基盤である社会・経済システムに環境保全という「価値」を加えなければなりません。
 元来、たいへんうまくできていた地球の自然。すなわち、いろんな物(水・炭素・空気・窒素等)が循環して自然のバランスがとられていたところへ登場したわがままな人間が、汚水排水や排気ガス、また動植物の乱獲によってこの自然のバランスをくずし、地球をどんどん住み難くしてしまいました。この、いわば私たちの世代の豊かさや快適さのつけを子供達(次世代)にまわすことなく、逆に子供達と友に、全地球的な視野で環境問題を考えていかなければならないのであります。

 地球環境にとってマイナスになることや物はやめる(Refuse)。減らす(Reduce)。再使用(Reuse)することが大切です。
 しかし、その前に、今すぐにでもできること、「今あなたが捨てようとしている物は、ゴミではなく、大切な資源ですよ」ということを知っていただければと、本誌では、廃棄物となりそうな物を資源として再活用するリサイクル(Recycling)に目を向け、「リサイクル社会」実現の為の具体的実例を紹介しております。

 21世紀に生きる子供達の為にも、今以上に汚染を進めないよう、住みやすい環境に戻すため、知恵を生かし、自然に学ぶ謙虚な姿勢で解決を図って参りましょう。

「地球市民」というキーワード

 米ソ冷戦時代が終わり、イデオロギーの対立がなくなった今、それとは異なった民族や、宗教、言語などの違いによる紛争が各地で続いています。

 一方で、環境や、食糧、難民、人口、貧困などのグローバルな問題を全人類的に解決しようという大きな動きがあります。例えば、阪神・淡路大震災では、人的受け入れ4ヵ国を含め、海外44ヵ国から好意をいただきました。これは、単なる相互扶助意識という以上に、熱い人間愛と地域を越えた隣人愛が、個人をつき動かし、行動へと駆りたてた結果にほかならないのではないかと考えます。

 また、第2次世界大戦後の敗戦国日本は、復興の為に多くの国や非政府組織の援助を受けたのであります。すなわち、私たちの世代は、そんな体験を持つ日本人の一人として、次の世代にその経験を語り継ぎ、世界中の国や地域に思いをはせ、行動を起して、地球全体の幸福の量を最大化する努力を続けなければならないでしょう。一部の経済発展を遂げた、先進国(Developed country)だけがその幸福量を増したり、ある一部の国の価値観(キリスト教的価値観や先進国の経済至上主義的価値観、アメリカ的欲望自由主義的価値観)で量る価値観の押しつけを排除して、国や地域、民族や宗教の価値観を認め合った真の豊かさを目指さなければなりません。有色人種の国が初めて白人の国に対峙して100年。有色人種の国が植民地支配から抜け出すための戦いでもあった先の大戦から60年、そう言う国であるからこそ、新たな価値観の創造の先頭に立つ意識を持つことが必要かと思います。

 そして、今「経済大国」と言われる日本は、通商・貿易上の非難を浴び、国際社会から応分の負担を迫られています。当然と言えば至極当然なことで、国際協力とか国際貢献とか大上段に構え「ヒトに何かをしてあげる」とか、「モノをあげる」とか、自己中心的な「助けてやる」という態度ではなく、熱い人間愛と地域を越えた隣人愛を育み、一人の人間としてできることを、まちや国境、宗教、民族、信条を越え、さりげない「おたがいさま」の気持ちをもって、地球規模で実践することが必要なのです。それはたまたま物質的に豊かになったニッポンにのみ必要なことではないのですから・・。

 他の個人や他の地域の個性を認めつつ、自分自身の持ち場で自己を最大限に活かし、本来の目的や意義というものに忠実に生きる生き方。地球の裏側の出来事を身近な出来事として理解できる「地球市民」としての生き方。そんな生き方が今求められていると言います。 地球は人間がいなくても存在します。

しかし、世界は人間がつくっていくものです。前に述べたような全地球的な問題を解決するのは他の誰でもない私たち一人一人(人類)なのであります。好むと好まざるとにかかわらず、国境が存在し、国家のもとで私たちの生きる権利と安全が保障されているのが現実であります。しかし、それらの問題解決の為に、同じ地球に住む人間として果たすべき役割は感じられるはずであります。幸いにも、私たち日本人は、経済的に不自由なく、世界の水準では最高に近い豊かな(少し問題のある表現でして、実は贅沢な、わがまま勝手なと言う方がよいと思います。)生活を送っています。しかし、地球の裏側では、今もたくさんの人が飢えや病気で苦しんで命を落としているのです。

 ほんの少し地球を離れて、宇宙飛行士になったつもりで広い宇宙の中に浮かぶ地球を思い浮かべてみて下さい。

誰かがやる、いつか出来るではなく、

         私たちが 今 始めましょう!
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2006/ 4/14 何で告訴を見合わせる?横領職員に対する大甘
 なにゆえ、公金の横領をした人が、その金銭を弁済し(発覚後)、処分として解雇されたということをもって、社会的制裁を十分に受けたなどと、市が判断できるというのでしょう。そんな勝手が許されるのでしょうか?自らの管理責任を感じて、その責めを負う(減給1/10 1〜3カ月)としたことは、この際抜きにして考えてみたいと思います。
 まず、横領が発覚しても、その金銭を返還すれば告発をしないというルールは誰がどうして作ったのでありましょう。もし、市役所内にそういう前例(判例でさえ世の中の変遷に応じて変化していくというのに)があるとすれば、今回からすぐに変えるべきです。そうでなければ、市役所の改革、もっと言えば市政の改革はまったく期待できないとしか言いようがないと思います。少なくとも市民の多くがそう感じるのではないでしょうか?石橋市長がそのような価値観を持っているとはとうてい信じがたいのでありまして、市長の改革に非協力的な一部市職員(発言力のある立場の一部にそういう輩が居ると聞く)が、この件に関与しているのではないかと想像しています。(目にした新聞報道の中に、「告発をしないこととした」のが市長の発言と明示したものがなかったようなので、記事を深く読んでそう考えています(笑)。)

 (笑)
冷静になって、この件を批判してみたい。

 本件について、強制法規は何故に強制力を持って国民の人権を制限するのか(努力目標ではない(笑))という基本に立ち返って考えると、どう処理しなければならないかが見えてくると思います。

 過激な例で恐縮なのですが、自分にとってとても大切な人、例えば妻や子を殺されたとします。ここで、私は、加害者を見つけたからといって自らの手で罰することは許されていない(仇討ちだとか私刑などといって)のです。犯人を見つけても、緊急的な逮捕権(逮捕権認定の要件はかなり厳しいはず・・)に基づいて、身柄の拘束は許される場合もありますが、身柄確保の後は司直の手に委ね、法による裁きを受けさせるというのが日本のルールであります。なにゆえ今回の横領(425万円という)の罪を犯した職員に対して、告発しないという極めて「甘い」処分を市がなさったのでしょう。速やかに、当該人を告発し、法による裁きを受けさせることが、市の責任であり、立場であると思うのですが如何でしょう。検察に、その元職員を起訴する(裁判を受けさせるか、起訴猶予などにするかなど)かどうか決める権限があり、そして、裁判所が法に照らして、可罰性の有無を結論づけ、判決を下すというルールではないのでしょうか?その課程で、金銭の返還が完了しているだとか、市役所をすでに懲戒免職になっていると言う事情が考慮(情状酌量)されるのではないでしょうか?
 確かに監査・管理が十分でなかったとして、自らが責任を感じるのは良いと思います。しかしながら、鍵をかけていなかったからと言って、その家に入った空き巣の罪が免じられるというのでは困ったものであります。暗い夜道を、肌もあらわにした挑発的な女性が歩いていた、性衝動を抑えられない不逞の輩が、その女性を襲ったとする、こういう場合、事情が勘案され、罪が減じられることはあっても、被害者の責めによって処罰されない(免除される)ことはないと思うのですがどうでしょう。

 横領した人は、なぜ処罰されるか?

 まず、法に規定があるからであります。(この点は否定しないと思います)横領という罪が法に規定され、この金でサラ金に返したら楽になるだろうなーとか言う動機が、法を犯してはならないという内心を超えて、その行為を行わせているのです。だから、懲戒免職の処分をなさったのでしょう。
 次からが重要です、彼女は、悪いことをしたのです。すなわち、守らなければならない法益(他人、すなわちこの場合は、市民の財産権)を侵害したのであります。そして、彼女にどのような事情があったにせよ、悪い事だとわかっていてあえてやっているのであり、同情できる事情があることと、責任を非難されないということは別であります。責任が阻却される(彼女に責任を問えない)筋合いのものではないのです。
 すなわち、国(国によって法律が違いますから)が、法によって、こういう事はいけませんよと、国民に価値判断を示している事柄を、市が不可罰としていることに問題を感じるのです。すなわち、人のお金を盗ることは社会的に見てよくないことですよと法が定めているにもかかわらず、私達の管理が出来ていなかったことにも問題があり、懲戒免職にしたから告発はしない(法による処分は求めない)でおきますと言っているわけで、法を無視した所行だと思うのです。
 これでは、宇和島市において、職員に対し、法がその意思決定を方向付けるという機能にバイアスをかけていると言うことになりはしないでしょうか?すなわち、物を盗ろうかな盗るまいかなと悩んだ末、刑罰が科せられるからやめようと決定する機能を大きく損なわせている(法があることによって違法行為を選択しないと動機付けされる機能を減じている)のではないでしょうか?

 本人が罪を認めれば、内部的(市と職員の関係のうちで)に処分を下すことはよいでしょう、しかしながら公務員という職責から、その保護される法益を考えれば、司法権による調査・処罰というルールは守られるべきではないでしょうか?再考を求めます。
 法(条文)の社会倫理的機能(この国では、人の財物を勝手に盗んではいけないのだという社会倫理があるということを条文の存在が示している。)を誤らせる行為です。そして、その法の秩序維持機能(刑法によって社会の秩序を維持していくと考えて)を損なう行為です。
 すなわち、いつまで経っても、不祥事は減らないことでしょう。戻る


2006/ 2/11 金利払うなら市民へ(笑)

 私が常々主張する、『費用の外部化、便益の内部化』の一例について述べてみます。費用の外部化、これは例えば、地域のゴミ処理、すなわち既に投棄されていたりこれから排出される、車や電気製品からペットボトルや缶・瓶にいたるまで、(それらのほとんどが当市の税収に寄与しない企業の商品でして)処理を製造メーカーに責任を負わせるという考えから、ゴミの処理費用・景観保持費用を製造者につけかえる施策であります。こちらについてはいろんなところで「ほざいた」ことがありますが、今回は、便益の内部化の一例を挙げてみたいと思います。
 吉田病院の縁故債(「発行時に、一般の投資家には勧誘を行わず、発行者が特定の関係者のみに取得させる」という方式で出された債券のことをいい、狭義に地方公共団体が地元の金融機関から借り入れを債券を発行して行ったものと捉えてください。)について話を出しましたが、各地自治体、特に田舎の自治体では、お国からの仕送りは減るは、税収も減るは、積み重なった地方債の償還は迫るはで、
地方財政そのものが金融システムの中にあって、従前にない厳しい評価を受け始めていると言います。(宇和島はお金持ちですから、とても安い金利で資金を融通されているかも知れませんが・・)多くの自治体が、資金繰り、手元流動性(キャッシュフロー)に大きな問題が生じてきているのは想像に難くありません。(だから、吉田病院の給与支払い資金の不足を縁故債発行でしのいだということなのですが・・・) 弱小零細企業がその信用力の低さから同じ銀行からお金を借りても金利が高い(資金調達にコストがかかる)ように、バブル崩壊後の日本が国際市場の中で信用を下げ、金融機関の格付けが下がり、結果資金調達にコストがかかったということが、各地自治体でも起こっているのではないかと思うのです。その要因分析については、後日、改めてと思いますが、この資金調達のコストを大幅に下げる手法について触れてみますので、皆様にご一考いただければと考えています。
 0金利時代、宇和島市債(国債をイメージしてください)を発行して、資金を調達することで、市の借金の金利を下げる方策を考えましょうと言うことです。消費者金融と長期プライムレート(優良企業向けの優遇金利)との差ほど金利差があってもおかしくないということにお気づきでしょうか?
 普通預金の金利は0.001です。3年のスーパー定期(伊予銀・300万以下)で、0.07です。縁故債の金利と比較してみてはどうでしょう?どなたか、教えていただけませんか?
 縁故債の借入金利と比較して、安い利子率で一般から購入者を募って資金を集めようということです。企業・個人向けに市場公募債(国債ならぬ市債)を発行して、その利子率をいかほどに設定すれば、資金を集められるかという検討のもと、市場からの資金調達を考えるのです。市の信用によって、市の資金調達コストは変わります。しかし、市がつぶれたという話はありません(日本ではと言う話で)から、極めて信用性の高い債権として、流動性確保も可能であろうと思います。支払い金利が減り、なおかつその利子を得た出資者がそのお金を市内で貫流させる可能性もあるのです。私の、税金を支払う市民が出資者であるという、「市民と自治体」の関係と「株主と企業」の関係とを相似形として行政の在り方を考える従来の主張を一歩進めたものでありますが、政策決定に関する説明責任の徹底やあるいは行財政改革(効率や経費のチェックを含め)を進める動機としても役立つ考え方では無かろうかと思います。もっと、すすめば、プロジェクト毎の資金調達だとか言う話にもなり、その傍系としてPFIの利用という概念が出てくるとも考えられます。 償還の自由度(期日前に返済する=繰り上げ償還)を考えても、政府債(国からの借金)については不可能に近い、縁故債についても非常に困難であると言います、その点を考えても、『発行額、償還年限、金利等の発行条件を自治体が自由に設定できる』市債の発行で、支払利息の軽減も可能かと思います。
 現在国債の金利(個人向け国債変動5年物で)0.8です。ちなみに先に述べた定期預金の金利と比較すると11.4倍となります。その金利差を主因とするだろう、個人向け国債の人気をみれば、市債へも高い需要があるのではないかと思います。
 そして、
市民向けの金利と市民以外の金利とに差をつけたりすると、金融資産を持つ全国の富裕層の転入が相次ぎ、ビバリーヒルズのような町が出来上がるかも知れません(笑)。
 まぁ、そこまでは行かないにしても、支払い金利を下げて、なおかつ支払先を市民へ変えることのメリットは、十分検討の余地ありかと思います。

注)公募債の発行については、法律上全ての地方公共団体が発行できるシステムになっています。総務省の許可制となります。このあたりは、山本公一衆議員の政策スタッフの方にご教示いただくとありがたいのですが・・。戻る


2006/ 2/09 公立病院 経営破綻時代到来・舞鶴市民病院を題材として
 旧吉田町立病院と旧津島町立病院の抱えている負債はどんなものなのでしょうね。三位一体改革は、公立病院の存立を危うくしてくれています。医療制度改革もしかりでございます。
 我が宇和島は、1市3町の合併によって、3つの総合病院を持つまちになってしまいました。というのは、現状で経営が成り立っている(まずは採算の面で)のは市立宇和島病院のみで、残る二つの病院は、毎年多額の赤字を計上しているからです。
 オープンにされている累積赤字、赤字経営のために人件費を払えないために発行された縁故債はいかほどに上るのか?
 また、改築等、施設を充実させるために借りたお金(赤字ではないけど、月払い等で返済が必要)は、いかほどなのか?
 病院を閉めてしまえば、翌年度の赤字は発生しないのですが、累積赤字の処理や債務返済は免れないのです。
 表題の舞鶴市民病院の場合、累積赤字は31億円で、市が負担をしたそうで、この4月をめどに、指定管理者制度を導入し民間委託するとのことです。まさに、「公立病院 経営破綻時代到来」であります。
【舞鶴市長の示す計画の概要(舞鶴市長 江守 光起氏の公式見解より抜粋)】

 京都武田病院に指定管理者として運営を委託。
 診療体制について
  療養型医療(※1)を中心に据え、リハビリ・人工透析などの回復期・慢性期医療(※2)を継続、拡大する。
  脳神経外科は、舞鶴共済病院に移す。歯科口腔外科・免疫膠原病外来については同病院と調整中。
  共済病院に移るもの以外の診療科、専門外来などは、なくなるものもある。
  腎臓外来をはじめ市民病院でどのような外来診療を継続できるか民間医療法人と協議中。
  救急については、慢性期を中心とした医療を行うため、基本的にはなくなる。
 累積赤字については、一般会計から補填していく。
  これまでの累積損失31億円(平成18年1月現在)や企業債の償還、これから発生するであろう退職金等の多額の出費はすべて舞鶴市が負担する。
 市民病院の職員のうち何人が新病院に雇用されるか未定。
  それ以外の人は事務職としての受け入れも含め、職員の雇用の確保には最大限の努力する。
※1療養型医療…比較的病状の安定した患者を対象に、病気の再発防止や安定した状態を維持するため、長期のリハビリや療養を行うもの
※2回復期・慢性期医療…病状が安定していく過程、回復する過程でリハビリなどを行うもの、あるいは安定した状態を維持する医療を行うもの

 舞鶴市民病院は、現在、高知医療センターの病院長をしている瀬戸山元一氏が病院長を勤め、医師の研修制度(アメリカから現役の教授を指導医として招き、研修受けられる)等、先進的な改革に取り組まれていたという、(近藤先生のお話では)とても立派な医療機関であったそうです。瀬戸山氏の退任後、経営をめぐる市役所側との見解の違いから、医師が大量に退職し、診療科の閉鎖にまで至り、経営が悪化(以前の経営が赤字か黒字か?詳しく知りません。)し年間10億もの赤字病院になってしまったとのことです。
 吉田・津島の両病院と経営破綻に至る原因について一致したものでないことは言うまでもないことですが、3っの病院を「市立病院としての存続」ありきの議論は、市財政の悪化をますます進め、かえって市民の医療環境を悪化させることにつながると思っています。早急な決断が必要ではないでしょうか?
 追伸 愛媛県立中央病院の建て替えは、PFI方式。
     高知医療センター(先の瀬戸山院長は3月で退任されますが)もPFI方式。
    さて、宇和島市立病院は・・・・。
   お金持ちでもない宇和島が、PFI方式を導入できなかった理由が、あの規模で建て替えをお国に許可されたことと無関係であるとは、誰も思わないと思います。邪推なら良いのですが・・・。
  ご参考までに、近江八幡市民病院の 病院整備運営事業にPFIを導入するという新しい取り組みを著すサイトをご紹介して、宇和島でも早期の対策が必要であることを重ねてお伝えします。

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