4.教育使節団報告書

米国使節団は、いよいよ報告書の作成に取りかかる。

 団長のストッダード氏の報告書作成に対する姿勢というのは、「もちろんわれわれ使節団にとって、報告書を書くことがもっとも重要な仕事だが、だからといってその報告書が、例えば国務省や東京のGHQのオフィスのだれかの頭の中にアイデアを生ませるといったたぐいのものであってはならない。」

 つまり、単なる″日本教育視察記″ であってはならない、きちんとした報告書とすべきだという考えだった。そして報告書は、滞日最後の一週間で作成した。団員たちは四つの分科会に分かれて、その作業に打ち込んだ。

 使節団の調査によって日本の教育改革についていくつかの″問題点″がクローズアップされたが、その一つに『ローマ字改革』がある。

日本の国字を漢字からローマ字に改めるというこの問題にはかなりの時間論議された。

 ともかく、戦争とは全く関係のないこのような改革をなぜ実施しようとするのか。これを実行するためには、中国の歴史を考えなければいけない。美術的な観点や習慣など、さまぎまな関係がある。この人類の四分の一ぐらいの人間が営んできた三千年以上も前の中国の文明、それと深くかかわっている日本の国字を考えると、とてもローマ字改革には賛成できない。とする反対意見に対して、ローマ字改革派には、中国及び日本の文明を考えていなかった方が多かった。その論拠は、従来の漢字を教えることは、教育の時間を二、三年も損をするというところにあった。「漢字を習うことが、ローマ字を覚えることよりどれほど人間の能力を伸ばす上で損をするか。それは結果的には国にとってもマイナスである、というふうにローマ字改革論者は説く。

この問題においてCIE内部ではローマ字推進論者が多くいたが使節団としては否定的な意見をだすことになっている。これにより国字が守られたと言ってもいいだろう。

もうひとつのテーマである、学制に話を移そう。

 わが国の六・三制が発足したのは、昭和22年4月からである。

 それまでの学制は小学六、中学五、高校(専門学校)三、大学三年が基本型で、義務教育は小学校だけだった。それが六・三制では中学を含めた九年になった。

 まさに日本の「教育改革」だが、この六・三制の誕生には教育使節団の報告書が基礎になっている、というのが″通説″である。報告書のなかで使節団は、日本にふさわしい学制として六・三制をうたい、そのあとでGHQがこれを”指針”に日本政府に実施させたというのである。

 使節団の一人であったポールス氏は、どうこの間題を考えていたのだろう。

「人間は大人になるまでの発達領階で、三つのレベルに分かれるが、十三歳から十五歳までが、さまざまな意味でだれもが一番苦しむ時期だ。だから、六・三制の三は非常に重要であって、それは日本とかアメリカとか、またはヨーロッパとかの限定された国家や地域の問題ではなくて、人間の教育のためにそう考えなくてはならないというわけだ。それならば、人間の教育の尊厳にかかわる重大な事柄は(占領軍であるGHQが日本政府に対して)命令するのではなくて、この重要な意味を十分に説明して、六・三制を実施するかどうかについては日本側に任せたほうが良い、というのが私たち使節団の大方の考え方だった。

 だから『やらなくてはいかん』というよりも『そういうふうに解決したほうがいい』というように、使節団報告書には述べることにした。

 使節団が書き上げた報告書は、これからは使節団の手を離れた独自の「報告書Lとして、疲弊の底にある日本の上にかぶさっていく。

 日本の教育のさまぎまな分野に根本的な改革をもたらすであろう、またそのことをアメリカ側が強く期待する「米教育使節団報告書」は、それだけの内容と量をもっている。 日本語に翻訳された報告書の全文は、四百字詰め原稿用紙にしてぎっと二百二、三十枚になり、それはやや薄目の一冊の単行本になる量である。したがって、ここで全文を紹介するわけにはいかないが、幸い当時文部省が翻訳し、それをダイジェストした「要旨」があるので、これも長文ではあるが、読んでいくことにする。また、全訳『アメリカ教育使節団報告書』(村井実訳)があるので併せて利用させていただく。

 報告書は、緒言、序論、一 日本の教育の目的及び内容、二 国語の改革、三 初等学校及び中等学校における教育行政、四 授業及び教師養成教育、五 成人教育、六 高等教育、七 報告書の摘要、付録という構成になっており、各章、たとえば第三章は、教育の諸目的、カリキュラム、教科書、道徳と倫理、歴史と地理、保健と体育、保健教宙、体育、職業教育というふうに細かに項が立てられている。

 そして緒言の中で「使節団は、以下において知られるように、行動に移すべき多くの提案を残すであろう。その大部分は、すでに日本の教育界に強く現れている傾向を支持するものである。少数ではあるが、教育組織自体を大幅に変革するような一連の行動も含まれている。事を進めるためには、教育者の諸グループは、使節団の仕事を受け継いだところから出発して、できるだけ早急に適正な改革を行わねはならない」と、日本の教育改革を強くうながす。

 また報告書が、とりわけて当時の日本の教育界に感動的な衝撃を与えたのは「序論」であった。

「われわれは決して征服者の精神をもってきたのではなく、すべての人間の内部に、自由と、個人的・社会的成長とに対するはかり知れない潜在的欲求があると信ずる、経験ある教育者として来たのである」

「しかし、われわれの最大の希望は子供たちにある。子供たちは、まさに未来の重みを支えているのであるから、重苦しい過去の因襲に抑圧されるようなことがあってはならない」

「われわれは、いかなる民族、いかなる国民も、自身の文化的資源を用いて、自分自身あるいは全世界に役立つ何かを創造する力を有していると信じている。それこそが自由主義の信条である。われわれは画一性を好まない。教育者としては、個人差・独創性、自発性に常に心を配っている。それが民主主義の精神なのである。われわれは、われわれの制度をただ表面的に模倣されても喜びはしない。われわれは、進歩と社会の進化を信じ、全世界をおおう文化の多様性を、希望と生新なカの源として歓迎するのである」「本来、学校は、非文明主義、封建主義、軍国主義に対する偉大な闘争に、有力な協力者として参加するであろう」

「米国教育使節団は、本報告書の作成に当たり日本に本年3月の一か月間滞在し、その間、連合国最高司令部民間情報教育局教育課の将校及び日本の文部大臣の指名にかかる日本側教育者委員、及び日本の学校及び各種職域の代表とも協議をとげた。本報告は、本使節団の各員の審議を基礎として作成し、ここに連合国最高司令官に提出する次第である。」

「本使節団は、占領当初の禁止的指令、例えは帝国主義及び国家主義的神道を学校から根絶すべしというが如きものの必要は十分認めるものではあるが、今回は積極的提案をなすことに主要な重点を置いた。」

「本使節団は斯くすることにより、日本人が自らその文化の中に、健全な教育制度再建に必要な諸条件を樹立するための援助をしようと努めた。」

一、日本の教育の目的及び内容

 高度に中央集権化された教育制度は、仮にそれが極端な国家主義と軍国主義の網の中にとらえられていないにしても、強固な官僚政治にともなう害悪を受ける恐れがある。教師各自が画一化されることなく適当な指導のもとに、それぞれの職務を自由に発展させるためには、地方分権化が必要である。

 斯くするとき教師は初めて、自由な日本国民を作りあげる上に、その役割を果たし得るであろぅ。この日的のためには、ただ一冊の認定教科書や参考書では得られぬ広い知識と、型通りの試験では試され得ぬ深い知識が、得られなくてはならない。

 カリキュラム(教科課程)は単に認定された一体の知識だけではなく、学習者の肉体及び精神的活動をも加えて構成されているものである。それには個々の生徒の異なる学習体験及び能力の相違が考慮されるのである。それゆえに、それは教師を含めた協力活動によって作成され、生徒の経験を活用し、その独創力を発揮させなくてはならないのである。

 日本の教育では独立した地位を占め、かつ従来は服従心の助長に向けられてきた修身は、今までとは異なった解釈が下され、自由な国民生活の各分野に行きわたるようにしなくてはならぬ。

 平等を促す礼儀作法、民主政治の協調精神及び日常生活における理想的技術精神、これらは、皆広義の修身である。これらは、民主的学校の各種の計画及び諸活動の中に発展させ、かつ実行されなくてはならない。

 地理及び歴史科の教科書は、神話は神話として認め、そうして従前よりいっそう客観的な見解が教科書や参考書の中に現れるよう、書き直す必要があろう。初級中学校に対しては地方的資料を従釆より、いっそう多く使用するようにし、上級学校においては優秀なる研究を、種々の方法により助成しなくてはならない」

 ずいぶんと生硬な言葉、例えば「理想的技術精神」などが出てくるが、報告書提出直後の訳文だけに、止むを得まい。

『米教育使節団報告書』の続き。

「保健衛生教育及び体育の計画は、教育全計画の基礎となるものである。身体検査、栄養及び公衆衛生についての教育・体育と娯楽厚生計画を大学程度の学校にまで延長し、またできるだけ速やかに諸設備を取り代えるよう勧告する。

 職業教育はあらゆる水準の学校において強調されるべきものである。よく訓練された職員の指導のもとに、各種の職業的経験が要望され、同時に工芸及びその基礎たる技術及び労働者の寄与に対しては、これを社会研究のプログラム中に組み入れ、かつ独創性を発揮する機会が与えられるべきである。

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