大東亜戦争前

日本が大東亜戦争へと突入した経過は他の章で記述されているのでここでは省略する。

昭和16年(1941年)9月6日の御前会議で大東亜戦争は避けられないものと事実上開戦を決定した。ところがここでひとつ意外な事が発生したという。通常御前会議では陛下は発言しないのが常となっていた。ところが陛下は突如発言をし、統帥部が質問に対して満足に答えないことを叱り、懐から短冊を取り出して一首の和歌を詠みあげた。明治天皇の御製の

「四方の海、みな同朋(はらから)と思う世に、など波風の立ちさわぐらん」と。

{(日本を取り巻く)四方の海はみな同胞と思うこの世になぜ波風がたち、さわぎがおこるのであろう。}

この歌をあえて御詠みになったことからも、昭和天皇は何とか戦争を避けたかったのではないかと考えられる。

大東亜戦争の開戦の詔書

「・・・・抑々東亜ノ安定ヲ確保シ、以テ世界ノ平和ニ寄与スルハ、丕顕ナル皇祖考、丕承ナル皇考ノ作述セル遠猷ニシテ、朕カ拳々措カサル所、列国トノ交誼ヲ篤クシ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ之亦帝国カ常ニ国交ノ要義ト為ス所ナリ今ヤ不幸ニシテ米英両国と釁端(キンタン)を開クニ至ル洵に己ムヲ得サルモノアリ。豈(アニ)朕カ志ナルヤ・・・」                         

 上記、開戦の詔書を何度読んでも、聞こえてくるのは戦争を避けたかったがやむを得なかったという悲痛な叫びである。

 西洋諸国が作り上げる「国際(インタ−ナショナル)社会」は力と力のぶつかり合いを基本原理とする世界である。その力と力のパワーゲームの本質を理解しないで、知らず知らずのうちにそのうずの中に日本は巻き込まれて行ってしまった。

 そうでなければ、敵国に対しての開戦宣言ともいう詔がかようなまで痛恨の念を入れたものになろうか。これを読む度に胸が熱くなってくる。

 昭和天皇に戦争責任があるかどうかについて論議されるところだ。が、責任があると発言している人々は御前会議で御製を御詠みになるかわりに「朕は戦争を欲せず」と一言発言すればよかったと言う。はたしてそれだけであろうか。その当時の国際情勢、国内事情を考慮すると、単に天皇の一言だけで戦争が回避されたとは思えない。日本だけでなく、世界中が戦争へのおおきなうずの中に突き進んで行ってしまったのではないか。

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