第4話 原爆投下の是非

1)原子爆弾の開発

 1945年4月5日、日本で小磯国昭内閣が倒れた後、元海軍大将であった鈴木貫太郎が内閣を発足したのが同年4月7日である。それと時を同じくするように、アメリカでもルーズベルト大統領が死去し、トルーマン大統領が誕生した。彼こそが誰あろう、日本に、いや人類にはじめて原爆投下の命を下した最初の人間である。

 トルーマンは、ソビエトに対して非常に強硬な外交姿勢をとっていた。それは、彼が就任直後に知らされたであろう原子爆弾の存在にあると思われる。

 アメリカの原爆製造計画は、暗号名マンハッタン計画という名のもとに進められていた。マンハッタン計画というのは、1939年8月物理学者アインシュタインの名前で、数人の科学者がアメリカ大統領ルーズベルトに、最新の核物理学の知識を応用すれば、これまで見たこともない強力な破壊力を持つ、爆弾の製造が理論上可能になったことを告げる書簡を送ったことに端を発する。

 やがて、1942年8月に、本格的な原爆製造計画がスタートし、1945年7月16日ニューメキシコ州のアラモゴルド砂漠で、最初の原爆実験が成功している。

 そのころ日本においても、理化学研究所の仁科芳雄博士や、京都大学の荒勝文策博士のところで、原爆製造の実験が試みられていた。しかし、終戦までに完成を見ることはなかった。もちろん、その他の国においても、当時のソ連やドイツにおいても原爆製造の競争をしていたわけであるが、世界で最初に原爆を保有したのは、当時の日本の敵国であるアメリカであった。

[原爆投下トルーマン声明]昭和20年8月6日 ホワイトハウス新聞発表
合衆国大統領の声明
 16秒前、米国航空機一機が日本陸軍の重要基地である広島に爆弾一発を投下した。その爆弾は、TNT火薬2万トン以上の威力を持つものであった。それは、戦争史上これまでに使用された爆弾の中で最も大型である、英国の「グランド・スラム」の爆発力の2000倍を越えるのであった。
 日本は、パールハーバーにおいて空から戦争を開始した。彼らは、何倍もの報復をこうむった。にもかかわらず、決着はまだついていない。この爆弾によって今やわれわれは新たに革命的破壊力を加え、わが軍隊の戦力をさらにいっそう増強した。これらの爆弾は、現在の形式のものがいま生産されており、もっとはるかに強力なものも開発されつつある。
 それは原子爆弾である。宇宙に存在する基本的な力を利用したものである。太陽のエネルギー源になっている力が極東に戦争をもたらした者たちに対して放たれたのである。(中略)
 今やわれわれは、日本のどの都市であれ、地上にある限り、全ての生産企業を、これまでにもまして迅速かつ徹底的に壊滅させる態勢を整えている。われわれは、日本の戦争遂行能力を完全に破壊する。
 7月26日付最後通告がポツダムで出されたのは、全面的破壊から日本国民を救うためであった。彼らの指導者は、たちどころにその通告を拒否した。もし彼らが今われわれの条件を受け容れなければ、空から破滅の弾雨が降り注ぐものと覚悟すべきであり、それは、この地上でかって経験したことないものとなろう。この空からの攻撃に続いて海軍及び地上軍が、日本の指導者がまだ見たこともないほどの大兵力と、彼らにはすでに十分知られている戦闘技術とをもって進行するであろう。

2)ポツダム宣言

 アメリカにおいて、最初の原爆実験が成功する少し前に、ヨーロッパでは1945年5月にドイツが連合国側に無条件降伏をし、ヨーロッパにおける戦争は終結した。そこで連合国側は、ベルリン郊外のポツダムにおいて、トルーマン、チャーチル、スターリンの米英ソ、三首脳が会談し、日本に降伏を呼びかける「ポツダム宣言」が造られていた。内容は、日本政府が「大日本帝国軍隊の無条件降伏を宣言する」か、もしくは「迅速かつ完全なる壊滅」か、2者択一を迫る厳しい通告であった。

 しかし、このポツダム宣言が、米英ソの三国の名前で発表されず、米英中の三国の名前(トルーマン・チャーチル・蒋介石)によって発表されてしまったことが、事実上日本への原爆投下への遠因となってしまった。もし、ソ連の名前があれば、当時の日本政府はソ連が日本に参戦してくるものと思い、すみやかに戦争終結への道を探っていたかもしれない。ポツダム宣言の中にソ連の名前が無かったために、政府及び軍部は、まだまだ本土決戦なら充分戦えると思い(実際本土には、580万人の軍隊があった)少しでも有利に戦争を終結するために、「ポツダム宣言」を無視してしまった。そして、「本土決戦一億玉砕」の道を選択してしまったのである。

3)原爆投下―広島・長崎

 1945年8月6日広島に、9日長崎に原爆が投下された。広島と長崎の原爆は種類の違うものであり、広島にはウラニウム爆弾を、長崎にはプルトニウム爆弾を落としている。このことからも、アメリカは日本を原爆の一実験場所としていることがうかがい知れる。それでは、何故アメリカは日本に原爆を落としたのであろうか、後のトルーマン大統領は、「本土決戦で失われる100万人以上の米軍の犠牲を回避し、戦争を早期に終わらせるためであった」と述べている。また、ブラケットというイギリスの学者は、「原爆投下は、第2次世界大戦の最後の軍事行動というよりも、ソ連との冷たい外交戦に対する最初の大作戦の一つであった」と述べているように、まさに当時のアメリカ政府は、人道的な道義や道徳、人命の尊重といったものよりも、自国の国益のみを優先されるために人類史上類を見ない無差別殺人を行なったのである。

 このこと自体が、西尾幹二著「国民の歴史」にもあるように、日本人をモルモットにしたアメリカの実験は、ナチスの犯罪と同じ「人道に対する罪」の範疇に入るのであって、普通の「戦争犯罪」と言えないのである。

 そして原爆は、数多くの一般市民を殺傷せしめ(広島―14〜15万人、長崎―7〜8万人)地域社会を崩壊させた。これは日本そのものを崩壊させたといえる。

4)原爆投下の是非

 ソ連の対日参戦により、日本は「ポツダム宣言」を受諾し終戦をむかえる。

東京裁判(極東軍事裁判)において、アメリカの原爆投下という人類史上類をみない無差別殺人に関して、何ら国際法上の裁きもみずに今日に至っている。ヘーグ条約は、何処に行ったのか?何のための国際法であり、国際社会なのか。ともかく全て戦勝国は許されてしまうのであろうか。アメリカが日本の本土に行なった東京大空襲にみる、無差別な爆弾の投下は許されたままで良いのであろうか。また、その後ベトナム戦争で行なった、「枯葉剤」を使用した化学兵器の使用も許されて良いのであろうか。いや、そのようなことは無いはずである。どのように捉えても国際法違反であり、断罪されてもしかるべき行為である。

 しかし、今日まで世界的に、何の手立てもとられてこなかったことが、現在の核開発を許してしまった。そして、米、英、ソ、中、仏、印、パといった国のみが、間違ったことをしているという意識なしに、核実験を繰り返し、今では地球そのものを消し去るほどの核爆弾を、人類が地球上に持ってしまっているという状況を生み出している。日本は、世界中で唯一の被爆国として、もっと発言を強固に、世界に伝えていかなくてはならないはずである。原爆の投下が是か非であるかといえば、非であろう。しかしながら、一方では日本は、原爆投下を受けた敗戦国でありながら、イデオロギーによってドイツや朝鮮のような分断国家になることなく、自由主義体制のもと単一国家として今日に至っている。これは事実として、認識しておく必要があるであろう。

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