7)中国が血相を変えて言論弾圧をしかけてくる理由は

 産経新聞朝刊(平成12年1月30日付)によると、『大阪国際平和センターで市民団体が二十三日に開いた「二十世紀最大の嘘『南京虐殺』の徹底検証」と題する集会と、日本の最高裁が名誉毀損裁判で、被告の東史郎氏が自著の『わが南京プラトーン』で記した上官の残虐行為には根拠がないとする二十一日に下した判決」に対して、『自国の主張(注:中国側)への疑問提起は日本政府が「言論の自由」「集会の自由」「司法の独立」をも無視して全面的に抑えることを求めている』と報じた。同新聞はこれほどの大規模な攻撃の背景を、「日本はいくらたたいても、たたきすぎるという非難はどこからも出ない悪役的対象のため、汚職、失業などの他の諸問題から一般の関心をそらすには日本攻撃は便利と見られる」と、対内的な目的にも使われていると分析している。

 中国にはそもそも言論の自由というものはなく、言論を統制するのは当たり前のことであるが、ここは日本である。法律によって言論の自由は保証されている国だ。そのことはよくわかっているはずだが、いったい何がそうさせたのだろうか?

いまもって、事の真偽を確証できない。にもかかわらず、中では荒唐無稽な虚言が続いている。・・・海外に住む反日中国人、とくにその大本営である在米反日中国人の各団体は、裏で中国政府関係者をはじめとする各方面からの巨額の運動資金を動かして、しきりに米有力紙に反日全面広告を出し、反日キャンペーンを張った。しかし、南京大虐殺について偽造や偽証があまりにも多すぎるため、中国人の間でもその真偽を疑う人は多い。・・・私はかつて、南京のある大学教授に・・どう思うかと聞いたことがある。氏はすぐに、(こけおどしだよ)と即答した。これまで、多くの証言や南京大虐殺の映画などが世間に発表されたが、東中野修道教授と鈴木明氏の二人の著作に勝るものはない。」(『「龍」を気取る中国「虎」の威を借る韓国』黄文雄)

 東中野氏の論文がよほど警戒されているのだろうか。これはまさに「情報戦争」の様相を呈する。筆者はその論文について何ら評価を与える資格を持たないが、情報戦争の原因と考えられる論旨を紹介したい。

8)『「南京虐殺」の徹底検証』(東中野修道著)の代表的な点を箇条書きで紹介する

第1級資料として、

1.『伝統ある英字年鑑「チャイナ・イヤーブック」一九三八年版は、・・「十二月十三日、日本軍南京占領」と記す。それだけであった。』

2,『毛沢東の有名な「持久戦について」(筆者注:講演 南京陥落後半年後)は、・・@南京の日本軍は支那兵を殲滅しなかった。Aそのため、支那軍は助かった。B逃げ延びた支那軍は再び勢力を再結集して、日本軍に反撃することが出来た。・・。Dだから日本軍の戦略はまずかった。

3,『蒋介石は、一九三八年七月七日、漢口で、「友好国への声明」と「日本国民への声明」を発表する。・・読んでみると、・・南京虐殺ではなく、広東残虐事件(?)なるものであった。』

9)チベットと南京大虐殺

 「赤い中国に祖国チベットは破壊された」。チベット仏教カギュー派の最高位活仏カルマパ17世(14歳)は、側近と家族を残し遠くヒマラヤ越えをして命がけでインドへ亡命した。この彼の命がけの言葉は、「チベット自由と人権の集い(チベット強制収容所の惨劇が今明らかに!)」(東京:平成11年12月11日、大阪:平成11年12月12日)日本で開催された集会の中の、拷問・虐殺の証言内容を裏付けるものではないだろうか。

 アメリカに続いて、「欧州議会が人権弾圧非難決議採択」(産経新聞朝刊平成12年2月2日付)を行った。チベットでの人権弾圧もしくは拷問・虐殺(「チベット女性戦士が語る中国獄中生活の28年間」『正論』2000年3月号)について共通の認識を持ち始めたようだ。

 しかし小林氏の指摘どおり、日本のマスコミを見ていると全くその認識を持てない。と言うより、チベットの平和な写真を掲げ何事もない印象を伝える新聞があったり、NHK衛星放送で中国の肝いりらしい穏やかで美しいチベットの様子を放送しているのを見ていると、どうしても世界の認識とずれが生じてしまう。なぜだろうか。「かつて日本のマスコミはモスクワ派が多かったが、その後、北京派が多くなり、現在も北京派は強い。そのせいか、コンセンサスとは北京に聞くことだと思いこんでいるようだ」(『台湾の主張』李登輝著)。だから真実が伝わらないのだろうか? カモフラージュのための南京大虐殺なのか?日本に好意的な外国の人たちに無視を決め込む。それはあきらかに中国の人権侵害を容認すると言うことになる。日本のマスコミと北京政府。いったいどうつながっているのか。

 日本を訪問したダライ・ラマ14世や、これから訪問するであろう李登輝前総統に対して、日本の外務省の対応に注目したい。

10)いつから教科書に記述されるようになったのか

 上杉千年氏によれば、「南京事件」の初見は終戦後に使用された『時事問題』という教科書に認められたが、まもなく姿を消していったという。昭和30年代に入ると、戦前の日本の姿を暗黒に捉える歴史記述が社会科歴史の教科書に現れるようになり、その結果、昭和33年、43年と教科書の偏向の大本をただす意味での学習指導要領改訂が行われ、少しずつ改善の方向に向かっていた。しかし「南京事件」の名称は、昭和40年頃から再び教科書に登場するようになってきたらしい。そして、昭和52年の学習指導要領で、これまでの改訂努力を一挙に崩すような改悪改訂が行われ、これを機に教科書も再び偏向の度を強めることになった。その後教科書「侵略」「進出」をめぐる大誤報事件(昭和57年6月26日)が起きて、宮沢喜一官房長官が「政府の責任において、近隣諸国の批判を受けた教科書の記述を是正する。今後の教科書検定では、検定基準を改め、近隣諸国との友好、親善が充分実現するように配慮する」という談話を発表し、検定基準にいわゆる近隣諸国条項ができてから、文部省の姿勢が180度転向してしまいました。文部省は、「南京事件」については、原則として、同事件が混乱の中で発生した旨の記述を求める検定意見を付さない」(昭和57年12月6日)という新方針を策定して以来、南京事件については書き放題という状況になった。それ以前の記述は「ナンキン虐殺事件」(東京書籍 中学 昭和56年度版)であったが、「ナンキン大虐殺」(昭和59年度より)の記述になり「中国では、この殺害による犠牲者を、戦死者も含め、30万以上とみている」と書くまでに至った。

11)近隣諸国条項と南京事件・従軍慰安婦

 近隣諸国条項について藤岡信勝氏はこう指摘している。

「南京事件」や「慰安婦問題」などを書くように指定した記述は、学習指導要領のどこにもない・・・しかし、・・日教組支配の現場の社会科教師の意向に迎合して、「慰安婦強制連行説」を教科書に書き込むなどのことをしてきた。・・・教科書行政に対する中国・韓国による内政干渉事件を契機に、・・検定基準のなかに全く異質で政治的な性格を持つ次の一項目が付け加えられた。

「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がなされていること」(強調・下線は筆者)

 これが世に言う「近隣諸国条項」である。・・・かりに近隣諸国条項が存続するもとでも、それは「まともな教科書」が誕生することの妨げにはならないということである。・・近隣諸国条項があるために「南京事件」や「慰安婦問題」を書かなければならないと思いこんでいる人がいる。それは誤解である。・・学習指導要領に根拠を持たない限り、新たに何事かを「書かせる」ことはできないのである。たとえば近隣諸国を誹謗中傷するかのような記述は近隣諸国条項でチェックできるが、近隣諸国条項を根拠に「南京大虐殺三十万人」説を教科書に書かせるなどと言うことは出来ない。この四月から、平成十四年度に使用開始となる中学校用教科書の検定作業が始まる。教科書改革のためには文部省における検定制度の適正な運用が第一の前提条件である。』(産経新聞朝刊2月3日付)。

 南京事件は、学術的に冷静に検証され、議論されなければならない問題である。教科書の記述は、学術的でなければならない。日本政府がサンフランシスコ講和条約で南京大虐殺の判決を承諾しサイン(東京裁判の判決に政府として異議をたてない)したのは、敗戦国としての外交、政治的なものであった。東京裁判をまともな「裁判」と仮定した場合にのみ、法的制約を受けると思うが。戦争にいつまで負けていればいい?

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