教科書会社が記述した根拠を調べれば・・・

 従軍慰安婦強制連行を記述する根拠について、河野洋平内閣官房長官の談話や吉見義明教授の論文を根拠とすると、ある教科書会社が文書で説明したらしい。吉見論が崩壊していることは、説明したとおり。以下河野洋平談話の内容を抜粋する。

  今時の調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は当時の軍当局の要請により設置されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安所の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意志に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。・・・」(「歴史教科書との15年戦争」)

 当時副官房長官であった、石原信雄氏は97年3月9日の産経新聞朝刊でこう述べている。

河野氏は調査の結果、強制連行の事実があったと述べているが

「随分探したが、日本側のデーターには強制連行を裏付けるものはない。慰安婦募集の文書や担当者の証言にも、強制にあたるものはなかった」

一部には、政府がまだ資料を隠しているのではという疑問もある

「私は当時、各省庁に資料提供を求め、(警察関係、米国立公文書館など)どこにでもいって(証拠を)探してこいと指示していた。薬害エイズ問題で厚生省が資料を隠していたから慰安婦問題でも、というのはとんでもない話。あるものすべてを出し、確認した。政府の名誉のために言っておきたい」

ではなぜ強制性を認めたのか

「日本側としては、できれば文書とか日本側の証言者が欲しかったが、見つからない。加藤官房長官の談話には強制性の認定が入っていなかったが、韓国側はそれで納得せず、元慰安婦の名誉のため、強制性を認めるよう要請していた。そして、その証拠として元慰安婦の証言を聞くように求めてきたので、韓国で十六人に聞き取り調査をしたところ、『明らかに本人の意志に反して連れていかれた例があるのは否定できない』と担当官から報告を受けた。十六人中、何人がそうかは言えないが、官憲の立ち会いの下、連れ去られたという例もあった。談話の文言は、河野官房長官、谷野作太郎外政審議室長、田中耕太郎外政審議官(いずれも当時)らと相談して決めた」

聞き取り調査の内容は公表されていないが、証言の信憑性は

「当時、外政審議室には毎日のように、元慰安婦や支援者らが押しかけ、泣きさけぶようなありさまだった。冷静に真実を確認できるか心配だったが、在韓日本大使館と韓国側と話し合い、韓国側が冷静な対応の責任を持つというので、担当官を派遣した。時間をかけて面接しており当事者の供述には強制性に当たるものがあると認識している。調査内容は公表しないことを前提にヒアリングしており公表はできない」

韓国側の要請は強かったのか

「元慰安婦の名誉回復に相当、こだわっているのが外務省や在韓大使館を通じて分かっていた。ただ、彼女たちの話の内容はあらかじめ、多少は聞いていた。行って確認したと言うこと。元慰安婦へのヒアリングを行うかどうか、意見調整に時間がかかったが、やはり(担当官を)韓国へ行かせると決断した。行くと決めた時点で、(強制性を認めるという)結論は、ある程度想定されていた」

それが河野談話の裏付けとなったのか

「日本側には証拠はないが、韓国の当事者はあると証言する。河野談話には『(慰安婦の募集、移送、管理などが)総じて本人たちの意志に反して行われた』とあるのは、両方の話を総体としてみれば、という意味。全体の状況から判断して、強制に当たるものはあると謝罪した。強制性を認めれば、問題は収まるという判断があった。これは在韓大使館などの意見を聞き、宮沢喜一首相の了解も得てのことだ」

談話の中身を事前に韓国に通告したのか

「談話そのものではないが、趣旨は発表直前に通告した。草案段階でも、外政審議室は強制性を認めるなどの焦点については、在日韓国大使館と連絡を取り合って作っていたと思う。」

韓国側が国家補償は要求しない代わり、日本は強制性を認めるとの取引があったとの見方もある

「それはない。当時、両国間で(慰安婦問題に関連して)お金の問題はなかった。今の時点で議論すれば、日本政府の立場は戦後補償は済んでいるとなる」

元慰安婦の証言だけでは不十分なのでは

証言だけで(強制性を認めるという)結論に持っていったことへの議論があることは知っているし批判は覚悟している。決断したのだから、弁解はしない」

 慰安婦問題は、「強制性を認めれば、問題は収まるという判断があった」の一言につきている。

 しかし当の河野洋平氏本人は、平成1110月5日の外相就任会見において「物理的証拠や、本人の他の人にはわかり得ない話などを踏まえて発表した。確信を持っている」(10月6日付 産経新聞朝刊)と述べている。本人にしか分からない話を、いったい誰が正しいと判断するのか。裏付けのとれない証言は、冤罪を生むのではなかったか政治家が国を守らないで誰が国を守る?政治家が国を守らないで誰が国を守る? 戦争に負けてから、旧日本軍には人権そのものがないのだろうか。世界は、この政府発表をもとに「従軍慰安婦強制連行説」を事実と認識している。

98年4月27日山口地裁において国に支払い命令の判決を言い渡した。判決理由が、河野発言をもとに「国会が立法措置を講じなかったのは違法」は、全く根拠にならない。)

 

<教育的品位>

 売春行為が、子供達に教えなければならない悪いことであるとした場合、外国の事件はなぜ取り上げないのだろうか。GHQが占領軍のための慰安所の設置を、早い時期に日本政府に命令したこと。1965年韓国が北ベトナムに31万人を派兵したとき、50007000人の混血児を現地に残してきたこと。第2次対戦末期のソ連軍は、ベルリンで大規模なレイプ(半公然)を繰り広げ、全世界の50%が強姦に遭い、堕胎を禁じた刑法を守るべきかどうかで議論された。また満州から朝鮮半島経由で博多へ引き上げてきた日本女性のソ連軍レイプによる妊娠者は、博多の特別診療所で堕胎した。そういうことをなぜ書かないのか疑問が生じてくる。自虐の要素のない事柄は、教科書に載せる必要がないのか。性処理に関する内容は、高校生ならまだともかく、中学生という年齢の子供達に教えることだろうか? 「慰安婦」を説明できるのか? それが本当に人間教育になるのか? 秦氏はこう述べている。

もう一つの論点である、慰安婦を教科書に載せるべきかどうかという問題ですが、私はこれを品位の問題として考えたい。載せるべきだという人たちのグループに尋ねたことがあります。では、小学校の教科書にも載せますかと。そうしたら、誰も答えない。事実なんだから載せろ、とはさすがに言わなかった。教育的配慮とか品位とか考える必要がある。中学でも同じです。(前掲)

 慰安婦問題によってマスコミと歴史教科書に共通する性質があることに気づく。自虐的内容なら事実確認しないでも安易に記載し、もはや既成の事実と錯覚させてしまう。しかし慰安婦問題は、自虐教科書追求のきっかけを作り歴史教科書に強い関心を持たせてしまい、自虐教科書の内容が衆目にさらされ、取り返しのつかない事件となってしまったのである。今回の副読本がこうして生まれたのも、「従軍慰安婦強行連行説」の創作のおかげともいえよう。新聞のほとんどは(産経新聞以外)、いまだに慰安婦強行連行説に立っている。今までなら誰も騒ぎ出さなかった。しか今回は別だ。

昭和一八年に韓国の済州島で慰安婦の奴隷狩りをしたという著者の「証言」を、朝日は何の検証もせず論説委員が手放しでほめそやした。それが全くの作り話であったことが暴露されてからも朝日は、この大誤報についてただの一行も訂正記事も読者への謝罪も行っていない。朝日はいつまで、こうした醜悪・卑劣な「朝日の正義」を貫くつもりなのか。(1998年8月8日 産経新聞朝刊 藤岡信勝)

 朝日は、「論座」の中で訂正したつもりなのだろうか? 筆者にはわからない。

 以上学術的・教育的検証の結果、従軍慰安婦強制連行説には、すべてにおいて根拠はなく、教科書に載せる必要性は全くない。政治的な解決を根拠にして、子供たちに不必要な原罪を押しつけてはならない。一般的に教科書に書かれていることは、間違いないことが書かれていると思われがちである。今後はそのような考えは改めたほうが良さそうである。

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