2)被害者は、どういう人たちか。

 当初新聞での被害証言は、こういうものだった。

「強制連行された私が生きているのに、なぜ強制連行が無いというのか」(ソウル在住の黄錦周さん)「最大の問題は、・・・強制連行されたという元慰安婦の方々の証言を誠実に検討すべきだ」(吉見義明)(平成4年7月7月付け朝日新聞)

「釜山鎮駅前で日本の警察に連行された」「家に軍人二十人がやってきて銃剣を突きつけた。強制的に軍用トラックに乗せられ、倉庫に押し込められた」(平成4年7月31日 韓国政府による中間報告)

 この証言らしき内容について後に触れるが、裏付けのとれていないものと考えられる。
 1973年に出版された『従軍慰安婦』(千田夏光著)で初めてこの用語が使われるようになり、1983年には加害者証言とされる『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(吉田清治著)が出版された。

 平成3年(1991年)8月に元慰安婦、金学順(個人)さんが名乗り上げ、「従軍慰安婦裁判」の第1号原告となった。金学順さんの裁判資料を見てみよう。(下線は著者)

 1923年中国東北(満州)の吉林省に生まれたが、生後まもなく父が死亡したので平壌(ピョンヤン)へ戻った。母は家政婦などをしていたが、貧困のため学順は小学校を4年で中退、金泰元の養女となり、14歳からキーセン(妓生)学校に通った。
 1939年、「金儲けが出来る」と説得され、養父に連れられ中国へ渡った。北京を経て鉄壁鎮という小集落で養父と別れて慰安所へ入れられ、日本軍兵士のための性サービスを強要された。軍医の検診があった。同じ年の秋、知り合った朝鮮人商人(趙某)に頼んで脱出し、各地を転々としたのち、上海で夫婦になった。
 フランス租界で中国人相手の質屋をしながら生活、二人の子を得て終戦の翌年、韓国へ帰った。朝鮮戦争中に夫は事故死、子供も病死し、韓国中を転々としながら酒、たばこも飲むような生活を送った。身よりのない現在は政府から生活保護を受けている。
 人生の不幸は、軍隊慰安婦を強いられたことから始まった。日本政府は悪かったと認め、謝罪すべきである。(『諸君』1996.12「慰安婦『身の上話』を徹底検証する」秦郁彦著)

 実に不幸な人生である。同情する。しかし内容について、いったいどこに問題の強制連行があったのか、何に対して日本政府が謝罪するのかという疑問を持ってしまうのではないか。そしてもう一つ大事なことがある。

 平成3年8月の段階で朝日新聞は、元慰安婦として初めて名乗り出た金学順さんを紹介しているのだが、韓国での証言に含まれていた「キーセン」(公娼)出身とは書かずに、「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」たと日本に伝えた。これは悪質な、意図的な情報操作と言える。『新ゴーマニズム宣言』第4巻(P140)に詳しい。

 偽証の出来ない裁判の訴状内容を読んで分かることは、意志に反して行われたとしたら、親が貧しさのために子供を売ったという悲しい経済・時代背景ゆえに起きたことである。日本でもあった話である。

 「論座」(朝日新聞社1999,9 「歴史論争を総括する」秦 郁彦教授・千田夏光氏の対談)の中で従軍慰安婦問題について論議されているので、次に紹介する。

  (千田)訴訟を起こした金学順さんの講演記録を読むと、軍による強制連行だったかどうかは不明確なんです。ご両親が離婚して、母親がおじさんに預けて、そのおじさんが彼女を業者に売った。軍が引っ張ったんじゃなく、業者が連れて行った。すると、軍による強制連行かどうか判然としないんです。
 (秦)そうですね。金さんの場合は軍の関与がはなはだ曖昧なので、私は担当の高木健一弁護士に「もう少し説得力のある人はいないのか」と尋ねた。そうしたら「今探しに行って戻ったところです」というので、私なりにチェックしてみたら、合格点をあげられる原告は一人もいなかった。

 この問題は日本人が火をつけに回ったのだ。物理的な強制連行で連れてこられた被害者は無く未だにだれ一人としてまともな被害者がいないということである。

 

強制連行の加害者証言の信憑性

 軍の命令で慰安婦狩りを行った体験談を語る唯一の加害証人は、『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(三一書房)の著者吉田清治氏である。韓国の済州島へ行き現地の軍人達と次のように強制連行したと述べている。

  翌日から徴用隊は慰安婦の狩り出しを始めた。・・・私は直ちに部落内の狩り出しを命じた。路地に沿って石塀を張りめぐらせた民家は戸が閉まっていて、木剣を持った兵隊が戸を開けて踏み込んで女を捜し始めた。・・・隊員や兵隊達は二人一組になって、泣き叫ぶ女を両側から囲んで、腕をつかんでつぎつぎに路地へ引きずり出してきた。若い女ばかり八人捕らえていた。・・・」

 吉田証言は朝日新聞やテレビ朝日にたびたび登場したが、内容に疑問を持った方々(中村粲氏、板倉由明氏、上杉千年氏ら)の検証によって、軍の命令系統から本人の経歴まで全てが嘘であることが判明した。秦郁彦氏は、唯一場所と時間が特定されている済州島へ現地調査に出かけたが老人たちに聞いても完全否定され、すでに調査を行っていた『済州島新聞』の女性記者にも「何が目的でこんな作り話を書くのか?」と聞かれる始末であった。この問題には、第三者としての証言者がいないということである

秦郁彦氏


 つまり多くのテレビ・新聞・マスコミはこの作り話を検証もせず持ち上げ報道し、無責任に世論をあおり立て、間違いなく日本を慰安婦強制連行で謝罪に追い込んだのだ。加害証言が嘘とわかり、軍の関与した証拠が日本や韓国で何年たっても見つからず、未だまともな被害者も、第三者の証言もないような現状況を取り繕うかのように、吉見氏は「狭義の強制性」(強制連行)ではなく「広義の強制性」(選択の自由がないなど)が問題なんだと、完全に崩壊した問題を、無理矢理こじつけてすり替えるようになった。この国はどこかの国と違って、何と言論の自由が保証された国であろうか。

「広義の強制性」とは広い意味で、物理的強制は無かったが、自分の意志に反してなかば強制的に仕事をさせられていたという、現在多くの人が抱える実情と違わない内容のことなのである。問題は、物理的強制があったか無かったかそれのみ

 前述の朝日新聞社の「論座」で秦氏は吉田証言についてこう述べている。

  吉田清治という人の「証言」が慰安婦問題に与えた悪影響は、計り知れないほど大きいわけです。朝日新聞などは何度も彼の話を取り上げましたが、私は済州島や下関にも出かけて調べてみて、全くの作り話だと判断しました。じつは、吉田老人とは時々話していて、先日も「強制連行の話は小説でしたと声明しませんか」とすすめたんですが、「私にもプライドがあるし、そのままにしておきましょう」との返事でした。

 また秦氏は強制連行についてこう述べている。

  論争の焦点になるべきは、実質的に強制かどうかではなくて、物理的な強制連行の有無でしょう。そうしないと、ある世代の全員が「強制連行」になりかねない。

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