6)共産主義の歴史観とは何か

 平成2年(1991年)のソビエトの崩壊は、共産主義の総本山の崩壊であり、日本国内では運動の方向を失った共産主義者(社会主義者)が、今度は反日という方向、すなわち日本の文化と伝統、あるいはその象徴としての天皇陛下の存在を攻撃する方向へ運動転換した。すなわち、天皇陛下の股肱である旧日本軍人の行為を作為的に貶めることによって、日本の尊厳を破壊しようと企てたのであった。そこには如何なる軍隊の命令も上官から来るのであり、上官の上官は、行きつくところ天皇陛下である。つまり、如何なる大虐殺も天皇陛下の命令であると言う理屈である。

 この目的の為に、如何なる新聞よりも書物よりも、学校で使われる「歴史教科書」を利用することが、最も効果的であることに彼らは目をつけたのである。社会経験が少なく、先入観のない子供のうちに、国を憎み天皇を憎む思想を植え込むことが共産主義的思想を最も効果的に広めることができると考えたのである。特に平成8(1996年に文部省検定を受けた教科書からこの傾向は一層顕著となり、この代の教科書から「駄目なのは軍人だけではなく、民間人も悪かった。日本全体が罪深い国である。」と言う論調に進化(?)した。

 

 まず、GHQと戦前には弾圧されていた共産主義者が手を組んだ(敵の敵は味方ということ)。次に共産主義者が韓国や中国の「反日思想を、日本の伝統を破壊する目的で利用する」という手法を取った。(たとえば従軍慰安婦の問題は、九州の左翼活動家が、平成元年(1989年)に韓国へ行って「訴え出る女性をわざわざ募集」したことで始まったのである。)
 和をもって尊しとなす日本人の態度は、時として外交上のとんでもない誤解と不利益を生む。宮沢喜一、河野洋平、村山富市、これら政治家のその場しのぎの対応と自己満足にすぎない正義感が、日本の将来にとって取り返しのつかない禍根を残したことを、我々は長く記憶するだろう。

教科書問題を理解する為に、共産主義の歴史観を簡単に記す。

@ 未来を理想化し、人間を進歩した未来人間に改造せねばならぬとする。

A そのため逆に、現在および現在の基盤となった過去を否定する。

B未来の人間は、過去の人間よりも進歩していると言う前提の為に、共産主義では、後続の世代による先行の世代への「批判」が永遠に繰り返される。

C親子関係を含む社会の絆を否定し、「個」としての存在を強調する。

Dルソーもマルクスも、文明以前の未開社会(原始社会)を理想としている。

Eいかなる精神的、宗教的権威も否定する。

F世の中の動きを全て「階級闘争」と言う仕組みで説明しようとする。

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