(3)戦争に負けるということは、全てを失うこと。したがって、日本は歴史を失った。

 戦後日本は、アメリカ製の日本の歴史を受け入れなければなりませんでした。日本の立場や歴史観から生まれた「大東亜戦争」を禁止し、連合国側の呼称である「太平洋戦争」を強制的に受け入れさせられました。全ての情報はアメリカの検閲下にあり、アメリカが作成した日本の歴史「太平洋戦争史」は、罪悪感を浸透させ東京裁判を受け入れさせるために使用されました。緻密に計画的に徹底的に行われました。全国紙の新聞各社やラジオ(『真相はこうだ』)、映画(観客合計約千五百万人)など、もちろん教科書も、どこを見てもアメリカに都合のよい歴史を植え付けたのです。この経緯は『検証 戦後教育』に詳しい。『国民の歴史』の著者西尾幹二氏は、なぜ日本にウォーギルト・インフォメーション・プログラムが必要だったのかを、次のように述べています。

・・終戦の日から二週間たってなお、新聞はこのように公然と「戦意」を表明していた。・・・これが国全体をおおっていた空気であった。日本は悪いことをしました、連合軍に謝らなければなりません、天皇は戦争責任者でした、などという感情は毛の先ほどもなかったし、またあるはずもなかった。・・・罪悪史観の押しつけ、これは占領軍が進駐した九月初旬からぼつぼつ始まった。占領政策の一環として日本人に戦争犯罪を意識させる洗脳教育が必要であることが、欧米の新聞では公然の論調となっていくが、そのそもそもの始まりは、日本側が無言の裡に示していた「不服従」の表情が引き起こした反応である。                         (『国民の歴史』)

  消えない戦意と不服従が日本を取り巻いていた。だから戦勝国は敗戦国に戦争犯罪の罪悪感を植え付ける必要性が生じたのだと指摘しています。そして、ミズーリ艦上降伏文書調印式のトルーマン大統領の演説(『国民の歴史』p647)の中に、現在の自虐史観への源を見いだせると指摘しています。

・・・戦後われわれ日本人がずっと耳に馴染んできた言葉づかい国家悪に対する個人の自由ファシズムに対する民主主義軍国主義に対する平和主義といった、・・・われわれは戦後、まるで敵国の大統領の与えた言葉で、自分の歴史を裁いてきたかのごとくである。  (『国民の歴史』)

 戦前の世界の状況はどうであったのでしょうか。世界は帝国主義がしのぎを削り、アジアの殆どが白人帝国主義の中で最底辺の植民地(インドネシアは350年間オランダによる支配)でしかありませんでした。日本人だけが、小柄な体で経済・武力とも白人と対等で同じ事をしていました。彼らから見て心底から許し難い存在ではなかったでしょうか。アメリカにとれば(白人全部?)アジア人・アフリカ人は、インディアンと同じ「猿」(アメリカ軍のプロパガンダ)に属していたそうですから、日本人に対し罪の意識を抱かず虐殺を行えたのでしょう(「南京大虐殺記述について」所収「リンドバーグの日記」参照)。ただし日本人に対してだけは「侮辱」の念とともに、「強力な陸海軍と帝国政府」が背後に控えていたので、同時にかなりの「驚異」でもあったようです。日本軍が悪い事をした報いとして原爆を投下したのではなく、白人世界の秩序をもとに戻しただけなのです。「日本の敗退後、英仏蘭はただちにアジアに戻ってきて、植民地帝国主義を再開」しました。アメリカの主張した正義も、こういう植民地帝国主義でしかなかったのでしょう。

 アメリカ政府の命令通り二度と対等にならないように、復讐心を持たせないように、武装解除をした後、心の武装解除が7年間徹底的に行われました。西尾氏が指摘する日本人の不服従に対して、『戦争犯罪洗脳計画』、『東京裁判』が行われ、『占領憲法』『教育基本法』が作られたのです。その結果「アメリカに負けて良かった」とさえ言わせることに成功したのです。戦争が終わったという安堵の中、価値観はコペルニクス的転換を遂げました。しかし、歴史と誇りが愚民化のなかに完全に消えていってしまっていることを国民の多くが自覚していませんでした。「一国の人々を抹殺するための最初の段階は、その記憶を失わせること・・その歴史を消し去った上で、誰かに新しい本を書かせ・・発明すること」(『笑いと忘却の書』ミラン・クンデラ)であり、その成果によって、アメリカの後顧の憂いである復讐心は消えました。当然それまでの日本側の言い分は否定され、英雄、子供の教育に必要な、生きる理想となる具体的な人間像さえも無くしてしまいました。つまり日本が独立自尊の精神を喪失したのです。戦争に負けると言うことは実にこういうことで、武力で負けただけなのに、精神の気高さで負けたのではなかったのに、日本人の精神と歴史が悪のように否定されたのでした。戦後の日本とは戦勝国による愚民政策、植民地の一つの形態ではないでしょうか。負けたのですから当然です。でもその後50数年間も負け続ける必要があるのでしょうか?
 戦後処理が行われたのは、アメリカにおいて黒人に市民権も公民権もまだ無い、白人にのみ自由の国であった時代です。

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