死竜再び

「ねぇねぇ、そんなに急いでどこ行くの?」
 この大破壊を免れて聳え立つ政庁。その門の前に立ち塞がったのは、先ほどティアナを置いて去ったシャリだった。
「退け、邪魔をするな」
 リオラは彼女に似つかわしくない、低く殺意の篭った声でそう告げた。
 隣のヒューゴが思わず口笛を吹く。彼が驚嘆するほどの殺気が彼女から放たれているのだ。
 暴走気味のリオラの様子に、ヴァイディアスは舌打ちする。別段この場でシャリやティアナを吹き飛ばしてくれるというのなら―――個人的感情は別として―――何ら問題はないが、それではヒューゴが黙っていないだろう。
 だが、彼女の狙いはシャリではない。そのことさえわかれば対処自体は簡単だ。
「ヒューゴ……お前の担当だからな?」
「わぁってるって」
 ヴァイディアスの念押しに、ヒューゴが何時でも割って入れるよう身構える。指針さえあれば彼はリオラが動く前にシャリの前へ飛び出せるだろう。
 次いで、セラへ視線を送る。リオラを抑えろという意図だったが、セラはそんなことは言われなくてもわかっているとばかりに顔をしかめた。
 リオラの周囲にはすでに魔力による気流が出現している。ヴァイディアスの闘気のように視覚的には顕現していないが、危険度は同程度なのは周知の事実だ。
「怖いなぁ、もう。ちょっとぐらい僕にもつきあってよ。いいもの見せてあげるからさ」
 クスクスと忍び笑いを漏らすシャリに、リオラの柳眉が吊り上がる。
 その頃、ようやくヴァイディアスたちはリオラに追いつく。それを見届けるかのようにシャリはヴァイディアスのほうへ一度だけニヤリと笑った。
 シャリが大仰な動作で、腕を振るった。
 虚空より闇が生まれる。最初霧のようだったそれらが一瞬にして濃縮され、わだかまる。それも僅か数秒のこと、その内より巨大な何かが立ち上がり、その背の巨大な翼が闇を振り払って出現する。
 天高く吼える声は音にはならない。何故ならば、その声帯はすでに失われているから。
 闇を振り払った風が悪臭を孕み、その醜悪さを助長する。何故ならば、その体躯はすでに腐り落ちる寸前なのだから。
「馬鹿なっ!!」
 ヴァイディアスは我知らず叫んでいた。
 邪竜 エルアザル。
 かつて名も伝えられない剣士に敗れ、つい先日死竜となって甦っていたところをヴァイディアスに屠られた竜である。
「驚いてる? 倒したはずなのに? ははっ! 僕が甦らせたのさ」
 挑発するシャリに、ヴァイディアスは舌打ちする。
 死したものを冒涜する行為については今更咎めるまでもないことだが、強制的に何度も冥府から連れ出され、戦わされる邪竜が哀れでならない。
「エンシャントがどうなるか……わかるよね? さあ、こいつを倒さないとこの先には進めないよ!」
 魔物たちによる破壊の嵐を繰り広げておいて、今更エンシャントを盾に取るのはヴァイディアスには滑稽に見えたが、エルアザルの戦闘能力は衰えたりとはいえ、エンシャントにひしめく魔物たちの比ではないことをヴァイディアスは知っている。
 それこそ、エルアザルの一撃でエンシャントの3分の1程度が吹き飛んだところで驚きはしないだろう。
 さすがにそれでは復興もままならない。戻ってきた人々のことも考えれば、被害は最小限にするにこしたことはないだろう。
 リオラの意識が僅かにエルアザルへ割かれる。恐らく放っておけば大魔術による攻撃を開始するだろう。そして、その場合彼女にエンシャントへのダメージを気遣う余裕などない。
 まったく……どうせ後で災厄を受けたやつらを見て後悔して、頭抱えるんだろうに。
 苦笑を押し殺し、ヴァイディアスはエルアザルを睨みつけながら、リオラの肩に手をかけて押し退けた。
「真っ直ぐ突き進めば謁見の間に着く……行け」
 ゴルゴーンをエルアザルに突きつけ、背後のリオラを振り返らずに告げる。
「竜の相手は"竜殺し"と相場は決まっている」
 白き獅子の闘気を漲らせ、エルアザルと対峙する。カルラが奪った眼球はすでになく、その奥はただ闇が広がるばかりだ。
「……わかりました」
 さほど時間を要さず、リオラの返答は返ってきた。彼女の目的からすれば当然の選択だ。
 踵を返したリオラに、エルアザルが反応する。追尾しようという気配を一瞬見せるが。ヴァイディアスは一際大仰な動作で破邪の剣を振るい、エルアザルとリオラの間を薙いだ。明らかに自分とは相容れないものを感じさせるその剣は、エルアザルの注意を引くに十分だった。
「何度もご苦労なこったな、エルアザル……」
 カルラが、ザギヴが、デルカドが、フェティが身構えるのを背後に感じながら、ヴァイディアスは目の前の過去の抜け殻を見据える。
「またガキのお守りってのも浮かばれねえだろ? さっさと冥府へ帰りやがれ!!」
 宣言し、駆ける。全身に気力を漲らせ、ヴァイディアスは目の前の目標へと只管に突き進む。
「押さえ込めるかしら?」
「周辺の建物への被害を考えなければ、といったところですわね」
 ヴァイディアスにポップシールド、カルラにスキップを使いながらザギヴがフェティに尋ねる。プライドの高い彼女がこうまで言うというのなら、それは事実なのだろう。
 竜との戦いは如何に彼らを大空へ逃がさないかにかかっているということを、ヴァイディアスのパーティはよく知っている。故に、二人ともここは風の魔術であるストーム辺りで上空の気流を乱し、とても飛行できない状況を作り出すべきだと判断している。
 だが、彼女たちが放つ風の魔術は街中で使うには強力過ぎる。しかし、それだけの威力が出せなければ邪竜を大地に縛りつけることなど不可能なのは確かだ。飛んでから叩き落すにしても自由に飛ばれて進行方向に予測がつかなければ、さしもの彼女たちも魔術の効果範囲に捕らえることは難しいのだ。
 今までの竜の行動パターンから言えば、最初に地に足をつけた状態でいた竜は、まず地上で迎撃しようと試みる。それは人間を侮るが故でもある。
 エルアザルは、即座に上空へと羽ばたいた。ヴァイディアスが舌打ちしながら立ち止まり、回り込もうと迂回していたカルラも上を見上げる。
"我は……七竜が……一翼……!!"
 強烈な思念が放たれた。それは誰も予測できなかったエルアザルの声明だった。
"我が名は……エルアザル……我が名に賭けても……三度地に屈することなど……ありえぬ!!"
 上空に留まり、眼下の人間たちを睥睨するエルアザル。その身は確かに朽ちかけ、力の大半は失われている。だがその失われた双眸が、最後に残された力を振り絞るその巨躯が、今この瞬間にかつての七竜が一、邪竜 エルアザルとしての威容を取り戻させていた。
"戦え……人間!! ……我は貴様を喰らうことで……地に堕ちた我が……誇りを……取り戻す!!"
 あり得ないことが起きた。死した竜に意志が残っているというのもあまりに驚異的だった。だが、エルアザルは声帯が失われているにも関わらず、大咆哮を上げたのだ。
 地を震わせ、腹に響くその咆哮はエンシャント中に響き渡り、機会を窺っていた魔物たちすらも竦みあがった。
「……これだ。戦いってのはこうでなくっちゃいけねえよな」
 ゴルゴーンを肩に担ぎ、ヴァイディアスは心底嬉しそうにエルアザルを睨み付ける。
「来いよ、エルアザル……全存在賭けてな。だが俺は"人間"なんて名じゃねえ!!」
 担いだ状態からゴルゴーンを振り下ろす。十分に闘気が充填されたそれは光の刃となってエルアザルに襲い掛かる。その一撃を、エルアザルは口から吐き出した闇のブレスによって相殺した。
「覚えておけ……俺はヴァイディアス!! この世で貴様の最後の相手だ!!!!」
 蟻を踏み潰すような殺戮はいらない。邪を祓う聖戦など不要。
 ただ、己がすべてをぶつけられる相手がいることこそ至上の戦場の条件。
 複雑な思惑が絡み合ったこの戦いで、ヴァイディアスは始めて心から戦いを歓迎した。
 空気を振るわせる振動とともにエルアザルがヴァイディアス目掛けて急降下を開始する。その突進の勢いと質量は人間一人が受け止めきれるものではないと子供でもわかるだろう。
 ゴルゴーンを背後へと引き、右半身をエルアザルに向けて突き出す。半身の構えとなったヴァイディアスは不敵な笑みを浮かべて闘気を収束し、オールアタックを撃ち放つ。
 再びエルアザルの爪とヴァイディアスの闘気の刃が交錯する。エルアザル自身にダメージはなかったようだが、その威力は完全に殺しきれず、エルアザルの急降下の進路は大幅にずれこむ。彼は地面に叩きつけられるのを防ぐ為態勢を整え直して上空へと逃れた。
「叩き落して差し上げてよ……ハイスペル:ストーム!!」
 障害物のない上空では被害を気にする必要はない。左手で鼻を押さえて悪臭に耐えていたフェティが、槍をエルアザルに突きつけつつ嵐を呼ぶ。
 もしそれが直撃すれば、いかなエルアザルとはいえ態勢を崩し、最悪墜落しただろう。だが、今エルアザルがあるのは大空である。彼はその翼を力強く羽ばたかせ、あっという間にフェティが招いた風の塊を振り切り、回避してしまった。
「なっ……こ、このぉ!! 蜥蜴の分際で……上等ですわ!!」
 立て続けにストームを放つフェティ。しかし、さらに加速のついたエルアザルがそれを回避することはそれほど難しいことではない。まさしく無人の空を往く邪竜は、自らが大空の支配者であることをまざまざと眼下の人間たちに見せつけた。
「これは……まずい。あそこまで速いと私の弓でも射抜けるかどうか」
 弓を構えながら歯軋りするオイフェ。彼女の弓術の腕は大陸でも張り合える人間はそうはいない。その彼女がこうまで言うのでは、事実上空中のエルアザルを捕捉し切るのは困難だ。
 大空を往く竜と戦った経験が、ヴァイディアスには二度だけあった。最初に遭遇した邪竜 シャンマと、エルズ王国の守護神である翔王だ。
 邪竜 シャンマは確かに空を駆けていたが、彼は最初から死ぬその寸前までヴァイディアスを侮ってかかっていた。その結果、迂闊にも自ら地面に降り立ち、フェティの決死の魔術によって拘束された後に、ヴァイディアスの聖剣の最初の犠牲者となった。
 エルズ王国の翔王は、最初から全力で戦うつもりはなかった。しかし、手加減していた彼がただただ傍を飛ぶだけで発生するソニックブームは恐るべき威力があったのは体験済みだ。もし彼がその気になって地面に降り立たねば、勝敗は確実に逆転していただろう。
 そう、二体とも理由は違えど自らヴァイディアスの間合いへと踏み入ったが故の結果だ。だが、そのような隙はエルアザルにはない。何故なら彼は、一度ヴァイディアスたちに敗れているのだ。今更油断などあり得ない。
 彼は大空から大地へと降り立つことはない。先ほどの闘気の刃を脅威と判断した彼は、もう自らヴァイディアスの間合いに入ることはあり得ない。
 旋回するエルアザルはバクテリオやカースを放って牽制してくる。何れもスペルブロックで阻まれるが、慎重に様子を窺っているのがよくわかる。
「さすが、腐っても邪竜だな」
「ホントに腐ってますけどねー」
 特に構えることなくエルアザルを見上げるネメアに、言葉だけは非常に不真面目にカルラが相槌を打つ。
「どう戦うのだ?」
 ネメアの視線がヴァイディアスに向けられる。
「まず奴の動きを止めることから考えねばならないでしょうね」
「そうだな……私の破滅の槍もあそこまで届きはするだろうが、あの速度を捕捉するのは少々無理がある」
 すぐ側でデルカドが闘気の刃でファイアボールを上空で撃退する。空中で迎撃された火球は派手に爆発して炎を撒き散らすが、それはエンシャントに届く頃には何の力もない火の粉になっている。
「中々に慎重ですなあ……今までになかったタイプの竜ですわい」
 上空に向かってハルバードを構えたまま、デルカドはやれやれと空けた右手で額の汗を拭う。
 放たれるどの魔術も、回避して街に直撃してしまえば致命的になりかねないのだ。それらすべてを迎撃せんとする彼らの疲労は急速に溜まっていく。
「遠距離攻撃をすべて迎撃する。そうすれば、奴は直接攻撃するしかないと判断するに違いない」
 近くに降り注いだストーンの岩塊をオールアタックで砕きながらエルアザルを見据える。
 消極的だが、今はそれしか手札がない。空中のエルアザルを捕捉する方法がない以上、降りてきたところでカウンターを狙うしかない。
「ザギヴ!! 魔力はまだあって!?」
 戦士たちで抑え切れない広範囲の火炎や吹雪をスペルブロックで抑えつつ、フェティは苛立たしげに声を荒げた。
「余裕はあるわ……でも、このままではジリ貧ね」
 実際フェティにもザギヴにはまだまだ余裕はあった。だがそれも今はあるというだけであり、このまま戦闘が長引けばそれも保障し切れない。
「サイクロンであれを捕まえれないかしら?」
 フェティの案に、ザギヴは眉間に皺を寄せて思考する。
 ザギヴとて考えなかったわけではないのだ。風の禁呪であるサイクロンは禁呪の中でも効果範囲がかなり広い。加えて巻き起こす竜巻と真空の刃は空中にいる相手に向けるには非常に都合がいい。ストームよりは遥かに捕捉できる可能性は高いのだ。
「……駄目よ。私たち二人があれを使ったら、エンシャント自体がどうなるのかわからないわ」
 ギリッと歯軋りするザギヴ。
 サイクロンの問題は、皮肉にもその範囲の広さと威力なのだ。しかも二発分ともなればエルアザルの攻撃を待たずしてもエンシャントに致命的打撃を与え、城壁を吹き飛ばしてしまいかねない。
"遊びは……終わりだ!!!!"
 強烈な思念を放ち、エルアザルが大きく周囲の大気を取り込んでいく。気流の流れが顎に集り、それが何を意味するのか理解できるヴァイディアスたちは戦慄した。
 ドラゴンブレス。
 竜の竜たる所以。その最強の攻撃方法の一つ。
「馬鹿な……撃てるというのか!!」
 オイフェの声と同時に、各々が反応する。全員が即座にザギヴとフェティの周囲に集って身構える。
 ドラゴンブレスを阻めるとしたら、この二人なのだ。ならば彼女たちを守るが道理。
 間に合うか……いいえ、間に合わせる!!
 普段よりも急いで魔術を作り上げるザギヴ。フェティはその意図を察して自らも全力で同じ魔術構成を編み始めている。
 ドラゴンブレスは通常の方法で防げるほど生易しい代物ではない。その範囲と熱量は常軌を逸し、防御魔術で攻撃自体を遮ったとしてもその残留する熱量で周囲ともども蒸発することも容易に想像できる。
 だが、それは千載一遇のチャンスでもあった。
 二人の声が唱和する。
「ハイスペル―――」
「―――ヘルファイア!!!!」
 ザギヴとフェティの手の内に生まれた太陽が周囲を真っ赤に照らす。それと同時にエルアザルは眼下の彼女らに向かって灼熱の咆哮を上げた。
 放たれた二つの太陽は地獄の炎よりも速く空を駆け抜け、広範囲に襲い掛かる前のブレスの基点を抑えることに成功した。
 エルアザルはすべてブレスを吐き出してはいない。その発動の直後なだけに、僅かに彼女らの炎のほうが勢いは大きかった。
 エルアザルに失策があるとすれば、その巨大なる攻撃力で一気に眼下の仇敵たちを抹殺しようとしたことだろう。それ故に、その大きな予備動作が動きを止めたのだ。
 轟音とともに、赤光が爆裂する。二つの太陽が新たな巨大な太陽を生む。
「勝った……のか?」
 呆然とつぶやくオイフェ。だが、彼女の側で即座に事態に反応するものたちがいた。
 二つのヘルファイアが炸裂した方向とは完全に逆。正反対の方向にその圧倒的プレッシャーがあった。
 カルラがこのパーティの中でも一際高い反射神経でザギヴとフェティを引きずり倒し、デルカドがオイフェを突き飛ばした。その直後、身体全体に響くような空気の振動とともに、それはやってきた。
 邪竜 エルアザル。その顎である。
 まったくの予想外の事態にザギヴとフェティは状況を掴めぬまま、その大質量による砲弾を正面から受けざるを得ないヴァイディアスの背中を見ていた。
 一気にヴァイディアスの闘気が臨界点に達する。ゴルゴーンを大地に突きたて、その前に破邪の剣を添える。圧倒的パワーは分厚い闘気の壁と二振りの巨大な剣へとぶつかった。
 咆哮が上がる。それは悲鳴にも聞こえた。それほどまでにエルアザルの一撃は強大だった。
 闘気を通して伝わる衝撃はこれまで幾度も死線を越えてきたヴァイディアスをして、今までの数々の戦いが児戯に思えるほどだ。全身の筋肉がブチブチと悲鳴を上げ、血液が沸騰し、骨が歪に歪んでいく。
 だが、ヴァイディアスがその衝撃に耐えている時間は実質五秒もなかった。ネメアが横合いから破滅の槍による強烈な一撃を加え、その威力を強制的に逸らしたからだ。
 家屋を数軒粉々に吹き飛ばしながら、またもエルアザルは上空へと舞い上がっていった。ヴァイディアスはベクトルの変わった突進の威力を受けて反対側の家屋へと突っ込んで壁を盛大に破壊したが、最初にかけていたポップシールドのお陰か、意識はまだ保っている。
「クソ……ッタレが……」
 血を吐きながら歯軋りする。あまりの衝撃と出血で頭がクラクラするが、それでも無理矢理立ち上がる。その様子を見て血相を変えて飛んできたザギヴが即座に回復を始めた。
「確実に捉えたと思ったのに……なんで?」
 鋭い目をエルアザルに向けつつ、カルラが尋ねる。もう先ほどのような薄笑みはない。殺意に彩られたその横顔は死神そのものだ。
「テレポートか……中々に知恵者のようだな」
 ネメアがつぶやいたその言葉に、全員が硬直する。
 ヘルファイアとドラゴンブレスがぶつかった瞬間、エルアザルは即座にそれを目晦ましに使うことを思いついたのだ。三つの力が激突したその力は彼を滅ぼすに足るものであるが、それを前にしてなお、エルアザルは冷静に事を運んだ。
 ヘルファイアの威力が爆発する直前、テレポートの魔術を構成する。長距離転移するなら話は違うが、邪竜たる彼の魔力からすればエンシャント上空を少し移動するだけなら何ら問題はない。
 彼は激突が生んだ恒星の反対側へと転移すると、無防備となったヴァイディアスたちを殲滅すべく急降下を敢行したのだった。
 戦い慣れしていなければ思いつかない戦法である。邪竜 エルアザルはただのモンスターではないことを自ら証明して見せたのだった。
 上空を大きく旋回し、再び地上のヴァイディアスたちに向かってエルアザルが急降下をしかけてくる。
「おのれ……私たちを無視するか!!」
 エルアザルの視線の先が負傷したヴァイディアスにあると知って、オイフェが気勢を上げて弓を構える。進行方向とは僅かに違うとはいえ、向かってくる相手の眉間を狙うことはオイフェにとってはさほど難しいことではない。
「待て!! 罠じゃ!!」
 デルカドの声が響くと同時に、突進中のエルアザルの胸部が僅かに膨らむ。
 エルアザルの意図にオイフェは気づいた。だが、すでに弓を放つ寸前の彼女にはそれを回避し切ることはできない。また、ヴァイディアスは言うに及ばず、その治療に当たっているザギヴとてそれを防御することはできない。
 状況のせいで短い呼気ではある。だがそれは紛れもない竜の紅蓮の吐息。浴びれば確実に戦闘不能で、最悪そのまま焼死さえあり得る。
「こんのぉっ!!」
 炎が直撃する前に、割り込んできたのはカルラだった。彼女は何かの袋をいくつか取り出すと、それをそのまま炎に向かって投げつけた。
 袋は炎に飲み込まれると、弾けとんだ。それはブレスの火炎と同じ炎であったり、一瞬にしてその空間を凍結する冷気であったり、爆裂する風の塊であったり、四散する鋼鉄の刃であったりする。
 念の為にとカルラが持ってきておいた各種宝珠がその袋にいくつも納められていたのだ。一つ一つは取るに足らない威力だったとしても、それが十を超える数、それも無作為に違う属性が同時に爆裂するその威力となれば、短い呼気で放ったドラゴンブレスの威力を弱めるに十分な魔力の氾濫が発生し得る。
「ええい勿体無い……後悔終了!!」
 愚痴りながらなおも届いた炎を仕方なくカルラは右手で払う。炎は手甲を焼き酷い火傷を負わせるが、全身で浴びるよりは数段マシだ。
 ヴァイディアスはその弱まったドラゴンブレスから外套を盾にザギヴを庇い、燃えるそれを即座に捨てる。隣を見ればオイフェの前に立ったネメアが破滅の槍の一薙ぎで炎を振り払っていた。
 周囲はすでに火の海になりつつある。今のドラゴンブレスで家屋が数軒吹き飛び、その周囲が燃えている。放っておけばエンシャントは大火に包まれることになるだろう。
「フェティ!!」
「わかってますわよ!!」
 即座にフリーズで消火を始めるフェティ。実際のところこれを放置してエンシャント中に広がれば、自分たちを含めてこの帝都にいる人間は全員灰となるだろう。疎かにするわけにはいかない。
「動けるか?」
「無論」
 ネメアの声にすぐさま立ち上がって剣を構えるヴァイディアス。まだ全身の節々が痛むがそんなことは言っていられない。
「私がハイグライドで跳ぶ。奴が私を狙ってきたところを撃て」
 表情をまったく変えず、まるで何でもないことのようにネメアは言って見せた。だが、言ってることは確実に自殺行為である。
「何を……それはあまりにも危険すぎる」
 ヴァイディアスも考えては見たが、あまりにもリスクが大きかったのだ。
 まずハイグライドによる跳躍程度でエルアザルのところまで届くかどうかがまず疑問である。加えてよしんば届いたとしてもあの速度だ。攻撃を仕掛けるのはほぼ不可能と言ってもいい。そして空中であるが故に回避行動を取ることに無理があり、どう考えてもエルアザルの反撃で殺されると結論するしかない。
 だが、その瞬間は確かにエルアザルの行動が読み切れるのだ。ならばあの巨体を捉えることもできるだろう。
「私は死なぬ」
 確固たる自信の元に、ネメアは言い切った。だがそれはあまりに分が悪い賭けである為、誰も首を縦に振れなかった。
「次が来ますわよ!!」
 フェティが魔術を準備しながら上空を見上げる。エルアザルは三度急降下を開始していた。
 全員、一斉に身構えた。この攻撃をカウンターできれば誰も極端な危険を冒さずにエルアザルを撃退できるのだ。
 各々が最大の攻撃を準備する。その只中へエルアザルは凄まじい勢いで迫っていった。
 ヴァイディアスたちが大きく得物を振りかぶったその時、再びエルアザルの姿が消えた。
「な、何!?」
 三度目の肩透かしに、戦士たちがたたらを踏む。
「ザギヴ!!」
「そこね!!」
 空の一角へ目を向ける魔術師二人。だがそこにはすでに全力で肺に大気を溜め込んだエルアザルがいた。
 全力のドラゴンブレス。先ほどヘルファイアで止めたような生易しいものではない。勢いを増し、広範囲に広がる灼熱地獄に、二人は戦慄を覚えつつも知りうる最大の冷凍系魔術であるフリジットを放つ。
 声にならない叫び声が彼女たちから上がる。如何に禁呪、如何に希代の魔術師が二人分とはいえ、エルアザルのブレスは圧倒的物量を持ってそれらを圧倒した。その勢いはかつてフリジットで何とか迎撃できたアズラゴーサのブレスの比ではない。
「押し……切られる……」
 ザギヴがうめく。このままではエンシャントは灼熱地獄となり、自分たちは一瞬で蒸発することになるだろう。
 それは彼女にとってとても受け入れられるものではない。持ち得る魔力のすべてを投入し、魔術を維持するがそれもそろそろ限界に近くなっていた。
「もったいぶるではないぞ、アキュリュース」
 唐突に聞こえたその声は、幼い声にも関わらず大仰な口調でそう言った。
「ハイスペル:フリジット!!」
 その声に従い、発動する"三つ目のフリジット"。それは急速に押し潰されていたザギヴとフェティの凍気に合流し、拮抗させる。
 ほどなくして、エルアザルの呼吸が途切れた。それと同時にかつてのアズラゴーサとの戦いのように水蒸気爆発が発生する。その規模はあの時の比ではなく、一時的にエンシャント上空は太陽を遮るほどの蒸気に覆われ、エルアザルは視界を失う。
「エア……お前、何でここにいる!?」
 何時の間にか背後に現れた小柄な人物に驚愕しつつ声を上げるヴァイディアス。他のものたちもあまりの事態に頭が回っていない。
「闇の巨人があまりに多いでな……国民すべてディンガル軍に合流させてもろうたぞ」
 完全にヴァイディアスの予測をいい意味で裏切ることができたのに満足したのか、エアは得意満面で腰に手を当ててヴァイディアスを見る。
「それに、このような危急の時に何もしないほど、妾は薄情ではない」
 そう言って、エアは不敵に笑うのだった。
 ヴァイディアスは彼女の顔を見ると一瞬だけ相好を崩し、すぐに顔を引き締めて上空のエルアザルを睨み付ける。
「さて……こうなったからにはもう無様な真似はできねえな」
 口元の血を拭い、地面へ振り落とす。身体はまだ完調ではないが何時までも這いつくばってはいられない。
「……あなた本当にエア様には甘いわね」
「……ふーん、そうなのか」
 などとどこからともなく耳に入ってくる言葉はなかったことにした。
「よいのか? エルズの女王よ」
 上空のエルアザルが放ってきた無数の水弾を破滅の槍で迎撃しつつ、ネメアは尋ねた。普通なら撃墜することも叶わないはずの魔術を無数に捌きながら、それを大事でもないように話す彼の戦闘力は底が知れない。
「今ここにいるのはエルズの女王としてではないぞ。そなたが今、ディンガルの皇帝ではないように……一個の人間としてここに在るのと同じようにな」
 笑みを浮かべたまま目を閉じる。自分の中に埋没し、その答えを確認する。
「妾は今、一人の女として……愛するものを苦境より救いたくてきておるだけじゃ」
 目を閉じたまま振るわれたその右手は、それだけで凄まじい烈風を巻き起こした。ただのストーム一撃のみが、無数に降らされる火弾、水弾、風弾、石弾を駆逐し、すべて空へ舞い上げた。
 エルアザルの思念が動揺する。本来ならストームの風一つで振り払えるような量ではなかったはずだ。遠く天空にあるのを利用し、デュアルスペルを用いての魔術の乱れ打ちは間断ない地獄の豪雨で相手を消耗させるはずだった。
 そのすべてが蹴散らされ、あまつさえエルアザルの鼻先をエアの起こした風が薙いだのだ。
 エルアザルはさらにスキップまで用いて飛ぶ速度を速める。彼は己の限界まで力を絞り尽くし、大空を我が物顔で疾駆する。
「あ、あれ以上速くなると言うの?」
「まず……余計隙がなくなっちった」
 ザギヴとカルラが同時にうめく。とりあえず先ほどの問題発言は今追及するべきではないと棚上げしたらしい。
「野郎……こうなったら連発して徐々に補正するしかないか」
 忌々しげにつぶやくと、ヴァイディアスはゴルゴーンを背中の留め金に戻し、破邪の剣を両手で構えた。
「ヴァイ」
 自分の前に出て剣を構えるヴァイディアスに、エアはエルアザルを見上げながら尋ねた。
「あれを止めればいいのじゃな?」
「止められるもんならな」
 それができれば苦労はない、とばかりに答えるヴァイディアス。だが、エアはそんな彼の態度に別段気を悪くしたようすもなく、ヴァイディアスの肩に手を置き、前へ出た。
「ならばしかと見ておくがよい。好機を逃すでないぞ」
「何?」
 エアの不可解な物言いに僅かに戸惑ったヴァイディアスだが、彼はすぐさま決断する。
 即座に意識を切り替え、ソウルの力を臨界にまで持っていく。戦士が、弓兵が、魔術師が、僧侶が、斥候が、野獣が次々とほんの一瞬だけ姿を現し、最終的に無形の闘気となってヴァイディアスの周囲に滞留する。
 変化はエアにも起こっていた。彼女の内包する魔力が顕現し、ヴァイディアスと同じように魔力の滞留が発生する。ヴァイディアスが真っ白な光であるのに対し、エアのそれは目も覚めるような鮮やかな翠。
 翠は風の象徴である。そして、それは転じてエアの象徴であるとも言える。風の名を冠し、風と共に生きる彼女の色はどこまでも透き通って輝いている。
 その間にも降り注ぐエルアザルの攻撃は、ネメアが、カルラが、デルカドが、オイフェが振り払い、ザギヴが、フェティが障壁を用いて遮る。
 ヴァイディアスがやれると判断した。だからそれに従う。
 単純明快な法則。何時からそうなったのか、何時の間にそうなったのかは誰もわからない。だが、重要な判断で急を要するものは常にそうしてきた。
 ヴァイディアスの判断なら間違いがないから。ヴァイディアスの判断なら自分に責任はないから。ヴァイディアスなら任せておけるから。
 どれも違う。彼らはそのどの理由でそうしているわけでもない。
 ヴァイディアスの判断でなら、死ねるからだ。
 死にたいわけではない。当然生き延びたい。だが、それなら曲がりなりにも納得できる。そう思わせる何かが、彼の元へ人を引き寄せている。
「さあ、プレシオーネよ」
 金色の髪が風に靡き、巫女服がたなびく。それは場違いなほど神秘的な光景。
「天空は我らが領域ということを、あのものに教えてやろうぞ!!」
 段階を踏んで高められる魔力。幾重にも重ねられた術式が視覚化し、巨大な立体型の魔方陣と化す。
「ハイメガスペル―――」
 翠の奔流が勢いを増す。それと同時に、天空が鳴動した。
「―――サイクロン!!!!」
 変化は起こった。
 エンシャント上空の大気が一斉に、そして急速に動き始めた。上下左右、360度全包囲から風の―――いや、暴風の―――塊がエルアザルへと集中していく。それはこの場にいる誰も、邪竜として長い年月を生きるエルアザルでさえ知らないサイクロンだった。
 彼らが見知る巨大な竜巻とはまるで違う、その中心こそ致死点となる風の渦。それも、逃げるエルアザルに向かって収束していく為如何に天空を駆ける彼とて振り払うことができず、次第にその勢いに拘束され、身動きが取れなくなっていく。
"馬鹿な……このような魔術……我は……知らぬ!!"
 戸惑いと怒りの色を含んだ思念をぶちまける。空洞となった目に見えるのかは定かではないが、彼は確かにエアのほうを睨みつけた。
「汝、"風"に形などというものがあると思っておったのか?」
 さも当然のようにエアが告げた時、エルアザルは完全に風に拘束され、その身にかかる多大な圧力に耐えるばかりとなった。
 彼は羽ばたいてすらいない。まさしく空中で風に縛り上げられたのだ。
「エルアザル……安らかに逝くがいい」
 エアを護るように、ヴァイディアスの闘気が彼女を包む。本来ならばその結界に入り込んだものすべてを拒絶し、粉砕する彼の闘気は、彼女には反応しなかった。
 ヴァイディアスの両手によって高々と破邪の剣が掲げられる。この構えから繰り出される彼の攻撃は、ただ一つ。
「心技―――」
 白銀の刃が輝きを発する。その力こそ、邪を冠するものたちの天敵。
「―――インフィニット!!!!」
 二度、エンシャントの空を白い彗星が貫いた。それはエアのサイクロンの乱気流などものともせずに直進し、ただ只管に目標へと向かって飛ぶ。
 到達するのに実に一秒もかからない。人の目に確認できるのはその彗星の尾だけだ。そしてその残光は間違いなくエルアザルの額を真正面から捉え、首から上を完全に消滅させた。如何にアンデットとはいえ、命令を出すべき脳がなければエルアザルは邪竜たりえない。
 彼は今、ようやく―――完全に死んだのだ。
「クソッ……こんなに早くこれを使うハメになるとはな」
 破邪の剣を石畳に突き立て、辛うじて膝をつくのを堪える。時間が経ってソウル『インフィニティア』が随分馴染んできているとはいえ、ヴァイディアスの体力と闘気量を持ってしても心技 インフィニットの一撃は凄まじい消耗を余儀なくされる。
「あれほどの一撃を放ってまだ立っていられるとは……大したものじゃの」
 振り返り、エアは破邪の剣に体重を預けるヴァイディアスに笑いかける。だが、その身体がふらりと揺れた。
「お、おい」
 気力を振り絞って破邪の剣から手を離し、エアを受け止める。その身体は想像以上に軽いものだった。
「さすがに街一つ分の集団転移と禁呪の連続使用は堪える」
「……なんつー無茶してんだよ」
 胸に顔を埋めてくるエアをゆっくりと地面に座らせながら、その言動に呆れ半分心配半分で眉をしかめるヴァイディアス。
「あー、もう。体力ゼロ同士が抱えあっててもしょうがないっしょ」
 完全に蚊帳の外な扱いに業を煮やしたカルラは、ヴァイディアスにくっつくエアを無理矢理引き剥がして背中に背負った。エアは非常に不本意そうにうめいたが、それを聞き届けてやるほどカルラも人間ができてはいない。
「とりあえず移動しましょう。随分移動してしまったけど、時間的にいってまだ彼女たちの決着はついていないと思うわ」
「あー!!」
 足元の覚束ないヴァイディアスの腕を担いで支えにかかるザギヴに、カルラは指差しで素っ頓狂な声を上げた。
 ザギヴの顔に一瞬勝者の笑みが浮かんだのを、カルラもエアも見逃さなかった。
「政庁前へ行くぞ。あそこならば襲って来る敵は前からだけだ」
 そんな様子を興味深げに眺めていたネメアがそう言い、破邪の剣を左手で軽々と持ち上げた。彼はヴァイディアスにそれを手渡すと、政庁へ向かって踵を返す。
「汗一つかいてねえのか……さすがに遠いな」
 片手で器用に破邪の剣を鞘に納めながら、ヴァイディアスはその孤高で巨大な背中を見送る。
「すぐに届くわ。あなたなら」
 傍にいるヴァイディアスにさえ聞こえないような声で、ザギヴはそうつぶやいた。


[ 作者別 ] [ イベント順 ] [ 前頁 ] / [ 次頁 ]