[ 35 聖痕(スティグマータ) ] words by ファイゼル

 何の為に戦うのか。何故戦うのか。
 そんなことを考えたことはなかったし、考える必要もなかった。ヴァイディアスにとって戦いとはテラネにいた頃から常にそこにあるものだったからだ。
 糧を得る為に動物と戦い、自らの居場所を護る為言われなき迫害に抵抗する。冒険者としては道々で襲い掛かる魔物を屠り、ディンガル帝国軍の兵士としては敵兵を斬り伏せる。
 生きる為に、そして自らの筋を通す為に。
 お前ら、人の命を奪ったことを笑って話すような奴じゃなかったのに……
 あれからそれなりに時間は経っている。だが、それでも時折思い出すこの言葉はヴァイディアスの心を痛めつける。
 何も起きなければ、テラネを出ることはなかった。仇を討ち倒す為に、力をつける為に冒険者となり、ディンガル帝国に仕官した。だが、それを成し遂げた先に待っていたのは故郷の拒絶。
 仇討ちなどというものが褒められないことなど百も承知だった。しかし自分たちを受け入れてくれた数少ない友人である少年の為にできることはそれしか思いつかなかった。そのことが原因でその少年からも拒絶されるとは思いもしなかった。
 戦う意味を失った、と言っても過言ではなかった。
 故郷にはもう二度と帰ることはないだろう。故に今はディンガル帝国の兵士としても、冒険者としても拠点としているエンシャントに滞在していた。カルラに勧められて取った休暇のお陰で軍務もないが、何もすることがないということは心にできた空隙を浮き彫りにする。そのせいで休暇を楽しむこともできないというのが現状だ。
「ねえ、ヴァイディアス……」
 大通りにある噴水を囲むブロックに腰掛け、ぼんやりと人通りを見ていたヴァイディアスに、ナッジが遠慮がちに尋ねる。
「なんでこうなっちゃったんだろうね」
 ヴァイディアスはナッジのほうへ視線を移す。彼はヴァイディアス以上に憔悴して、見た目でも少し痩せたかとわかるほどの様子だった。どれだけ明るく振舞おうとも、ナッジの心もあれ以来晴れたことがないのだろう。
 心優しいこの幼馴染には、あの言葉は相当に重く痛かったことが容易に理解できる。だからといって、ヴァンを恨む気持ちもわいてこないのはヴァイディアスもナッジも同じだった。
 どういう理由があろうとも、彼らが犯したのは人殺しなのは間違いない。それは否定できない。
「あの時……今の半分の力でも持ってたら、結果は変わ―――」
「止めろ」
 ナッジがそれを言い終わるより早く、ヴァイディアスは制止した。ナッジは何か言いたそうにしていたが、ついには口を噤んだ。
 ヴァンが襲われた時、ガルドランを止めることができていたなら。
 その仮定はテラネから旅立った時から幾度となく思い続けてきたことだ。そんな想像上のIFに何の意味もないことはわかっていても、考えてしまうのは止められなかった。
 何時しかヴァイディアスはIFの話が嫌いになっていた。いくら考えたとて、それは想像のものでしかなく、現実は変わらない。そしてそれは現実に選んだ選択肢を後悔しているということに繋がるように思えてならない。
 仇討ちを選んだことは後悔していない。ただ、それを最も理解して欲しかった人物に否定されたのが無性に悲しかった。
 傍らに立てかけてある破邪の剣を眺める。陽光に輝く美しい装飾も、今は何となく色褪せて見える。
 それきり、二人に会話はなかった。だが故郷を失った彼らにとって、お互いが傍にいること自体が救いとなっていた。
 なんとなく見ていた通りの風景が、少し動く。見慣れた冒険者ギルドの扉が開かれ、中から誰かが出てくる。どうやらどこかの冒険者パーティのようだ。
「どうしてあんたはムリな仕事ばっかりやりたがるの?」
 露出度の高い、銀髪紅眼という珍しい外見の女が不満げにそう言った。
「ムリじゃない。それに、こっちの方が人の助けになる。ノエルはそれを望んでいる」
 黒装束という軽装の男がそれに反論する。
「失敗したら元も子もないじゃない! 失敗するだけなら、まだいいわ。この子が危険な目にあったらどうするの?」
 会話からして、受けた依頼に関して意見が割れていたようだ。難易度が高めなのだろう。
「あ、あのふたりとも落ち着いて……」
 小柄な身体に似合わぬ重甲冑に大剣という装いの、気弱そうな少女が割ってはいる。調停しようとしているのだろうが、小声で恐る恐るといった様子ではそれも期待できないだろうと、ヴァイディアスは特に注意を向けるでもなく聞き流した。
「いいこと? 確実な仕事をこなすのよ!」
「……やれやれ。格好の大胆さを比べて考えることは地味なんだな」
「堅実と言いなさい! 堅実と!」
 本当に僅かに、ヴァイディアスの表情が歪む。
 黒装束の男の言い分が少し気に触ったのだ。自分の矜持や内容の見た目だけで依頼を決めるのは日の浅い冒険者に多いことだが、それが自分だけでなく仲間にどういう結果をもたらすか理解できていないように思える言葉だ。
 とはいえ、冒険者パーティではよくあることである。その辺りに気付くまで生き残れるか、それとも死ぬかは本人の才覚次第としか言いようもない。言ってわかることでもない上見知らぬ他人である。特に説教をたれたいわけでもないから完全に聞き流した。
「先ほど、手続きは済ませた。多少難度は高いが、俺たちには無理ではない仕事だ。ノエル、さっき、引き受けた依頼でいいね?」
 どうやらパーティリーダーらしいその少女、ノエルに黒装束が確認を取る。
 その男の顔がどこか狂信者めいていて、脱力気味だったヴァイディアスを少し刺激した。無論、悪いほうへと。
「あ、はい。わたし、それでいいです!」
 その場を治める為の方便であることが丸わかりの咄嗟の返答を、彼女はしてしまった。
「ちょ、ちょっと、あんたたち、勝手に決めないで・・・・・・」
 女は最後まで抵抗しようとしていたが、他の二人が行くので着いて行かざるを得ない。
 今回は無事でも、そのうち死人が出るな。
 そう思いはしたものの、ヴァイディアスは視線をそのパーティから外して再びぼんやり人通りを眺め始めた。
 そうしてしばらく眺めていると、しばらくしてヴァイディアスの前に見知った顔が現れた。エンシャント冒険者ギルドのマスターである。彼はドワーフ並に濃い髭を右手で撫でながら、何となく話し出し難そうにこちらに近づいてきた。
「よう、ヴァイディアス」
「何だ? マスターがこの時間にギルドから出てきちまって大丈夫なのか?」
 どことなくかったるそうなヴァイディアスにマスターは少し驚いたようだが、気を取り直して咳払いしつつ話し始めた。
「ああ、お前がすぐ外にいるって他の連中が話してたのを小耳に挟んでな」
 ヴァイディアスと言えばすでに小物ではないのは間違いない。一説には邪竜を倒したという噂すら流れている新進気鋭の冒険者だ。冒険者ギルドの中での話題としてはそれほどおかしいことではない。
「ちょっと頼みたいことがあってな」
 話しながらもまだ迷っているかのようなマスターの顔に、ヴァイディアスは困惑した。隣のナッジに視線を向けるが、彼も首を傾げている。
「実はさっき依頼を受けた冒険者パーティがあってな」
 ギルドマスターの話はそれほど難しい話ではなかった。
 乙女の鏡という湖がある。そこへ出かけていった人物が数日帰らないという。その湖にはさほど多いわけではないとはいえ、魔物が出ることがあるので、この依頼は緊急性の高いものとして張り出されていた。
 この場合、ギルドでは最悪の事態を想定してその場所で生息が確認された最も強力な魔物を基準として依頼料と難易度が設定される。難易度と報酬が通常の依頼より数段上になるのだ。
 これに目をつけて依頼を受けたパーティが、先ほど出発したのだと言う。だが、そのパーティのメンバーに、その依頼の難易度は高すぎると反論していたものがいたらしい。
 結局その依頼は正式な手続きが成され、そのパーティが請け負うことになった。しかし、受ける前の会話で不安になったのがギルドマスターである。何しろこの依頼には人命がかかっているのだ。確実にやれる自信があるものでなくては困るし、成し遂げれると見た相手にはギルドマスター自身が直々に口を聞くこともあるぐらいなのだ。
「そんなに不安なら止めろよ……」
 呆れた顔でそういうヴァイディアスに、ギルドマスターは複雑な表情で応える。
「忠告はしたんだがね。大丈夫だと言ってそのまま手続きしちまったのさ」
「それで、僕たちは何をすればいいんですか?」
 困り顔のギルドマスターに、ナッジは柔和な笑みを浮かべて尋ねる。彼としては困っている人がいるならば極力助けてあげたいというところだろう。
「できればなんだ……様子を見てきてほしいんだ。万が一のことがあってからじゃ遅いからな」
 本来すでに受諾された依頼を複数の冒険者に依頼することはなく、完全にそのパーティだけに委託されるのが筋である。だが、依頼の内容によっては複数の冒険者パーティに依頼して成功報酬という形を取る場合も僅かながらあるのだ。
 それは緊急性の高い、今回のような人命がかかっていることである場合が多い。
「依頼のランクとしては5だ。報酬は……」
 ギルドマスターとしては人死にが出るのは極力避けたいのだろう。捜索願を出した側への責任とギルド全体の信用にも関わる。だが、わざわざギルドの外へ出てまで依頼することはほぼ皆無と言ってもいいだろう。
 それは長年ギルドを運営しているが故の勘か、それとも確実性を求めるが故の手配かはわからない。
「そいつら、何でそんな依頼無理して受けやがったんだ?」
 ヴァイディアスが唐突にそんなことを尋ねた。依頼の報酬や内容に対する質問がくると思っていたギルドマスターは、少し驚いたように目を丸くしていた。
「なんだったかな……できれば人助けになる依頼がよかったらしい。そんなようなことを話してたよ」
 ギルドマスターのその答えに、ヴァイディアスの顔が明らかに不機嫌に歪んだ。
「ヴァイディアス……?」
 今までの無気力気味な顔が変貌したのだ。本来なら気力が戻ってきたと喜ぶところだが、その気力の入り方が負の方向へいっているのは明らかだった。
 ヴァイディアスはナッジの気遣わしげな声を無視し、破邪の剣の鞘を握って立ち上がった。
「依頼の件、了承した……すぐに出る。手続きは任せた」
 破邪の剣を腰に吊るすなりそう言い放ったヴァイディアス。
「デルカドさんもフェティさんも里帰り中だけど……大丈夫かな?」
「……翔王やシャンマより強い相手じゃなければな」
 どの道ヴァイディアスとしてはナッジの心配ほど無理をするつもりはないのだ。勝てない相手だとわかれば是が非でも依頼を達成しようとするつもりはない。冒険者としてだけではなく、兵士としても戦場を渡り歩いたヴァイディアスは、生き死にに関しては極めてシビアだ。
「わかった。準備するよ。マスター、できるだけ早く出発します」
「ああ、お願いするよ」
 ナッジが軽く会釈するのを横目に、ヴァイディアスは宿へ荷物を取りに戻るべく踵を返した。
 何故こんな依頼を受けたのか、自分自身でもわからなかった。だが、何となくこの出来事を無視できなかった。
 得体の知れない不愉快さに眉を寄せつつ、ヴァイディアスはナッジと共に雑踏へと姿を消した。


 美しい、まるで鏡面のような湖。その美景からこの乙女の鏡は観光、特にカップルなどに人気のスポットであった。魔物が出るのは事実ではあるが、それほど頻度は高くなく、比較的一般の人間もきやすい環境にあると言える。
 だが、魔物が出るのは事実は事実。ここにきたカップルが被害に遭うことも年に数件あり、そのことから恋愛の悲劇に関する逸話がいくつもあったりもする。
 これはそんな事件の一つであることは間違いないだろう。そして、悲劇を回避できるかは当事者たちの力量次第である。
「まずいわ……こうも相手が多くては」
 背中に感じる冷たい汗を感じつつ、カフィンは周囲を見渡す。
 エンシャントから湖を迂回した北側にあるこの場所で、捜索願が出されたカップルを発見することはできた。だが、それは決して楽観できる状況ではなかった。
 ソーンナイト、という植物がある。図鑑でも確かに植物に大別されており、地面に根を張っている。その外見は人間の手のような触手があり、人間で言う頭の位置に花を咲かせるというものだ。
 そして、この植物は人間を捕食する。時間をかけてゆっくりと養分にするのだ。その性質があるが故に、魔物として認識されているのだ。
 捜索願が出されたカップルは、この食人植物に囚われていたのだ。すでに触手に絡め取られた二人は顔色も真っ白で息も絶え絶えという、見るからに危険な状態である。これ以上放置していれば間違いなく死に至ることは明白だ。
 カフィンとその仲間、ノエル、レイヴン、ナーシェスのパーティはそれほど弱くはない。如何に相手が食人植物でも打ち倒せるだけの実力はある。だが、それも人質を取られていなければの話である。
 ノエルは大剣重甲冑の戦士だが、彼女を先頭にソーンナイトの群を突破するにはパワーとウェイトが足りない。
 軽装戦士のカフィンが敵陣を切り裂くには相手の層が厚すぎる。
 レイヴンが敵中深くに侵入して彼らを助けるには敵が密集しすぎている。
 ナーシェスが魔術で薙ぎ払うには救出対象がいては不可能だ。
 決め手がない。そして、決め手がないのだから事態を一気に打開することはできず、時間がかかってますます仲間が危険に晒される。時間がかかれば今度は人質の命が危ない。
 ジリ貧である。敗色が濃厚であるとも言える。
 撤退はすでに促してある。だが、パーティリーダーであるノエルがそれに頷くのに躊躇している。撤退することはすなわち目の前の人質を諦めるということに他ならない故だが、この状況を正確に理解しているとはとても言えない。
 レイヴンは黙々とノエルのフォローに徹している。彼が口を出しさえすればノエルも決心するのだろうが、それなりに付き合いも長くなった今、カフィンはそれがありえない話だということをよく理解していた。ノエルを偶像化し、その意を実現することのみに忠実な彼ではノエルに意見することなど考えもしないだろう。
 だが、一番カフィンが苛立っていたのはナーシェスだ。魔術師である彼の援護は非常に助かってはいるが、彼は常にソーンナイトの射程外に位置し、積極的に脅威を排除しようとは動かない。最低限のことだけを行い、身を危険に晒すことはない。どちらかというと傍観者のように戦況を観察している。
 口の奥をギリギリと鳴らしながら、カフィンは戦い続けるしかなかった。
 攻防が続く間に、ノエルの動きが次第に鈍ってくる。メンバー中最も体力を使う戦法を取っているのだから当たり前ではあった。そのことが尾を引き、次第に防戦一方となっていくのが手に取るようにわかる。
 やはり、この難易度の依頼を受けるのは早過ぎたのだという思いが頭を過ぎる。
 白い、閃光が走った。
 ソーンナイト二匹が容赦なく胴体部分を断たれて地面へ落ち、痙攣するようにビクビクと震える。植物の包囲網を斬り裂いて現れた男は、黒いディンガル帝国軍の甲冑を身に纏い、甲冑とは正反対の白い長剣を携えて不機嫌そうにノエルたちを見やった。
 白と黒の鮮烈過ぎるコントラストは、彼女たちにその男を強烈に印象付ける。
 男が現れるのに数秒遅れ、彼より頭二つは高い青年が槍で蔓を打ち払いながら彼と並ぶ。ひとしきり邪魔する蔓を払った後、青年は何事かつぶやく。それに応えるように地面から突如現れた植物の蔦がソーンナイトを絡めとり、束縛する。
「大丈夫ですか?」
 長身の青年は、ノエルたちを気遣って尋ね掛ける。よく見れば青年の額には立派な角があり、バイアシオン大陸でも珍しいコーンス族であるということがわかる。
 大剣使いのディンガル騎士と、槍使いのコーンス族の魔術師。その組み合わせは、ここしばらくで急激に名を馳せたパーティだと容易に想像がつく。
 "竜殺し"のヴァイディアス。
 破壊神の円卓の騎士である"打ち砕くもの" ダナンを打倒して伝説の破邪の剣を手に入れ、直後邪竜 シャンマを屠り、つい最近エルズ王国の守護神である翔王を倒したという、新進気鋭の騎士であり冒険者。
 ノエルは光明が見えたと喜んで彼の名を呼んだが、カフィンはそこまで楽観していない。あまりのタイミングのよさはギルドマスターが複数のパーティを雇ったのだろうということが想像できるが、それだけではヴァイディアスの表情がまるで怒っているようなものである理由がわからない。
 冒険者とはどこで恨みを買っているかわからない。万が一ということも考えてカフィンは警戒を解かなかった。
「ソーンナイト、か……脅威ではあるが、ランク5の仕事としてはまあ予想して然るべき程度の脅威だ」
 コツコツと破邪の剣で甲冑の肩を叩くヴァイディアス。辺りを睥睨し、あらかたの事情は把握したのだろう。彼は舌打ちしてナッジにノエルたちの治療を頼む。
「実力不相応の依頼を受けて勝手に死ぬのはお前たちの勝手だ……が」
 鋭い殺気が放たれる。それが向けられているのはソーンナイトではなく、何故かノエルたちだ。ノエルはわけもわからず狼狽し、レイヴンがヴァイディアスへ向かって剣を構える。
「人命のかかった依頼の時、その浅慮は救出すべきものたちをも殺すと知れ」
 忌々しげに言い放ったその言葉に、ノエルは俯くしかなかった。どう取り繕ったところでそれが事実だ。
 そもそも営利企業であるギルドが複数のパーティに同じ依頼をするというのは採算が合わない場合も多い。今回はたまたまの判断だったが、ヴァイディアスたちが今この場にいないことのほうが確率的には高かったはずである。
 もしギルドマスターの判断がなければ、ノエルたちが倒れるだけでなく、人質の命も手遅れになっただろう。
 ヴァイディアスはすぐに踵を返すと、ソーンナイトの駆逐に取り掛かった。本来なら熟練した冒険者でも脅威であろう蔓の多重攻撃を闘気を篭めた一撃で吹き飛ばし、まるで作業のように淡々と本体を屠る。圧倒的物量にものを言わせるソーンナイトたちの攻撃方法は、それ以上に圧倒的質量にものを言わせるヴァイディアスとは極めて相性が悪かったのだ。
 さしたる時間もかけず、呆気ないほど簡単に"竜殺し"によるソーンナイトの駆除は終わった。人質に絡み付いていたものも、ナッジがスロウヘッジで動きを拘束している間に花を落とされ、唖然とするほど簡単に戦闘は終結した。
「よかった……」
 ナッジによって治療され、途中から参戦していたノエルが、安堵の溜息をつく。
「いいわけあるか馬鹿野郎」
 ナッジと共に人質の調子を見ていたヴァイディアスが、急に振り返った。その双眸には戦闘前に垣間見せたあの殺気と怒気が宿っている。
「俺たちがこなかったらどうなったかを考えろ。お前はこの依頼を受けたことでパーティ全員と人質の命を危険に晒した」
 怒気を含んだ低い声は、ノエルを震え上がらせるに十分だった。それに反応してか、レイヴンが武器を構えようとしたのをカフィンは慌てて制した。
 ソーンナイトの群を前に青色吐息だった自分たちに比べ、ヴァイディアスとナッジはそのすべてと戦っても息を切らせた様子はない。戦闘力の差は歴然であり、下手に相手を刺激したくはないという判断だ。
「ノエルは人の助けになることを……」
 それでも抑えきれなかったのか、レイヴンが反論を始める。
「今逆に危険に晒した現実を見てもそう言えるのか?」
 レイヴンが言い終える前にヴァイディアスはその反論を封じた。
「この馬鹿二人の考えは概ねわかったがな……そこの女。貴様何故止めなかった?」
 もはやレイヴンには一瞥すらせずに、ヴァイディアスの視線がカフィンとナーシェスへ向けられる。言い争いを止めようと立ち上がりかけたナッジを手で制し、抜き身の破邪の剣を携えたままノエルたちの前まで歩み寄る。
「依頼を受けるのに反対していた女というのはお前だろう。ならばこうなることは予測していたはずだ」
「……」
 言い返す術はなかった。カフィンがどう反論しようとも、この現実を前にはすべて無意味だ。
「思うだけじゃ人なんて救えるわけねえんだよ……」
 低く重い言葉は、ヴァイディアスの憎悪とすら呼べる感情と共に、吐き出される。
「手を伸ばしても届かなきゃ意味なんてねえんだよ!!!!」
 あの日、ガルドランの槍からヴァンを救おうとした手は、ヴァイディアス自身の力不足によって届かなかった。それによって失ったのはあまりにも大きく、空隙は未だに心を苛む。
 あの時手が届いていれば。
 その思いは常にあった。それだけに、それを成し遂げる力を持たないにも関わらずこの依頼を受けたノエルたちが、ヴァイディアスには過去の自分を見ているようで腹立たしかった。
 その程度の力で届くわけもない。
 そうノエルたちを両断すると同時に、過去の自分を断罪する。あの時のヴァイディアスと今のノエルたちは、力を持たないということすら罪と言えるのだ。モラルや常識の問題ではなく、それによって死傷した当事者やその関係者の感情においての、許されざる罪人だ。
 そして、人を救う為に成したことすらも、その人に思いが届かなければ罪となることもある。
 それらは法が定める罪よりも根深く、重い。
 ヴァイディアスの心に刻まれた傷痕の正体である。焦り、渇望するのはそれが原点。だからこそ手を伸ばす為に力を求める。だからこそ間に合わないことを恐れる。だからこそ失うことを恐怖する。
 如何なる力を手に入れようと満足せず、さらに上を求める。故にそれは"無限"を求める聖痕(スティグマータ)だったのかもしれない。
「冷徹さを身につけろ。自らの戦力を氷のような目で測れ。そしてそれに見合った、手の届く範囲で好きなことをするがいい」
 破邪の剣を乱暴に鞘に叩き込み、苛立たしげに鉄靴を鳴らして踵を返す。
「それができなければ……今ここで死ね。そのほうが"人の為になる"」
 皮肉げに、嘲るように、肩越しにノエルたちを睥睨する。ヴァイディアスはそのまま前を向くと、一度も振り返らずにエンシャントへ向かって歩き出した。
「ごめんね……でも、あまり無茶をすると本当に危ないから。彼らは治療しておいたから、すぐ目を覚ますと思うよ」
 すまなそうにそう言い、ナッジもヴァイディアスを追う。
 ヴァイディアスが立ち去る際、それまで安全な位置から魔術を飛ばしていたナーシェスとすれ違った。
「……俺は仲間が危険に晒されているにも関わらず、自分の安寧だけを図るやつは死ぬほど嫌いだ」
「……何のことだかわからないな」
 視線すら合わせず、二人はそのまますれ違った。
 それぞれに思考を巡らせ押し黙ったノエルたちを残し、ヴァイディアスはそのまま立ち去った。彼女たちは自分たちの主張を一度も許されずに打ちのめされ、ただただその背中を見送った。
 無限のソウル同士の邂逅は、あまりに唐突に、そしてあっさりと終わった。
 バイアシオン大陸は広く、この邂逅自体奇跡的なものであろう。事実、彼らが再び出会うのはこの世界の運命を決める日となったのだから……


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