- 闇の輝き 光の影 -
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ロストール貴族、リオラ・リューガの所領、ノーブル。王都ロストールから程近いその村からさらに南へ下ったところに、その湖はある。 緑青に輝く水をたたえてはいるが、実は沼と呼んでもさしつかえないほどにささやかな湖。 周囲にはただ藪と草はらが広がるだけの、さして見栄えもしないその水たまりが、一体、どうして『 夢幻の 』 などという呼称を冠することとなったのか。それは時折、湖の奥底深くに不思議な建物らしき幻を見せるから。 とはいえ、何のとりえもないその場所の奥地に、リオラ一行がたどり着くのにそう時間はかからなかった。 何もないただの行き止まり。これまでは確かにそうであったはずが──。 「道が……」 近づいたリオラ達の前で周囲を囲うように絡み合って茂る藪の一部が二手に割れ、先があることを示している。 分厚い藪の壁の中に小さく開けた地面。そこには大きな白い石版が敷かれていた。 ゆっくりとさらに足を進めれば、石版の下から白光が漏れ始め、一瞬眩さに目をくらませた後には石版が横にずれ地下へと下る暗い穴が口を開けている。 湖に沈む遺跡……その一節を思い出し、リオラはここが目指す場所だと確信した。 敵地ディンガルにまで乗り込むことを辞さない程に願って止まなかった力が、実はまさに自らの足元にあったという訓示めいた現実に苦笑しながらも穴の中へと乗り込んでいった。 「これは……エストが喜びそうね……」 地底に降り立ったリオラの口から、思わず素直な感想がこぼれ出た。 天を仰げば風に揺れる水面が頭上遠くに浮かび、水の膜を通り抜けて届いた光がゆらゆらと辺りの景色をほのかに照らす。 一本の道がまっすぐに通っていた。その両脇にはまるで主人を出迎えるかのように、人型の像がずらりと並べられている。 その先には、地上にあった頃には天へと昇っていくようであっただろう長大な階段がある。階段のふもとと頂点には祭壇らしき部分も設けられており、何らかの儀式が行われていたことは想像に易い。 そして、巨大な水泡がいつまでもそこに留まっているかのように、水たちは遺跡を侵すことなくただすっぽりと覆うだけ。 確かに水底にありながら、濡れもせずに立っているという不思議な体験をしながら遺跡の置くへと足を進めた。 と、支柱に支えられた階段の裏手がにも、何かが置かれていることに気づく。 いかにもと思われる階段上からではなく、その真下に位置するであろう何かの方からこそ力が流れ出している。 正確には、そこへ至るためにくぐる門と思しき入り口に立ちふさがる、巨大な魔物からだが。 「門番というところか」 セラの抜き放った月光の妖光をまとって磨きぬかれた刃に、魔物の巨躯が映しこまれる。 「リオラ、油断しないように。あれは……」 「ええ、兄さま。デヴィルに聖魔術は弱点にはならない、でしょう?」 妹の導き出した正解にロイは微笑で応え、日光を構えてセラの傍らに陣取った。 数ある悪魔種と呼ばれる魔物たちの中で最上位に位置するデヴィル。その姿を大陸で見かけることは滅多にない。本来ならばその力の強大さゆえに闇の世界に封じられ抜け出せないはずが、こちらの世界からの何らかの干渉によって呼び出され存在しているのだと思われる。 世界を分けている力を通過するにあたっては相当に制限を加えなければならないらしく、本来持っているであろうはずの闇の属性まで失われているほどだ。 よって、悪魔種にとって致命傷となる聖属性による攻撃は、その威力が減退してしまう。 もっとも、リオラ一行としてみれば、闇の属性を付与された妖刀を操るセラが、その力を半減させることなく揮えるという利点もあったが。 黒い翼を広げ、牙と両手足の研ぎ澄まされた爪を見せ付ける巨体の前で散開した仲間たちの位置を、リオラは素早く確認する。 セラや兄ロイ、レルラが遺憾なく発揮できるならば、自分の強すぎる力はせめて援護という形だけにとどめたい……。それは、当世で間違いなく五指に数えられるべき魔術師の、己自身に対する捨てきれぬささやかな抵抗だった。 世の諸々の魔術師たちが聞けば、その大半はまったく理解しないだろうその願い。 アーギルシャイアの一件以来、どこかで魔術を厭悪する気持ちが確かにある。 ……本当は分かっている。もしも、滅ぼされたのが自分が守るべきものでなかったのならば、きっと今ほどに自らの力を厭うことはなかったはずだ、と。 一瞬、過去へと思いをめぐらせてしまったリオラの目の前では、 「兄さまっ……!!」 本来の力にはるかに及ばないとはいえ、デヴィルはただ膂力のみでもすさまじい。地面から岩石をえぐり出し、その力をもって投げつける。それだけでさえ、直撃すれば命を落としかねない。といって、易々と避けきることが出来るような速度でもなく、岩石本体から砕けて散ったこぶしほどの礫がロイの肩をしたたかに打つ。 分厚い肩当てが裂傷を阻んだが、その形を歪めることになった程の力は瞬時に痛みと熱とを与えた。 とっさに歯をくいしばり、衝撃に揺らいだ体勢をぎりぎりのところで立て直したロイ。痛みをかばう様に思わず伸ばしかけた手が止まる。 ふっと身体を包み込むこの緩やかな力の流れは見ずとも分かる。妹の治癒魔術、ヒーラースペルによるものだ。 人々の積年の魔術の乱発によって心の拠りどころを奪われた者が、強大な魔術を繰り人々の心の拠りどころになるとは……。 妹に課せられた運命とも呼ぶべき皮肉に、ロイの胸の奥がじくりと痛む。 リオラがせっかく宿った自分の力を忌避する理由は、失った痛みだけではない。 絶望に冒されたソウルが、いつ誰を傷つけるかもしれないという不安。背中に闇の深淵を感じながら、常に自分自身を制し省みながら生きていかなければならない苦しみ。 忘却の仮面という闇の神器に自分もまた心を侵されたからこそ、闇の支配への怯えが少しは分かる。 「ロイ!」 剣を分かち合った親友の短い喚起の声で我に返る。 「ああ、分かっている、セラ!」 戦いの最中にわき上がった煩いを振り払うロイの前で、迷いも躊躇いもなく、月光は風のうねりを供にデヴィルの黒い体を切り裂く。あまりにも鮮やかな斬り口を見せるかつての相棒──今はもうその名は妹にこそ相応しいだろう。 レルラの手から放たれた銀の弧が、見事にデヴィルの濁った目を穿つ。妹が旅の中で見つけ出した彼女の頼もしい仲間。 「バニティスペル・フレイム──!」 リオラの冷ややかで鋭い詠唱に乗せて、デヴィルを覆う黒霧。そして、霧の中で轟く爆音。常人が身につけられない闇の魔術を支配下におさめた妹。 二人でミイスという名の小さな世界を守る道は、あの日を境に閉ざされた。高く燃え昇った業火と死のもたらす静音の中で……。 あれから、それぞれに自分の進むべき道を見出し、過去には当たり前に思い描いていた未来を進むことはなくなった。 今こうして一緒に旅をしているのは、あるいは永久に失われた幸福の夢を共に見ているのかもしれない。 だが、その旅の終わりが近いことをロイは悟っていた。 日に日に覆いかぶさってくるような、重苦しい闇の気配。力を増す魔物たち。世界に張り詰めた空気が漂い始めている。 始まりなのか、終わりなのか──いずれにせよ、何かが起きる。 その日が訪れる前に、間に合ってよかった。 死が訪れるその日まで、内なる闇と戦い続けなければならない妹へ──。 自分と同じく、脈々と連なる天空神ノトゥーンに仕える神官の系譜に名を残す妹へ──。 かつては確かに彼女と共にあったはずの、見失った天上の光を────!! 「──っ!!」 声にならない息を大きく吐き出し、渾身の力を一撃に込める。重い手応えと衝撃。 刀身が深く埋め込まれたデヴィルの肉体の内側から、聖剣・日光の放つ清冽な白光がほとばしった。 断末魔の咆哮は天に張った水をさえも揺るがし、もがくようにして引きつらせた四肢が震える。 今にもその巨体が崩れ落ちそうになった時、デヴィルの体のあちこちが小さく爆ぜ、立ち上る黒いもやとなって跡形もなく消えていった。 魔物の気配が完全に消え失せると、辺りは静謐に満たされる。 「お前の求めるものは、きっとあそこだろう」 さざなみの揺らめきに合わせてゆらゆらと青白く浮かび上がる水底の中で、兄は妹の背を押し出す。 仲間たちの方を一度振り返り頷きを交わすと、リオラはデヴィルが守っていた門をくぐって行った。 近寄ってみると、大きな台座が祭壇のようにも思えたそれは、石柩だった。 銘はなく、またそれが誰のものであるのかを示す他のものも見当たらない。 ぐるりと一周見回ってからリオラは何もないことを確認すると、一つ息をつき、柩のふたに手をかけた。と、彫刻の施された分厚い石板のふたは、大した力を入れたわけでもないのにズッと重い音をたててずれ、薄く開いた隙間から漏れ出した閃光がとっさに閉じた瞼さえも突き通して瞳を灼いた。 辺りは強烈な光がもたらす白一色の空間になった。 上も下もなく、右も左もなく、光だけがあった。 ただ目がくらんでいるだけなのか、それとも聖光の中にとりこまれてしまったのか。 ふわふわと足元が不確かで、宙に踏み込んでしまったような気がする。 どこかで今と同じような感覚に陥ったことがある、とふと思い出した。 あの時だ。 闇の奥底に足を踏み入れた、あの時──。 『 我も彼も、闇の中に境目はなく、ただどこまでも闇だ 』 あの時と同じように、光の中に境目はなく──どこまでも連なるただ光。 不思議な気分だった。 闇と光と、相反するものであるのに、何故、同じだと感じるのか……。 ゆっくりと光が薄れ、代わりに色彩がうっすらと現れ始める。 そして、唐突に思い至った。 ──何を驚くほどのこともない。 ──光も、闇も、神も魔物も、自分も、あらゆる全てのものは、元はといえば至聖神という一つのものから生まれたのだから。 「リオラ!」 あの時と同じように自分の名を呼ぶ声がして、リオラは色鮮やかな世界へと戻ってきたことを実感する。 「セラ……」 「大丈夫のようだな」 愛想のない仏頂面。いつもと変わらぬその中で、自分の顔を覗き込む黒い瞳が気遣わしげなことがリオラにはよく分かる。 リオラのことだから大丈夫に決まってるさと茶化してみせるレルラだって、おどけた態度とは裏腹に真剣に心配していたことも。 そして、見るからに妹の身を案じる様子を見せる兄が、顔色には見せない心の内で妹の可能性をかたく信じてくれていることも……。 「リオラ……?」 「大丈夫よ、セラ。ちゃんと新しい力もここに」 リオラは両の手の平を腹の前で並べて広げる。 やっと待ち望んでいた力を手に入れたにしてはもの静かな反応に、小首を傾げたレルラが同じようにリオラの手をのぞきこんだ。 「何だか、あんまり嬉しそうじゃないみたいだけど?」 「そうね、うまく言えないんだけど……」 リオラはぎゅっと手の平を握りこみ視線を落とす。 「神に仕える者として血肉を得たわたしには、その内側にあるソウルが相反する闇であることがずっと苦しかった。自分を裏切っているようで、裏切られているようで」 「……」 「すべての闇を払えば、天光の下で人々が幸せになれるのだと……今でもどこかで信じていた。そうすることができれば、自分を赦せるような気がして。でも……」 言葉をきったリオラは顔をあげた。 頭上できらめく滑らかな水の天井を、自嘲でもって見上げる。 自分が世界に絶望したのは、それまで愛し続けてきた世界を失ったため。 闇の始まりは光だった。 世界に対して哀しみと憎悪を捨て去れないのは、今なお、失ったものを愛し続けているがゆえ。 光の中に闇の種が宿っていた。 「……でも、闇を──無を望むほどに絶望するほど、わたしには愛し慈しんだものがあったという証だから、深い闇の力を宿すに至った自分を悔いることは、もう、しない」 「なーんだ、今頃、そんなこと言ってるの? 一体、どこの誰が君の闇を否定するって言うんだい?」 レルラが呆れたように肩をすくめる。 「ねぇ、リオラ。君がいつだって他人の命のために必死なのは、君が背負った闇が発端なんだろ? そうやって幾つもの困難を乗り越えた原動力が闇だったからって、君が残した足跡が歪むことなんてないさ。力の源が闇だろうが、光だろうが、君は君だよ。君が君らしさを見失わない限りね」 「ありがとう、レルラ」 リオラの微笑の謝辞に、レルラはまた小さく肩をすくめる。 「どういたしまして。まあ、これでもボクは君達より少しは沢山生きてるからね」 と、いつまでも子供のようにしか見えないリルビー族の青年は楽しそうに笑った。 そういえばこの仲間内では彼が最年長者だったと、レルラ以外の三人は思わず顔を見合わせる。 当のレルラはあどけない顔の吟遊詩人に戻り、軽やかな足取りで興味深そうに辺りの散策を始めていた。 身体の奥深いところに宿る鮮烈な光輝。 ──アドヴェント── 闇をねじ伏せる力とするのか、それとも、闇を照らす力とするのか。 地を生み育て、そして去っていった神々の力が、この世界を救うのか殺すのか。 今はまだその力が必要となる未来を憂うことしかできない。 けれど、自分の内なる闇に密かに苦しんでいた一人の人間の心を軽くした──それだけで十分に価値があったのかもしれない。 |
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