- 泡沫の夜想曲 2 -
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「それではアトレイア様、失礼いたします」 「おやすみなさい、リオラ様」 「おやすみなさい」 昨夜よりも少し早く──それでも真夜中を過ぎた頃、アトレイアはようやく寝室へと向かった。 放っておけば寝ることさえ忘れてしまいそうなアトレイアを、頃合を見計らって仕舞いとさせるのもセバスチャンの重要な役目の一つである。 「リオラ様が護衛について下さることは大変心強いのですが、よろしいのですか?」 アトレイアを寝室まで見送った後、今度はリオラを玄関まで見送りに来たセバスチャンが訊ねる。 「ええ。特に問題はないわ。ティアナ様については冒険ギルドを通じて情報を集めているところよ。闇雲に走り回っても仕方ないし……」 「……」 「レムオンならゼネテスがついてるから大丈夫。エストには近いうちに会いに行って来ます。もしエストの方から居場所の連絡があれば教えてください」 「承知しました」 玄関先でセバスチャンに別れを告げ、リオラは一人、表通りへと出た。 相変わらずロストールの街は静まり返っていた。特に活気を失ったのがこの貴族館通り。喪に服していたり、住人不在で明かりの灯っていない屋敷も多く、沈うつに傾いている。 その病的な青白さを思わせる光景に見とれていたリオラに声が届く。 「おやおや。あんたに会えそうな気がして待ってたら……ホントに来たよ」 昨日と同じ場所に、同じ格好で、ツェラシェルがいた。 「俺は賭け事には弱いハズなんだが、かなり運をつかっちまったようだ。当分、ツキはなさそうだ。で、俺に用かい?」 「何の話です? わたしは……アトレイア様の護衛の任についていただけです」 「あ、そ。じゃ、あばよ」 あばよ、と言いつつもツェラシェルの方に立ち去る気配はない。 リオラは一歩二歩と足を運び、それから壁に寄りかかるようにして腰を下ろす。昨日と同じように。 いかにも不本意といったリオラの横顔を、ツェラシェルは不思議そうに眺めた。 「ヒマなの?」 「こんな所で暇を潰すぐらいなら帰って寝ます」 「趣味は徹夜とか?」 「そんな趣味はありません」 淡々とノリの悪いリオラに、やれやれとばかりにツェラシェルは片方の眉尻を下げ喉の奥で笑う。 その笑い方が誰かに似ていると、ふとリオラは思った。誰だったかと思いを巡らすまでもなく、一人の男の顔に思い当たる。何せ、リオラに軽口を叩く相手など数が知れている。 喉で笑いをかみ殺すその仕草は、そう、ゼネテスに似ているのだ。 そんな事を考えながらマジマジとツェラシェルの顔を見つめていると、顔の主はニヤリ──これもゼネテスとどこか似ている──と笑う。 「じゃあ、俺の顔とか好みなわけ?」 リオラはきょとんと丸くした目を幾度か瞬かせる。それから、見事に吹き出して笑い出した。 慌てて口元を片手で覆い笑い声だけはこらえようとするものの、抑えきれない笑いが肩を震わせる。 「おい。ここは笑うとこじゃねーだろ? ったく、失礼な奴だな」 「ごめんなさい。あまりにも突拍子もない事を言われたので、つい」 謝りつつもリオラが笑いをおさめるには、まだしばらくの時を必要とした。 ようやく一息ついたものの、ツェラシェルを横目で見るリオラは今度は苦笑を浮かべている。 「生憎ですが、単に顔の造作という意味での綺麗な男性なら見慣れていますから」 セラ然り、レムオン然り。中でも剣聖ヒューゴは、少なくとも造りだけは秀逸と言える。 男性として魅力的な容貌というのなら、ゼネテスや兄ロイもその中に十分に含まれるだろう。 目の前にいるツェラシェルもかなり整った顔立ちをしているのだが、そういう意味では目が肥えていると言っても過言ではないリオラには「それだけ」では格別に意識されるものではなかった。 「ああ、そうですか」 ツェラシェルはほんの僅かに肩をすくめるような素振りをし、けれど、それから憮然とした表情をふっと緩めた。 「ま、いっか。あんたがまともに笑うとこ、初めて見れたしな」 「……」 不意に向けられた同意を求めるような、困ったような、そんなツェラシェルの笑みにリオラは言葉を飲み込む。 「あんた、しかめっ面ばっかりだよな」 「そんな事……」 否定しながらもリオラは改めて考えてみる。 そういえば、ここ最近、声を上げて笑ったことなどあっただろうか? 笑っていないわけじゃない。 心安らぐ時間だってちゃんとある。 それでも……こんな風に本当に何も考えずただ笑ったのは、久しぶりかもしれない……。 「あなたとは会う状況が悪かったからです、きっと」 それもそうだな、と呟いてツェラシェルが真顔を見せる。 「なあ、あんた……なんで俺を助けた?」 「わたしがあなたを助けたことなんてありましたか?」 「助けたってわけじゃないが、俺が気を失った時、一晩中看てたことがあっただろ? それに今だってこうしてここに居る。なんでだ?」 「それは……」 「ダルケニス騒動の時、あんた、俺のことを本気で憎んだだろ? もう、いいのか……?」 答えにくいことをズバリと問われ、リオラは視線を落とした。 「どうしてそんな事を聞くんです?」 「別に」 「赦されたいから? もう、いいのだと言って欲しいから? そうして赦された気分になって、罪の意識から逃れたいから?」 頭を傾けたリオラが斜めにツェラシェルを見上げる。 「あんたって容赦ねーのな」 ツェラシェルの横顔は笑っていた。口の端だけを持ち上げて作った笑みは、少し卑屈に自分自身を嘲笑っているようだった。 「では、もし、あなた達を赦せないと言ったら?」 「……」 するりと音もなくツェラシェルから笑みが剥がれ落ちる。閉ざされた唇は何も語ろうとしない。 しばらくその沈黙に付き合っていたリオラだが、短く息を吐き出して言った。 「予め言っておきますが、わたしはあなたの命など欲しくはありませんから」 「なんだよ、それ」 「だって、そうしたら言えるでしょう? 俺の命に免じて妹たちは赦してやってくれ、って」 「……」 リオラと視線を合わそうとはせず、まっすぐ前だけを見据えるツェラシェルの口の中で小さく舌打ちが響く。 「ちなみに言っておくと、あなたの命にはその価値がないという意味ではありませんから」 「……」 「じゃあ、何なんだと言うと、死は一つの決着であって償いではないということです。ダメですよ。全部放り出してあの世に逃げ込もうなんて」 「……」 「意味が分からないという表情をしても無駄ですよ。気がついたのでしょう? あなたがしようとしている事の意味に」 「あんたな、勝手に人の頭の中身を先読みすんなよ」 「どこか違っていましたか?」 「……」 憮然とするツェラシェルに、肩をすくめるリオラ。 「賭け事が弱いというのは本当のようですね。あなたは嘘はつけるけれど、嘘を隠せない」 「……」 言われて、ツェラシェルの浮かべた複雑そうなしかめっ面にリオラはわずかに苦笑をこぼした。 二人の隙間を沈黙が巡る。 いくらかの時が過ぎ、ふとリオラは視線だけをツェラシェルへと向けた。 相変わらず壁に寄りかかって突っ立ったまま、けれど少し空を見上げるようにして顎を持ち上げている。月光に浮かび上がるツェラシェルの顔には何の表情もなく、ただ青白さだけが際立っていた。 「あなたはわたしを利用して自分の負担を軽くしようとしている。自身の命と引き換えにわたしに押し付けようとしている。あなたの大事な妹たちを守る役目を」 「……」 「狡いですよね。先がないことを知っているあなたにとって、赦されるかどうかも分からない償いをするより、恨まれたまま命を投げ出す方が簡単なのだから」 「……本っ当に、容赦ねーな」 目を細めながら空を睨むツェラシェルは、いつの間にか握り締めていた拳をゆっくりと解く。残念ながら、何もかもが傍らの少女の言うとおりだった。 悔しまぎれに一つのことを口にしてみる。 「後顧の憂いを失くすってんなら、あんたを殺すって手段もあるんだぜ?」 「ありますけど、やらないでしょう」 「なんでそう言える?」 「だって、あなたはエリス王妃の後釜を探しているのですし。大事な妹さん達の命を託せる相手かどうか、昨日からずっとわたしの事を測っていたのでしょう?」 「……」 一瞬、息をぐっと呑んだツェラシェルだが、間もなく降参の嘆息を長々と吐き出した。 と……。 「さぞかし無念でしょうね。本当はあなたが、誰よりも彼女たちを守って生きたいはずなのに」 柔らかな溜息を繋いだような、細く優しい声に導かれるようにして視線を向ければ、リオラもまた自分と同じように天を仰いでいる。 遠い夜空を見上げるリオラの髪に、肩に……全身を包み込むように、白い光が降り注ぐ。 じっと月を宿す湖面のように、夜は静かに凪いでいた。 「……そうでもないさ。いつまでも俺なんかと連るんでりゃ、あいつらまで汚れちまう。結局、俺にくっついて王妃の密偵なんかやる事になったしな」 「彼女たちがソレを不満に思ってる様子なんてなかったですが?」 「あいつらはどういうわけだか、馬鹿みたいに俺を慕ってるからな。いい加減、愛想つかせっての」 悪態とは裏腹に、ツェラシェルの声はひどく優しいものだった。 「告死天使として多くの命を奪い、多くの苦しみを撒き散らした。施文院を抜けてからも、人を欺き、利用し、踏みつけにしてきた。あんたも含めてな。それなのに、今さら、俺の妹たちだけは……なんて無理だよな」 「無理でいいんですか?」 「なんだよ。あんたが赦せないって言ったんだろ?」 「わたしは、『 もし 』 と言ったんです。赦せない、なんて言ってません」 リオラはかすかに口元に笑みをつくる。 「大体、殺したいぐらい赦せないなら、あなたが広場で転がってたあの時に殺せば済んだでしょう?」 「そりゃ、そうだな」 「まぁ、あなたの命を貰ったぐらいでは、到底赦せたものではないという見方もありますけど」 「……」 先ほどまでの優しげな空気はいずこへやら。 また、現実をそれはもう淡々と口にするリオラに、ツェラシェルは少しばかり柳眉を吊り上げる。 「なあ、あんた、俺の気持ちを弄んで楽しいか?」 「もてあそ……」 思いがけないツェラシェルの言葉に、再びリオラは目を丸くし、また肩を震わせて笑いをこらえる羽目になった。 ひとしきり笑ったリオラは咳払いを一つ。 「おかしな物言いをしますね。事実をただ事実として述べただけです。レムオンを陥れたあの夜の出来事は、あなたの生死に関わらず、なかった事にはなりません。そうでしょう?」 「……そうだな」 「あの時の辛さや怒りはなかった事にはできない。けれどその痛みのはけ口として、あなたの命を欲するかどうかは別問題。少なくともわたしは、もうあなたの死を望む程の痛みを抱えてはいません」 そうか、と肩の力を抜いたツェラシェルにリオラは微笑む。 彼の瞳から死の陰が消えた事にホッとしたのだ。 思えば、ここしばらくの間に、今のツェラシェルのように死ぬ覚悟をした男たちを何度も見ていた。 最近で言えばレムオン、その少し手前では場で罪人として捕らえられた時のゼネテス、さらにその少し前には戦場で玄武将軍を庇おうとしたヴァイディアス、さらにずっとさかのぼれば兄も。 それぞれの理由、それぞれの想いがあってのこと。それぞれの覚悟は決して軽いものではない。 そうは分かっても、やはり最後の最後までどこまでも生きあがいて欲しいと思う。 ……戦場では容赦なく敵の命を奪っておいて何ではあるが。 自分でつけ足した一言にリオラは自嘲を浮かべる。 「そういう訳ですから、妹さん達のお守り役はご遠慮します。命は大事になさって下さい。人の命はそれが何者であっても大事なのだそうですよ」 「へぇ、そりゃまためでたい事を言う奴もいるもんだな」 「ゼネテスですけど……」 「……」 言った途端、あからさまに不機嫌になるツェラシェル。 エリス王妃の繋がりでゼネテスとツェラシェルが旧知の間柄なのだろう、とリオラは認識している。間違いはないだろうとは思うのだが、ならばこそ、どうしてツェラシェルがこんな表情をしているのか分からない。 ゼネテスをよく知らない者が彼を嫌うことはあっても、ある程度の関わりを持った者が彼を好く思いこそすれ嫌悪するなど見たことがなかったのだ。 それとも、何か気に障ることを言っただろうかと首を傾げるリオラの耳に、やはり不愉快そうな声が届いた。 「……本当にめでてぇ奴」 「……」 「ちっ。もういいさ、あんたの言いたいことは分かったから」 「え、ええ……」 リオラが頷くのを見て、ふぅっとわざとらしく息を吐ききったツェラシェルがまた表情を変えた。 先ほどの刺々しさを感じさせない──まるで切り離したかのように──面白そうな笑みを浮かべる。 「そういやさ、あんた、まだお姫様の護衛ってのは続けんの?」 「ええ、まぁ」 「ふーん……。夜遅くまで大変なこった」 実際のところ、リオラがアトレイアを護衛する必要性はかなり薄いのだが。 ツェラシェルにもそれ自体は分かっているようで、だからこその含みのある笑みなのだろう。 ただし、口ぶりからすると、リオラがここに居る理由が、まさか彼が案じてやまない妹たちの頼みで……正しくは彼女らに頼まれたアルティからではあるが、とまでは考えていないようだ。 リオラは明確に妹たちにツェラシェルについてを語ることを禁じられている。が、アルティには別だろう……と勝手に解釈してもいる。 ロストールに戻ったアルティとどうするべきかを相談するまで。 それまではとにかく、ツェラシェルと接触できるようにしておけばいいだろう。 ただ一人の兄を案じる気持ちが分かるから、痛いほどに分かるから……。 しばらくは彼女らの代理でここにいるだけ。 ──それだけのこと。 そう心の中で唱えながら、リオラは時が思いのほか心地よく過ぎていく事を感じていた。 |
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