- 道の先にあるもの -
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早朝のエンシャントの街の片隅に四つの人影が並ぶ。 一夜を野宿の空の下で過ごしたリオラ達は、人目を避けてようやく眠りから覚めようかという刻限にエンシャントの街を足早に抜け、スラムのさらに奥地にある魔道の塔の前にたどり着いていた。 天に向かって細くそびえる塔は、古びて今にも朽ちそうでありながら確かにそこに在った。こんな街のすぐ近くに置いておくにはあまりにも禍々しい気配を漂わせながら、逆に手をつけることを躊躇させるだけの威圧感さえ伴っている。 普通の人々はおろか、並以上の冒険者たちでも立ち入ることを拒絶されているようなその空気を破って、リオラは塔の中に足を踏み入れた。 ただでさえ広くはない内部は、さらに細かく壁で仕切られますます入り組んで狭い。区分された部屋や階の移動は、わざわざ迷いやすく設置されたテレポーターのみが手段であり。おまけに落とし穴や隠し階段と、さながら迷路の様相を呈している。 そんな塔の中を、守り手と言わんばかりにひしめき合う魔物たち。 強さはともかくとして一つ所でこなした戦闘の数だけで言えば、これまでの数々の冒険の中でも一、二位を争うほどの多さ。 日ごろは戦いの最中でも軽口をたたくことを忘れないレルラでさえ、途中から半ば辟易して黙々と矢を放つことに専念した程だ。 行き先不明の移動につぐ移動と着いた場所ごとに積み重なる戦闘に、塔を上っているのか、下っているのかの判断さえ危うくなる。 それでもいつしか、肺に吸い込まれる空気がより湿っぽくかび臭く、より年月を帯びた独特の重みを持ち、いよいよ地下深くに降り立ったことを感じさせた。 「……とりあえず、ここが一つの終着点のようだな」 月光を右手に提げたセラが小さな吐息と共にこぼす。 テレポーターで移動してきたばかりにしてそうと悟らせたのは、訪れたばかりの新しいそのフロアに魔物の姿が見られなかったからだ。 代わりに、壁で仕切られた向こう側から不思議な気配が漂ってくる。 いや、気配だけではない。 『久しぶりの新顔だな』 男の声が間違いなくリオラの耳に届いたのだ。けれど、ハッと息を呑んだのは彼女一人きりだった。 「どうした?」 「セラ……、今……声が……」 言いながらリオラ達はさっと仲間たちの顔を順に見渡す。そこには怪訝と不審の色しかなかった。 「聞き違いとは思えないのだけれど……」 「まあいい。行ってみれば分かることだ」 「ええ……」 これまでよりさらに用心深く壁を伝って歩いていき、一箇所だけ細く途切れている入り口から中を覗き込む。 そこにいたのは、確かに男だった。 ただし、その男の身体の大部分は何かの文字が一面に刻み込まれた巨大な一枚の石版に埋め込まれていた。両腕を左右から吊り下げられている形で、頭部と上腕、何も身に着けない胸元だけを残して、まるで泥に塗りこめられたかのように硬い石版の中に飲み込まれている。表に残っている部分にも首、腕、胸と何重にも鎖がかけられ、その先端は石版に厳重に穿たれていた。 石版の両脇には青白い光が灯され、まるで見世物であるかのように男を下から照らし上げている。 どういう力が働いたのかまったく見当もつかないが、男は間違いなく虜囚だった。 肩から胸元へと流れおちる暗い灰紫色の髪。意志の強そうな口元はきつく引き結ばれ、瞳を固く閉ざした男の顔は若く見える。だが、男が経てきた年月が見た目通りではないことは明らかだった。 『さすがにこのおぞましい姿には驚きを隠せぬか……』 目も口も閉ざされたまま、それでも男の声は確かにリオラの脳裏に響いてくる。 「あなたは一体?」 『余はシャローム。人類の革新を夢見たために竜王にうとまれ、この有様だ。見知り置くがよい、リオラよ』 「どうして……わたしの名を……」 『汝の名を探るなど、余には容易いことよ』 と、不意に、呆気にとられるリオラの肩にセラの手が載せられ、会話がさえぎられる。 「どうやらこいつはお前以外とは話す気がないようだな」 「え?」 「お前以外には、こいつの声は聞こえていない」 セラは冷たく澄んだ視線をサッと突き刺したが、石版の男の方はまったく動じる様子はない。 「俺たちと話せないのか、話さないのかは知らん。が、用心しろ。気をゆるすな」 低めたセラの声に、リオラは大きく頷き改めて石版の男──シャロームに対峙した。 『恐れることはない。真に汝が恐れるべきは他にある。むしろ、余は汝が力を得る助けとなろう。無限のソウルの持ち主よ』 「……何のために? 何故、わたしに力を与えようと言うのです?」 『汝がそれを欲するからだ』 知らず知らずの内にリオラは唾を飲み下していた。恐れというよりも、頭の中に手を突っ込まれたような得体の知れないおぞましさに悪寒が走る。 それでも退くという選択はリオラにはなかった。 「力を求める全ての者に与える、というわけではなさそうですね」 『無論だ。受け入れる器の無い者に力を与えて何になる? だが、汝には長きに渡って封じられてきた大いなる力を受け入れるだけの器がある。どうするかは汝の心次第よ』 シャロームはリオラに自分の話を聞くのか、聞かないのかとは問わなかった。 その気がないのなら、速やかに立ち去ればよいだけなのだから。 ここに留まっているというその事が、彼女の答えだった。 『リオラよ、世界を見ていかに感じた? もう少し力があればと思うことが多かったのであろう? 故に、新たな力を得たいと考えた』 「……」 『世界は悲しみに満ちている。その悲しみの源がどこにあるのか……知りたくはないか?』 「あなたは……知っているというのですか?」 『余は汝に教えよう、真の敵が何者であるかを。竜王の手によって、この世界がいかに歪められてきたかを……』 問うたリオラの脳裏に、男の押し殺した笑い声が響く。 ──千二百年も前になる。この世では小国同士の小競り合いが繰り返されてきた。当時すでに魔法は失われていたゆえ、戦は全て肉弾戦であった。 だが、神聖王国アルレシアのみが神より魔法を授かっていたのだ。 アルレシアは魔法を武器に小国を平定し、戦乱を終結させた。この時、アルレシアを統治していたのが、七人の魔道師……アルレシアの七王。余もその一人であった。 しかし、大国の存在を嫌い、再び世を乱そうとした者がある。 竜王だ。 竜王は七王のうち二人、余とディーヴァをそそのかし、アルレシアに対抗させた。 我々が新たに築いた魔道王国ラドラスと神聖王国アルレシアの間で、再び戦が始まったのだ。竜王の目論見どおり。 何故だか分かるか? この世に完全があってはならないからだ。 完全とは終焉であること、汝にも理解できるであろう? もうそれ以上の発展が望めないところまで辿りつく事こそが、完全なのだ。完全は完全であるが故に朽ちることは無く、同時に他を必要としないが故に新たなるものを生み出すことも無い。 だが、神々はそんな満ち足りた静寂など望んではいない。創造と破壊の繰り返しこそが、世界を動かす力であり、神々の活動そのものであるからだ。 竜王は神の代行者として、神にとって都合のいい世界を存続させるためにのみ動く。そういう存在なのだ。 完全なる滅亡に至る力があってはならない。そして、完全なる平穏をもたらす力も。 だからこそ、これまで可能性を秘めた多くの者や力が、竜王の手で葬られてきた。強大な力は世界の均衡を容易に崩すからな。適度な戦乱と適度な平和という、身勝手な神の秩序を。 竜王は乱世の原因を取り除く。平和あるいは滅亡という一つの形で世界を脅かすものを排除する。 おかげで、人の世は本当の平穏を知ることはない── 『神を語り、世をかき乱す。あの竜王こそが人類の敵なのだ』 語り終えたシャロームの声が途切れると、リオラは大きく息を吐き出した。 「あまりにも話が大きすぎて手に余るというのが正直な感想ですが、確かにお話は承りました」 『余が何故このような話を聞かせたか、汝には本当に理解できておるのか? これから汝が手にしようとする力は、間違いなく竜王に疎まれるものだ。もっとも、すでに人類革新の可能性を秘めた汝に目をつけてはいるだろうが……』 「わたしは!」 シャロームの言葉に割り込むようにして、リオラが声をあげる。 「……わたしは、竜王の思惑にも人類の革新にも興味はない。譲れるものは譲るし、譲れないものは譲れない。それが誰であっても、何であっても。ただそれだけです」 自分を正義だと名乗ったりはしない。 これまで選び決断し歩いてきた道が正しいのか、リオラ自身でさえ分からないのだから。きっと、死を迎えるその最期の瞬間まで、判断することなどできない。 けれど一つだけ言えることは、彼女の人生の正誤と善悪を結論づけていいのは、いつだって良心と感情との間で揺れ動きながら必死に道を模索してきた、リオラだけだ。 彼女の選んだ道にある者は賛同し、ある者は反発するだろう。ロストールでは英雄と呼ばれ、ディンガルでは人目を避けねばならない現状はその顕著な例だ。 すべての者に自分の選んだ生き方を受け入れてもらおうなどとは、リオラは思っていない。自分とて、他のすべての人の生き様を受け入れることなどできないから。 互いの目指すものが違うのなら別々の道を行けばいい。そして、各々が信じて進む道を貫くために互いの存在が邪魔だというなら、ぶつかり合うしかない。 これまでも、これからも。人でも、竜でも……。 『リオラよ。新月の塔へ行くがよい。遥か昔よりそこに在るという高き塔は、かつて月の神の眷属と呼ばれるダルケニスの聖地だったそうだ。最も深く昏き魔法の力、禁断の闇の魔術デモリッシュが手に入ろう。天に近き場所に封印されておる』 「闇の……禁呪……」 リオラはわずかに眉をひそめた。 闇の者であるシャリを相手とするのに、闇の力で対抗し得るものなのか……。 『不服か? だが、汝自身の根底となる力を覚醒させもせず、それ以上の力を望むのは難しいことではないか? 闇のソウル……ネガヴァニティアの持ち主よ』 「……」 『闇のソウルを宿す者が訪れれば、守護者が迎え撃つという。守護者を倒し、祭壇にたどり着ければ、汝は禁断の力を手にしよう。真に力を欲するならば挑戦してみるがよいぞ』 しばらくの間、金の瞳でシャロームの顔を睨み据えていたリオラは、やがてクルリと仲間達の方へと向き直った。 「……新月の塔へ」 出て行こうとするリオラの背中に、シャロームの含みのある声が届く。 『余は汝に期待している。悪いようにはせん。また訪れるがよい』 振り返るそぶりをわずかにも見せず、リオラは立ち去った。 すでにほとんどの魔物を闇へと追い返していた帰りの道は来る時の半分の時間もかからず、それでも再びエンシャントの土の上に足を戻した時にはとうに陽が高く昇りきっている。 眩しすぎる太陽の輝きとは対照的に、リオラの心には晴れないもやがかかっていた。 シャロームとの会話のすべては、戻る道すがら仲間たちに話した。そして、自分が選んだ道も。 その道を進むことに惑いはない。 けれどその一歩は……禁忌に踏み込むその一歩は、あまりに重い。 ──いや、違う。本当はそうではない。こんなにも心が重いのは、自分の力の根源が闇であると思い知らされたからだ。 リオラはぎゅっと目をつぶった。 天空神ノトゥーンを祀る神官の家に生まれ、神器の守護者として育ち、生涯を神の側で生きていくのだと信じていた。 隠れ里という狭い世界の中で自分が思い描いていた未来とは、あまりにも大きくかけ離れてしまった……それも対極の方向へと。 あるいはこれが聖なる力の極みを得られるというのなら、ここまで苦い思いはしなかっただろう。 力はただ力であり、結果は使い手次第なのだと頭では理解している。 それでも、敵であり憎むべき存在だと思い続けてきたものと自分とが、同じ存在であるような気がして……。 まっすぐに顔を上げながらもどこか塞ぎこんだ様子のリオラに、仲間たちは誰も何も言わなかった。 セラとロイは、彼女が背負った多くの死の重みを知っている。 レルラは彼女が必死に光から顔を背けずに生きてきたことを知っている。 だから、何も言う必要などなかった。 と、戻ってきたスラム街の通りの角を曲がろうとして、不意にリオラが足を止める。考えに耽っていたせいで危うくぶつかる寸前まで、人の気配に気づかなかったのだ。 もっとも、相手の方も背後に気をとられていたらしく、肩越しに振り返っていた顔を正面に戻してひどく驚いた様子を見せる。 互いに間近で目を見張ることになった、リオラとツェラシェルだった。 「待ってよ、兄さん!!」 ツェラシェルの遠い背後、曲がり角の向こうから投げかけられた甲高い声にも、リオラは聞き覚えがあった。彼を兄と呼ぶのは、ヴァイライラかヴィアリアリのいずれかでしかありえない。 だが、ツェラシェルは呼ぶ声に振り向きはしなかった。 「よう。情報料でも払いに来てくれたのかい?」 「え? あ……いえ……」 前日の死竜の洞窟の一件のことだと気づいて生真面目に首を振るリオラに、何を思ってかツェラシェルはほんの少しだけ目を細める。 と、そこに駆けつけてきたのは、予想通り、双子たちだった。思いがけないリオラの出現に、同じ顔を揃えて大きく目を見開く。 「ノー……!!」 「ヴィアっ!!」 『 ノーブル伯 』 と今にも叫びそうな妹の口を、ヴァイライラは飛びつくようにしてふさいだ。 いくらスラムとはいえ、エンシャントの街中で大声で呼んでいい名前ではない。 その事に気づいたヴィアリアリは、姉に向かってこくこくと頷いて手を放すように訴えた。 そんな妹たちの様子をチラリと一瞬だけ目の端に映し、だが、ツェラシェルは…… 「……じゃあ、またな。リオラ」 あの時と同じように一瞬にしてその姿を消す。 ヴァイライラとヴィアリアリ、二人の差し伸ばした手が空をかいた。 少しの間ツェラシェルのいた空間に視線をさまよわせていた双子だったが、ふいに妹ヴィアリアリの方が表情をきつくしてリオラに詰め寄る。 「ねえっ! どういうこと!? なんで、『 またな 』 なの!?」 「さ、さあ……わたしにも……よく……」 「私たちには全然会ってくれないんだよ? それなのに、なんで!?」 「で、ですから……わたしにも……」 リオラの身体をがくがくと揺さぶるヴィアリアリを、ヴァイライラは青い顔をしてひっぺがした。 「申し訳ありません。ノ……いえ、えーと……」 「リオラと呼んで下さい。気遣ってくれて、ありがとう」 「分かりました、リオラ様。ところで、一体どうしてこんな所にいらっしゃるのですか?」 この上なく礼儀正しく訊ねるヴァイライラに、ヴィアリアリも元気よく賛同した。 「そうよ。ここはその、リオラにとっちゃ危険でしょ?」 「ヴィア! 呼び捨てなんてっ!!」 ぎょっとして声をあげるヴァイライラに、リオラは構わないのだと苦笑しつつ首を横に振った。 「わたしがここにいるのは……」 自分は何故、危険な敵国の本拠地にいるのか。 魔道の塔に自分の可能性を探しに来た──いや、それはシャリを倒すために必要だっただけ。 シャリを探すことも、倒すことも、本当はどうでもいいことだ。 自分が本当にやりたかった事は……その答えを思い出して、リオラは微笑んでいた。 「行方の知れない……友達を探しに来たの」 心に引っかかっていた暗いもやから解き放たれる。 光であろうが、闇であろうが、力は、ただ力に過ぎないのだと、腹の底にストンと落ちて納得できた。 たとえ力尽くでもとり戻してみせると決めたから、自分は今ここに存在している。今さら力の名前が何であるかにこだわっている余裕などないのだ。 「ねえ、その友達って、まさかティアナ王女のこと?」 そんなはずはないだろうという否定をこめて、恐々と訊ねるヴィアリアリにリオラは少し首を傾げる。 「王女様をつかまえて友達などというのは不遜かしら?」 「そうじゃなくって!!」 「何故、あの方のことを友達などと呼べるのですか? あの方は……」 「わたしがレムオンの妹で、ティアナ様がエリス王妃の娘だから?」 リオラの返したやや的外れな答えに、ヴィアリアリの詰まってしまった言葉を、ヴァイライラが継いだ。 躊躇いがちに小さく頷くヴァイライラの前で、リオラはかすかな笑みを浮かべた。 「それでも……わたしはティアナ様を友達だと思ってる……。苦しい時に傍にいたいと、そう思っている」 「……」 それでもまだ不思議そうにしている二人の前で、リオラの瞼がすっと閉じる。 「それにね、わたしはエリス様に頼まれていたの。ティアナ様を守って欲しい、とね」 「エリス様が!?」 双子はほぼ同時に同じ言葉を叫び、同じように顔を見合わせる。 「遺言のつもりでそれを実行しようというわけじゃないのよ? でも、わたしとティアナ様の間には確かに繋いだ手があったことを、あの日のエリス様の言葉は思い出させてくれる……」 「……」 「ありがとう。あなた達に会えて良かった。おかげで、何を願っていたのか……本当に果たしたいことは何なのか、思い出せたわ」 すっきりと晴れやかに笑うリオラに、双子は顔を見合わせる。 何だかよく分からないうちに礼まで言われ、颯爽と歩き出すリオラをただ唖然として見送った。 「リオラって……変な人……」 「ヴィア! 失礼ですよ!」 「だって……」 ヴァイライラとヴィアリアリの言葉は、リオラにはもう届かない。 ただ、いつものように、欲するものに向かって──一人の友人を取り戻したいという願いに向かって、走り出したのだった。 |
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