- 罪を背負う者 -
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ロストールという狭い世界しか知らないレムオンを連れて、ゼネテスは旅立っていった。大陸を巡るのだという。混沌として凶暴な世界ではあるが、彼ら二人ならばそうそう戦力に欠けることもないだろう。 旅立っていく二人を、リオラは見送った。 やらなければならないことがあった。今はリオラにしかできないであろうことが。彼女だけが唯一、誰からのとがめだてもなくロストールの街に、王宮に出入りできるのだ。 ロストールに舞い戻ったリオラは王宮へと駆けつけた。闇に囚われた王女ティアナを、そのまま放っておくわけにはいかなかったのだ。 何としてもシャリの手から取り戻す──そう覚悟して足を踏み入れた王宮で待ち受けていたのは、静けさだった。 闇の気配はすでにどこにもなく、ただあるのは、王宮のいたる所に横たわる骸ばかり。 謁見の間では去った時と同様に貴族たちが屍をさらし、各所の部屋や廊下では兵や騎士さらには侍女や下働きの者に至るまでが無惨にも非業の死を遂げていた。それらの城に仕える者たちは貴族の叛乱に際して、王宮を追い出されている者が多かったのがせめてもの幸いと言える。 死に満ちた王宮の中で、ほぼ唯一といえる生存者はロストール国王セルモノー、その人だった。こんな事態の中でも、自室の椅子に腰掛けていた。何を見るでもなく、何をするでもなく。 かつては生きていた死人の群れと、生きながら死んでいる国王と。 ロストール王国という国は、その日、確かに一つの終わりを迎えたのだとリオラには分かった。 ようとして知れないシャリとティアナ王女の行方は気がかりではあったが、生き残った者にはするべきことが山積みである。 まずは戒厳令を解いて街を機能させると、人手を募り王宮の後始末にかかる。 貴族社会の中で虐げられてきた一般の民たちにとっては貴族らの弔いなど腹立たしい限りではあっただろうが、実際問題、死体を放置すれば不衛生極まりなくいつどんな病を撒き散らす原因ともなりかねない。 「自分たちの生活を守るためと思って、協力をお願いします」 そう頭を下げたのが 『 ノーブル伯 』 であり、アトレイアと共に合流した 『 凄腕の風 』 とくれば、人々も仕方ないと腰をあげてくれた。王宮に座す者ではなく、冒険者として人々の間に立ち働いてきた者の願いをむげにすることなどできなかったのだ。 当然、リオラとアルティ、ならびに彼らのパーティも人々と同じように働いた。 そして、驚いたことにアトレイア王女までもが、その輪の中に飛び込んできたのだ。 始めは奇異と不審の目を向けていた人々も、骨身を惜しまず働くアトレイアに少しずつ心の垣根を外していく。 アトレイアにしてみれば、拙いなりにも初めて誰かの役に立てることをしたことが嬉しくて仕方なかったようだ。泥に汚れ、息をきらし、今までやった事のない様々な重労働に身体の節々が痛んでも、それでもアトレイアは自分が生きていることを実感していた。この場所、この土地、この国に生きていることを。 こうして幾つもの後始末を終えてからしばしの日が過ぎる。 存命の国王は相変わらず政を行うことをせず、政治を担う貴族たちは死んだ。貴族らの死因は闇の者の襲撃に遭ったとだけした。今頃は各家で、また次の当主を選ぶひと悶着が起こっていることだろう。 新たな当主が決まり、いずれ王宮に人は戻る。今にも朽ちそうな権力という鳥かごの中に……。 一方で、そんな形骸化した王宮を飛び出してきた王女アトレイアは、リューガ邸の一室に住み着いている。なんと、そこを本拠地としてロストール復興のための組織を作ったのだ。 アルティに聞けば、もっとロストールの人々と触れ合ってこれからのロストールについて考えたいから、とアトレイア自身が発案したそうだ。闇の中で自分の存在価値の不確かさに怯えていた子供は、もういない。 ロストールという国の存在に決定的なダメージを与えたリューガの家が拠点とは皮肉といえば皮肉だが、あるいは贖罪とはそういう小さなことから始まるのかもしれない。 アトレイアのそばには、リューガ家の優秀な執事セバスチャンが補佐についていた。ロストールのために働きたいと自発的に申し出たらしい。曇りのない目と歪みのない忠実を持つ彼ならば、本当にアトレイアがやりたいと願うことを実現する支えとなってくれるだろう。 ロストールは人民主導の下、こうして少しずつ新しい日々を重ねている。 気がかりはディンガル帝国のさらなる侵略についてだが……。 夜を迎えたロストールの宿の大通りを見下ろすバルコニーで、手すりに寄りかかりながら星空を眺めていたリオラはため息をつく。 少しばかり前に彼女の元にもたらされた一報──ディンガル帝国白虎将軍ジラークによる叛乱。 そう、ディンガルもまた、ネメアという大きな柱を見失って迷走を始めたのだ。 この討伐に青竜軍がかり出され、おかげでロストールは当面さし迫っていた脅威から逃れられたわけだ。いつ、また侵略の手が伸びるかは分からない、束の間の休息であるが。 すでに戦力の衰えたロストールでは、まともな戦争などできるはずもない。 降伏なのか、玉砕なのか、講和なのか……。いずれにせよ、それは今度こそ国王が自らの命運をかけて決定を下すべきことだ、とリオラは思う。それこそが王たるものの責務なのだから。 レムオンは本当の自分の居場所を探して旅立った。アトレイアは本当の居場所を見つけて街に下った。 そこでしか生きられないと思う大事な人たちのために守ろうとした王宮だが、エリス王妃すら亡き今、そこはもはやリオラにとって守るべき場所とは思えなかった。 シャリと共に行方をくらませている王女ティアナにとっては、あるいは帰る場所だろうか……と思ったが、あれだけのことをして帰れる場所でもないだろう。 リオラは再び大きくため息をこぼす。 後始末のためにロストールに留まっていたが、明日からはリオラも再び旅に出るつもりだった。王女ティアナを探す旅に。 兄をとり戻し、セラの姉をとり戻し、失われた神器をとり戻した。これで故郷に帰り亡くなった人々を弔えると思った矢先にディンガルとの戦が始まり、どうにか追い払ったと思いきや内乱が起き、内乱が鎮まったかと思えば、また当てのない人探しの旅というわけだ。 レルラはもちろん、セラや兄ロイまでも引き続き旅に付き合ってくれるという。 心強い仲間たちの申し出を心からありがたく思いつつ、さて何から手をつければいいのやらとリオラが三度目のため息をついた時、小さな人影がひょいとバルコニーに現れた。 「リオラ! アルノートゥンでジラーク将軍が反旗をひるがえしたんだってね?」 「ええ、そうらしいわね」 「人間優先の社会に反抗、決起。コーンスが支配するコーンスのための世界を作るんだって。続々とコーンスがアルノートゥンに集まってるらしいよ」 「コーンスのための世界……?」 ジラークの叛乱については知っていたリオラだが、その方針についてまでは聞き及んでいなかったのだ。 額に角を持ち、強力な魔力と長命を持つ種族だ、と旅先で見かけたコーンス族については知識では知っている。その魔力を秘めた角を狙われ命を落とす者が少なからずいることも。 だが、なぜ今になって……そんな疑問を抱えるリオラに、レルラは少し笑って言った。種族平等を唱えたネメアがいなくなったからだ、と。 たった一人の生死に左右されるほど、ジラーク将軍の、コーンス族の絶望は深かったのかとリオラは眉をひそめる。 レルラの声がさらに追い討ちをかけた。 「もしも、自分がコーンスだったら、ぼくも参加したかも知れないよ」 「え?」 驚いたリオラは、自分より小さなリルビー族の青年の顔をまじまじと覗き込んだ。 「ぼくの額につけぼくろがついてるでしょ? ルルアンタにも、他のすべてのリルビーにも。……これ、とれないんだ。知ってた?」 問われてリオラは首を横に振る。確かに、レルラの額には金属のような小さな点があり、旅の間に見たすべてのリルビーには場所や数こそ違え、同じようなつけぼくろがあった。それこそが、リルビー族の証だった。 「ぼくたちリルビーは人間の子供とほとんど変わらない外見をしてる。このことを利用してひどい悪事を行ったリルビーが、昔、いたんだって」 レルラは彼にしては珍しいポツリポツリとした口調をこぼしながら、先ほどのリオラのように星空へと視線を上げた。 「人間たちは激怒して、リルビーを皆殺しにしようとしたんだ。ちょうどダルケニスにしたみたいにね」 「……」 「これを回避するために、リルビーは今後二度とこんなことを起こさないことを誓い、人間の子供と区別するためにすべてのリルビーにつけぼくろを埋め込むことで和解したんだ」 レルラの小さな手がすっと、自らの額にある銀色のほくろをなぞった。 「……これ、結構、痛いんだよ。でも、ぼくが痛がることを知りながらこれを埋め込まなくちゃいけなかった父さんと母さんの心の方が、多分、何千、何万倍も痛んだだろうなって、ぼく、思うよ」 「……」 「リルビーの変わった風習だって、今となっちゃ笑う人間もいるけれど、これは人間優位社会だからこその風習なんだ」 真剣な面持ちで見上げてくるレルラに、リオラは言葉に窮した。 ダルケニスであるというだけで、その存在の全てを否定されたレムオンの苦悩を知ったばかりだった。 リオラ自身には種族における差別感はないに等しい。だが、それだけでは救えない。人間族が閉ざした彼らの未来を。 人間族はコーンスから角を奪い取るという非道を……角を失った衝撃で彼らが死んでしまうのだと知りながらそれでも行うというのに、種族として罪を問われることはない。しかもコーンス族は悪事を働いたわけでもないのに。 ひっそりと穏やかに生きているダルケニスを暴きたてて暮らしを奪い、過去に犯した罪のためにリルビー族のすべてにその烙印を背負わせる。 人間族とは……一体、どこまで傲慢な生き物であることか。 「……目指しましょう、すべての種族が平等に生きられる世界を」 リオラの言葉に、レルラが瞳を光らせる。 「どうやって? 何か方法があるの?」 「今はまだ思いつきません。明日すぐに変えられるとも思いません。でも……時間をかけて、いつか必ず……それではダメですか?」 「ふふ……いいんだよ、それで。そう思ってくれているだけで十分だよ。そうやって一人一人が考えてくれなきゃ、種族の平等なんて実現しないから、さ」 困ったように目を伏せるリオラに、レルラは笑った。いつものように明るい笑みで。 「じゃあ……ありがとう、リオラ」 レルラは手を振り陽気な足取りで部屋へと続く廊下を弾んでいく。 取り残されたリオラの方は、さらに重苦しい苦さを味わっていた。 人間によって支配されている大陸では、人間にとって都合のいいようにしか記録は残されない。残されたとしても、広く伝えられることはないか、あるいは歪められて伝えられる。 常に血をすすらずにはいられないかのように言われるダルケニスだが、彼らがどうしても血を欲するのは新月の夜だけ。それにしたって決して自我を失って血に狂うわけではなく、普通ならば自制できるのだ。血がなければ生きられないという種族ではない。にも関わらず、まるで心のない魔物のような扱いをうけている。 リルビーたちに罪の刻印を刻ませながら、その理由を人間たちは時の中で忘れ去った。同じ大陸に住まう隣人である彼らに一度の過ちのために永久の傷を背負わせたとしたなら、人間は一体どれだけ沢山の罪の印を負っていかねばならないことか。 人間族同士でさえ、身分や出自、育った国や土地柄で境を設けている。他の種族をも巻き込んで、争いを撒き散らしてる。 こんなにも弱く愚かな人間たちに向かって、どうすれば種族の平等を知らしめていけばいいのだろうか……。 これといって決め手のないあれこれを思い悩んでいるうちに時間ばかりが過ぎ、気がつけばすでに夜半を越えて冷たい風が吹き込んでいる。 頭でどれほど考えていても、考えているだけでは何も変わりはしないのだ、とそれだけは確認して自室に戻ろうとしたリオラは、かすかに何かを感じた。 悲鳴のような……と思ったソレは、耳に届いたのではない。細い鋭い苦痛の叫びが貫いていくのを、文字通り感じ取ったのだ。 幻聴だ、気のせいだとやり過ごすにはあまりにも確かに残る感触に、部屋に向けていた足の行き先を宿の外へと変えていた。 いくらか活気を取り戻したとはいえ、ロストールの街にかつての大都市としての賑わいはない。朝まで営業していた酒場も今は日付が変わる頃には店じまいとなり、通りを歩く人影はまったくなかった。 眠りの世界に支配され、ひっそりと静まり返った街並みをゆっくりと辿って広場まで来た時、今度は耳で人のうめき声を聞き取った。 千年樹と呼ばれる巨木の枝葉のざわめきの間、どこから聞こえてくるのかと辺りを見回せばちょうど今は水の止まっている噴水をはさんだ向こう側にうずくまる人影があった。道端に膝をつき抱え込んだ頭を地に擦り付けるようにしているにも関わらず、その身体は決して小さくはない。 とりあえず声をかけようと近づき、間もなく手を触れようかとしたその瞬間、 「ぐぅああああーーーっ!!」 絶叫を放ちながら跳ねるようにして、男は膝立ちになって天を仰いだ。 叫ぶだけ叫ぶと波が引いたのか、男の身体はゆっくりと再び地面に向かって崩れ、地に手をついた四つんばいで嗄れた喉から大きく息を吐き出している。 「とうとう……奴の呪いが……心臓まで…………ぐぅうううああ……」 胸をかきむしるようにして身を縮め、脂汗をにじませた苦悶の表情を浮かべる男の顔に、リオラは見覚えがあった。 「ツェラシェル……」 忘れようもない。 見間違えようもない。 王妃エリスの命を受け、人として生きてきたレムオンをダルケニスへと無理やりに覚醒させた男だ。 ツェラシェルの方は驚いたように苦痛に歪む顔をぎこちなくひねってリオラを見上げた。これ程そばにいたというのに、あまりの痛みのために名を呼ばれるまで他人の存在に気づかなかったのだ。 「……なんだ……お前……か。くぅっっ……!!」 全身を小刻みに震わせながら自分自身を抱くようにして地にうずくまるツェラシェル。 気づけばリオラはその傍らに膝をついていた。目の前でもがき苦しんでいる者を──それが自分にとって腹立たしい相手に違いなくても、見捨てていけるほど割り切れた人間ではないのだ。 蝋のような色をした顔を覗き込み、先ほど伸ばしかけていた手でそっと縮こまった肩を撫でる。けれど何と声をかけていいものか分からず、そのまま黙り込んでしまった。 何度も何度も荒い息を繰り返して大きく上下する身体はどう見ても演技などではなく、今にも息絶えそうな程の苦しみようがこれ程に長く続いているのだ。 病にせよ、怪我にせよ、ここまで長時間苦しみ抜くことは少ない。意識を失うか、死ぬか、あるいは自ら命を断つか、だ。 「……こないだの仕返しに来た……ううっ……の……かい? うああああっっ!!」 「ちょっ……!!」 がくがくと痙攣を起こしたかのように激しく揺れる身体を前にして、リオラにはその肩を強く抱くようにして押さえ込む以外なす術が見つからなかった。 外傷は見当たらず、ごく一時的な異常状態とも思えない。病気であるにしても、こんな症状は見たことがなかった。外部要因でない以上、魔術による治療は役に立たず、内部要因であるならその専門の薬師にでも見せるほかはない。 「待っていてください。誰か呼んで……」 言って立ち上がりかけたリオラの腕を、汗ばんでいるにも関わらず冷え切った手が掴んで引き止めた。 「い……い……」 「でも……」 「薬でも……魔術でも……治りゃしない……。なんたって……救世主様の呪いだから……な。お前も……もう……行け」 「救世主の……呪い?」 怪訝そうに眉を寄せたリオラの問いに、答えは返ってこなかった。 もう一度大きくうめいたツェラシェルは何度か身体を震わせた後、意識を手放したのだ。気を失ったにも関わらず身体はきつく硬直し、ツェラシェルの手はリオラの腕を掴んだままだった。 腕にがっちりと食い込む指を引き剥がそうとして、けれどリオラは手を止める。ふと、脳裏に夕映えの中で聞いた会話を思い出したのだ。 王宮から逃げ出した夕日の沈む丘で、レムオンは聞いた。なぜ、自分を助けるのか、と。ゼネテスは助けを求めている気がしたから、と答えた。 行けと言いながら離れないこの男の手も、必死に救いと呼べる何かを求めているのかもしれない。 リオラは目を伏せ、ゆっくりと長く息を吐き出した。 ツェラシェルがレムオンの中のダルケニスの血を覚醒させたことは事実だ。が、それは何も彼が欲したのではない。王妃エリスの命だったから。その王妃も死んだ。レムオンは苦境に立たされ窮地に陥ったが、おかげで本当の自分をとり戻すことができた。 苦しい選択ばかりだったが、すべてが悪い方向だけに転がったわけでもない。 ゼネテスがレムオンを赦したように……彼の方がもっと大きな傷を負いながらも赦したように、自分もまた恨みはすまい。ツェラシェルを通してエリス王妃が犯した罪は、彼女が命をもって償ったのだから。 再び瞼を開いたリオラは、少し身体を移動させてすぐそこにある噴水の枠に身をもたせ掛けて座り込む。すぐには帰れないだろうことを覚悟して、楽な姿勢をとったのだ。 それから強張ったツェラシェルの手の甲をもう一方の手で撫でてやった。包み込むように、何度も。 そうしながら、ふとリオラは心が少し軽くなったような気がする。自分と王妃、そして王妃の使いであるツェラシェルと双子たちの間にあった昏いわだかまりが解けていったのだ。 朝が来ればまたやらねばならない事が沢山ある。けれど、その全ては降り積もった歪みと毒から解放された、新しいロストールの礎となる。 誰もが夜明けを楽しみにできるようになればと願いながら、いつしかリオラも街と同じく眠りに落ちていった。 「朝……か? いよいよかと思ったが……まだ、生きてるのか……」 うっすらと辺りが白く明け始めた頃、ツェラシェルは目を覚ました。 独り言をこぼしながら身を起こそうとして、何か温かいものがそばにあることに気づく。朝と夜とが交じり合う冷えた外気の中で、片腕の方だけが温かいのだ。 そちらに何気なく目を向けた途端、寝ぼけていた頭が一瞬にして覚醒したツェラシェルは、大慌てで数歩分も飛びのく。 座り込んで俯き顔が見えなくても、その特徴的な赤味のある髪の色は見間違えようもなく、たった一人を示していた。自分を憎んでいるはずの少女だ。 そういえば意識を失う前に会ったような気がしたが、半ば朦朧としていたから夢に違いないと思った。のに、何度見直してみても確かにそこにいる。 いるはずのない人の存在に、ツェラシェルは寝起きも手伝って盛大に混乱した。 「こいつがエルファスの呪いから、俺を助けてくれたのか? ……んなわけねーわな。感覚が残ってるとこには、鋭く痛みがある。呪いは健在だ」 ぶつぶつと頭の中身を声にこぼしてしまう辺り、かなり動転している。 「つまり、呪いの解き方も分からないのに、ただ木偶の坊みたいにオロオロと徹夜でここにいたのか、こいつは?」 本人はいたって冷静に現状把握に努めているつもりのようだが。 「こいつの無限のソウルのおかげで、俺は死ぬことだけは免れた……ってことはないか。ま、そんなご利益はないにしろ、こいつの近くにいると俺みたいな奴も善人になりそうだ。ずらかるとしよう」 誉められてるのか、けなされているのかよく分からない上、なんとも薄情な台詞だが反論するべきリオラは全く目を覚ます気配がなかった。 まさか、身代わりに死んだのではなかろうかと近寄りかけて、わずかに触れ合っていた体が温かかったことを思い出す。 「……ちぇっ、しょうがねぇな。ったく!」 わざわざ大きく舌打ちしてやったというのに、やはり死んだように眠り続けているリオラ。 ツェラシェルはいよいよ諦めの表情を浮かべて、眠るにはあまりにも不自然な姿で寝入っている少女の傍らに膝をついた。 呪いに侵された全身は常に痛み、手足など魔術の補助がなければまともに動くような状態ではない。 が、むき出しになったリオラの手首辺りにうっすらと赤く残る指の跡まで目にしては、さすがにこんな広場のど真ん中に放り出していくことはできなかった。 口ぶりとは裏腹に、出来る限りそっと起こさないように抱え上げると、足を忍ばせてロストールの大通りをゆっくりと進む。 かつては──王妃エリスに二人の妹たちを託す前までは、暗殺を生業にしていたツェラシェルだ。その腕は属していた暗殺集団施文院の中で随一とまでいわれていた程の。 音もなく宿に入り込むと、エントランスに置いてある椅子に少女の身体を下ろす。 受付の帳簿を調べれば部屋を知ることもできたが、そこまですることはないだろうと肩をすくめる。 去り際、ツェラシェルは何とも言えない呆れた表情を浮かべた。 未だ眠り続けているリオラに、それから、まるで善人になってしまったかのような自分に。 |
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