地図のない旅 46

- 白い願い -


 救世主と別れたリオラはとりあえずギルドへ依頼の手紙を届けた後、重い気分を引きずってノーブルの奥へと足を進めていた。
 人々の憩いの広場を抜け、さらにひと気のないソコにあるのはノーブル領主の館。
 文字通り、リオラは名ばかりの 『 ノーブル伯 』 で、これまでろくに足を運んだことがなかった。
 かつての代官ボルボラの死後、良くもなく悪くもなく……そういう評価でひとまずはこの町にも穏やかな時間が流れているらしい。
 なりゆき任せの領主の座とはいえ、放り出しっぱなしというのも無責任な話だとは思っている。
 が、リオラには冒険の旅を捨てられぬ理由があり、そして、本気で土地を治めようと思えば冒険の片手間にはできないことも理解していた。
 とにかく今はレムオンに任せておくしかはない。
 本格的に領主を務めるにはこのノーブルの地に腰を据えねばならないし、『 ノーブル伯 』 を返上するためにはロストールの混乱や貴族らの内紛にある程度のケリをつけねばならないだろう。
 いずれにせよ、冒険の旅を……魔人アーギルシャイアとの決着の後だ。
 とはいえ、せっかく急ぐ必要もなく立ち寄ったのだから、と足を踏み入れた領主の館には意外な顔があった。
「やあ、リオラ。こんなところで会うなんて、嬉しい偶然だね」
 リューガ家のもう一人の兄エストに出迎えられ、リオラは目を丸くした。
「他ならぬこんな所で会うなんて……、本当に珍しいと思って」
「うん? ああ、兄さんにたまにノーブルの様子を見るように頼まれててね。どうも兄さんはこのノーブルを僕に面倒を見させたいみたいだね」
 苦笑しつつ広げていた書類の束を片付けにかかったエストを眺めながら、リオラは少し不思議に思った。
 王都からわずか半日ほどの距離にあり、収穫時ともなれば一面が黄金色の実りに覆われる程に豊かな穀倉地であるノーブル。
 リューガの所領であるそこを当主の直轄地としないのは、何故だろうか? ロストールから目と鼻の先であるこの場所なら、治めるのに苦労はないはずであるのに。
 代官を置いてみたり、エストに処理を任せたりと、どうもあえて手を引いているとしか思えない。  
「どうかしたの?」
 思い耽っていたリオラの顔を、エストの白い顔がのぞきこむ。心配そうなその柔和で優しげな面差しは、レムオンとは対照的だった。
「いえ……その、この地は本来わたしが見るべきなのに、レムオンやエストに面倒をかけているな、と」
「僕のことなら気にしないで。僕もたまたまこの先の夢幻の湖に行った帰りに、ちょっと寄っただけだからね」
 エストは柔らかな金色の髪を揺らして小首を傾げながら苦笑する。
「兄さんのおかげで、僕は考古学にばかり熱中できる。感謝してるよ」
「まぁ、わたしも似たようなものだから……」
 そもそもノーブルを治めねばならない義理はないのだが、とリオラが心の内で軽く肩をすくめたところで、エストはふと表情を曇らせた。
「でもね、兄さんが僕を好きなようにさせておくのは……僕に仕事を邪魔されたくないからなんだ。そりゃ、兄さんは王宮の貴族たちみたいに、僕の研究をバカにしたりはしない。でも僕の研究を認めてるわけでもない。そういう意味じゃ、兄さんも他のみんなと同じさ……」
 無邪気に未来を夢想している普段のエストが見せたことのない、苦渋に満ちた表情だった。
「わかってないんだ。魔道文明を手にすれば、兄さんを悩ます王宮のゴタゴタなんていっぺんに解決するのに。この研究はね、兄さんの、いやロストールのためでもある。貴族だろうと、平民だろうと楽して豊かな生活ができるようになれば……。僕は僕なりにリューガ家の一員として役割を果たしているつもりだよ」
「エスト……」

 ──人類の幸福な未来のため。

 会うたびにそう言い続けていた博愛主義の考古学者としての言葉の裏に、ただ一人のエスト・リューガという人間の思いを見て、リオラは心のどこかで少しホッとしていた。
 言葉は悪いが考古学にかまけるためのお題目として 『 人類の幸福 』 を掲げているのではないか、と感じていた部分もあったのだ。無論、それも──意識的にせよ、無意識にせよ──なきにしもあらずなのだろうが。
 けれど、兄のため、リューガのため、ロストールのため……それならば少しは分かる。身近な人が幸せになるために、少しずつ広げていった結果が人類すべての幸福にまで至ったというのなら。
 凄まじく善良で、果てしなく見果てぬ野望である。
 正直に言えば、浅慮な願いであるとは思うのだ。
 人が新たに強大な力に近づいた時、大抵の場合は御しきれずに破滅を招く。やがて、その力を手にしたとして、大半は時の権力者や支配者たちに独占され、まずは彼らの欲望や野望の道具にされるだろう。
 このまま順調にエストが古代の魔道文明の力を解明したならば、まずはリューガ家によって次にロストール王国が、これを独占するだろう。御しきれる力であるならば、その矛先をディンガルに向けることにも躊躇いはないはずだ。
 大きな力であればあるほど人々の生活に反映されるまでには時が必要となり、個人におさまりきらない力の多くは、多大な不幸と表裏一体の危うい発展に繋がるのだ。
 エストの言う 『 想像もできないような明るい豊かな未来 』 は、きっと 『 想像もできないような重く避けがたい問題 』 をも引き起こすに違いない。
 そうなった時、誰より苦しむのはエスト自身だろう。こんなはずではなかった、と……。
 けれど、気がつくとリオラは、目を細めわずかに微笑んでいた。
 愚かさと紙一重とも言えるその善良さが、悪意と猜疑に満ちた日々を一時慰めてくれる。
 すべての人々の幸福など、夢物語に違いない。
 けれど、エストの盲目的なほどの熱意とまい進は、あまりにも一途な善意によってのみ突き動かされている。
 短絡的な幸福論、世間知らずな平和の夢。
 だが、そんな願いすらも否定してしまえば、この世はまさに闇でしかない。  
「勝手だよね。なんの成果もあげてないんだから。でも、見ててよ。きっと役に立ってみせる。きっと……」
 エストの自嘲ぎみな呟きに、リオラは一度首を横に振った。
「成果ではなく、エストの志しがレムオンの救いになっていると、思う……」
 ロストール王宮という暗い闇の中で手探りで戦い続けるレムオンにとって、エストはただ一人守るべき……いや、守りたい存在だっただろう。
 実利主義を貫くレムオンがエストを好きにさせているのは、自分には未来永劫語れない光に満ちた夢を追っているから。
 人には誰しも休息の場が必要であり、エストの比類ない善良さは、唯一隠す必要のない情としてレムオンを温めてくれたに違いない。もっとも、限りない苛立ちと共にであることも間違いないが。
「ありがと。君ならわかってくれると思ってた。きっと、古代の謎を解き明かして人類の生活を変えてみせるからね」
 多分、リオラの言葉の意味を励ましと履き違えているのだろうエストの、満面の笑みと力のこもった返事にリオラは苦笑を浮かべた。
 それからふと思い出す。
「そういえばエストは闇の神器を持っていたのよね?」
「え? うん。確かに君の言うとおり、僕は闇の神器を一つ持っているよ。どうして?」
「わたしの友人が事情があって神器の探索をしているから、譲り受けられないかと思って」
 困ったように表情を曇らせ、エストが俯き加減になる。
「多分、リオラが友人と呼ぶ人だから、悪い人やいい加減な気持ちじゃないとは思うけど……でも、今は渡せないよ。あれは、きちんと研究しなければならない」
「危険なものだと分かっているわよね?」
「……闇の神器は全部で十二種類。世界中に散らばってて、それぞれにすごい威力を秘めてる。でもそれは闇の力だ。使い方を間違えると恐ろしいことになる。本来は破壊神を復活させるための物だと、僕も聞いているよ。でも、使い道はそれだけじゃないはずだ。僕は古代の力を信じる。だから僕は研究を続けたい。わかってくれるよね?」
 身を乗り出して力説するエストに、リオラは大きく溜息をついた。
「闇の神器そのものの危険性はもちろんだけど、闇のモノに関わるエスト自身が何よりも危険なの。アルティは……わたしの友人は、エストを力でねじ伏せてまで奪ったりしないでしょうけど、他の人や本来の持ち主である魔人が取り戻しに来た時はどうするつもり?」
「……」
「……でも、渡せないのね」
「ごめん、リオラ。残念だけど今は渡せない。でも、何かわかったら、すぐに君に知らせるから待ってて欲しい。時々、家に寄ってみてよ。研究に進展があったら伝言を残しておくから」
「わかったわ」
 リオラはあっさりと追求することをやめた。
 現時点での説得は不可能で、もはや力づくでなければエストと闇の神器を引き離すことはできないだろうと悟ったのだ。
 いっそ身内のよしみで、リオラ自身が奪い取ってやった方が最小限の被害ですむと思うのだが、なんとなくそれは遠慮したい気分だった。これこそ、情にほだされるというものかもしれない。
 とはいえ、闇の神器もそれを狙う者たちも危険極まりない相手である。
 アルティに連絡をとって奪い取ってもらうか、などと姑息な手段を考えつつ、リオラは忠告を口にした。
「ディンガルの皇帝、勇者ネメアも闇の神器を集めているらしいの。本当に気をつけてね」
「わかった。じゃ、僕は行くね。研究の成果を楽しみにしてて」
 そう言ってそこいらの子供などよりも無邪気に飛び出していくエストを見送る。
 一人部屋にとり残されたリオラは、改めて深々と椅子に身を投げ出した。
 せっかくここで会えたのだから、何が何でもエストから神器を引き離すべきだったろうかとの後悔の念がよぎる。
 今から追えば十分に間に合うのに、だが、身体は椅子から起き上がろうとしなかった。
 エストの熱にあてられたのかもしれないと、リオラは苦笑する。
 志が尊いからといって何をしても許されるわけではない。エストの善良さは、そういう側面を持っているのは確かだ。
 闇に染まらずにいられるだろうか?
 その身も、そして、心も。
 入り乱れて人知れずもつれながら伸びていく、人々のそれぞれの思い。
 ここ最近、そういった思いの数々に絡みとられて動きづらくなっていることを自覚しつつ、脱力感に襲われるがままに目を閉じるリオラだった。


[ 作者別 ] [ イベント順 ] [ 前頁 ] / [ 次頁 ]