- 救世主 -
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ロストールからノーブルまで──。 のんびり行っても一日とかからない、旅と呼ぶにはあまりにも短い道程ではあったが、リオラは久しぶりに穏やかな気持ちで過ごすことができた。 実質的に言えば、リオラをとりまく状況はよいものとはお世辞にも言えない。 禁断の聖杯をアーギルシャイアに奪われ、彼女を……兄を追う術を失ってしまった。あれ以来、その行方はおろか手がかりすらつかんでいない。 ディンガルとの戦いも未だ火種は明々とくすぶり続けているし、にも関わらずロストールは甚大な人的被害を埋めることができず。 ロストール王宮にある内紛の種もなくなったわけでもない。 気がかりなことは相変わらず山積している……が。 追い立てられるように駆け抜けてきた日々と、まだまだ走り続けなければならないだろう日々を思えば、たまにはこうして息をつくことがあってもいいはずだ。 ロストール周辺は戦禍の色を濃く残していて、決して心躍る風景ではないのだが。 とは言え、依頼自体は手紙を届けるという初歩中の初歩だったし、魔物にも盗賊にも遭遇せず、気ぜわしさの欠片もない旅。 けれど、それはあまりにも束の間のものだった。 ノーブルに到着し一人手紙の届け先であるギルドへと向かう途中、通りには何やら人々が集まっている。 人垣をのぞきこめば、歪に曲がりくねった杖を携えた若者が中央にいる。リオラにはその顔にも姿にも見覚えがあった。 老婆の眼前に手をかざしているのは間違いようもなく、救世主エルファス。 エルファスがゆっくりと手をおろすと、老婆は歓喜の声をあげた。 「見える! 目が見えるよ! ああ、十五年ぶりに光が見える……ありがとうございます。救世主様、ありがとうございます……」 バイアシオン大陸の各地で起こしているという救世主の御業を、ちょうどノーブルでも披露している最中だったようだ。 奇跡、奇跡と口々に騒ぐノーブルの民たちを目にして、リオラは軽く肩をすくめる。 盲いの老婆に光を与えるという行為自体は責められるものでもないし、何を信心するかは個人の自由だと思っているリオラには、今のエルファスを咎めだてする理由などなかったのだ。 力づくで信じさせる事ができないように、力づくで信じさせない事もできないのだから。 もっともリオラ自身は、エルファスの言動を真実の善意として受け入れてはいなかったが。 そっと人の輪を離れようとしたところで、この町に派遣されていたロストール兵らが騒ぎを聞きつけてきた。 「いったいなんの騒ぎだ? 通行人の迷惑だ。こんなところで集会など認めていないぞ!」 居丈高に大声を張り上げる兵に、民衆らは身をすくめ互いに顔を見合わせる。 さらに兵の中でも上等な鎧を着たこの中では一番上の地位にあるだろう者──恐らく兵長あたりの男が、エルファスの全身を眺めてようやく何かに気づいた。 「その杖は……。お前だな? 世界の破滅を説いて回っているというニセ予言者は! お前のバカげた作り話のせいで、仕事や財産を投げ出す者まで出ているっていうじゃないか。だが、この街で勝手な真似は許さんぞ」 兵長の断固とした宣言はそれ程おかしいことでもなく、戦争によって治安の荒廃している今はなおさらのことだ。 が、やり方が極めてまずい。丁寧にお引取り願えばいいものを、強引に脅してたたき出そうとしているのだ。 ノーブルの人々からは控えめな非難と抗議の声があがり、それがさらに兵らをいらだたせる。 エルファスに向けていたはずの怒気は民衆に向けられ、人々は怒号と共に追い散らされていった。 リオラと同じように遠巻きから事の成り行きを見守ろうとする目は少なくないというのに、兵らは逃げ出さないエルファスを前にして今後の算段を話し始める。 「さぁて、こいつをどうするか……? このまま逃がすのも惜しいな」 兵長の大きすぎる呟きに、兵らの顔が悪意に歪む。 「領主様の前に連行してはどうでしょう?」 「なるほど、それはいいな。各地で問題を起こしているニセ予言者だ。恩賞にあずかれるかもしれないぞ」 「では、さっそく連行しましょう。さぁ、こい! 歩くんだ!」 「とっとと歩け! インチキ野郎が!」 兵らが喜び勇んでエルファスを捕縛しようとしたところで、リオラは初めてエルファスの傍に寄った。 「おやめなさい」 言いながら、リオラははっきりと眉間にしわを寄せている。 そもそも彼らの力づくのやり方を快く思ってはいなかった。それでも、彼らの信じる正義を断固として貫いた結果としての行きすぎや間違いならば、やり方を正しこそすれ責めはするまいと思ったのだ。 が、全ての行為を己の利害を通してしか見ることのできないという、その醜悪さには反吐がでた。 ロストールの王宮からぶちまけられた汚毒は、こんな端々の兵にまで染みているのかと思うとぞっとせずにはいられなかったのだ。 難しい表情をしているリオラに兵らは怪訝な顔を見せたが、さすがに兵長は式典あたりでこの地の領主の顔を見知っていたらしい。 「これはノーブル伯、ちょうどいいところへ! 各地で問題を起こしているニセ予言者を捕らえました。今、ご報告に上がろうと思っていたのです」 何も見ていなければ、この兵長の意気揚々とした報告を苦笑と共に受け入れられただろうに。 リオラは深い溜息をついた。 「おやめなさいと言うのが聞こえませんでしたか? 分かりやすく言えば、彼を放してあげなさい」 「な……、は、放してやれですと? 何を言われるのですか! この男は救世主などと偽り、ノーブルの民をたぶらかそうとしていたのですよ!」 「救世主であることの真偽は、それこそ神以外知る者はありません。民がたぶらかされると言うのなら、たぶらかされるモトとなる理由があるのです」 一度エルファスに視線を向け、改めてリオラは兵達の顔を見回した。 「彼のことはこの場で預かります。全員、下がりなさい」 「で、では、我々はこれで」 兵長を筆頭に兵らは慌てて敬礼をして、その場を離れていく。 どの者からかは分からないが、手柄だと思ったのにとポツリともらした一言に、リオラは溜息をこぼした。 手柄を欲することは悪くはない。功を求めることも間違ってはいない。 それが、自らの努力の上になりたっていることならば。 権力をかさに着て弱者に横暴をふるい、ラクをして甘い汁を吸おうとしている狡さに、彼らはいつか気づくだろうか……。 「ノーブル伯……、君がね……」 エルファスの声に、重い気分のリオラはのろのろと振り返る。 「僕を突き出せばさらに出世もできるだろうに。だが、世界は破滅を待っている。権力などなんの意味もない……。それで? 僕をどうするつもりだ?」 「どうもしません。どうぞ、行ってください」 「…………」 しばしリオラを見つめたエルファスは歩き出す。数歩遠ざかってから、小さく囁いた。 「たとえ君がいくたび僕を救おうとも、君と僕とは、相いれない存在だということ……。そのことは覚えていて欲しい」 「相容れない……ですか。そうですね。確かに相いれない。わたしはあなたの言葉に真実を感じないから」 リオラの声に、今度は立ち去ろうとしていたエルファスが振り返った。 「あなたは滅びの日が来るという……あなたを信じる者だけが救われるのだ、と。では、救いとは何なのか? あなたはソレを何一つ語っていない」 「……」 「人々はあなたの見せる奇跡に心を奪われ、安易に 『 救い 』 という言葉を受け入れ、それが何であるのかを問うことをしない。勝手に自分にとって都合のいい 『 救い 』 を想像しているだけ。違いますか?」 決して大きくはない少女の声に込められた、静かな気迫。 リオラは顎をあげ、まっすぐに救世主を見据えていた。 「あなたの信ずる 『 真なる神 』 とは、一体なんなのでしょう? あなたが口にする 『 神 』 に祈る時、人々は誰もが滅びという恐怖に責め苛まれています。彼らにとって祈りは不安と絶望の糧であって、明日を生きることへの支えにはなっていない。そう……ある意味では、彼らは滅びの日が来るのを待っているのです……いまある現実から逃げ出すために」 「その通りだ。傲慢と欺瞞に満ちたこの世界から逃れるためには、神にすがるほかはない」 「どこへ導かれるかも分からないのに、ですか?」 金色の瞳に暗い炎を輝かせ、リオラは一瞬冷笑を浮かべる。 「あなたはすべてを投げ出せといい、文字通り人々はすべてを投げ出した。仕事、財産、そして、生きる気力や明日への希望も。自分で考えることをやめ、救世主の…… 『 神 』 の言いなりになって何も望まず、何も欲せず。彼らは何も考えない。何故、祈るだけで救われるのか、そして何を祈るのかを」 「……」 「あなたの言う祈りが、世界が救われますように、というものならば多少は賛同したかもしれない。でも、違う。あなたを信ずる人々が 『 神 』 に捧げる祈りは、突きつめてしまえば 『 他の誰が滅んでも自分だけは救われますように 』。わたしは、わたしが醜いと感じた祈りを、わたしの神に向かって捧げるつもりはない」 沈黙するエルファスの前で、リオラは小さく息を吐き出して語気を改めた。 「あなたを否定するつもりはありません。あなたを信じる人々のことも。あなた方はあなた方の信じる道を進めばいいでしょう。滅びの後に訪れる救いを求めて。もしも、世界が滅びに瀕しているというのなら、わたしは滅びずにすむ方法を探しましょう」 「君のように自身の力を信じるのは愚かなことだ。力を求めても、そんなものはさらなる力の前には無意味だ。いずれ、より大きな力に砕かれる」 「あなたの言う 『 神 』 によって、ですか?」 「……その通りだ」 エルファスの断言に、リオラから薄く儚い微笑みがこぼれた。 「わたしは自分がどれほど無力であるかなど、とうに知っています。『 神 』 でなくとも、より大きな力によって踏みにじられ、苛まれ、数え切れぬほどものを失ったのですから」 リオラは万物の父たる天空神ノトゥーンを奉る神官の家に生まれた。育った村ミイスは、闇の神器を守護するという役目を神より担って世界から隔絶され、役目のゆえに信仰心の特に篤いところだった。リオラ達は皆、神の名のもとに心穏やかに日々を過ごしていたのだ……。 世界の多くの人々がどうであるかは知らない。けれど、ミイスの民たちは慎ましく穏やかに……神を敬い静かに静かに生きていた。 にも関わらず、ある日現れた魔人アーギルシャイアによって村は滅ぼされ、信心深き村人たちはほとんどが死に絶えた。その上、村人たちが守り続けてきた神器は奪われ、あまつさえ守護者の頭となるべき兄ロイは魔人の手の内にある。 ほんの一歩踏み出せば、たやすく憎悪と絶望に堕ちることができただろう。 あの日、あの時、セラという人が希望へと……身の不幸を嘆くよりもするべき事があると導いてくれなければ。 「未来にあるかもしれない他人まかせの希望に満ちた絶望と、限りなく絶望に近くとも自分の手でつかみ得る希望ならば、わたしは後者を選びます。それが愚かな選択でも構いません。世界が滅びから救われるように祈りながら人事を尽くし、天命を待つことにします」 「……確かに愚かだ。怒りと悲しみばかりが充満したこの世界を守って、一体、何になるという」 「では、あなたを信じ滅びから救われた人々には、もはや怒りも悲しみもないのでしょうか?」 エルファスは答えなかった。 リオラもその答えを得ようとはせず、ノーブルの奥へと向かって歩き出す。 「あなたの 『 神 』 が世界を滅ぼすと言うのなら、その最後の瞬間まで抗い続けましょう。他の誰のためでもなく、世界のためでもない。わたし自身の大切なモノを奪われる怒りと悲しみのために……」 ノーブルを去り行こうとするエルファスの背中に、リオラもまた背を向けたまま呟く。 絶望と希望──二つの道が交わることはない。 だが、水は低きに流れるもの。 たやすく手に届く快い絶望と、果てしなく険しい痛みを伴った希望と。 多くの者がいずれを選ぶかは日を見るより明らかだった。 |
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