地図のない旅 44

- 告白 -


 考えを巡らせる……というよりも、すでに収集がつかない諸々の思いに振り回されて、リオラは一人、宿の部屋で鬱々としていた。
 ロストール王国において身分制度は絶対で、それがゆえにこの国に自らを縛り続ける多くの人々。ティアナ然り、レムオン然り、さらにはタルテュバやその他大勢の貴族たちも同様に。
 彼らを縛る鎖は互いに絡み合って重さを増し、このロストールという国と共に沈みいくようだ。
 すべての人々を救えると思ってはいない。
 せめて、親しい人だけでもこのゆっくりと着実に滅亡の淵に引きずられていく船から降ろしたいのだが、彼らはその船なくして生きていけない。少なくとも当人達はそう思っているだろう。
 ならば結局、船そのものを助ける他ないのだが、国の腐った根幹を立て直す事など個人の偉業で成し得るはずもなく。
 そうして考えは堂々巡りになってしまう。
 重苦しい吐息をついて幾度めかの繰り返しを中途で切り上げ、リオラは部屋を出た。
 廊下の先にあるバルコニーからロストールの街並みを見渡す。すっかり夜も更けて、さすがに人通りはまばらになってはいるが、誰もがそれぞれの家路を辿っているのだろう。
 家々に灯る小さな明かりが、リオラには懐かしく愛しい。
 帰る場所を業火の中で失ったリオラは、その痛みや哀しみをもう他の誰にも知って欲しくはなかった。帰るあてのない旅は自由などではなく、ただの流浪だから。
 リオラがディンガルとの戦争に参加した理由の第一だ。
 その戦いで思いがけず功をたて、ゼネテスやアルティと共に救国の英雄に祭上げられてしまったわけだが。
 剣をとって討つことのできる敵ならばいい。自分の力の及ぶ限りで追い払う努力ができる。が、この国に根ざした絡み合う人の思いなど、他人が容易くどうこうできるものではない。それがこの国そのものを危うい方向へと導いているのは確実であるのに。
 と、通りの奥から夜を切りとったように現れた黒い男の影が、宿屋へと入ろうとして少し足を止めた。バルコニーにいるリオラと一瞬だけ視線を合わせて、男の姿は宿屋の中に消える。
 間もなくして、階段の方を眺めながら待ち受けていたリオラは微笑を浮かべた。
「おかえりなさい、セラ」
 相手がにっこり笑ってただいまなどと言う手合いでないのは分かりきっていたし、返ってきたのが無愛想な声だったのもいつも通りのことだ。
「こんな時間に何をしている?」
「考え事をしていて息が詰まったので、ちょっと風に当たっていただけ。セラこそ……その怪我は?」
 リオラの目に映るセラは着衣に血をにじませており、治癒の術を使った跡が薄い傷としていくつも残っている。  
「剣を振ってきただけだ」
「わざわざ町の外まで出て魔物相手に?」
「町なかに俺が剣を揮える相手がいるか?」
 純粋な剣の相手となると、当然リオラでは力不足だ。魔術を使えばある程度の戦いにはなるだろうが、それこそ町なかでやるものではない。
 ゼネテス辺りならば相手に不足はないだろうが、ただの一冒険者ではありえなくなった今ではやはり難しいだろう。万が一大怪我を負う羽目にでもなれば、国の一大事になりかねない。
 いくらゼネテス本人がよしと言っても、リューガ縁の者であるリオラの仲間である以上、下手をすればファーロスとリューガの表立った内紛勃発である。
 ある意味で命懸けになるセラの相手をできる人物が他には思い当たらず、リオラは小さく肩をすくめた。
 納得した様子のリオラに、セラは言葉を変えて再び問いかけた。
「で、お前は一体何を考え込んでいたんだ? どうせくだらん事だとは思うが」
「まぁ、セラからすればそうかもしれないけど……」
 そう前置きして、リオラは今日のことを語って聞かせる。雌狐と呼ばれる王妃の実情や、それぞれに両極端な位置にある二人の王女と二人の若き貴族のことを。
 セラにしてもこれといった解決策を見つけられるわけもなく、そもそも、リオラの考え事の内容については知った事ではないのだ。よその家庭の不和も他人の色恋沙汰も。
 放っておけとあっさり短く結論づけて自室へと足を向けたセラだが、ふと振り返る。
 あまりにも予想通りのセラの反応に、リオラは苦笑しつつ窓の外に目を移してまた上の空になろうとしていた。  
「お前がそこで考え込んでいても、どうにもならんぞ」
「分かってる……けど……」
「つまらん事を考えるぐらいしかないほど暇を持て余してるなら、近場の依頼でも受けてこい。なにもロストールに引篭もっている必要もないだろう」
 それだけ言ってさっさと部屋に入ってしまうセラに、リオラは小さく笑った。
 彼なりにぶっきらぼうに示してくれた案が、恐らく最善なのだろう。何もできないと嘆きながらぼんやりしているよりも、体の一つも動かしていた方が性に合う。
 さすがに近場といえど見知らぬ迷宮の探索などにはあたれないだろうが、ちょっとした荷物運びや人探しぐらいの依頼ならそう危険もない。
 人の思いが一日や二日で大きく変化することもそう滅多にないだろうし、所在さえ明らかにしておけば困る事もないだろう。
 セラの助言をありがたく受け入れて、リオラは小さな旅へと気分を切り替える。だからといって、すぐに考えることを止められたわけではないが、それなりに眠りへとたどりつけた。
 翌日、ギルドで運良くノーブルまでの荷物運びの依頼を見つける。ギルドの主人は今さらそんな依頼を……と苦笑気味ではあるが、ロストールを出る口実なのだから仕方がない。
 とりあえずセラとレルラにささやか過ぎる出発を知らせ、一応、旅支度を整えてもらう間、リオラ自身は行き先を言伝るためにリューガ邸へ向かっていた。
 有能な執事であるセバスチャンあたりに伝えておけばいいだろうと思っていたのだが、運悪く登城しようとしているレムオンに出くわしてしまった。
「屋敷に日参とはどういう風の吹きまわしだ?」
 昨日の重苦しい空気はどこへやら。今まで通りの硬質さをまとったレムオンに、リオラは少しだけホッとする。
「これからノーブルに参りますので、何かあればそちらに連絡してください……とセバスチャンに伝言をしに」
「そう急ぎの用件でもないようだな。これからティアナ王女を訪ねるところだ。お前も来るか?」
 それこそ昨日苦言を呈した……つもりだったのに、実はまったく通じていなかったのだろうかと内心で首を傾げるリオラ。
 が、そういうわけでもなかったようで、自嘲にも似た苦さを浮かべるレムオンの微笑にリオラは仕方なく頷いた。
「相変わらず気の利かぬ女だ。男が女のもとを訪れようというのだ。遠慮する気にはならないのか?」
「……それでは、行ってきます」
「バカか。本気にするな。いいから行くぞ。大体、お前の意向を少しでも俺が気にすると思うのか?」
 そう言うレムオンの口調はどこか楽しそうで腹立たしく、リオラは真剣に帰ろうとしたがしっかりと引き止められた。
 ティアナを訪ねる事といい、リオラを連れて行こうとする事といい。半ば呆れながら、せめて嫌味の一つもこぼしてみる。
「ええ。レムオンなら、きっとわたしの意志を尊重してくださるはずだと、心から思っています」
「そ、そうか……。と、とにかく、もう決めたのだ。俺についてこい」
 鼻でせせら笑われるかと思いきや、思いのほか焦った様子でレムオンはそそくさと馬車に乗り込んでしまった。
 こうなるともはや断る術を見つけられず、近くで微笑ましそうに見ていたセバスチャンを呼ぶ。
 宿で待っている仲間に少し遅れることを伝えてもらうように頼み、リオラもまた馬車の中へと姿を消した。
 滞りなく馬車は王宮への短い道をたどり、程なくして王女との対面となる。
「お変わりございませんか、ティアナ様」
 儀礼に則った非の打ちどころのない一礼で、レムオンが膝を折る。
 同じように完璧な礼を返したティアナは顔を上げ、悪戯めいた微笑を浮かべた。  
「いいえ。レムオン様を待ちわびて 食事ものどを通りませんでしたわ」
「そういう冗談は、妹の前ではひかえてもらいたい。こいつは単純なのだ。なんでも信じ込んでしまう」
「まぁ、存じませんでしたわ。リオラ様の前では、いいお兄様でいらっしゃるのですね?」
 どこか拗ねるような口調で楽しげにティアナはかすかな笑い声をあげた。
 こういう会話は宮中での男女間においては言ってみれば社交辞令なのだろう。その証拠にレムオンもピクリとも表情を変えることなく、淡々と微笑んでいる。
 が、そう分かっていても、リオラはなんとなく表情がぎこちなくなってしまう。
 レムオンの思いを知ってか知らずか、残酷なことだ、と。
 そういえば、前にも 『 レムオンが夫になってくれればいい 』 などど口走ったこともあった。
 ティアナにとっては単なるあり得ない冗談だが、レムオンにとっては欲しても叶わぬ願い。思い人自身に突きつけられた現実は、どれ程にか彼を傷つけたことだろうか。
 気づかぬうちにまた考えに囚われていたリオラだが、軽く腕を小突かれて我に返る。
「何をぼんやりしている?」
「依頼のことを少し……」
 まさか当のレムオンに向かって、あなたが不憫に思えて……などと口にするわけにもいかず適当に言葉を濁した。
 そんな事とはつゆ知らぬレムオンは、歯切れの悪いリオラに怪訝そうな視線を向ける。
「浮かぬ顔だな。その依頼とやらは何か気がかりな事でもあるのか?」
「いえ、お気になさらず」
「よほどの難事でもなければ、お前が思い耽るなどということもあるまい。それも、こうして訪ねた王女の前でだ」
「……」
 思わぬレムオンの追求に、リオラは困り果ててしまった。
 確かに考え込んでいた内容は難事に違いないのだが、目の前にいる二人の行く末を案じていましたとは口が裂けても言えない。
 なんとか変えるべき話題を探していたリオラに、救いの手はティアナから差しのべられた。
「やはりそうして並んでいらっしゃると、とても兄妹には見えませんね。お友達……いえ、恋人同士のようだわ」
 救いと思いきや、それはそれでまたあまりよろしくない方向へと話題がそれてしまった。
 吐息と共に硬い表情に戻ったレムオンがティアナに向き直る。
「何を言い出すかと思えば……宮中のご婦人方が喜びそうな話だ」
「もう噂になっているかもしれなくてよ? なんと言ってもリオラ様は時の人ですもの。レムオン様がおきれいな妹君とご一緒の姿は注目の的ですわ」
「くだらん。誰が実の妹と……」
 苦々しい視線向けたレムオンから、リオラはさっと目をそらす。
「せめてもう少し、貴族女性としてのたしなみを身につけてもらってからでなくてはな。ティアナを見習って女性らしい身なりでも整えてみてはどうだ?」
「絹のドレスで冒険の旅などできません」
「ふん。確かにお前には貴族の社交場より旅の空の下の方が似合いだな。仕方がない。政権を取った暁には、くだらぬ噂を取り締まる法律でも作るとするか」
「是非、そうして下さい」
 兄の提案に素早く賛同を示す妹。
 息のあった二人の軽口を笑って見守りながらも、ティアナの瞳には寂しさの陰りがわずかににじむ。
「リオラ様って 本当におもしろい方ですね」
「笑わないでやってくれ。冗談で言ってるのではない。こいつは王宮のしきたりに本当にうといのだ」
 呆れながら軽く眉をひそめるレムオンの前で、ティアナは小さな溜息をこぼす。
「でも、無意味なしきたりばかり。おじぎの仕方、お食事の席順や作法……」
「これは意外だ。いつも、フィアンセ殿の不作法を嫌っているではないか?」
「あれは……あの方は度をこえています!」
「確かにな。どうせ、昼間から酒と賭博にあけくれ、薄暗い酒場で女をはべらし鼻の下を伸ばしているのだろう。貴族の名を盾にな」
 結局今日もまたこの話題になるのか、とリオラは内心で大きく息を吐き出していた。
 言わずにはいられない程に、フィアンセ──ゼネテスを意識しているということなのだろうが。
 まったく苦言の効果もなく嘲笑に顔を歪めるレムオンを、遠まわしにたしなめようとした時だった。 
「それは違います! あの方は、そんな方ではありません。ましてや、貴族の名をひけらかすなんて……!」
 いつにない剣幕でティアナが声を大きくする。
 普段ならばレムオンと共にゼネテスを貶めるティアナが、今日は婚約者を庇ったのだ。
「……ごめんなさい。私、何をムキになってるのかしら」
 ティアナ自身、自分の言動に非常に困惑していた。
 対してレムオンは、かすかな愛想笑いを含んだいつものあの冷たい仮面を貼り付けている。
「何も謝ることなどないさ。……王女の気分を害してしまったようだ。失礼する。愛しのフィアンセ殿によろしくな」
「レムオン様……」
 ティアナが呼ぶ声にも応じず──鳴くような声ではあったが間違いなく聞こえていた、レムオンは来た時と同様にしきたりに適った一礼を残して去る。リオラも軽く頭を下げて、慌てて追いかけるしかなかった。
 王宮内ではもちろん、リューガ家の馬車に乗り込んでからもレムオンは無言だった。頑なに拒絶の意思でもって話しかけることを許さない。
 居心地の悪い沈黙の中で馬車に揺られながら、する事もないままにリオラはティアナの態度の変化を考える。
 つい先日、レムオンと共に訪れた際には、一緒になってゼネテスの悪口を並べていたティアナ。
 が、今日には一転して庇う行動に出た……その理由は?
 そういえば、昨日そのゼネテスにティアナの事を頼むと言ったと思い出す。

 ──ゼネテスは律儀に、その日のうちにティアナの様子を見に行ってくれたのだろうか?

 ゼネテスとティアナの間で何をどうしたのかは知らないが、彼女の孤独感を癒し、頑なな心を揺るがすことに成功したのだろう。
 それ自体はなんら責められるべきでないのは明らかだが、と間の悪さにうならずにいられなかった。
 ついに一言も交わさぬまま馬車はリューガ邸に到着し、レムオンは振り返りもせずに屋敷内に入ろうとする。
 慌ててその腕をつかんで引き止めてはみたものの、リオラにはかける言葉が見つからなかった。  
「みっともないところを見せてしまったな」
 レムオンがこれまで見たことも無いほどに痛々しい自嘲を浮かべる。
 実際、先ほどの会話で気分を害したのはティアナではなく……レムオン。
 哀しげな王女を置き去りにして、逃げるように帰ってきたこと自体はそれこそ大人気ない態度だとは思うが、あれ以上ティアナの元に留まれば、尚一層互いを傷つけあうことしかできなかったはずだ。
 ゼネテスへとなびいたティアナの心を、レムオンは誇りにかけて責めることもできなかっただろうが……。
 けれど、正直に言えば、それはリオラの望む結果ではなかった。
「わたしは……レムオンにティアナ様の手をとって欲しかったのですけれど、ね」
 伏目がちにこぼしたリオラの言葉に、レムオンが噛み付いた。
「バカを言え! ティアナはファーロスの雌狐の娘だ。誰がファーロス家の血を引く女などに心を奪われるものか!」
 無言でそうじゃないはずだと訴えるリオラの手を振りきり、レムオンは背を向ける。
「本当にこれでいいのですか? リューガの家名のためにレムオンという人間の思いはなかったことにするのですか?」
「黙れ! 俺は……」
「俺は?」
「……」
 リオラは改めて沈黙したレムオンの正面に回った。
「ティアナ様はあなたを本当にただ 『 幼なじみのレムオン 』 として見ています。レムオンの姓になどこだわっていない。あなたがティアナをロストールの王女に……ファーロスの娘に縛り付けているんですよ?」
「そうだ。ティアナは家名など気にしない。いや、見ないふりをしようとする。だが、下手に馴れ合えばいずれ辛い思いをするのはティアナなのだぞ? 俺を初めとする貴族達は絶対にエリスとの反目を避けられん。王女としての立場を貫けば貴族らに、王女の座を離れればファーロスの者にそれぞれ裏切り者と呼ばれるだろう」
「それ程にティアナ様への思いがあるのなら、王妃と手を携えて……」
「ファーロス家をのさばらせるわけにはいかんっ!!」

 ──やはりそこに戻ってきてしまうのか。

 リオラは溜息をついたが、それ以上の追求を諦めた。
 人には時として、愚かだと分かっていても譲れない……守り通さずにはいられない思いがある。
 たとえば、リオラはミイスの村の神器の守護者として生まれ育ったことを手放すことができない。
 生き残った数少ない村人達とはあれ以来会っていないが、恐らく、どこか違う場所で穏やかな新しい暮らしを始めそろそろ落ち着いてきたことだろう。
 あれは不幸な災害のようなものだったと諦めれば、リオラとて彼らのように今とは違う暮らしができるだろう。もはや守るべき神器も村人たちもなく、守護者として戦う必要もなくなったのだから。
 元々その生き方が嫌だったわけではない。が、それは他の生き方を知らなかったからとも言える。
 呼吸するのと同じくらい、当たり前に守護者として生きてきたのだ。
 完全にその道を閉ざされるまで、あるいはその道を進む必要がなくなるまで、リオラは守護者という生き方を止めることはできないだろう。
 それが命懸けであっても。
 それが……たとえ、限りなく叶わぬ願いであっても。
 レムオンにとって 『 リューガ 』 とは、そういうものなのかもしれない。
 ならば、これ以上、何をいったところで変えようがないのだ。きっと、誰にも……自分自身にさえも……。
 ただ黙って見上げることしかできないリオラの前で、レムオンは一度目を伏せ、それから震えるように声を絞り出した。
「……そうだ……お前の言うとおりだ。俺はティアナを好きだった! あんな男と婚約する前から……幼いころから、ずっと! ……ずっと。だが、許されないことだ。この想いを告げることも、いや、こんな気持ちを抱くことすらも許されないのだ!」
「他でもない、あなた自身が自分の思いを許せないのですね……リューガの当主であるために……」
「満足か? ……俺のこんな姿を見て、満足か?」
「なぜ……何を満足に思えと? わたしはあなたをやり込めたかったわけでも、貶めたかったわけでもない。傷つき傷つけられることを止めたかっただけです」
「すまん……。お前には、つい……甘えているな」
 自嘲と諦めと後悔が混ざりあった複雑な色を浮かべながらも、レムオンはあまりにも真剣にリオラの瞳を覗き込む。  
「別に怒っているわけではありませんよ。……わたしの方こそ、レムオンを追い詰めてしまったようですしね。でもおかげでよく分かりました」
「……何がだ?」
「レムオンにとって、『 リューガ家当主である 』 ということが、どれほどに重要なのかがです」
 わずかに眉を吊り上げて訝しむレムオンに、リオラは苦笑した。
「良くも悪くも、ですよ。がんじがらめに縛る鎖になるのか、生きていく糧となるのかはレムオン次第でしょう? 振り返った時、たとえ痛みだけが残る事になっても……それでも貫くというのなら、もう止めはしません。わたしには、止める資格はありませんから」
「資格、か……」
「ええ。譲れないものを一つしっかりと抱えて、傷つき疲れ果てながら不器用に生きていくのもいいのではありませんか?」
「俺が不器用? そんな事は初めて言われたな」
 表情を緩め、視線を緩め。レムオンはぎこちなく微笑む。
「お前に見放されたら、俺は……」
「え?」
「いや、なんでもない」
 まだどこか陰を背負いながらも、少なくとも表面上には常のレムオンらしい無愛想な表情を浮かべる。  
「まさに醜態だった。忘れてくれ」
「忘れません」
「……何?」
「リューガ家の当主の顔を離れられる相手も、たまには必要でしょう? あなたは 『 レムオン 』 なのだから」
 そう言って目を細めたリオラを、レムオンは鼻で笑った。
 けれど、どこかまんざらでもなさそうな気配を漂わせつつ、彼の姿は屋敷の中に向かって小さくなっていく。
 その背中に、リオラは少し眉尻を下げる。本当は王女の顔を離れて 『 ティアナ 』 に戻れる役目を、レムオンに担って欲しかったのに、と。
 だが、それは素直に諦めた方がよさそうだ。
 七竜家の貴族という矜持や誇り以上に、何かのこだわりをもってリューガを背負っているように思える。
 幸いにもゼネテスがティアナを引き受けてくれるようだし……。
 そんな事を考えながら、リオラはようやっとリューガ邸を後にする。
 これならノーブルまで気晴らしに行く理由もなくなったな、と少し軽くなった心を示すように軽やかに宿へと帰っていく。
 絶妙なバランスで止まっていた歯車が動き出したのだなどとは、この時のリオラは夢にも思ってもみないことだった。


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