- 二人の王女 -
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早いうちにロストールを出立しようと決めた朝、リオラはギルドよりも先に王宮に足を向けた。 昨日行くつもりだったティアナ王女を訪ねようと思ったのだ。 王宮につくと何気なく散歩でもする様子で庭園を歩く。今ではノーブル伯の地位を得て、誰に憚ることなく王宮を歩けるようになったリオラだが、相変わらずティアナを訪れる時には例の秘密通路を使っていた。 一つにはリオラ自身のため。いつ何時、どんなボロを出してしまうかと思うと、王宮の人間と顔をあわせることを避けてしまうのだ。 もう一つには、ティアナ王女のため。 王女はリオラの急な訪問を、とても喜んでくれた。 王女という立場や身分に縛られるティアナにとって、彼女をとりまく人間が知らない相手とこっそり会っているということは、ささやかな反抗心なのかもしれない。 リオラはそう頻繁にティアナを訪れるわけではない。これまでを言えば、両手で数えれば余ってしまう程度だ。 訪れたからといって長居することもなく、深い話をするわけでもない。旅先での当たり障りのない話を披露するのがせいぜいだが、ティアナはことの外それを喜ぶ。まるで、まだ見ぬ冒険に心を躍らせる子供のように。 同じ年頃のしかも同性ということが気安さに手伝っているのだろう。 周囲によってすでに選別されて付き合いを認められた人間ではなく、自ら付き合いを決めた相手ということが、王女に現実以上の親密感を抱かせているようにも思う。 そして、広い世界を行くことの出来るリオラは、王女の切望する 『 自由 』 の象徴なのだろう。 王宮から出ることのないティアナの不自由を、ただ可哀相だと思えるほどリオラの世界は狭くはない。毎日を生きていることにさえやっとな人々が存在するのだ。幸や不幸の重みなどそれぞれの人間次第で、どちらがより不幸かなどとはあえて口にしないが、少なくともティアナだけが不幸なわけではないのだから。 とはいえ、素性も知れなかった初めての出会いよりずっと手放しの信頼を寄せる王女を嫌うはずもなく、彼女の自由の欠片のためにリオラはクローゼットの扉を内側からそっと押した。 「まあ、リオラ様」 「おはようございます、ティアナ様」 すでに身支度を整えて、ぼんやりと窓から外を眺めていたティアナに満面の笑みで迎え入れられる。 「旅から戻られたばかりですか? 何か珍しいことに出会いまして?」 「これからまた旅に出るところなのです。その前に、久しぶりに一度お会いしようと伺いました」 「そうですか、これから……。私もリオラ様のように自由に生きてみたい」 ティアナが表情を曇らせながら視線をおとす。おかげで、リオラが少し哀しげに笑うのを見逃した。 リューガ家当主の腹違いの妹という偽りを背負った以上、本来のリオラの素性を口にする事などできないから仕方ないのだが、リオラの今ある自由はあまりにも哀しい過去の上にあるのだ。 一瞬、沈黙が漂ったところに、扉を叩く音が響く。 「あ、人が……。私が呼ぶまで待っていて下さいね。もう少しお話ししたいですから」 「分かりました」 言いながらリオラはすでにクローゼットの奥へと、慌しく身を潜める。 ピタリと扉が閉ざされ、間もなく、本来の出入り口である部屋の扉の開く音がした。 「これはこれは公爵様。よくぞ、お越しくださいました。さあ、遠慮なさらずに奥へお入りくださいませ」 「ティアナ様もご機嫌うるわしく」 ティアナに答える声は、リオラのよく聞き知った偽りの兄、エリエナイ公レムオンのものであった。 「随分と丁寧なもてなしようではないか?」 「お母様ですら一目置くレムオン様ですもの。当然ですわ」 「笑える冗談だ。しかし、俺のような者を部屋に入れるとは……」 いたって普通に会話を交わす二人だが、レムオンの口調に驚いたのは隠れていたリオラである。 よほどの内々の者の前でなければ、自分のことを 『 俺 』 などと呼んだりしない。 ある意味で、少なからずレムオンが本性をさらけ出している証なのだ。 「フィアンセ殿が聞いたら怒るのではないか?」 「それもお母様が勝手に決めたこと。幼なじみのレムオン様との関係を、とやかく言われる筋合いはありません。それに、私はファーロス家を発展させるための道具でもありません」 「やれやれ、エリスも哀れだな。ファーロス家発展のため知略の限りを尽くしたところが、娘のわがままのせいで綿密な計画も水の泡か」 「わがままだなんてひどいわ、レムオン様。これでも国のことは色々考えているつもりです」 「これは失礼、王女」 冗談まじりの二人の会話はあまりにも自然で、リオラはわずかに首を傾げた。 犬猿の仲であるはずのファーロスの娘とリューガの息子。幼なじみとはいえ、そこにはあまりにも近しい空気があった。 「俺はいつかエリスの専制をうち破り、貴族共和政治を復活させるつもりだ」 ひそめた声の厳かな宣誓に、けれどティアナは驚いた様子も非難する様子もなかった。 「その時、ティアナはファーロスの一族として粛清されてしまうのですね」 「心配するな。幼なじみのよしみで、特別大きな墓を建ててやる」 「もう、レムオン様」 「冗談だ。排除すべき敵の区別はついている。ティアナをどうこうするつもりはない」 「大事な幼なじみですものね」 「そうだな、大事な幼なじみ……だからな」 未来に叛乱する予定だという者とされる者との会話にしては、あまりにも和やかだった。 「侍従殿から伝言があったのを忘れていた。王女が来られないから呼んでくるように言われてきたのだ」 「うっかりしていましたわ。怒っているでしょうね」 「ああ、それはもう。はやく行かれた方が良いだろうな。長居した。今日はこれで失礼する」 「またいらして下さい」 そうしてレムオンが去り、静まり返った部屋に扉の軋むかすかな音が響く。 「リオラ様、申し訳ありません。お聞きのとおり、これから侍従長に会いにいかねばなりません」 「え……え、ええ。今日はこれで失礼いたします」 「せっかく待っていただいたのに……またいらして下さいね」 ティアナの部屋から遠ざかりながら、リオラは小さく吐息をこぼした。 これまでファーロス家と徹底的にやり合うつもりだと思っていたレムオンが、そうとは言い切れないものを抱え込んでいることを知って。 人の心は複雑だななどと年頃には似合わないことを悟っていたリオラが、目の端に小さな人影を見つけた。 近頃では使われた気配のないこの通路の、それも一部崩れ落ちた壁の向こうにだ。 人影はすでに見えなくなっていたが、目の錯覚とも思えない気配を感じ、リオラは瓦礫を乗り越えてあとを追った。 ティアナ王女の部屋からそう離れてはいないと思われる扉の先は、どうやらまたクローゼットのようだったが、王女の部屋と違い真っ暗だ。 使われていない部屋なのかと室内にすべりこめば、女性の誰何の声に迎えられる。 「誰?」 暗闇の中に響く問いかけに、答えたのは子供のと言って差し支えのない若い声だった。 「君に光を与える勇者だよ、アトレイア王女。さ、ご挨拶を」 「ようこそ、勇者リオラ様」 そこにいるのが何者なのか、なぜ自分の名前を知っているのか。 問おうとリオラが口を開きかけた時、真っ暗だった室内に薄明かりが灯った。 女性と子供とがそこにいる。 リオラよりも二つ三つは上だろうか。緑の刺繍の縁取りのあるクリーム色のシンプルなドレスをまとった、妙齢の女性はじっと壁際に佇んでいる。くし梳かれたこげ茶色の髪は背を覆い、小さな飾りをつけた額の下には慎み深い穏やかな整った貌があった。 その近くに伸ばした長い黒髪の年若い少年が立っている。大陸のどこでも見かけなかったような一風変わった金と黒の衣装だが、それ以上に見る者を引きずり込んでしまいそうな深い黒色の大きな瞳に目を奪われ、リオラは声を失ってしまった。 「彼女は先のロストール王の娘、アトレイア王女。ティアナ王女の従姉で彼女に次ぐ王位継承権の持ち主さ」 気がつけば少年が音もなく一歩近づいている。 「僕はこの大陸から東にある遠い遠い所から来た魔道士、東方の博士シャリ。人によっては僕のことを道化と呼んでいるようだけどね。まあ、そんなことは置いといて……」 さらに一歩踏み込んでくる少年……シャリから、リオラは無意識に一歩後ずさっていた。 「ところでいきなりなんだけど、リオラにお願いがあるんだ。ここにいるアトレイア様はね、幼い頃に大人の醜い争いにまきこまれて、視力を……光を失ったんだ」 シャリと共にリオラもまた視線を女性の方へと向ける。 彼女の目は確かに開いているが、その瞳はいずこにも焦点があっておらず、前にある虚空を映しているだけだった。 「ティアナ王女が華やかで周りのみんなに慕われる日々を送る間、彼女は無力で害のない王族として、孤独で光なき人生を送っていた。この部屋が彼女の世界のすべてさ」 「……」 リオラには何も言えるべき言葉がなかった。 ロストール王宮が抱える根深い毒は、昨日、身にしみたばかりで、目の前にいる女性はその最たる犠牲者の一人。 シャリのいう事が正しければ、であるが。こうして王宮に住んでいることを考えれば、まったくのでたらめということもなさそうだ。 「ね、そろそろ、アトレイア王女が幸せになってもいい頃だと思わない?」 「え?」 「君に協力して欲しいんだ。色惑の瞳っていう魔法の宝石があってね、この力を使えば王女様に光を与えられる。彼女のために、とってきてくれないかな?」 「なぜ、わたしに?」 「だって、君、冒険者なんでしょう? もちろん報酬は用意するよ」 微妙に質問の趣旨をはぐらかされた気がしたが、リオラはもう一度もう一人の王女を見て静かに頷いた。 瞬きもせず、何も見えてはいない空洞の瞳は、たった今別れてきたばかりのティアナの輝きに比べてあまりにも昏かったから……。 「その宝石はどこにあるのです?」 「引き受けてくれるんだね? このロストールから北西に見える、邪眼の迷宮にあるんだ。中には魔物がいると思うけど、大丈夫。たぶん、君なら勝てるよ。僕が見込んだ勇者様だからね」 薄暗い部屋の中で、子供の瞳は一瞬その無邪気な声色とは裏腹な暗い光を帯びたのを、リオラは見逃しはしなかった。 これは信用してはならない相手だという確信。 けれど、無表情に近かったアトレイア王女が浮かべるかすかな希望の微笑に、リオラはもはやこの話を翻すことができなくなってしまった。 出会ったばかりの王女に別れを告げ、王宮の外へと出てくる。 無言のまま見送りに付き添ってきたシャリが、別れ際、 「彼女に光を。彼女の願い、かなえて欲しい」 その言葉だけはひどく真摯で。 どこか道化じみた大げさな手振りのシャリの真意が、分からなくなってしまう。 だが、相変わらず何かざらついた違和感は拭いきれず、それでもリオラは、邪眼の迷宮を目指して旅立つことになるのだった。 |
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