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「よく来た、アルティ。わざわざ呼びつけてすまぬな」 ロストール王宮の玉座で艶然と微笑む王妃エリス。 その眼下ではアルティが膝をついていた。 エリスの詫びにアルティはいえと微笑で答えると、表情を改めて口を開く。 「……ロストールとディンガルの戦端の事ですか?」 「そうだ。その様子ではあらかたの事情は耳に入っているようだな」 エリスの言葉にアルティは頷きを返す。 ディンガル軍青竜将軍カルラによる南征の布告。 いまだ、先の朱雀将軍アンギルダン南征の傷癒えきらぬロストールにとって、 このカルラの南征はまさにロストールという国の死活を左右することを、アルティは感じ取っていた。 ここに至って、そ知らぬ顔などできようはずがないアルティがロストールに足を向けたのと時を同じくして、彼の前に現れた双子の姉妹を通じて、エリスにより王宮へと召還されたのだった。 「はい。しかしそうなると、先の戦で疲弊した兵力では国中の兵力をかき集めても、持ち堪えられるかどうか怪しいものですね」 ため息交じりのアルティの声に、エリスもまた一つ息を吐く。 しかしそれには苦難ではなく、自嘲じみた響きが含まれていることにアルティは首を傾げる。 「……どうかなさったのですか?」 「アルティ。此度の戦、国中の兵力をかき集める、などということは不可能なのだ」 「……どういうことです?」 エリスの言葉に眉を顰めるアルティ。 「先だってレムオン坊や……レムオン・リューガの名において彼を旗頭とする蜂起がなされた。彼の元に集まった貴族、要はファーロス家を除くほぼ全ての貴族たちも声を揃えて、此度の戦に兵は出さぬとのことだ」 「……この国の貴族は揃いも揃って阿呆ですか……?」 平時ならばエリスの前では決して吐くことのなかった言葉、しかして裏を返せばアルティの本心がポロリとその穏やかな口調から飛び出した。 その言葉に一瞬目を丸くしたエリスだったが、次の瞬間には声を上げて笑うのだった。 「言いにくい事をずばりと言ってくれるな、アルティは」 「ですが! ただでさえ兵力の足りないところに兵を出さないなんて! それじゃ勝てる戦も勝てないことぐらい、読み書きのできないスラムの子供にだって分かりますよ!」 珍しく感情を顕にするアルティを興味深そうに見やるエリス。 「そう。この蜂起によりロストールの生存はまさに風前の灯となった。青竜将軍がひとたびその鎌を振るえば消し飛んでしまうほどのな。いくら頭の悪い貴族どもでも、ましてや聡いレムオン坊やがそれに気づかぬわけがない。……どこかで聞いた話と似てはいないか?」 ──もっとも、レムオン坊やの心は別のところにあるだろうがな── そんなエリスの苦笑交じりの内心にアルティが気付くはずはなく。 しかしエリスの言葉にアルティは驚愕をその顔に貼り付けた。 敵襲、中枢に巣食う巨大な獅子身中の虫、その裏切り、そして青竜将軍…… 「……リベルダム」 呻くように呟いたアルティに、エリスは頷きを一つ返した。 現在ディンガルの占領下にあるリベルダムは、かつて青竜将軍進軍の際に、これまで市民たちから富を吸い上げてきた大商人アンティノ・マモンの内通により、瞬く間に崩壊したという。 これと同じことが今まさに行われようとしているのであれば…… 「……何とか彼らを思いとどまらせることはできないのでしょうか」 「無理だな。蜂起の声明を掲げた直後から、レムオン坊やはいずこかへと姿を消してしまっている。すぐには見つからんよ」 「貴女の"宝石"たちの力でも、ですか?」 暗に密偵たちの力をほのめかせるアルティに、エリスはしかし、苦笑交じりに首を横に振るのみだった。 「アルティ、交渉や駆け引きというものはそれが誘いであれ本音であれ、何かしら相手にそれを掴ませなければ始まらないのだ。しかし彼らはその掴み所をこちらにまったくさらすつもりがない」 「……つまり、最初からこちらと交渉をする心積もりなどない……」 「そうだ。奴らの頭の中には既に、カルラにこの国と私の首を売ってディンガル帝国で以前と変わらぬ身分を保証された、バラ色の未来が描かれているのだよ」 「……リベルダム陥落の後、アンティノ・マモンがどうなったか、誰か教えてあげたほうがいいんじゃないですか?」 「まったくだな。機会があれば私の口から是非教えてやることにしよう」 最後に冗談めいた口調でくすりと笑いあった二人だが、数秒の沈黙の後、表情を改めたアルティが口を開いた。 「……それでエリス様はどうなさるおつもりなのですか?」 「私が命を賭けてでも守りたいものはこの城の中にある。だから、誰かがそれを傷つけようとするのならば、私は最後までここに残り戦う」 静かな瞳で決意を語るエリスに、アルティはわずかな憐憫の光をその瞳に浮かべた。 「……ティアナ様と陛下……ですか」 心を開かぬ娘と心を通わせぬ夫。命を賭けて守るものがそれというのは、あまりに寂しく哀れな話だ、とアルティなどは思うのだが、しかしエリスは軽く首を横に振るのだった。 「それだけではない」 「……え?」 一瞬きょとんと顔を上げるアルティに、玉座を立ったエリスは一歩また一歩とわずかな衣擦れの音と共に、アルティに向けて静かに歩を進める。 「……陛下やティアナは勿論だが、ゼネテスや私の宝石たち……」 そう呟きながらエリスの影がアルティにかかった瞬間、アルティはひざまづいたままの自分の頭が、暖かいものに包まれるのを感じた。 そしてそれがエリスに頭を抱えるようにして抱きしめられたと気付くには、状況知覚に優れたアルティらしくもなく実に数秒を要したのだった。 「……エリス……様?」 「そしてお前もだ、アルティ」 アルティの頭を腕に抱いたまま、エリスは慈愛のこもった声で呟く。 「お前の父の命を捧げさせ、今またその息子であるお前をもこうしてロストールのために戦わせてしまっている。今更フリントにも許せなどとは言えないが、此度の戦、凄腕の風と呼ばれるお前の力を、是非ゼネテスに貸してやってほしい」 「……」 「ゼネテス一人ではどうにもならぬ戦も、お前がついてくれれば何かが変わる……そんな気がするのだ」 アルティを抱いた腕を放してその目を見据えるエリス。 お前の瞳には何かを変える力を感じる……。 父が死んだ夜にエリスと謁見して以来、幾度となく彼女の口から発せられた言葉。 いまだ自分自身にそれだけの力があるのか、アルティは自覚できていなかったが。 「……僕は、父さんが死んだあの日から今まで、僕の……僕が手を伸ばして守ることができる場所だけを守るために戦ってきました。正直、此度の戦……ロストールという国は僕の両手にはかなり余ります。でも、それがゼネテスやエリス様を守ることに繋がるのなら……できる限りこの腕を伸ばしてみることにします」 幾分歯切れ悪いアルティの言葉だが、エリスは満足そうに頷きを返したのだった。 「それでいい。だが決して、自らの命を軽んじるでないぞ」 そう言って一瞬鋭さを増したエリスの瞳に、しかしアルティはそれをふわりとした笑みで受け止めた。 「エリス様こそ、くれぐれもご自愛を」 冷徹な雌狐も、その仮面を一度剥がせば下には母であり妻としての顔がある。 そのためには自らの身を厭わぬところのあるエリスを、 ある意味揶揄してのけたアルティの言葉に、エリスは一瞬目を丸くし、 それに対して口を開くよりも早く、アルティは膝まづいた腰を上げて踵を返した。 そして扉をくぐる直前に思い出したようにエリスを振り返った。 「そうだ。エリス様、僭越ながら一つお願いを申してもいいでしょうか?」 これまで父の死の間際に命のかけらを求めたこと以外、エリスに願いなどしたことのないアルティの意外な言葉に、エリスは目を丸くしながらも興味をそそられた表情をした。 「よかろう、申してみよ」 その言葉に礼を施し、アルティは口を開いた。 「もし此度の戦、皆が無事で戻れたら……」 「……戻れたら?」 「……もう一度エリス様のお料理を頂きたいです。今度は皆で、残り物ではない料理を」 柔らかな微笑で交わすなんでもない願い。 しかし、暫しの時の後、それがいかな宝石よりも得難い願いになるであろうことを二人は薄々と感じていた。 |
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