その手がつかむものは 1

広大な大地、バイアシオン大陸。
人と、人ならざる者とが
それぞれの生を営み
旅と冒険とが息づく世界。

大陸の南、ノーブルの街、
今日、この地においても、旅の商人の親子が
次の町を目指し、旅立とうとしていた。
大いなる魂の物語は、ここから始まる……。


 ここはバイアシオン大陸の南、ノーブルの街。
 その街の外れの森の中に、回り始める時を待つ運命の輪がそこにあった。

 琥珀の髪に瑠璃石の瞳(とは旅の連れの談だが)を持つその少年は、名をアルティという。
 旅の商人である父、フリントについて街から街への毎日がこの少年の日常であった。

 物心ついた時には既に旅の毎日であったため常に危険と隣り合わせであることが当然ではあったが、先日、道中でフリントが暴漢に襲われるなど、このところ妙に身辺がきな臭くなっていることが少年の最近の心配事であった。
 無論、父の身を案じてのことである。

(とはいえ、父さん実は強かったしな……。やっぱり旅をするには、父さんの助けになるには、もっともっと強くならないとな……)

 先日、自分の目の前で振るわれた父の剣技に、驚きと自らの力不足を痛感したアルティはこの街に着くや否や、一時を惜しむようにこの森に篭り、格闘術の鍛錬に勤しんでいた。

 格闘術……剣と魔法の大陸バイアシオンにおいて異邦より伝えられし己の拳と足を武器として戦う戦闘術。
 極めれば触れただけで相手を死に至らしめるとも言われるその戦闘術を、アルティは旅の途中で学び、暇を見つけてはそれを磨き上げていった。

「ただいま、父さん」

 今日の鍛錬を終えて宿に戻るなり発したアルティの声に振り向いたのは、精悍な顔つきの壮年の男性。
 アルティの父にして旅の商人であるフリントである。

「おや、アルティ。戻ったか。ルルアンタは一緒じゃないのか?」

「ルルアンタ? いや、あの子の姿は見てないけど?」

 ルルアンタとは彼ら親子の旅の連れ、いや、10年前にフリントが旅の道中で拾い上げて以来、もはや家族同然のリルピーの女の子である。

 とまれ、アルティの答えにフリントはふむ、と一つ唸り、

「そうか。いや、今お前を探しにいったんだ。どうやらすれ違ってしまったみたいだね」

 そしてちらりと窓の外に視線をやる。

「そろそろロストールへ出発だ。悪いがアルティ、ルルアンタを探してきてくれないか?」

「やれやれ、また後で何か言われないといいけど……」

 父の言葉にアルティは苦笑交じりに答えると、今しがた戻ったばかりの森へと足を向けたのだった。


「アルティー、どこぉー?」

 一方その頃、郊外の森の中では小柄な少女が、小さな手足をばたばたと忙しく動かしながらアルティの名を呼んでいた。

「ルルアンタ、ここだよ」

 そんなルルアンタの姿を見つけ、驚かさないように、でもしっかり聞こえるように声をかけるアルティ。
 そんなアルティにルルアンタは軽く頬を膨らませて詰め寄ってきた。

「あーっ、アルティ! もう、どこ行ってたのよぉ! 探したんだよぉ」

「はは、ごめん。どうもすれ違っちゃったみたいだね。僕が宿に帰ったらルルアンタが探しに行っちゃったって、父さんがね」

 その言葉に先ほどのまで勢いをなくすルルアンタ。

「あ……じゃあアルティは、わざわざ探しに来てくれたんだ……ごめんね、アルティ」

 しゅんとしょげ返ってしまったルルアンタの頭に、アルティは手のひらを乗せると軽くなでた。

「謝ることはないよ。ルルアンタは僕を心配して探しに来てくれたんだから」

「……ありがと。優しいね、アルティって」

 手のひらの感触に目を細めながら、照れたように笑うルルアンタ。

「じゃ、いこ! 早く戻らないとフリントさん、心配してるよぉ!」

 そしてそう言ってアルティの手を取って歩き出す。
 ルルアンタの小さな手に引かれながら、アルティもまた宿への道を急ぐのだった。


 二人が森の出口に差し掛かった頃、その行く手をいくつかの影がさえぎった。

「おっと、ちょっと待ってもらうぜ」

 そのなかから一人、頬に傷がある目つきの悪い男が、ニヤニヤとした笑みを顔に貼り付けたまま前に進み出た。
 それを見て一歩後ずさるルルアンタと彼女をかばうように前に出るアルティ。

「お前がフリントの息子、アルティだな?」

 ニヤニヤとした表情を崩さぬまま問いかける男。

「そうですけど……あなたは?」

 明らかに警戒の表情を顔に貼り付けて問い返すアルティだが、男はその問いの答えとばかりに、腰の短剣を抜いた。
 それに続いて後ろにいた男たちも下卑た笑いを上げながら腰の短剣を抜く。

「これから人質になるお前がそれを知る必要はない」

「……!!」

 短くそれだけを呟いた男に、アルティもまた腰のナックルを拳にはめて油断なく構える。

(ルルアンタをかばいながらこの人数……少し厳しいな……ルルアンタが抜け出せる隙間だけでも何とか作り出さなきゃ……)

 問題は、その隙間をどうやってこじ開けようかと、アルティが男たちを睨みつけていたその時、傍らから欠伸交じりの間の伸びた声が割り込んできた。

「ったく、人が気持ちよく昼寝してるってのに、そばでぎゃあぎゃあ喚かないでくれよ」

 その言葉を裏付けるかのように、いかにも寝起きという表情で頭を掻いて茂みから姿を現したのは、堂々とした体躯を持った一人の青年だった。
 青年は飄々とした物腰ながらも、その視線は刃物を構えた男たちを見据えていた。

「大の大人が子供相手に刃物ちらつかせるのはいただけねぇな。まったく、無様で見れたもんじゃねぇぜ」

 からかうような口調ながらも、青年の表情から寝ぼけ眼は既に消え去り、冷静怜悧な光がその瞳に宿っていた。
 アルティはそれを見て、まるで肉食の獣のようだと思った。
 獲物を狩る前に雄たけびを上げる獣はいない。
 この青年はもういつでも獲物を狩り取れるのだ、と。

「お前こそなんだ! 邪魔をするな!」

 そんなことには気づこうともしない男の一人が青年に斬りかかる。
 だが青年は振り下ろされる剣のその軌跡が初めから分かっていたかのように、左足を軸に右足を後退させ、軸をずらすことによって避けた。
 そして返す拳で男の腹をしたたかに撃ち付けた。

「げぇっ!?」

 大きな体躯はそれだけで強力な武器となる。
 まるでそれを証明するかのような、一見雑な青年の打ち込みは、斬りかかってきた男を逆に軽々と吹き飛ばした。

「やーべやべ、結構加減が難しいもんだな。さて、もう一度来るかい? 今度はもうちょっと加減してやるぜ?」

「……ちっ、とんだ邪魔が入った……おい、引き上げるぞ!」

 挑発的な青年のセリフに、だが頬に傷のある男は忌々しげに吐き捨てると、倒れた男を助け起こしていた仲間に怒鳴り、彼らを引き連れてこの場を去ってしまった。

「さて、と。今の奴とはお友達とは思えないが?」

 再び静けさを取り戻した森でアルティと青年が向かい合う。

「刃物を向けるようなお友達は持ちたくないですね」

「そりゃ違いない」

 人を食ったような青年の物言いに、皮肉げに切り返すアルティ。
 青年は今の切り返しが気に入ったのか、喉の奥で笑っているが、一人ルルアンタだけは頬を膨らませていた。

「なんなのよぉー、あのおじさん。いきなり、お前がフリントの子かーってぇ!」

「……フリント?」

 ルルアンタの言葉に、しかし青年は表情を改める。

「うん、アルティのお父さんだよ。ね?」

「……なるほどね」

「父をご存知なのですか?」

 青年の変わりように首を傾げて尋ねるアルティ。

「まぁ、ちょっとした知り合いって奴さ」

 だがそう尋ねた時には出会ったときの飄々とした立ち居振る舞いに戻っており、その表情から何かを読み取ることは出来なかった。

「じゃあ、俺はもう行くぜ。さっきの奴らが戻ってくることもないだろうが、気をつけて帰るんだぜ」

 そういってアルティたちに背を向けて一足先に森を出る青年。
 アルティとルルアンタも続いて森を出る。
 楽しそうに(コレはいつものことだが)アルティの手を引きながら帰路を急ぐルルアンタに対し、アルティの表情には不安の影が降りていた。

 そしてその影はいよいよ濃さを増してアルティに降り立つこととなる。
 その原因は今自らの手の中にあるこの短剣だった。


 あの後宿屋に戻ると、フリントと先ほどの青年が話し込んでいるところに出くわし、彼の名がゼネテスという冒険者であることと、なにやら父とは知り合いらしいことを聞かされた。
 そして、いよいよ王都ロストールへ向かおうという段になって、フリントはアルティだけを呼び止め、件の短剣を手渡したのだった。

「アルティ、私としたことが、この短剣を荷に積むのを忘れてしまってね。これはお前が持っていてくれないか? ロストールのお客様に渡さねばならない大切なものなんだ。肌身離さず持っていておくれ」

 いかにも些細な失敗のように言うフリント。
 しかし道中何度も念を押すフリントにさすがに首を傾げるアルティだったが、そう尋ねてもフリントは「お前はそれを持っていてくれさえすればいいんだ」と明確な答えをアルティに聞かせることはついになかった。

 そして、ノーブルをでて数日、いよいよ王都ロストールが目の前に差し迫った頃……

 休憩のために荷馬車を下りた一行の前に、再び怪しげな男たちが姿を現した。

「あぁー! あんたたちこの間のぉ!」

 その中にノーブルの森の中で襲ってきた男を見つけ、ルルアンタが怒気も顕わに(といってもリルビーなので迫力には欠けるが)指を突きつけた。

「……どのようなご用件でしょう?」

 しかしコレだけの数に囲まれてなお、フリントは動じた様子を見せず、ならず者たちを率いている男に尋ねた。

「ノーブルの代官、ボルボラから手紙を預かっているはずだ。それを渡してもらおう」

 そういって手を差し出す男に、

「そのようなものは存じません」

 あくまで冷静に答えるフリント。
 だが、その答えも予想済みだったのか、男が手を上げると、手下のならず者が3人、アルティとルルアンタを取り囲んだ。

「それで、はいそうですかとは引き下がれんな。素直に出した方が身のためなんじゃないか? ……おい! そのガキどもを大人しくさせな。リルピーの方はお頭への手土産だ」

「……! 子供たちに手出しはさせん!」

 男の言葉にフリントがさっと顔色を変えて剣を抜く。
 が、同じように剣を抜いた男がその行く手を遮る。

「おっと、他所見してると怪我するぜ。お前の相手はこの俺だ」

「くっ……、アルティ、こちらが終わったらすぐに行く! お前はルルアンタを守るんだ!」

「こっちは……大丈夫!」

 視線を動かさずに怒鳴るフリントに、アルティもまた視線を動かすことなく油断なく拳を構えて答えた。

(とはいえ……この数をどうするか……やっぱり、アレしかないか……)

 アルティはそうひとりごちて、ノーブルの森で出会った青年を、その立ち居振る舞いを思い出す。
 そんなアルティをあざ笑うかのように、ノーブルの森で襲い掛かってきた男が数歩、二人に近づいた。
 それに対し、アルティはルルアンタを背中にかばい、腰だめに右拳を構えた。

「へっへっへっ……」

 どう二人を嬲りものにしてくれようかと余裕の顔つきの男。

「今日は、この前の男がいねぇからなぁ。たっぷりとおかえししてや……」

「イアァァァァッ!」

 しかし、男の言葉を遮ってまず動いたのはアルティの方だった。
 引き絞った弓から矢が放たれるが如く、瞬く間に二人の距離と縮めたアルティの拳は男の鳩尾を見事に打ち据えていた。
 叫び声を上げることもなく吹き飛ばされた男には目もくれず、アルティは挑発的に後ろの二人を睨んだ。

「やれやれ、手加減って難しいね。……どうする? 今度はもうちょっと加減してあげるけど?」

「く……、こんなに強いなんて聞いてねぇよ、ちくしょう!」

 いつぞやのゼネテスの口調を真似るアルティに、男たちは倒れた男を抱え上げるとそのままいずこかへと姿を消してしまった。

「……ふう」

「アルティ、大丈夫!?」

 あわてて駆け寄るルルアンタに、少し疲れたような笑みを返すアルティ。

「はは……ハッタリなんて慣れないことするもんじゃないね。父さんは……どうなった?」

 そういって視線を動かしたアルティの表情が固まった。
 視線の先には、地に倒れ伏したフリントと、その身体をまさぐっている男の姿があった。

「……! と、父さん!」

「フリントさん!?」

 その声に男が顔を上げて視線をアルティたちへと向け、驚きと呆れが混じった表情を作った。

「なんだあいつら、やられちまったのか? しょうがない奴らだ」

 そういって男は立ち上がると、指で挟んだ封筒のようなものを二人に見せ付けるようにひらひらと動かした。

「密書はもらったぜ。あの毒にかかっちゃお前らの親父も長くねぇ。せいぜい最後のお別れでもしてやるんだな」

 男は二人に手を出すつもりはないのか、それだけを言うと再び夜の森の中へと消え去ってしまった。


「フリントさん、フリントさぁん! しっかりしてぇ!」

 街道沿いとはいえ、月光が差し込む程度の暗い森の中にルルアンタの悲痛な叫びがこだまする。
 その声に促されてか、寝かされたフリントが目を薄く開けるが、肌には脂汗が浮き、素人目にも危険な状態なのは明らかだった。

「アルティ……ルルアンタ……無事か……?」

 かすれた声で言うフリントの手を取って、ルルアンタは目に大粒の涙を浮かべて頷いた。

「うん……平気だよ。悪い人はみんなどこかにいっちゃった」

「そうか。アルティ……ノーブルを発つ前に渡した短剣は……持っているな?」

「う、うん……持ってるよ」

 アルティのその声に、安堵の表情を浮かべるフリント。

「……良かった。それが無事であれば……グフッ!」

「フリントさん、しっかりして! アルティ、早くお医者様に見てもらわないと……」

「ああ……すぐに出発しよう!」

「……ダメだ!」

 あわてて荷馬車の準備に取り掛かろうとしたアルティだったが、それを、フリントの意外なほど強い声が遮る。

「私のことはいい……それよりもその短剣を……王都の……ロストール城へ……」

「馬鹿言うなよ! 父さんを看てもらう方が先に決まってるだろ!」

 我が身よりも短剣などを気にかける父に、さすがに苛立ちの声を上げるアルティだが、フリントはそれでも首を横に振るのだった。

「……事は……一刻を争うのだ……急いでくれ……」

「〜〜〜っ!!」

 荷馬車を殴りつけんばかりの表情のアルティ。
 そんなアルティに、ルルアンタも涙をぽろぽろとこぼしながら困惑の視線を向けるのみだった。

「……ロストール城だね……?」

 数秒後、アルティは搾り出すように声を出すと、ルルアンタに視線を向けた。

「ルルアンタ、父さんを頼む。ロストール城に今すぐこんなもの叩きつけて、医者を連れて戻ってくる!」

 そしてその返事を待たずに、アルティは月明かりを頼りに街道を王都ロストールへと疾走した。


 王都ロストール城、同じ名を持つ国の国都であるこの都市は、いや、ここに限らず城都、都市と呼ばれる規模のところであれば、どこでも外敵から都市を守るために堀で都市を囲い、自由に上げ下げの出来る動力式の跳ね橋を備えている。
 今、その跳ね橋を駆け抜けんとするアルティの真横を見知った顔と行き違った。

「ゼネテスさんっ!」

 思わぬ大声に、しかしゼネテスは動じることもなく、むしろ手さえ上げて陽気に声を返……そうとしたが、アルティの必死の形相にその表情を改めた。

「どうした? 何かあったのか?」

「ゼネテスさんっ、父さんがっ!」

 慌てながらも何とかここまでの経緯を説明するアルティ。
 それを聞くにつれ、ゼネテスの表情もみるみる厳しくなっていった。

「で、フリントは今どこに?」

「すぐそばの街道沿いに荷馬やルルアンタと一緒に」

 その言葉にゼネテスは一つ頷くと、

「街の外までは来ているんだな? わかった。お前は宿屋の手配をしてこい。フリントは俺が宿屋まで運んでやる」

 そういうや否や、アルティに背を向けて走り出していた。

「はい、お願いします!」

 アルティもその背中に声をかけると、街の中へ疾走を再開した。

 ゼネテスにより宿屋へと運び込まれたフリントは、月光の下で見るよりもさらにその状況の悪さが見て取れた。
 冒険者ゆえに怪我の見立ては詳しいと、ゼネテスがフリントの身体を看ていたとき、それまで目を閉じていたフリントが薄く目を開けた。

「……アルティ……短剣は……?」

「……まだ持ってる。すぐに持っていくよ」

 アルティの言葉に微かに頷くフリント。

「その短剣の中に……王妃……エリス様への……密書が入っている……。それを……エリス様に……届けてくれ……」

「……なんでぇ……なんでフリントさんがそんな手紙を持ってるのよぉ……?」

 途切れ途切れのフリントの言葉に、混乱しきっているルルアンタの声。

「黙っていて……すまない……。私は……エリス王妃に……仕えていたのだ……。こ、今度のお役目を果たしたら……お暇をいただき……、三人で一緒に世界を回ろうと……考えていた……。これも……自業自得か……ごほっ!」

「もういい、喋るな」

 苦しげに謝罪の言葉を紡ぐフリントを、ゼネテスは静かに押しとどめる。
 そして立ち尽くすアルティに視線を向ける。

「聞いたな、アルティ? そいつをさっさと王妃にもって行ってやれ。親父さんもお前がいかないと納得しないだろう」

「で、でも……」

「ここは俺が見ている。それに俺が見たところこの傷、刃に毒が塗ってあったようだ。シロウラギリって猛毒だ。エリス王妃は雌狐と呼ばれるほどの謀略家だ。毒にも詳しい。シロウラギリの毒にフリントがやられたといって薬をもらって来い。急がないと間に合わない……行け!」

「……! は、はい!」

 自分の行動如何で父の生死が決まるといわれ、弾かれたように宿を飛び出したアルティ。
 そのまま主街路を全力疾走し、貴族の邸宅街を抜けてロストールの王城へとたどり着いた。

「止まれ! 何だお前は!」

 そして当然の如く門衛に阻まれるが、もう一人の門衛がアルティの必死の形相に、門衛を押さえつけた。

「まぁ待て、何か急ぎの用がありそうだ。どうしたのだ?」

「エ……エリス様にこの短剣を! 僕はフリントの息子アルティ。どうかエリス様にお目通りを!」

 アルティの言葉に、短剣へと視線を向ける門衛。

「むむ、確かにその短剣の柄にあるのは王家の紋章。よかろう、少し待て」

 そういって門衛は扉の向こうへ消えた。
 そして再び門衛が目の前に姿を現すまで、実際にはほんの数分にも満たない短い時間だったのだろうが、アルティにとってはまるで永劫の時のように感じられた。

「王妃様がお会いになるそうだ、ついて来い」

 門衛にそういわれ、アルティは慌てて王城の門をくぐったのだった。

 ロストール城、謁見の間。
 市井の人間であれば一生足を踏み入れることはないであろう場所に、今アルティは膝をついている。
 そのすぐ前ではアルティから短剣を受け取り、中に仕込まれた手紙に目を通す女性がいた。
 この女性こそエリス王妃。
 ロストール王室において実権を握っている女性である。
 エリスは文書に目を通し終えると、目の前で膝まづく少年に視線を向けた。

「……密書は確かに受け取った。ご苦労だった、これは報酬だ」

 エリスがそう告げると、盆の上に袋を乗せた侍女がアルティの横に進み出、手に持つ盆を差し出した。
 だが、アルティはそれを受け取るよりも顔を上げてエリスに視線を向けた。
 本来ならばこれだけでも立派な不敬罪である。
 しかし今のアルティにはそんなことを気にしている余裕などはなかった。
 また、エリスもそれを咎めだてすることはなかった。

「王妃様、恐れながらお願いがございます!」

「……願いとな? 申してみよ」

「はい。実は、ここに至る道中に父フリントが、何者かに襲われて怪我を負いました。その折、シロウラギリの毒刃で斬られ、今も臥せっております。エリス王妃は毒物にもお詳しいと聞きました。薬を持っておいでなら分けていただけませんか? 危険な状態なのです!」

 必死の形相で訴えるアルティにエリスも表情を変える。

「シロウラギリの毒、だと? フリントがか?」

 ここまで言ってから、エリスはその瞳に面白そうな光を浮かべる

「しかし、フリントの息子、アルティといったな。お主、ずいぶんと毒物に詳しいではないか」

 そのエリスの言葉に、しかしアルティは首を横に振った。

「いいえ、王妃様。僕たちを助けてくれたゼネテスという冒険者にそう教えてもらいました。王妃様に薬を頂くようにとの言葉も彼のものです」

「ほう……ゼネテスという冒険者がな……なるほど」

 なにやら得心いったように呟いたエリスは、傍らの侍女になにやら耳打ちをした。
 そして数分。
 戻ってきた侍女の盆の上には一つの小さな包みが乗せられていた。

「フリントの息子、アルティよ。その薬を与える。その薬が毒を中和してくれよう」

「はっ! ありがとうございます!」

 その言葉にエリスは満足げに頷くと

「下がるがよい、時を置いてまた連絡する。役目、ご苦労であった」

 と、退去を促し、アルティもまた無礼にならぬ程度に出来るだけ急いで謁見の間から去ったのであった。


 今宵幾度目の疾走であろうか。
 アルティの身体はとっくに限界を訴えていたが、アルティ自身はそんなことには一向に構わず宿へと全力で走っていた。
 そして叩きつけるように開けた扉の向こうではルルアンタが泣きじゃくりながら佇んでいた。

「アルティ……ぐすっ。フリントさんがぁ……」

 その言葉に弾かれたようにフリントに駆け寄るアルティ。

「父さん!」

「アルティ……エリス様は……?」

 もう、視線すら向けずにかすれた声を出すフリントに、アルティはその手を取って答える。

「うん、短剣はちゃんと渡してきたよ。お役目ご苦労って、報酬も薬ももらってきたよ」

 その言葉に、フリントの顔に安堵の表情が満ちる。

「今まで、お前に……隠し事をしていた……すまなかった……。……あ、後は……ゼ、ゼネテス……様……」

「分かった、後のことは引き受ける。任せておけ」

「あ、ありがとう……ございます……。アルティ……ゼネテス様に……ついていくのだ……。この方……なら……お前……を……」

 不意にアルティの手からすり抜け落ちるフリントの手。
 呆然とするアルティとルルアンタ。
 ゼネテスが落ちたその手を取ると、静かに首を横に振り、その手をフリントの胸の上で組み合わせた。

「う……そだ……。父……さん……っ!」

 歯を食いしばるようにうなだれるアルティ。
 その横ではルルアンタがもはや物言わぬフリントにすがり付いていた。

「ひっく、ひっく……フリントさん、フリントさん! 目を開けてよぉ! そんなの嫌だよぉ! うわ〜〜〜〜ん!」


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