** ある錬金術師の物語 **
  • 紫の紗幕 04
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     春に漆黒の魔獣の脅威にさらされた森は、恵み豊かな秋を間近に控えた今度は奇妙な霧に侵蝕されていた。
     未だ死傷者の報告がないのは、霧に分け入って戻った者がいないため。
     すでに封鎖を指揮する守護騎士までも数人の行方不明者を出している始末だった。
     無為に時ばかりが過ぎてゆき、霧だけに掴めぬ話だなどという揶揄が、挨拶でもするようにルイーダの街を席巻し始めた頃。
     降り注ぐ陽光とは対照的にどこか物憂げな午後、仲間の戻らぬ守護騎士隊の詰め所にささやかな明るい風が吹く。
     しばらくご無沙汰だった、白い姿の錬金術師の久々の来訪。
     数日に一度は依頼の納品に訪れていたというのに、ある一夜を境にぷっつりと途絶えがちになっていた。
     ダグレイの釘さしに免じて少しの間は大人しく構えていたジルベルだったが、どうにもはかばかしくない進展に、とうとう現状うかがいに腰をあげてしまったのだ。
     といっても、そこは厳格な隊長の指揮の下、居合わせた騎士たちは期待どおりの有益な情報など口を滑らせてもくれず。
     暇つぶしか気晴らしか、とりとめのない愚痴や世間話につき合わされていた所に、その人は思いがけず姿を見せた。
    「た、隊長!!」
     それまでのくつろいだ時間が嘘のように、騎士たちは本来の姿に立ち返る。すなわち姿勢を正し表情が引き締まった。まさにフィールデン王国自慢、大陸屈指の筆頭としてその武勇を称えられる精鋭守護騎士隊に相応しい姿である。
     無論、一声もなく存在だけで彼らにそれ程の緊張を与えられる者などごく稀で、中でも最たる者、エルディン隊長の登場であったのだから無理もない。
     お供には国賓の異国の宮廷魔導師を連れている。
     女性とも見まごう美青年は、柔らかな微笑を浮かべジルベルに頭を下げた。
    「意外に遅いおいででございましたね、ジルベル様。すぐにもお出でになられるかと思っておりましたよ」
    「え、ええ……まあ……」
     ミューリフの笑みの前で、ジルベルは答えに窮して口ごもりながら無言のまま自分を見下ろしている騎士を横目でうかがう。
     相変わらずの気難しい顔は表情というものがひどく読みづらい。
     最も聞きたい情報を握っているその人は最も融通の利かない相手で、会いたくて、会いたくなかった顔だった。
     言えないとなれば頑として口を閉ざすのだろうことは分かりきっていたが、若干の躊躇を振り切って唇を開く。
    「ご無沙汰を致しております、エルディン様。その、もしよろしければ、ユクートの森の一件についてお伺いしたいのですけれど……」
    「……」
     詰所内は唾を飲み下す音さえ聞こえそうな程に静まり返っている。
     期待と不安でしばし息をつめていたジルベルだったが、返される沈黙にそれ以上の問いかけを諦めかけた時、ピタリと引き結ばれていた綺麗な口元がわずかに動いた。
     一瞬見せた苦りきった顔は、いつもの調子で翻した黒髪の背中に隠されてしまう。
    「お前の意見を聞こう。付いて来るがよい」
    「は? あの……」
    「此度の一件を担当する諸卿が、お前の発言を求めている。スーニエルの博識を確かめたいのだろう」
    「そういう事でしたら、スーニエルから招かれている宮廷魔導師がそこにおりますのでは?」
    「その宮廷魔導師殿が是非、お前に話を聞くべきだとの仰せなのでな」
     ちらと肩越しに異国から来た二人へと投げかける黒曜の視線は、苛立ちとも諦めともいえぬ苦さが混じっていた。
     これまでにない予期せぬ展開に、かえって困惑顔のジルベルの耳元でミューリフが声をひそめる。
    「申し訳ありません。ジルベル様のお手を煩わせるのも忍びないのですが、この場合はお力添えを請うのが最善の策だと思いましたので」
    「ミューリフ、もう少しご自分の力を信用なさい、とあなたには前々から言ってますでしょう?」
    「いえ、そうではなく……後ほどの席で詳しい説明があるはずですが、とにかく、私よりジルベル様の方が適任であることは確かでございます」
     きっぱりと真顔を向けるミューリフに一つ溜息をつく。
     どこまでも柔和な青年だが、断固として譲らぬ頑なな部分も持っている──でなければ、何事かを究める道の曲がりなりにも頂き近くにまで上ることなどできないだろう。
     滅多に見せないその面を見せた時てこでも動かないことをよく知る姉弟子は、その件への追求を放棄することにした。
    「でも、よくエルディン様が許可を出しましたわね。いつもならわたくしなどが関わるのをお厭いでしょうに」
    「早期解決のためであれば已む無し、とのご説得に応じられたようでございますよ」
    「エルディン様を? そんな方がいらっしゃるの?」
    「はい。こちらの国王陛下、御自ら……」
    「まぁ……」
     エルディンを動かすには国の最高位たる国王まで担ぎ出さねばならないのかと、呆れもするし、納得もする。
     だが、なんとなく一番その人らしい気がして、ジルベルは思わず苦笑が浮かんだ。
    「あのー。もう隊長、行っちゃいましたけど?」
     すっかり話し込んでいる様子に、騎士の一人が小さく声をかけてくれた。
     少し離れた回廊で響く足音はそれでも明らかに自分たちを待っており、二人は揃って急ぎ足で追いかける。
     それきり黙々と何の説明もなく先導され、通されたのは同じ建物の上階にある会議室。
     公式の聴聞会ではないらしく、三方を囲むようにして配置された机の席に数人がばらばらと腰を下ろしていた。
     王宮に滞在するミューリフは彼らに一々恭しく礼をしては先に進むが、ジルベルはあっさりとすすめられた席に落ち着く。
     一番入り口に近いその側には、最後に扉を締めたエルディンが立っていた。
    「ジルベル殿、かな?」
     部屋の最奥に陣取る壮年の男がおもむろに口を開いた。
     飄々と暢気そうな面差しをしているが、その目には強く切り込むような力がある。大声を出している風でもないのに室内に朗々と響いた声は、どこか面白がっている節もあった。
     豪奢に着飾っておらずとも威風堂堂というその様に、ジルベルは直感した。
    「国王陛下でいらっしゃいますか?」
     軽々しく向けられた言葉に、列席者の一人が立ち上がる。
     文官らしいその男の開きかけた口を片手を挙げて軽く制し、言い当てられた王は口の端に笑みを浮かべた。
    「いかにも、フィールデン国王、レイザールである。が、今日のことは他言無用に願う。ちょっとした興味本位で顔を見せただけなのだが、それでは下々に示しがつかぬと口うるさい輩もあるのでな。私などいないつもりで話を進めて欲しい」
    「はあ……」
     気のない返答にも現れているとおり、最初からジルベルには権威や尊い血統というもの対して畏まるところは無い。
     自ら、努力と才能の上に成り立つ至高の座の一つに随分と若くして就き、権威というものに抑えられることを知らずに今日まで来た。
     大体からして、国で一番偉大で、最も尊大な人物を身近に師と仰いできたのだし。
     同じ師を得たミューリフとの差があまりにも大きいのだが、そこは身分や格差という分別を身に付けてから弟子入りしたものとの差──生来の気質のせいではないと、かつてジルベルは言い張ったことがある。
     とはいえ、畏れ入ることはなくとも礼儀知らずではない。
     国王の言葉にわざわざ噛み付くこともなく、素直に頷いてみせた。
     度胸がいいとか、肝が据わっているとか、傍若無人だとか……様々な所感をしまい込み、エルディンは早々に事の本題へと移る。
    「今回のユクートの森の一件につき思うことを述べよ」
    「と申されましても、森にかかる霧によって侵入を阻まれているとしか伺っておりません。何事かを判ずるには実際にその様子を目にするか、せめてもう少し詳しい状況をお聞かせ頂きとうございます」
     常より一段改まった言葉遣いで、ジルベルはエルディンに対して頭を下げる。
     互いの置かれている立場と状況次第では、話を潤滑に進めるため儀礼というものも時には必要となるのだ。
     特に驚いた風もなく、エルディンも小さく頷いただけで視線を動かす。
     促されて紙の束を机上に並べた男がこれまでの経緯を要約して語り聞かせる間、ジルベルは黙って聞き入っていた。
    「──つまり、今もって原因は不明。調べようにも森の深部に入る手立ては見出せない、ということでございますわね」
    「霧の外から縄をつけた矢を内部に向かって放ち、辿ってみるという方法も試したのだが、手繰れば縄だけが戻ってくる始末で、やはり……戻らぬ」
    「ただの霧でないことは明白……とはいえ、事故で起きたのでなければ、目的の方は図りかねるところでございますわね。大別して、近づけないためなのか、出さないためなのか」
     そっと顎に指先を添えたジルベルの途切れた言葉に、男は苛立たしげに手元の紙束を投げ出した。
    「誰が何の目的でこんな事をしでかしたかなど、後でよい。まずはあの霧をどうにかせねば!」
    「どうにか、と申されましても……」
    「何か手立てはないのか!?」
     薄気味悪そうにしかめ面で声を荒げる男から溜息混じりに視線を外し、ジルベルはそっと顎に指を添えて沈黙する。
     霧を払う、その手立てなら単純だ。
     怪しい霧の怪異を上回る何らかの力をもって吹き払えばいい──圧倒的な力の差があれば、それが最も手っ取り早い方法に違いない。
     自身で試してみる気にはまったくならないが。
     あの広大な森を──中央をくり貫くように外周だけに広がっているのだとしても広大だ──を覆い尽くすほどの霧を発生させ、維持するなど簡単なことではあり得ない。
     大体、霧を払った後、それ以上の惨事が起きないとも限らないではないか。
     とはいえ、霧そのものが人の身に害毒であるとも限らない。
     やはり自分の目で見て確かめるのが、まず第一だろう……と結論が出て顔をあげれば。
    「──聞いておるのか、その方!」
     先ほどの男が、いよいよ渋面で語尾を荒げていた。
     よもや、”聞いていませんでした”と素直に申し上げるわけにもいかず、うやむやに相づちを打つジルベルの傍らで小さな吐息がもれる。
    「卿、ミューリフ殿が何やら話されたいご様子なれば、しばしお待ちを」
     とりなしというより、事態の膠着を見かねたという様子でエルディンが口をはさむ。
     起伏が乏しいなりにそのどこか諦観めいた表情は、促されてホッと安堵して微笑するミューリフとは対照的だった。
    「ジルベル様、先日、私も及ばずながら確認に参ったのでございますが……」
     だったら、どうしてそうと早く言わないのだ、と言いかけた言葉を危ういところで飲み込む。
     ミューリフの国賓としての立場を慮ったと言うのもあるが、この場で他国からの客人が最初に発言できないのも無理からぬことと悟ったからだ。
     頷きつつ視線で促す。
    「その霧なのですが、うっすらと淡い紫色を帯びておりました」
    「光の具合で遠景の緑が紫に見えたりする場合はありますけれど……紫の……霧?」
    「はい。ジルベル様。紫の、霧、でございます」
     含みを込めて区切るミューリフの前で、ジルベルも眉間に深いしわを刻む。
     何かが脳裏をよぎり、悪寒が走る。
     早鐘の鼓動を打つ胸の中で、繰り返して響く短い語句──紫の霧。
    「あ……」
     思い至るのにそう長い時間は要しなかった。
     と同時に、紅色の唇の内側を噛み、眉間のしわはますます深くなる。
     すぐそこにあるエルディンの訝しげな視線から逃れるように、思わず瞼を伏せていた。
    「心当たりがあるようだな」
    「必ずしもそうと断定するものではありませんけれど、それらしきモノが”過去”において存在したことは知っております」
     さらりと口にした”過去”という一言に、遠目には気づかれない程度の僅かさでエルディンの目がそばめられるのを、ジルベルはあえて素知らぬフリをする。
     もっともその態度によってこそ、”過去”がどれほど遠いのか、いずこよりもたらされたものか、はっきりと分かるというものだが。
     恐らく春からの一連の事態に少なからず関わった者ならば、皆同じ思いを抱くだろう。
     またか、と。
     いや、覚悟はしていたのだ、誰もが、どこかで。
    「どういう代物なのだ?」
    「一言で申し上げるならば……要するに霧の牢というところでございましょうか」
     紫に色づいたその霧の中に一歩足を踏み入れば、方向を見失い、幻覚に襲われ、延々と霧の中を彷徨い続けるのだという──世にも困った霧を吹く呪具の名は、確か『アシャの香炉』とか言ったか。
     ”香炉”の名を持つ通り、その効果は呪具を中心に円状に広がるものであったような。
     ジルベルに濃い懸念の色が顕わになる。
    「ですが、全ては確かなこととは申し上げかねますわね」
    「自ら試した事はない、と?」
    「……その呪具は、結局、合成されませんでしたから」
     ”太古の智慧”を手にして、それを片端から試したわけではない。むしろ、大半が目を通しただけに留まった。
     そもそも、はじめごく限られた人物の前にだけ開示され、その中からまず各々が自らの研究対象となり得るものを選別し、それでも数年がかりという研究になるはずだったのだ。
     けれど、知識の切れ端は様々な欲得のうちに千切られ、むしられ、盗まれ、管理不行き届きのツケは災厄という形で返ってきた。
     国を未曾有の危機に陥れたのは他ならぬ己自身なのだが、それにつけても脅威が拡大したのは最初に選びだされていた過去の知識がそれだけ強力なものであったという一面もある。
     その点において、『アシャの香炉』という呪具は、選出した魔導師らのおめがねに適わなかった。
    「──だって、あまり使い道がございませんでしょう?」
     エルディンに向けて、眉根をひそめながら小首を傾げるジルベルの口調が平素に戻りつつある。
    「いえ、使い道自体ははっきりしておりますわ。外からの侵入を拒むためか、内からの逃亡を防ぐためか、その辺りでございましょうね。ですが、一番の意図は警告ですわ。そのために色づいた霧などという目に見える形をとっている……」
    「一方では大事なものがここにあるぞ、とわざわざ知らせてやることになる」
    「呪具に限らず、魔力を必要とするものはその技量や力量に大きく左右されるもので、決して万能ではありませんわ。自らを上回る術者が現れれば無意味と化す。であるなら、賢明な守り方とは言いかねますわね」
    「囮としてはあからさまに過ぎるし、本当に重要なものならば隠す方に力を費やすべきか」
    「まさにその通りですわ。大体、その時点で最強と呼ばれる封印は、それを破るという形で発見されておりましたし、急いて研究する価値はあまり……」
     価値がないわけではないのだ。
     例えば、霧を完全に無色透明で無味無臭にすることができれば──。
     例えば、足を踏み入れた者を即座に行動不能にすることができれば──。
     そう……『アシャの香炉』は、膨大な知識の中から再現を試みようと飛びつくには、どうにも中途半端な代物だった。
     と、興味深げに耳を澄ましていた国王が、会話の途切れに紛れ込む。
    「そなたは見聞きした全てを記憶しておるのか?」
    「いえ、陛下。さすがにそのようなことは……。『アシャの香炉』は、少しだけ合成を検討したことがあったのでございます」
    「が、しなかった。何故にか?」
     祖国が災厄に見舞われた折、猛威を振るう魔獣を阻む手立てを模索していた時のこと。
     街の周囲に霧をめぐらしてみることをチラと思いついたが、すぐに打ち消された。
     魔獣を阻める程の術的強度をもった霧では、当然、うっかり足を踏み入れた人間も出て来れまい。
     効果の範囲についての検証も重要で、上空や地中からの侵入への対策も考慮しなければならない。
     何よりの問題は、霧の効果で彷徨うことになった魔獣をその後どうしようというのか。霧が消えれば囚われていた魔獣がまとめて解き放たれることになるのだ。
     侵入者を即座に殺すような毒性や攻撃性を持たせることは、人の身近に置くものとしては危険すぎる。
     逆に魔獣どもの棲み処を覆うようにすれば──だが、誰が敵の只中に呪具を持ち込んで使うゆとりがあるというのか。
    「なるほど。なかなかに不毛な検討であるな」
    「仰るとおり。使用に耐え得るまでには改良の余地がありすぎて、完成した暁にはもう別物と呼んでよいモノになっていたでしょうし……」
     ふと、近くで控えていた文官のわざとらしい咳払いに、ジルベルは声をつぐむ。
     舌が滑らかに回るうち物言いがくだけてしまったが、何分相手は大陸で名を馳せる大国フィールデンの国王様であったのだ。
     国王自身も今それを思い出しましたとでも言うように、苦笑しながら幾分声色を改めた。
    「さて、術や呪具についての見識はもはや十二分に示されたと思う。この上はもっとも急を要する話を進めようではないか。我々はいかにすべきか……」
     椅子の上で背筋を伸ばし座りなおした王が、ジルベルの顔を直視する。
    「このまま霧が広がり続ければ、いずれ我が国を覆い尽くしてしまう。それ以前に街道に影響が及べば、物資の供給が滞り王都のみならず近隣全ての生活が立ち行かぬようになる」
    「仮に原因が先ほど申し上げた呪具であったとして、わたくしも熟知しているわけではございません。さらなる不測の事態の可能性は否めませんわ。逆に、時間の経過による自然消滅の可能性もありますけれど……」
    「その希望的な観測の向きをご自身は支持されるか?」
    「残念ながら──むしろ、一刻の猶予もならぬ事態とみるべきでございましょう」
     私も同じ意見だと、目を細めたレイザールの口の端に笑みが浮かぶ。
     国王がわずかに身を乗り出すと、ジルベルの傍らに直立したままの騎士の長身から頭上高くでかすかな吐息が聞こえた。
    「ところで、此度の一件、ご尽力頂けるものと期待してよいのであろうか?」
    「え、ええ。それはもちろん……わたくしもこの地に住まう者ですから」
    「その言葉に安堵いたした」
     ジルベルに一つ深い頷きを返した途端、国王はスルリと立ち上がった。
     その身体の運びは俊敏にして滑らかに洗練されており、つい今しがたまでの鷹揚さはまるで見当たらない。
    「エルディン。早急に事態の収束に努めよ。最優先懸案とし、解決にはあらゆる手段を用いることとせよ」
    「御意」
     守護騎士隊長に対して、厳しい口調で命令を下した国王が向きを変える。
     室内を視線が素早く一巡し、その他の出席者に対して同様にせよと言外に命じていた。
     臣下たちの表情で意志の疎通を確認し、ミューリフへと向き直った国王はまた表情を変えている。毅然としつつも、謙虚さを併せ持つ誠実な同盟者の顔に。
    「ミューリフ殿。この通り、我が国は魔導がらみの問題は不得手。何卒、ご助力を頂きたい」
    「あ、はい。私の些少なる力の能う限りに」
     間違いなく大国フィールデンのを担うに相応しい国王の姿勢──威厳を保ちつつも驕らず、冷静でありながらも他を圧倒する何かに、ミューリフは我知らず頭を垂れている。
     最後にレイザールの目がジルベルに留まった。
     時々に応じて様々に顔を使い分け、人がよいのか悪いのかを掴ませない国王であったが、この錬金術師に対してはさてどうするべきか。
     一瞬、思案にくれた後、どこか子供のように空とぼけた笑みを浮かべ視線を泳がせる。
    「身の危険をおして協力を頼むからには、何かしらの恩賞が必要であるな。成功の暁には騎士隊づきの魔導師とするか」
    「え? ちょ、ちょっとあの……」
    「あるいはいっそ宮廷魔導師という手もあろうな」
    「あの……」
    「論功行賞が正しく行われねば、世が乱れるもととなるというものよ」
    「──陛下、お待ち下さい」
     紅の唇からピシャリと手厳しい声音で呼び止められ、狼狽えるように肩をすくめる様はまるきり悪戯の見つかった子供のそれだった。
     素直なのか、それすらも演技なのか。
     いずれにせよ、その態度に憎めなさを覚え、思わず苦笑がもれる。
    「格別のお申し出にはいたみ入りますが、身分や権威に属するつもりは毛頭ございません」
    「魔導師としての望むままの位に、と言っても無駄であろうな」
    「畏れながら」
     言葉とは裏腹に面憎いほど淡々と平静に告げるジルベルに、国王はあごを撫でながら静かに微笑んだ。
    「これはご不興を買うてしまったか?」
    「いいえ、思いがけない話の展開に危うく感服するところでございました」
    「だが乗ってはくれなんだか。残念……実に、残念である」
     この場合、不興を案じるのは自分の方ではなかろうかと思いつつ、ジルベルは困ったように小首を傾げる。
     ”太古の智慧”にまつわる数々の不幸の責任を問われれば、無関係だと突っぱねることはできない──たとえそれが、自分が引き起こしたものでないにしても。
     お前がこの地にいるがためによからぬ事態が起きたのだ、と責められても致し方ない部分もある。
     出て行けと言われれば甘んじて受け入れただろうし、もしその点を言及されての宮仕えの要請──強制ともいえる──であれば、一件が片付き次第、この国を去る心づもりにもなっただろう。
     けれど、国王は愉快そうに喉の奥で笑うばかりで何も言わない。
     恐らくはそうした諸々の状況や心理を踏まえた上で、見越した上で。
     掌の上で転がされるのは少々癪に障るが居心地は悪くない。それもまた癪に障るのだが、そういう王になら乗ってみてもいいかと思ってしまったのだから仕方がない。
     もちろん、すべてを譲るわけにはいかないけれど……と、ジルベルは静かに起立する。
    「陛下、わたくしはこの街、この国の一人の民であること以上を望んではおりません」
    「ふむ……欲の無いことであるな」
    「欲ならばございます。できる限り長く平穏にそうして暮らしていきたい、と──ですから、そのために必要とあらば、どなたからの命令の有無によらずとも行動を起こすことになりましょう。何よりもわたくし自身の望みのために」
     そう言って苦笑を浮かべるジルベルに、一瞬の間をおいて国王は入ってきた当初の柔和な表情を取り戻す。
    「……よかろう。では、ジルベルよ。此度の一件、我が民として騎士隊への協力を申し付ける。以後、エルディンの指示を仰ぎ、遺憾なくその力を示してもらいたい」
    「承知いたしました」
    「では、エルディン。後は頼んだぞ」
    「は」
     あっさりとした短いやりとりを幕切れと見定め、エルディンは素早く扉を開く。
     一介の町人に相応しく恭しく頭を下げ続けるジルベルに、一度しごく満足げな視線を投げかけてから国王は諸卿を伴って退出していった。
     やがて足音も聞こえなくなった室内に取り残された人影は三つ。
     遥か北の国よりの来訪者である二人と、生粋のフィールデン国人である騎士隊長。
     いずれの表情も、それぞれの思うところ、立場によって重く険しいものになるのであった。
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