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難しい表情のまま考え込むジルベルを半ば引きずるようにして階下におろし、一同は改めて少し遅い午後のお茶を囲む。 女主人のためにとミューリフが手際よく注ぎなおした温かな一杯。 その緩やかな香気にようやくジルベルも肩の力を抜いた。 「……そういえば、ダグレイさんまでいらっしゃるなんて珍しいですわね?」 「ん? ああ、この時間ならなんか食わせてもらえるかな、と思ってさ。夜番明けでそのまま寝ちまって、腹へってんだわ」 言いながら、ダグレイの手はすでにテーブルの上に広げられた茶菓子をポイポイと口の中に放り込んでいる。 そこに、お茶のおかわりの準備に奥にいたミューリフが、小さなパンを盛ったかごを手にひょいと顔をのぞかせた。 「それはお疲れ様でございました。ダグレイ殿、よろしければ、こちらもいかがです?」 「お、うまそう! ありがたく! ……うまい!」 まだ机に並べられる寸前につまみあげられたパンは、早々にダグレイの腹の中におさまってしまう。 「もう、ダグったら恥ずかしいなぁ」 「なんだよ、エマリーも欲しいんだろ?」 「え!? いや、そ、そんなことはない……よ?」 「そうか? 残念だなー、すっげぇ、美味いぞ、これ。ホラ」 二つに割った片割れを口に、もう片方をエマリーの方へと向ける。 柔らかく焼かれた薄茶色の皮の内側はほんのりと緑色で、何種類かの木の実や果物の皮などが細かに刻んで混ぜてあるようだ。 ちらちらと見せびらかすようにした後、そちらも口に入れるやお茶に手を伸ばす。 飲んで、食べてと大いに忙しいダグレイの傍らで、ミューリフが小首を傾げるようにして好ましげに微笑を浮かべた。 「祖国では見たことのない木の実などもありまして、珍しくて使ってみたのですよ。エマリーさんもよろしければご試食願えませんか?」 「あ、はい! よろこんで!」 途端にいそいそとパンかごに手を伸ばすエマリーに、ミューリフは楽しげに目を細める。 「美味しい! 香草とか薬味とか色々入ってるのに、全然くさみも苦味もないし……」 「ありがとうございます。お二人のお口にあって何よりでございました」 「お前の唯一の得意分野までお株を奪われそうだな、エマリー」 「唯一……って、ひどい!! もう、ダグには絶対に作ってあげないから!!」 「まあまあ、精進しろよってことだ。より上手くなるようにって、な?」 「知りませーん」 目の前で繰り広げられる賑やかで和やかな恋人たちの風景に、ジルベルとミューリフが顔を見合わせて秘めやかに笑う。 その小さな笑い声に気づき、はたと我に返りぴたりと弾む声が赤面と共に止んだ。 「あら、遠慮なさらなくてよろしいのよ? どうぞ、気の済むまで痴話喧嘩をなさってくださいな」 「ええっと、あの、あ、そうだ! こ、このパン、美味しいですけど売り物にするんですか!?」 強引にそらした話題ふりであったが、ミューリフは真面目に溜息をこぼす。 「今は原価が少々高くつきますから、日常的に販売するには不向きかと思いますよ」 「ですよねぇ……」 倣って溜息をついたエマリーに、ジルベルが小首を傾げる番だった。 「そんなに高価なものを使いましたの?」 「いえ、ジルベル様。このパンに使いましたのは、以前よりの買い置きの品がほとんですからさほどには。ただ、このところ、薬草や香草といった類が一通り値上がりしておりまして……」 ミューリフの答えを遮るように、むせ返ったダグレイに視線が集まる。 「どうしたの、大丈夫、ダグ?」 「わ、悪ぃ」 と、灰色の瞳を細めたジルベルが、紅の唇に三日月の笑みを描いた。 「今日いらしたのはお腹を満たすためだけではなかったようですわね、ダグレイさん?」 「いや、別に……」 「薬草や香草の値上がりの件に心当たりがおありなのでしょう? しかも、それが何かわたくし達に関わることで、様子を見にいらしたのではありませんの?」 「はぁ。ま、一両日中にもお達しがでるから、いいか」 少し温くなったお茶を飲み干して喉を潤すと、生真面目な表情にころりと変わる。 「ユクートの森がまたしばらく立ち入り禁止になるんだ……というか、すでに立ち入る奴もいなくなってるんだけどな」 「また、何かありましたの?」 ”また”という無意識の一言に、各々の表情が厳しくなるのも無理はない。 かの森の奥地で、苛烈な戦いの一夜を明かしたのはまだこの春先の話だ。 話にだけは聞いていたミューリフさえも、眉間にしわを刻んでいる。 古よりよみがえりし獣──漆黒のグリフォンは、それだけの脅威を持つことをその場の全員が身に染みて知っていた。 「今のところ被害は出てない……というより、確認できてないって方が正しいな」 「随分ともってまわった言い方ですわね」 「いや、言ってることは本当なんだ。被害が確認できない、だから困ってる」 「どういう事ですの?」 「ちょっと厄介なことになっててな」 言葉をきり、注ぎなおされた一杯を軽く口に含んで喉を湿らせる。 「少し前ごろから、ユクートの森で濃い霧が発生していると報告されてたんだ。ついでに、その霧の中に入った奴らが戻ってこない、ってな」 「道を見失って森で迷っていらっしゃるのかしら」 「言ってしまえばそういう事なんだろうけど、行方知れずになってるのが素人ばかりじゃないんだ。日頃、森の薬草摘みを生業にしてる連中まで帰って来てねぇらしい。大体な、朝から晩まで、何日も何日もずーっと霧が晴れないってのも、そもそもおかしいだろ?」 「天候不順の折ならさておき、この夏の陽気でございますものね」 「おまけに、だ。今やその霧は、森の半分以上を覆うほどに広がってる。ただ事で済むわけがない」 先ほどまでの空気が一転、沈黙が重苦しく圧し掛かる。 しばし探るようにジルベルの瞳を覗き込んでいたダグレイは、ゆっくりと椅子の背に身をもたせかけて息をついた。 「霧の中に入って戻ってきた奴がいない、それが一番問題なんだ。何が起きてるか確かめようがない」 「そういう事でしたら、森の封鎖決定は遅すぎるくらいですわね……」 「けどな、あの森の恵みはルイーダの生活に欠かせないだろ? ぎりぎりまで様子を見てたんだが、森を詳しく知る連中はとっくに立ち入らなくなってたよ。これ以上、いたずらに素人の行方不明者を増やすわけにもいかなくなって、な」 ダグレイの声を聞きながら、顎先に指を添えて深く考え込む。 霧の噂はおろか、薬草の値上がりさえ知らずにいたのだ。 ここ最近の自身の無関心ゆえの不甲斐なさに、我知らず吐息がもれる。 「もし、お手伝いできることがあれば、何なりと仰って下さいませね、ダグレイさん」 「何か心当たりでもあるのか?」 「いいえ、今のところは何も……。でも、この国ではあり得ないだろう事態が、今日まで色々ございましたから」 「まあ、な」 古い時代の魔獣が暴れ、得体の知れぬ魔導師に客人たるの他国の王女が拉致され──。 そのいずれにも目の前の白い錬金術師が関わっている。 秋を迎えようとする今、また、何か起ころうとしているのだろうか? それとも、もうすでに何かが起きてしまった後のだろうか? ダグレイの眉間にも、いつのまにか深い縦じわが生まれていた。 「それにしても、わたくし、すっかり世捨て人の様相ですわね。普段でしたら、それ程の森の異常に気づかないはずもありませんのに」 「ここんとこ、ジルさんが採集に出かけなかったのは幸運だったな」 「そうですかしら? 行って何かに気づくことがあれば、もっと早く策を講じることもできたかもしれませんわ」 「もうすっかり、何かやばい事態だっていう口ぶりだな」 「そうだと考えていらっしゃるからこそ、森を封鎖なさるのでしょう?」 「やれやれ。だからって、お達しが出回る前に森に……なんてのは勘弁してくれよ?」 顔に笑みを作りながらもまっすぐに真剣な眼差しを向けるダグレイに、ジルベルは苦笑をかえした。 「わざわざ釘をさしに来て下さったダグレイさんの顔を潰すような真似は、今のところ、するつもりはございませんわ」 「ったく。今のところ、ってのが怪しいぜ。本当に勘弁してくれよな、ジルさん達に何かあったら……いや、何かしでかしたら、隊長に怒られるのは俺なんだからさ」 「エルディン様のご命令でいらっしゃいましたの?」 「いーや。けど、『何かと恐れ知らずの者も多い。その動向にはくれぐれも注意を払うように』って言いながら、俺とばっちり目が合ったんだ。その意味は言わずと知れてるだろ」 どこか疲れたように肩を落とすダグレイの恨めしそうな視線に、恐れ知らずと遠まわしに名指しされた二人の錬金術師はそろって首をすくめる。 わざとらしく一つ咳払いを落としたジルベルに、ミューリフが柔らかに喉の奥で小さな笑みをもらした。 「森のことも確かに気がかりではございましょうが、今のジルベル様には他にも思い巡らせることもおありですから、さほどの心配はないと思いますよ、ダグレイ殿」 「他?」 小さく頷くミューリフの視線を追えば、白く伸びたジルベルの左の中指の付け根に加わった新たなる彩。 緑の石が室内に入り込んだ陽光でかすかに煌く。 「確かに仰るとおり。この指輪の意味……ただの戯れなのか、何かの意図を持っているのか。興味が尽きないところですわね」 「じゃ、当面は是非ともそっちに好奇心を注いでおいてくれよ、な!」 ホッとしたように笑顔を取り戻すダグレイの前で、ジルベルはそっと指輪をなぞる。 師の遺した指輪の仕掛けに、今日、気づいたのはただの偶然だろう。 けれど、偶然であるからこそ不安が訪れる。 偶然に偶然が重なり、何か大きな必然へと流れ出しているような。 胸の奥でチリチリと蠢く、言い知れない何か。 様々な未知なる事象に立ち会ってきた経験した嗅覚が何かを感じとっている──それを予感と呼んでもいい。 「……手遅れにならなければよろしいのですけれど」 声になったか、ならないか。 そんな幽けき呟きは、すでに転じた話題のざわめきにかき消される。 ミューリフだけがほんの一瞬、眉を曇らせたことはジルベルさえも気づかないまま。 やがて街並みがゆっくりと暮色に色づき始めるまで、久方ぶりの語らいは不吉さを跳ね除けるように室内に明るく響き渡った。 「くれぐれも大人しく、頼むな」 最後にもう一度念を押して、若い守護騎士が傍らに少女の小さな影を添えて夕映えの街角へ遠ざかっていく。 後を追うように一歩踏み出しながら、淡い金の髪を風に流して青年が振り返った。 「ジルベル様、あまり考えすぎは毒でございますよ」 「考えずにはいられない……というだけですわ。今までのんびりさせてもらっていた分、少しぐらい多めに頭を働かせるべきでしょうから、気になさらないで」 ジルベルの淡い色の瞳は傾陽を宿して朱色に染まり、街並みを映しながらどこかずっと遠くに向けられている。 森を覆わんとする霧──その異常事態を他人事にするには、もう、あまりにも出来事が起きすぎてしまった。 今までも、そして、これからも、”自分がここにいるせいで”などと、口にするつもりはない。 騒乱を巻き起こした罪自体は、それを願い、行った者にあるのだから。 だが、その元凶に”己の罪”と思うところがあるのならば、そうと気づいたのならば、手をこまねいて見ているだけではいられない。 待っているだけではいられない、が……。 「はがゆい事でございますね」 ミューリフの口調に口惜しさがにじむ。 祖国において不測の事態が起きた時、一番に頼るべき人、頼られるべきである人なのに、この国ではあろう事か遠ざけられてしまう。 蔑ろにされているわけではないと分かっても、誰よりも悔しいと感じていた。 「ジルベル様がご自身の術をお見せになりさえすれば、いずこの国の諸侯でもそのお力を尊ばれることでしょうに」 「ミューリフ……」 「私どもが見上げ学ばんとしたあなたが、生活のためにその才を切り売りしているだけなどと……あまりにも、もったいないではありませんか」 「…………」 「……申し訳ございません。私がさしでがましくも口を出すようなことではありませんでした」 しゅんと頭を下げる青年の前で、ジルベルは頬を緩める。 「今をときめくスーニエルの宮廷魔導師様にそうまで惜しんで頂けるなんて、光栄至極というものですわね」 「な! わ、私など、ジルベル様がいらっしゃれば!!」 「でも、ミューリフ。今のわたくしの願いは、静かに暮らしたい、ただそれだけなのですわ」 「存じております。十分に存じ上げているはずなのに……申し訳ありません」 「謝る必要などありませんわ。さあ、わたくしの事でしたら心配なさらず。お二人があなたを待っていましてよ?」 「はい。では、また明日にでもお伺い致します」 橙色の眩さに儚げな笑みを溶け込ませ、青年は何度も振り返ってはようやく待ち人らの元にたどりつく。 大通りへの角を曲がる直前、最後にまたこちらに向けられた顔に小さく手を振って……やっと見送りを終えることができた。 家に入ろうと背を向けた太陽の光に、左手が煌く。 夕陽の色に侵されることのないない純潔な緑の輝きに目をそばめた。 「シェイザのお導きというものかしら。それとも警鐘?」 指輪はもちろん答えてなどくれない。 翌日から完全に立ち入りを禁じられたユクートの森。 何の解決も見られぬまま一日また一日と時は経ち、霧はその密度を濃くしながらさらに不気味な薄闇の領域を森いっぱいに広げている。 | |
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