| [目次] [前頁] | |
|
世の大半の人が知らぬうちに始まり、終わった一大事から数日が過ぎ、よく晴れた朝。 王宮の正門から、六頭立ての立派な馬車が多数の騎影と馬車・荷馬車とを供にして去っていった。 フィールデンの誇る守護騎士隊まで護衛に含まれるその隊列に、大通りをいく人々は素早く道をあけながら好奇のまなざしを向ける。 薄絹が下ろされた馬車の中をうかがい知る事はできなかったが、その傍らにピタリと添う騎馬の上で装飾も美しい甲冑を身にまとった騎士の姿は、隻眼の傷痕さえ凛々しさに見えた。 すでに急ぎ足となっている隊列はあっという間に通りを駆け、ルイーダの街門を抜けていく。 その光景を通りの片隅から遠巻きに眺めていた二つの人影。 「行っちゃいましたね」 「ええ……」 「なんだか、寂しくなるなぁ……」 少女の呟きに、隣りの女性は小さく苦笑した。 「会ってまだほんの数日ですのに、すっかり馴染んでしまいましたのね、エマリーちゃん」 「そっかぁ、そういえばそうですよね。……ジルさんは……ううん、なんでもない」 互いに命を懸けあうほどの友人との別れ、母と慕った師との最後の別れが寂しくないはずがない。 飲み込んだ言葉は、けれどありありと表情に浮かんでいて、ジルベルはまた苦笑する。 「大丈夫ですわ。お別れなら昨夜、十分にさせて頂きましたもの」 一人の市井の民として扱うと決めた以上、エルディンの公私の別は徹底したらしい。 国同士の親交に関わる大事でさえあり得たにも関わらず、あれ以降、特に説明を求められることも呼び出されることもなく、逆にその後の経過についてを伝えられる事もなかった。 昨日、日も暮れてから、急に騎士隊から緊急の薬の納入を仰せつかるまでは。 隊士に伴われ薬を携えて向かった詰め所への道すがら、歓送の晩餐会の開宴を庭で待つスーニエルの使節の一行と出くわした。 「格別のお計らいですわね」 自ら詰め所へ届けるよう言われた時から、はかりごとがあるのは分かってはいたが。 「どうしてもお前に、直接礼が言いたくてな。無理を聞いてもらった」 煌びやかに正装した隻眼の将軍は笑う。 「スーニエルに向けて明日出立する。危険な目に遭ったからといって、いつまでもこちらに留まるわけにもいかないからな。といっても、途中、通過する国々に挨拶しながらで、まだ長い旅になる」 「さすがにまったく同じ手を使ってくるとは思いませんけど……どうぞお気をつけて」 「ああ、十分に用心する。それにスーニエルからの増援もすでに派遣されてるからな。むしろ、気をつけるべきはお前の方だが……」 言葉を止め、気遣わしげに目を細めるガイトンに、ジルベルは小首を傾げて苦笑する。 「これからの出方はともかく、狙いは分かりましたもの。なんとか手を講じてみますわ。国を出た人間の心配までする必要は……そういえば、わたくしに帰国しろとは仰いませんの?」 「言ってもどうせ帰らないのだろう? ま、これまで通り、学識を広めるために諸国を外遊中──ってことになるな」 「そんな事になっていましたのね」 「塔主に見限られました、では、あまりにも国の体裁が悪すぎるんだよ」 「そんなつもりではありませんけれど……」 軽く眉間を寄せるジルベルに、今度はガイトンが苦い笑みを見せる番だった。 「気にするな。こっちにだって打算もあるのさ。いつか戻ってもらわねばならない、ってな。罪に問えば手も借り辛くなる」 ほろ苦い調子で言うが、それが事実の一面でしかないことがジルベルには分かる。 いざという時のためにというのなら、捕らえて幽閉でもしておけば確実性は増すのだから。 そうしておけば、またこんな風に他国で騒動を巻き起こす危惧も減るだろうのに……。 「……っと、もうよそう。国だの、罪だの、そんな事を話すために時間を作ってもらったわけじゃないんだ」 ジルベルの浮かべる憂いの色を払うように、慌ててつくるガイトンの笑みは今にも泣き出しそうだった。 「フローの救出に動いてくれて、本当にありがとうな。それから、お前を助けると言いながら、俺は何もできなかったな。すまない」 「そんなことありませんわ。助けられましたわよ、十分に」 「だが、お前を助け守ったのは、シェイザ殿とこの国の騎士たちだ。俺は……」 「ガイがいち早くフローの元にたどり着いてくれたからこそ、交渉がはかどったのですわ」 「それは結果として、だろう」 「こういう場合は結果に意味があるものでしてよ」 仮にあの黒の魔導師らを捕らえられたとして、王女を救えなかったのでは意味がない。 国家としてはともかく、ジルベルにとっては何ら意味のないことだった。 「まあ、得体の知れない魔術の中に飛び込むなんてあまりにも無謀でしたし、言いたい事は山ほどございますけれど……。そうですわね、結果に免じてやめておきますわ」 終わりよければ……と言えるほどに、全てがよかったわけではない。 だが、それはここでは──別れのこの場で、それぞれに心に負った傷がまだ癒えぬこの時に、口にする必要はなかった。 視線でそう確認しあい、ジルベルとガイトンは改めて笑みを交わす。 「お前、本当に丸くなったな。前に大怪我を負った時なんて動けないのをいいことに、そりゃもう何度も何度もくどくどくどくど言いたい放題に説教してくれたというのに」 「……今からしてさしあげてもよろしいのですわよ?」 「いや、いい。せっかくの宴の前だ、俺も遠慮するから、お前も遠慮してくれ」 二人のやりとりに、いつの間にか近くに来ていた二つの笑い声が混じる。 「相変わらず仲がいいのね、少し妬いてもいいかしら?」 王女としてでなく、一人の友人としての温かな笑みを向けるフレイリオ。 「人が羨むほどに仲がよろしいのはあなた方でございましょう?」 「そうかしら?」 「あの空間で……無作為に投げ出されたはずですのに、ガイが囚われのあなたの元に見事に出現するなんて、思いが引き合ったとしか思えませんわ」 奇跡と呼んでさし支えない幸運。 ただの偶然と言えばそれまでだが、それさえもガイトンが座して待つ男であれば起き得なかった事だ。 普通と異なる世界で育ったジルベルの、数少ない友人をたくすに足る男だと素直に思える。 「そろそろ正式に婚儀をなさるのでしょう?」 「ええ、この外遊を終えて帰国したら……その予定よ」 「色々あってすっかり遅くなってしまいましたものね。やっと、という気がしますわ。本当におめでとうございます、フロー」 「あなたには特等席で参列してもらうつもりだったのよ」 フレイリオの瞳がかすかに翳る。 祖国に災厄が起きていなければ、二人はとっくに婚儀をあげていた。 もしそうであったなら──列席者の顔ぶれは、間違いなくこれから行われる式とは大きく異なっていたはずだろう。 失われた懐かしい人々を一瞬思い巡らせたフレイリオだったが、すぐに振り切って微笑む。 「参列してくれないのなら、どうか今祝福してちょうだい。貴方の祝福は、きっとこれからの私を支えてくれるはずだから」 「もう十分幸せでしょうに、わたくしの分まで持っていかれるおつもりですの?」 「だって、私、これから国の皆と一緒に幸せにならないといけないのよ? どれだけ祝福されても足りないぐらいだわ」 さらりと逞しい言葉に思わずジルベルは苦笑する。 王女もまた、もう一人の数少ない友人をたくすに足る女性である、と。 「あなたの……あなた達が手を取り合って歩いた後ろに、スーニエルという国の道ができる──そう確信していますわ」 そう微笑んだ途端、王女にふわりと抱き寄せられる。 「その傍らに貴方がいない事が、こんなに辛いなんて……。でも、ありがとう。貴方の信頼に恥じない私であるよう努力することを誓うわ」 「本当に申し訳なく思っていますわ、途中で投げ出してしまって」 「ジルベルだから許してあげるのよ」 「貸しにしておいて下さいな」 「ええ。いつかきっと返してもらうから……忘れないで……私たちのこと……」 短く頬を寄せ合ってから身を離し、昔のように、何もなかったあの頃のように明るく微笑みあう。 「……それで、どうしてミューリフが号泣していますの?」 「ふふ、ミューリフ殿は本当に泣き虫ですのね」 当の本人たちは──少なくとも表向きは──明るく別れを終えたというのに、そのすぐそばでグスグスと子供のように袖を濡らす青年の姿があった。 「ううっ……、どうぞ私のことは放っておいて下さい……」 「いやいや、お前も言っておかなきゃならない事があるんだろう、ミューリフ」 三人の姿に笑いを堪える様子のガイトンに促され、はっと泣き濡れた顔をあげる。 「そうでした……あの、ジルベル様……、少しよろしいでしょうか……」 「何ですの?」 ダメだと言ったらどうするのだろうと思ったが、そんな意地悪を言ってうっかりまた泣き出されでもしたら大層バツが悪いので大人しく聞くことにする。 「ジルベル様、グノーシルには本当に……戻っては頂けないのでしょうか……?」 「こうなった以上、考えなかったわけでもないのですけれど、ね」 自分の生が騒動の種ならば、せめて在るべき場所に帰るのが最善の選択に違いない。 出奔の咎め立てはあるだろうが、生まれ育った国だ、要職の味方も多い。 国家機密の鍵を握る者として処断される可能性もあるが、それは最後の手段として、まずは復興の礎となるべく働かされることだろう。 魔術に対する守りも高いし、何より封印を自らの手で守ることのできる距離だ。 騒動が起きるにしても国の負うべき自業自得でもあるのだし……。 「いつかは戻ることになる、そんな予感もあるのですけれど……。まだ少し、ここにいたいと思っていますわ」 言ってしまってからふと気づく。 いつの間に、”国を離れたい”から”ここに在りたい”に変わってしまったのだろうか。 自身の心境の変化にかすかに戸惑いを覚えるジルベルに気づかぬ様子で、ミューリフはようやく涙を拭いおえる。 「分かりました。いえ、プロパートル様もさほど期待はなさっておられませんでしたし……ええ……」 「今回はプロパートルに助けられましたものね、お礼を言っておいてくださいな」 「ええ、それはもう十分に申し上げておきました。何でしたら、後ほどご自分で仰られてはいかがでしょう、お喜びになるはずですよ」 「自分でって……」 「”遠見の鏡”をお使い頂ければすぐでございましょう?」 「そういえば預けたままでしたわね」 国のことは忘れろと厳しく突き放されもしたが、結局のところ、かの老翁の助けなしに今回の終着を見ることはなかっただろうことは明らかで。 確かにできることなら呪具ごしにでも顔を見て礼を述べたいのは山々だったが、 「正式に我が国の預かりとなった品を使わせる約束を、簡単に取り付けられては困るのだが」 すうっと深まりつつある藍色の宵を切り取ったように、長い黒髪の紺の甲冑姿が現れ厳しい口調で釘を刺す。 「も、もちろん、後ほどきちんと手続きをお願いするつもりでございます」 「ならば、結構」 と、エルディンはちらりとジルベルの方に視線を流した。 「そなたに魔導師として王宮勤めをする気があるのなら、手続きも不要なのだがな」 「丁重にお断りいたしますわ」 「そう言うであろうと思って、陛下にはもう諦めて頂いた」 「……ありがとう、ございます」 ありがたいに違いないのになんとなく釈然としないジルベルを知ってか知らずか、エルディンはあっさりと職務に戻る。 「そろそろ移動してもらわねばならぬ時間だが」 「ああ、エルディン殿。ご厚意感謝する」 「……」 「……と、貴殿からも国王陛下に改めてお伝え願いたい」 「承知いたした」 私人から公人へ──別れのひと時は終わりを告げる。 「皆さまの無事の帰国をお祈りしていますわ」 「ああ、お前も元気で」 軽く膝を折って見送るジルベルに、王女と将軍が微笑み並んで宮殿へと歩き出す。 と、フレイリオが戻ってきて、こそっと耳打ちした。 「貴方も幸せにね」 「え? ええ……?」 曖昧に首を傾げる間に、小さく手を振った王女は小走りに遠ざかっていった。 入れ替わりにミューリフが来て、ジルベル以上に優雅に腰を折る。 「私も今日のところはこれで失礼致します。後日、”遠見の鏡”はお持ちいたしますので。では、また……」 「ちょ、ちょっとお待ちになって。今日のところは、って? 後日? どういう事ですの?」 「あ、申し忘れておりました。私は、このままこちらの国に残ることになりまして」 「な……」 「宮廷魔導師としてあまりにも世知に疎いとプロパートル様からお叱りを頂いてしまいました。それに、魔導師としての腕もまだまだ未熟。その辺りも含めてしっかりジルベル様に学んでくるようにと仰せつかりました」 「仰せつかりましたって……あなた……」 「はい。何とぞ、ご教授よろしくお願いいたしますね」 そうして、何がそんなにも嬉しいのか、ふわっと花も恥らうように微笑むミューリフに、ジルベルは二の句を失った。 「ミューリフ、何をしている。早くしろ」 「は、はい。申し訳ありません、ガイ様。では、ジルベル様、失礼いたします!」 祖国の人々に置き去りにされ、異国の王宮の庭でぽつんと呆然とするジルベルに、騎士が独り言のごとくに語りかける。 「これより先、ミューリフ殿には我が国で魔導の指導をしてもらうことになった。さらに、当方の魔導師数名のスーニエルへの留学も受け入れられた。これは国同士の合意に基づくもの、諦めることだ」 「指導など何も宮廷魔導師ほどの人間にさせることではありませんわ。一体、どうして……」 不審げに眉根を寄せるジルベルに、エルディンは短く吐息をつく。 「今後、お前を守るにあたって、我が国では魔術的な力不足は否めぬゆえな。スーニエルに協力を申し出たところ、ミューリフ殿をということになった」 「わたくしを……守る……」 本気で言っていたのか──という一言は、手で軽く口元を覆い、辛うじて飲み込んだ。 正気を問いたいのは山々だったが。 「ルイーダの街門内では当面の危険はないようなので騎士の派遣は打ち切るが、何か問題があるか?」 「い、いいえ、まったくございませんわ」 「外に出る際は護衛をつけることを怠らぬように。以前のように一人で採取などは以ての外だ。よいな?」 「はあ……」 「……」 「……承知いたしておりますわ」 伏し目がちに不承不承に応じるジルベルは、宮殿からの遠い灯りの中、エルディンが口の端をほんのかすかに緩ませたのを知らない。 「今日はご苦労であったな、下がるがよい」 「ええ、失礼致します。あの、わたくし達のために色々とお計らい下さって、ありがとうございました」 「……」 「……と、その、お気遣い下さった方に、心よりのお礼を申し上げていたとお伝え下さいませ」 「承知した。では、失礼する」 あくまでもこのような特例は仕方なく行っているのだ、と主張する無言がおかしくて、ジルベルは綻ぶ口元を隠すように頭を下げて見送った。 その後、持参した薬を詰め所に置き、また騎士に付き添われて王宮を辞す。 宮殿から遠く楽の音を運ぶ風はうっすらと暑気を帯びはじめ、季節の巡りを感じさせた。 「耐えられるとよろしいのですけれど……」 昨夜の風を思い出したジルベルが青く晴れた天を仰ぎ見てもらす呟きに、エマリーはきょとんと首をかしげる。 「何に耐えるんです?」 「夏に……」 確実に近づいてきている夏の気配に溜息をこぼす。 これからこの国で過ごすという弟弟子の苦労が忍ばれて──ジルベル自身もまたスーニエルを出てからとても苦労したものだから。 留まることなく移ろいゆく時。 やがて訪れる日々よ、穏やかであれと切に願う。 「さて、戻りましょうか。よろしければ、お茶でもいかが? お約束どおり、とっておきのものを用意してありますのよ」 「じゃあ、お茶請けも買っていきましょう! ホラ、前に言っていた……」 喧騒の通りをエマリーと並んで歩く、それはとり戻した日常そのもの。 今しばらくは、この温かな静けさの中で──。 | |
| [目次] [前頁] | |