** ある錬金術師の物語 **
  • 鬱金の波紋 17
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     師の細かった息がついに絶えた途端、わっと泣き崩れたミューリフの隣りでジルベルは嗚咽を殺して肩を震わせる。
     人前で涙を見せるのを恥ずかしく思うよりも、まだやらねばならない事があったから。
     一度、泣き出してしまえばおさまるには時間がかかる。
     そうなる前に。
     まずは立ち上がるため、握り締めていた師の手を放そうとして不自然なところで止まった。
     軽く結んだままゆっくりとずらし、指先を上向けて改めて手を開く。
    「いつの間に……」
     白い手の平の中には指輪が一つ。
     鈍い銀色の環に、六本の爪に支えられた白い半透明の輝石でできた真円の半球──見忘れるはずもない、師に依頼されてジルベル自身が合成したのだ。
     といっても、格別に特殊な呪具というわけでもなく、身に付けている者の意思なくして外せないというだけだ。
     その死によって持ち主不在になった今、ジルベルが手にしていても何もおかしくはないのだが、いつの間に手渡されていたのかまったく分からなかった。
    「シェイザ様は……薄情です。私には何も残して下さいませんでした……」
     頬に真新しい涙の筋を指の淵で拭いながら、ミューリフが寂しそうに微笑む。
     二人の背後に、それまでずっと口を挟むことなく見守っていた王女と隻腕の騎士が佇んだ。
    「ジルベル、ありがとう……それから……」
    「フロー、あなたが謝る必要はありませんわ」
     必死で涙をこらえ言葉を綴る王女に、ジルベルは小さく首を横に振る。
    「無事に帰れたという油断と詰めの甘さが、文字通り命取りになってしまいましたけれど……」
     茶化すような物言いだからこそ、その奥からにじみ出るやり切れなさ。
     言葉を詰まらせたジルベルの前に出たガイトンが、シェイザの亡骸に跪いた。
    「シェイザ様、ありがとうございました」
     血にまみれボロボロの服の裾を手にとり、万感の思いを込めて深く下げた額に押し付ける。
     彼女への讃辞はいくつでも思いついたが、そのどれ一つも気持ちに追いつきはしない。
     そして、どれ一つも真実の彼女に追いつかない。
     武官として育ったガイトンは、直接シェイザに師事したことは一度もなかった。
     だが、戦場で、生き方で、死に方で……彼女から学ぶところはいくらでもあった。
    「……もっと生きて……貴方に教わるべき事は山ほどあったのに、な」
    「そんな事、面倒くさいと言われるだけですわよ」
     思わずもれたガイトンの呟きに、ジルベルが苦笑し顔を見合わせる。
    「ガイ、シェイザをグノーシルに一緒に連れ帰って差し上げて下さいな」
    「それは構わないが……お前は帰るつもりはない、ということか」
     静かに目を伏せるジルベルの無言を肯定と受け取り、ガイトンは小さく息をついた。
    「分かった。今度は必ず全員、無事に国まで連れ帰ってみせる」
    「それからバークール様の隣りで静かにゆっくりと眠って頂くわ、それで……いいのでしょう、ジルベル?」
     そう付け加えた王女にジルベルが頷くのを見ると、ガイトンも立ち上がる。
     まだ少し遠いところに駆けつけてくる人影は共に祖国から来た使節団の者たちで、突然の王女奪還の一報にさぞや驚いていることだろう。
     この作戦を邪魔されないためにも、後日その咎が及ばぬためにも、他の者には王女を見捨てるという国の決定ともども黙っていたのだから。
     予想通り、無事の帰還を果たした王女に喜びの声をあげ、同時に行方の知れなかった偉大なる魔女との物言わぬ対面に驚愕し、落胆した。
     フィールデンの騎士からその亡骸を引き取り帰国準備の指示を出すガイトンはすでに将軍の顔に立ち返っていたし、改めて王宮へと招かれるフレイリオもまた王女の振る舞いをとり戻す。
    「ミューリフ、あなたもお行きなさい。随行の宮廷魔導師としてこの一件をプロパトールに伝えなくてはならないでしょう?」
    「はい……ですが……」
    「シェイザに、任せろと言った言葉を嘘にするつもりですの?」
     ジルベルとて感傷がないわけではない。
     同じ人を師と仰ぎ、失った弟弟子としばし哀しみを共有する時間があってもいいと思う。
     けれど、王女救出という形で私情を優先させた挙句、その結果報告まで怠っては公人として立つ瀬がない。
     暗く疲れきった面差しで頷いたミューリフが傍らに添い、祖国の人々、フィールデンの騎士らを伴って宮殿へと運ばれていく師を見送るジルベルに低い声が届く。
    「そなたにも事情を聞かねばならぬが」
    「……それは当然でございましょうね。どちらに伺えばよろしいのかしら?」
     立ち尽くしていた背中にかけられた声に我に返り、ジルベルは慌てて振り返る。
     エルディンがいて、泣きはらした目で鼻をすするエマリーの隣りにダグレイもいた。
     と、エマリーが不意にがばとかきついて来た。
     肩の辺りから聞こえるはばからない泣き声。
     華奢な体には似つかわしくないほどに、ぎゅうと抱きつかれ困惑する。
    「あ、あの……エマリーちゃん……?」
    「ジルさん達は、どうして、こんな……な……何を、守った……ですか?」
     涙に途切れる声で、ひどく核心をつく質問にジルベルは眉尻を下げた。
     『太古の智慧』と呼ばれる危険な知識への鍵──そう答えるのは容易かったが、きっとそういう答えを望んでいるのではないのだろう。
    「前に……人が命と引き換えに行う封印の話をしたことがあったのを覚えていまして? それと同じ封印が黒の塔には施されているのですけれど……」
     コクコクと頷くエマリーを前にして、ジルベルは上手く続ける言葉がまとまらない。
     未だにあの日の光景は鮮明に思い浮かべられるのだが、客観的に──他人事のように話すのは難しかった。
     暗い暗い地下、そこにある三つの人影さえ塗りつぶす暗闇が支配する中での出来事。
     幾つかの天井の先では、降り積もった雪が凍りついて地表を覆いつくしている。
     風は吹き荒れ、雪はもはや礫と呼んでいいほどに冷たいよりも痛い。
     長い冬に慣れているスーニエルの民とはいえ、誰も好んで出歩こうとは思わないだろう夜半だった。
    「あの封印、『マールバースの烙印』に必要なのは、二人の魔導師……」
     深い闇の夜、そこにいたのは三人の塔主。
     ジルベルとシェイザ、それからバークール。
    「古代魔導言語を操れることは大前提で、同程度の力を有する者同士であること、封印の意志の通じ合った者同士であること、それから……」
     どれ程の魔力を有していても、その気がないものを封印の糧にすることはできない。
     それから……。
    「心の通じ合った者同士であればなおよし……」
     魔術は精神に負うところが多いゆえに、感情や思いが影響を及ぼすことが多分にある。
     それを逆手にとった封印。
     大切な人を失う痛みを、嘆きを、後悔を、苦しみを最強の呪文に換えて──。
    「封印を施したのはシェイザ、立ち会ったのはわたくし、封印となったのはバークール」
     ボサボサの頭、着古したローブ。気難しそうなとがった顎に驚くほど優しい瞳をした男。
     シェイザの元に弟子入りしたジルベルを、一緒になって何くれとなく導いてくれた人。
     書物に埋もれて眠った幼い日、毎度寝床に運んでくれた腕の温もりはいつまでも消えることのない思い出。
    「バークールの後悔はあの漆黒のグリフォン生み出してしまった事。あの獣によって失われた命が増えるたびに……」
     苦しんでいた。
     人には見えぬところで、苦しんでいた。
     ジルベルには見せぬように、苦しんでいた。
     最初にあの封印を解いたのが、ジルベルであったから。
    「だから、『太古の智慧』による戦渦に一応の決着を見たあの日、自ら封印の糧になることを願った……」
     逃げだろうか? ……逃げかもしれない。
     一難去った後だからこそ、復興のために力を尽くすのが本当にすべきことなのかもしれない。
     だが、あの人は言った。

     ──僕はもう、人を信じられない。

     塔主となる程に優れた存在であったからこその無知。
     力を持たぬ者、才を得られなかった者、特権を欲する者たちがいかに多く、いかにその思いが強いことか。
     初め最高機密であった『太古の智慧』が、半年も経たずに魔導院の外に流出し、瞬く間に有象無象に広まってからやっとその事に気づいた。
     力そのものに善悪はなくとも、用いる人間には欲があり、悪意がある。
     機密の漏洩により粛清された魔導師には高位の者も多く、騒乱を招いたと罪を問われた者たちにも見知った顔が並んでいた。
     だからこそ余計に、大きく問われる事のなかった管理不行き届きの罪が、重く暗く心に圧し掛かる。
    「他国と国交を開くにあたり、侮られぬように、脅かされぬようにと『太古の智慧』にすがったのに、内側から国を食い荒らすことになってしまって……」
     まだ終わっていないのに後を任せることになって、すまない。
     君たちに辛い役目を負わせて、すまない。
     すまない、すまない、すまない……。
    「その始まりから見続けていたわたくし達は、数年をかけて蓄積した後悔を……封印に換えて……」
     そこで言葉を止めたジルベルは、ようやくエマリーの顔に視線を向けた。
    「──シェイザは自分の一番大切な人を封印に換えた」
    「大切……な、人……?」
    「バークールはシェイザにとって、幼馴染で、親友で、戦友で、盟友で……夫でしたから」
    「そんな……!」
    「両親を失くして、弟子として引き取ってくれたシェイザを育ての母としたわたくしには、もう一人の師であり、父であった人……」
     家族だったから、ジルベルはあの日あの場所に立ち会った。
     シェイザとバークールが夫婦となったのはジルベルが一人立ちしようかという頃だったし、その前も後も同じ家で三人が共に暮らしたというわけでもない。
     しかし、魔導院という大きな屋根の下で、師と弟子として、師の友人と友人の弟子として、いつしか血を分けた以上に同じ魔導の高みへの意志と理想を分かち合って生きてきた。
     栄光と例えようもない苦悩を分け合った。
     歪な家族のあり方は、他の誰に理解してもらう必要などない。
    「だから、わたくしとシェイザにとって、あの封印は墓標だから……その先にあるものがたとえこの先無価値になったとしても……守りたかったのでしょうね……」
     術が発動し、あらゆる闇をも許さぬ眩むような光の中で──。
     優しかった父が苦痛に歪む顔を必死に笑みに変えるのを見た。
     滅多に見せない極上の笑みを貼り付けた母の手が震えるのを見た。
     悪夢より辛い現実の数瞬が過ぎ去った後、残されたのは死。
     バークールという人間の死──血も肉も残さず、魂の一片まで魔力となって彼は潰えた。
     シェイザという存在の死──国中の畏敬を受ける魔女の姿はどこにもなく、抜け殻となった彼女は間もなく国を去った。
    「あの封印を最初に解いたのはわたくし……。何故、あの封印を解いてしまったのでしょうね、封印を解くだけの力しかありませんでしたのに……」
     望んで解いたわけではない……請われて解いたのだとしても、やはり思わずにはいられない。
     もしもそこに至る道を見つけさえしなければ──。
    「守りたいと言いながら、結局、国を負うことの重さから逃げ出して、あちこちを転々と住み歩いてあなたと巡り会ってしまった……というのが今のわたくしですわ」
     また鼻をすすりあげながら涙をぬぐうエマリーに、ジルベルは少し首を傾け困ったように小さく笑った。
    「こちらの皆さまにも沢山のご迷惑をかけてしまいましたわね」
    「そんな事ない! ジルさんの薬で元気になった人だっていっぱいいるよ!」
     両足を踏みしめた甲高い少女の声が力いっぱいに叫ぶ。
    「そりゃ、大変な事にも遭ったけど楽しい事だっていっぱいあったし! えっと、嫌なら一緒になんていないもん!」
    「エマリーちゃんはあの惨状をご存知でないからそう言えるんですわ。ご自身があの苦しい日々にさらされれば……」
    「うん、知らない」
     あっけないほどにそう言った後、エマリーは大きく息を吸い込んだ。
    「ジルさんがすごい魔導師で、すごく偉い人だったなんて実感わかないし、どんな大変な事があったのかも想像つかないよ。でも、知らなきゃダメ? 知らなきゃ、友達でいられないの?」
     大きな茶色の瞳が痛いほどにまっすぐに見上げてくる。
    「そういう全部を含めて今のジルさんだから、わたしは、わたしが知ってるジルさんがいい」
    「ですけれど……」
    「わたしがいいっていってるのに、どうしてそんなにスーニエルの事ばっかり気にするんですか!」
    「どうしてって……」
    「……分かった。昔を思い出したから、わたしみたいな普通の……ううん、頼りなくて失敗だらけのわたしが友達なんて、恥ずかしいって、嫌になったんですね!?」
     とうとう勝手に怒り出してしまった年若い友人に、ジルベルは呆気にとられ、やがて瞬きを返す。
    「どうしてそういう結論に辿りついたのか理解できませんけれど、わたくしのことを本当に友人だと思って下さっているのは分かりましたわ」
    「あ……当たり前じゃないですか! もう……!!」
     まだ言い足らぬとばかりに詰め寄るエマリーの肩に手がかかる。
    「あー、仲が良いのは分かったからさ、そういうのは今度ゆっくり家の中でやればいいだろ? とにかくまだ朝早いんだし、みんな寝てないんだし、今日はもう帰ろうぜ」
    「そ、そういえば……」
     ダグレイに言われて、ここがどこで、どういう状況だったのかを色々と思い出す。
     ちらっとうかがうような上目遣いに少しだけ自己嫌悪をのせた。
    「あ、あの……えーっと……」
    「すっかりお世話になってしまいましたもの、お礼にとっておきのお茶をご用意してますわね」
    「また行っても、いいの?」
    「ご迷惑でなければ」
    「迷惑なんかじゃ、ぜんっぜん、ないです! 行きます!」
     そうして、一転してぱーっと晴々とした笑顔を見せたエマリーは、ダグレイに伴われて帰路についた。
     仲良く並んで歩いていく二人の背中を眺めながら、はたとまだそこにエルディンがいることに思い至り少し気まずい気分になる。
    「なんだか、負けましたわ」
    「そのようだな」
     紛らわすように呟いた言葉に明瞭な相づちを打たれ、さらにいたたまれなくなる。
    「お前も、家まで送ろう」
    「え? でも事情の説明は……」
    「聞かねばならなかった事は、先ほどの話で大体理解した。他については使節団の方々に聞けばよかろう」
    「は、はあ……」
     それきりエルディンはさっさとジルベルの家へと足を向けた。
     大通りから外れているせいで人影もなく、まだまだ静かな道行を二人は黙ったまま歩き、間もなく目的地に到着する。
    「此度の一件について、後日、話を聞くことがあるかもしれぬ」
    「ええ、それは承知しておりますわ」
     家の戸口で事務的に言葉をかわす。
     国事に関わる事件の発端として拘束されてもおかしくないのにと、内心で訝しむジルベルにさらに不審の追い討ちがかけられた。
    「場合によっては、今後も国からの保護なり、護衛なりを受けてもらうやもしれぬ」
    「保護……でございますか? え? 今後?」
    「さしあたって騎士隊から二人、仮眠を済ませている者を呼びにやっている。間もなく到着するだろう」
    「そ、そこまでして頂く理由は……」
    「警護と見張りの両面を兼ねて、こちらに必要があってのことだ」
    「でしたら、わたくしがそちらの詰め所に伺えばよろしい事ですわ」
    「それでは身が休まらぬであろう。民間の者にそこまで強いる必要はない」
     エルディンの口にした民間の者という言葉に、呆気にとられた。
     過去のいきさつと現在の状況を聞いてなお、どうしてそういう発想を持てるのかと思わず眉をひそめてしまう。
    「一件への協力には感謝する。騎士隊士が到着の後にはゆっくり休むとよい」
     例によってあまり感情の見えない声だが、口調は柔らかいように感じる。
     嫌味ではなく本気で言ってるのだと感じると、どっと気が抜けて力ない息がこぼれ出た。
     エマリーといい、エルディンといい、ダグレイを始めとする騎士たちといい……。
    「出て行け……とは仰いませんのね」
    「やはり、その心づもりがあったのだな」
     低く落ち着いた声で問い返され、灰色の視線を地に落とす。
    「何処か頼る先があってのことか?」
    「特には……。ですが、このままではまたこの街に、いえ、この国にご迷惑が──」
    「見知らぬ場所でこの次が起きれば、また対処に遅れるのではないのか?」
    「……」
     一騒動は終わったようだが、その根が絶たれたわけではない。
     別の地に移ったとして、新たな場所でまた何らかの騒動の種となる事は想像に容易かった。
    「ですが、これ以上、皆さまのお手を煩わすわけには」
    「これは我々の役務であって、煩わしい事ではない」
    「いえ、そういう意味ではなく……。わたくしに関わる厄介事は起きませんでしょう?」
    「つまり、突き詰めれば自分が生きていることが咎だ、と」
     どこかで目を逸らしていた一言をあっさりと口にされ、ジルベルは身を強張らせた。
     現状において解封の呪文を守る一番手っ取り早い方法は、自分がこの世から去ること。
     提示された事実に、安堵するより哀しく凍えるような思いを覚えるのは、殊勝に自らを咎人だというその裏側で生への執着を、幸福への希望をいつまでも捨てきれない証なのだろう。
     その浅ましさを自覚してキュッと奥歯を鳴らすジルベルの上に、吐息が落ちた。
    「価値があるから守り、ないからどうでもよい……と、その程度のささいな損得勘定で我々守護騎士隊が存在していると思っているならば、考えを改めてもらわねばならぬが、どうしても守られるに理由が必要だと言うのなら──」
     息を溜めるように少し間を置いたエルディンの左手が腰に佩いた剣の鞘をつかむ。
    「過去に何があろうと、あるいはなかろうと、私の目には今のお前という人間には確かな価値があるように思う」
    「え……」
     思いがけない言葉に顔をあげれば、いつも通りの生真面目な表情で見下ろす黒い眼差しがそこにある。
     視線が交錯したのは僅かな間で、ふっとエルディンは横顔を向けた。
     その先には警護にあたる騎士二人が急ぎ駆けつけて来るのが見える。
    「お前を思い泣く娘もいるし、お前の力を頼りに思う者たちも多いようだ。彼らのために今しばし留まるのもよかろう」
     この街に、この国に、この生に──留まっていいのだろうか?
     その答えは誰かに与えられるものではないけれど……。
     はいとも、いいえとも返事ができぬうちに、息をきらせた騎士が我が家に到着していた。
    「お待たせしました!!」
    「この者の身辺警護の任を与える。くれぐれも注意を怠るな。些少の異変でも躊躇うことなく必ず隊に連絡せよ」
    「はっ」
     大きくはないが厳しい声色で部下たちを圧倒したエルディンは、すっと姿勢正しく踵を返す。
    「決して目を離さぬようにと言いたいところではあるが、二人の配置については、ジルベル、そなたに任せる。身を休めるがよい。では、失礼する」
     そのまま王宮への道を急ぎ歩き出した紺の背中を、ジルベルは慌てて呼び止めた。
    「あの、エルディン様!」
     規則正しい歩みを止め、半身で振り返るエルディンに頭を下げる。
    「ご配慮、ありがとうございます……その、色々と……」
     尻すぼみに細くなっていった声はどこまで届いたかは分からなかったが、ジルベルが頭を上げるのを確認すると靴音は今度こそ遠ざかっていった。
     二人の騎士を室内に招きいれ労いのお茶と簡単な軽食を用意する。
     徹夜と諸々の疲労で重くなった身体は確かに睡眠を必要としていて、彼らにはそのまま一階に留まってもらい、散らかった二階へと上がった。
     窓を開け、空気を入れ替える。
     清廉な陽光に明るく照らされるルイーダの街並みを、眩しそうに眺める目の際から頬をなぞって涙が筋を描いていった。
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