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「いいでしょう」 理性を総動員したジルベルの声からはあらかたの感情が消え失せていたが、灰色の瞳は冷たい光を増している。 尖った視線の正面で、イヴァルトは何も答えない。 「どうしたのです? 封印を解く呪言を教える、と言っているのですわ」 「……何故、聞き分けた?」 「何故? どうしてお前がそれを問うのです? 問うてどうなるものでもなし……馬鹿馬鹿しい」 「何故だ!!」 投げつけられた荒い語気にジルベルは僅かに目を細めた。 今さらそれを問いただして何が変わるというのか、いたく理解に苦しむところではあったが、大人しく老人の世迷言に付き合うことにする。 「わたくし達の命運を握るのはお前達だと、その口で言ったばかりでしょう」 呆れたようにこぼす一方で、その表情は少しだけ困ったように緩む。 「ここにいるのはスーニエルの者だけではありませんもの──」 小さく息をつく。 余計なことをしてくれた……そう思うべきなのだろう。 自分だけなら、王女の身柄を確保した後、いざとなれば自らの命を絶つことで秘密は守れたかもしれない。 せめて、スーニエルの者だけならば、これもあの戦いの日々の最後の後始末と思えたかもしれないのに……。 フィールデンの騎士達を、若い友人を、不思議と恨めしく思う気持ちにはなれなかった。 思えば自分など彼ら以上に、建前でなく感情で動いてここにいるのだから。 「──あたら彼らを危険にさらすわけにはいかない、それだけですわ。さあ、問答はもういいでしょう。わたくしにどうせよと仰るの?」 ジルベルは誰よりも一歩前に進み出て腕を組む。 「先に申し上げておきますけれど、わたくしに黒の塔へ行って封印を解いて来いというのは無理ですわよ。この事態はすでに国に中枢の知るところ、万が一に対する厳重な防備はすでになされているでしょうからね。それとも皆で揃ってあちらに参りますの?」 「む……」 「それは聞くわけにはいかぬじゃろうな。去ったとはいえスーニエルはお主の領分、何を企んだものか知れぬ」 押し黙ったイヴァルトに変わり、黒づくめの老人が口をはさむ。 「明察と呼ぶには値しない簡単すぎる推察ですわね。では、ここで申し上げればよろしくて?」 「しかと聞かせてもらうとしようかのう」 フードの陰で老人が口元にうっすらと笑む一方で、イヴァルトは怪訝そうに顔をしかめる。 師シェイザを介してジルベルという人間を曲がりなりにも知っているからこそ、その真意をはからずにはいられない。 何を考えているのか、と。 疑いの眼差しを堂々と受けてたじろぎもせぬ様に不審を募らせるイヴァルトに、黒づくめの同志たちから嘲笑がこぼれる。 「やれやれ、今さら意気地のないことじゃのう」 「見捨てられた王女に、ここに来て怖気づいた魔導師か? スーニエルの民はものの役に立たぬことよ」 「口を慎んでやるがよい、我らに解封を授けてくれようという若い魔導師殿もスーニエルの方であろうて」 「紛れ込んできた馬鹿者どもが、存外一番の役に立ったようですな」 遠まわしに足手まといと嘲られた守護騎士達の刃を握る手に力がこもる。 現状において、それが口惜しい事実であると分かるからこそ。 だが、誰も動かない。口を開くものもない。 彼らの視線の先では、エルディンが何一つ臆するものなく頭を上げ、毅然と胸を張っていた。 心を揺るがせず時を待てと、全身が訴えている。 己の成すべき事をまっとうする、その時を。 「お喋りはもうよろしいわよね?」 「これは失礼した。では、聞かせてもらうことにしようかのう」 ジルベルの冷ややかな横槍に、黒づくめ達が向き直る。 口ぶりには余裕を装いながらも、知的欲求に対する隠し切れない興奮と熱意がうかがえた。 これで人格が歪まず、人の倫理からは外れさえしなければ、何も問題はないのに。 口にしても仕方ない事を溜息に変えて吐き出し、ゆっくりと呼吸を整える。 間もなく、紅色の唇から歌うような甲高い旋律が流れ始めた。 「これは……古代魔導言語か」 ローブの一人から舌打ちが聞こえる。 これでは心得のない者にはまったく理解などできようもない。ましてや、復唱することなど。 「案ずることは無い。我々にできずとも盟主殿ならばどうにかなさるはずだ」 「しかし、ここには来ておられんぞ?」 「これは異な事を申される。ここは盟主殿のつくられた空間。どこかで聞いておられるはずじゃ」 どうやら心得のない者は一人ではないらしく、力ある魔導師が聞いて呆れたものだと心中ひそかに肩をすくめる思いでジルベルは詠唱を続ける。 目には映らぬ魔力の渦が生まれ、すべての魔導師たちは浮かされたようにその流れを見守る。 呪言という呼び名どおり、古代魔導言語そのものが持つ言葉そのものが持つ強大な力。 魔力を読むことのできない騎士たちも、彼らなりにジルベルの周囲の空気の変化を察し固唾を呑んだ。 ただ一人、彼女に最も近いエルディンだけが、ほんの一瞬、目をそばめたことに誰も気づくことはなかったが、沈黙のまま部下たちと確かに視線を交錯させる。 ほどなくして声は止み、静寂が戻った。 「……ついに手に入れたか」 「我らの宿願が果たされる日も近い!」 昏い感動にむせぶローブの一団に、彼らを取り巻く白刃が冷ややかにきらめく。 自在に移動が可能なこの空間で陣形に意味はないが、すぐにも戦いに臨める意志と体勢は整っていた。 たとえ、その相手がグリフォンであっても。 「血気盛んなことじゃ。これだから騎士だ、戦士だは、野蛮で困る」 「お前達など用済みだという事が分からんのか? まあ、いい。我らのグリフォンにでも相手にしてもらうがいいさ」 黒づくめ達の放った冷笑は、だが小さな失笑に上書きされる。 「ふ……ふふ……ふ……。とんだ……お人よしどもだよ……」 乾いて掠れた低い女の声。 後方からのその響きに、ジルベルはバッと振り返る。 誰もが忘れ去っていた気にも留めなかった存在が、突然、息を吹き返していた。 そこにあるのは、よろよろと起き上がろうとする痩せぎすの女。 石と化していたはずの師の姿。 ボロ布をまとっても、痩せ老いさらばえても、その瞳の強い光だけは決して変わらない。 いや……落ち窪んでより一層大きく見える目は、恐らくこの場の誰にも増して力強かった。 「シェイザ!? あなた、無事ですの? 一体……?」 「見ての通り……あんまり無事ではないさ。命と正気の限界ギリギリってところかね……」 他人事のような物言いではあったが、決して口ほどの余裕がないことは荒い息で分かる。 ミューリフが半ば抱えるようにして支え、ようやっと視線を合わせられるだけの姿勢を保っているのだ。 「一体、どうやって……」 生物から物体へ。物質の構成そのものを変えてしまう石化などという、高度にもほどのある魔術が一度かかってしまえばそう簡単に解けるはずもない。 ましてや、この時にだ。 それこそ状況を忘れ呆然と訊ねるジルベルに、師は口元を歪める。 「こいつらに厄介な目に遭わされてね……仕方がないから自分の身を石に変えたのさ。こんなこったろうと思ったからお前の声に反応するよう仕掛けておいたんだが、さすがにちょいと手間をくったね」 「でも、あの方々はさも自分達がやったとばかりに……」 「あたしを? 奴らがかい? まったく、お前はあたしを誰だと……」 「スーニエルの偉大なる魔女、でしたわね」 「そうさ……忘れてなけりゃ、いいんだよ」 別れた頃と何ら変わらぬ師の口ぶりに、涙まで浮かべる弟弟子と共々に表情を緩めた。 「今度こそ本当に感動の再会のようじゃな。これなら黄泉への旅路も寂しくあるまい」 下卑た笑いをこぼす老人に、シェイザとジルベル、師弟はそろって人の悪い笑みで応える。 「お人よしってのは、お前達のことだよ。……いや、そうとだけとも言えないかね」 「ええ。あんな大したはったりにまんまと騙されるなど、不肖の弟子で申し訳ございませんわ」 「ま、はったりで仕返したんだ。おあいこって事で許してやろうじゃないか」 「思いのほか単純に喜んでくださったので、拍子抜けしてしまったぐらいでしたわ」 冷笑とそれ以上の凍てついた眼差しの先で、老人がうなる。 「謀ったのか……」 「わたくしとしては、本物の呪言だと信じさせてあげたままで良かったのですけれど、やられっぱなしが性に合わない師匠がばらしてしまいましたから」 「古代魔導言語をありがたがって拝聴する間抜け面は、なかなか面白い見世物だったさ」 息のあった毒舌の連携に、傍らのミューリフに懐かしさがこみあげる。 といっても、似た者師弟よと人の口の端に上る二人の魔女に、当時は相当に胃の痛い思いをさせられたはずだが。 敵に回せばそら恐ろしいのはさておき、味方につけても厄介な師匠ではあったが心強いことは間違いない。 「アレを聞いて表情を変えなかったのは、お前もちっとは腹芸ってものを覚えたようだね」 「はぁ、そう……でしょうか?」 さすがはあたしの弟子だ、と意地悪く笑うシェイザに曖昧に首を傾げながら、多分誉められたのだろうとミューリフは複雑な表情で笑う。 「よくも……我らを随分と軽んじてくれたようじゃな……」 「はっ、古代魔導言語の一つも習得してないような魔導師が、軽んじられて何が悪いものか。そんな不勉強で『太古の智慧』に挑もうってのかい? そりゃあ、あたしらの研鑽への冒涜ってもんだよ」 「ぐ……言わせておけば……」 「言われるような隙がある方がまずいのさ」 シェイザの一言ごとに膨らんでいた敵対者のどす黒い怒気は頂点に達し、ついに爆発した。 「あの死に損ないを殺せ! 殺すのじゃ!! 痛い目を見れば、その女も今度こそ本物の解封を言う気になるじゃろうて!!」 「今度は逆上かい? こんな奴らに一度は追い詰められたなんて、あたしもヤキがまわってたもんだよ」 ますます神経を逆撫でした者、そして、された者の視線が一人に集まる。 漆黒のグリフォンはその主に従っていつまでも動かず、イヴァルトは未だに呆然とシェイザを見つめていた。 同志たちに急かされてもまるで気づいた様子すらもなく、口も目も開きっぱなしに心はその人にだけ囚われている。 「どうした、やらないのかい?」 そう声をかけられて、我にかえったイヴァルトから狂気の色は消え失せていた。 「生きて、生きておられたのか……」 「石化のことかい? 馬鹿だね、死ぬ気ならいくらでも他に方法があるだろうさ」 「確かに……確かに……」 繰り返される言葉は熱に浮かされたうわごとのように。 対照的に、シェイザの口調は冷え切っていた。 「お前の裏切りを見抜けなかったとは、やっぱりあの頃のあたしはどうかしてたんだよ」 「何か心当たりがありまして?」 「何って、ジルベル、お前分からないのかい?」 「この”空間転移”の法のことでございましょうか?」 「当たり前だろう。あたし以外に誰がこれを完成させられると思ってるんだ。あの戦続きのどさくさに研究資料が紛失してたんだがね、まったくどこの馬鹿かと思えば」 「ち、違う、私ではない! 私は貴女がグノーシルを離れるまで、身命に誓って裏切ったことなどない!」 「おや、そうかい。では、今は裏切っているということだね。ま、どうでもいいことだよ」 冷淡に言い捨てたシェイザの瞳に、イヴァルトは映してすらもらえなかった。 問答無用の切り捨てに完全に毒気を抜かれ、ただの哀れな老人に成り下がる。 「私は……シェイザ殿の去った国を憂え……だから『太古の智慧』を手にするべきだと……。偉大なる力を失った国を支えるために……」 ぶつぶつと口ごもる呟きを耳にして、ジルベルは眉根を寄せる。 だから自国の無二なる施設を破壊し、自国の民の命を奪い、王女の命を盾にしたのか? それは誰が聞いても本末転倒でしかなかった。 けれど、ジルベルはほんの少しだけの同情を禁じえない。 イヴァルトという人物が、過去にどれほど深くシェイザに傾倒していたことか。 長らく崇拝にも似た敬愛を捧げていた人物の喪失が、老人の心に邪がつけいる隙となったのだろう。 さりとて、犯した罪は罪。 「この役立たずめが!!」 同じ側に立っていた者に突き飛ばされても、虚ろに膝をついたままのイヴァルトをジルベルもまた視界から外す。 「どうやらあなた方の用意した切り札は、ことごとく意味をなさなくなってきたようですわね」 人質だった王女は自国のもっとも信頼する騎士としっかり身を寄せ合い、どこかに転移させられるにせよ一人になることはないだろう。 グリフォンは誰の命でも受け付けるわけではなく、命を与えるべき人間にもはや戦う意志はなさそうだ。 何より、師を上回るのかと懸念していた黒いローブの一団のめっきはすっかり剥げ落ち、いまや恐れるに足る魔導師とは到底思えない。 とはいえ、他人の研究の成果であってもこの空間を形成し、維持している力は侮ってよいものではないが。 「ジルベル、まともに相手にするのはお止し」 「そうですわね。もうさし迫った脅威がないのなら、シェイザの”空間転移”でこの場を去ればいいだけでしたわ」 「その通り。さすがはあたしの弟子だね。力を貸しな」 言葉を交わしながらもジルベルの目は相手の出方を探る。 この状況で逃げ出そうとしないなら、何かまだ隠し持っているのではないか、と。 「お引取りになるか、それもよかろう。じゃが、後日後悔することになるかもしれぬのう」 フードの奥から聞こえる老人の言葉が終わる前に、空間がまたもや大きく揺れる。 ジルベルは慌ててシェイザの服の裾をつかみ、そのジルベルにエルディンが一歩で距離を詰めた。 転移させられるのかと思いきや震動は激しくも短く終わりを告げ、後に待ち受けていたのは魔獣たち。 いずれも見慣れた、ありふれた魔獣たちではあったが、それらが普通ではないことを魔導師らは魔力の高さで悟り、騎士たちは経験に基づいてその強さを見定める。 「さて、これらの魔獣どもの群れがいずこに現れことじゃろうな。我らなりに穏便な手段をとっておったが、残念極まりないことじゃ」 含みのあるなどとは言わない、悪辣な言葉。しかし、効果は絶大だ。 表情を厳しくしたジルベルのすぐ隣りで、エルディンはすっと視線を走らせる。 ここにいるだけの数であれば、自分を含めた手勢で撃退することは可能であると判断した。 「ここからの帰還は可能なのだな?」 「ええ、ですが……」 続けようとするジルベルを、エルディンは視線で制して声をひそめる。 「今、お前が要求をのんだとして、奴らが大人しくするという保証はない」 はじめ、偽の呪言とも知らず受け入れたローブの一団は、グリフォンに始末をつけさせようとしていた。 今度も結局同じようなものでないとは言えない……というより、きっと繰り返すのだろう。 「それにただ退くつもりもない。あの者たちを捕縛してからだ」 「捕縛、でございますか?」 「考えもしていなかったか。だが、我が国で狼藉を働いたのだ。我が国の法と裁きに従うべきであろう。まして今後フィールデンを脅かそうというのだ、色々と問いたださねばならん」 エルディンに低く囁かれ、目の覚める思いをする。 助けることに夢中で、誰も何も失わないことに必死で、自分の側から何かを起こすことになど気づけずにいた。 この場にいる一団を捕らえても一網打尽というわけにはいかないかもしれないが、手がかりを手繰り寄せることぐらいはできるだろう。 事なかれと願ったところで、知らぬうちに事はすでに坂を転がり出していたのだ。 いつまでも後手にまわっていては、いつか避けようのない窮地に追い込められるのは明白だった。 「手を貸すつもりは、あるだろうな?」 「もちろんですわ」 そう答えはしたものの、実際に助けの手を必要としているのは誰なのかは自覚している。 借りばかりが増えていく、そんな気がしてならないジルベルだった。 | |
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