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──ここに来てから一体、どのくらい経ったのだろう。 囚われの王女、フレイリオはふぅと細く息を吐き出した。 鎖でつながれているわけでもなく、枷一つ付けられているわけでもない。 けれど、間違いなく”囚われて”いた──空間そのものに。 周囲を見回してみても扉はおろか壁も、いや囲みとなる建造物自体がない。 例えるなら、無窮の海原に一人放り出されたかのように、どこまでも区切れなく空間が広がっている。それでいて、地上と異なりおよそ上下左右の区別がなく、地面と呼べるもの目視できない。 確かに足場はあって歩くことも座ることできるというのに手に触れることはかなわず、広いのか狭いのかの判別もできない漠然とした空間だった。 ただ、ぼんやりとした薄黄色の光に満たされたていた。 出口を探して歩き回ってみなかったわけではない。 なんとか脱出できないものかと色々な魔術を試しもしてみた。魔導国家の一員たるもの、魔導を究める者たちには及ばないなりに魔術の心得はある。 が、いずれも失敗に終わり、今はこの不可思議な空間の中で唯一の目印のあるこの場所に座り込んでいる。 共にここに連れて来られたのであろう侍女や兵だった者たちの、無惨な亡骸のもとに。 仮に周囲の光景がまやかしだったとしても、残念ながらもの言わぬ骸たちの冷たさだけは本物だった。数え切れない程の死に立ち会ったのはまだほんの数年前のこと、間違えようもない。 あの頃も、今も……ひしひしと自らを苛む無力感に、何度も心が萎れる。 視界が潤む気配を察し、王女は急いで顎を持ち上げ虚空をきっと睨み据え、祈るようにぎゅっと両手を組み合わせた。 他に何もすることが無いのなら涙に暮れるのもいいだろう。しかし、きっとまだ、自分にはできることがあるはずだ。 何ができるのかは、まだ見つけられていない。それでも、王女は毅然と立ち上がる。 と──。 「やれやれ、ようやく涙の一つも流すのかと思えば可愛げのない……」 「仮にも一国の王女、肝もすわっておろうよ」 「いやいや、世情にうとい辺境の姫君は、己が身の立場もいまだ理解しておられんのかもしれぬぞ?」 口々に勝手なことを連ね、悦にいったような厭らしい笑い声が辺りに響くと、同時にその声の主達も不意にその空間に現れ王女をぐるりと取り囲んでいた。 いずれも人目を避けるように黒のフードを目深に被り、たっぷりとしたローブの下に身を隠している。 彼らを目にするのは初めてのことではない。 個々の判別はつかないが、その黒づくめの一団は時折こうしてやって来ては嘲弄の言葉を吐きつける。 王女は人質であるという事をもったいぶって知らせたのも彼らだった。 それぐらい──王女という肩書きを背負うという意味など、言われずとも理解しているものを。 そして……彼女の命をもってしても、祖国を動かすことは出来ないことを。 『太古の智慧』はもう二度と世に出ない。 暴き出された遥かなる遺産は元の鞘に納まった。封印という形をとったのは、それらを適正に処分することさえ困難だったからだ。 魔導師各人らの手元にあった研究資料や成果なども大量に廃棄された。さすがにその脳内に刻み込まれた記憶まで消すことはできないため後に改めて書き記した者もいるだろうし、隠し持つ者もいるだろうが。 改めてきちんとした研究を続けるべきだという意見も少なくは無かったが、国を蹂躙した甚大な被害を盾に押し通した。 哀しいかな、そういう主張をする者のほとんどは、あの災禍をくいとどめることにさえ役立たなかったのだ──己の分をわきまえないその欲こそが災禍を生み出した元凶とも言えた。 そもそも封印については事後承諾であったし、何百年……あるいはそれ以上の数え切れぬ年月を越えた魔術だ。並みの者にその解封の法を知ることは難しい。また、封印の施された黒の塔は今回の一件で今後さらに厳重さを増し、解封を試みることさえ困難になるだろう。 後は解封の法を知る者が沈黙を守りさえすれば……。 数年ぶりに見たばかりの顔が、王女の脳裏に浮かび上がる。 ジルベル──異国の地にあって雪深い祖国の象徴のような、白い影。王宮という子供の少ない場所で、いくつもの時を過ごし育ったかけがえのない友。 今のような事態を想定していなかったわけではない。 ここに来てもう何度目か、自分の死をまた思い描いてみる。 死は恐ろしい。出来る事ならば、自害などしたくはない。 生きたい……多くの命に守られ救われた命だから、今度は自分が別の命を守るために戦って生きるのだと自身に誓った。 国を再建し、よりよく導く。そう誓った。 その道は半ばどころか、ようやく一歩二歩をよろめきながら歩き出したところだというのに、もう潰えてしまうのか。 王女としてでなく、一人の人間としてようやく戻ってきた平穏の日常を、緩やかに過ごして生きたいという願いとてある。 かといって、個人の無念とひきかえに国、ひいては大陸に大きすぎる危険の種を撒き散らすことはしたくない。 だが、自分が命を絶てば、国の災禍を己の過ちと悔いる友人に、さらなる死者の重荷を背負わせるのではなかろうか。自分のせいで死んだのだ、と。 それに人質という存在はフレイリオでなくても構わない。自分が死んだところで別の誰かがその役目を与えられるだけで、結局、根本的な解決にはならないだろう。 様々な思いが巡り立ち尽くしたままの王女に、一歩前に進み出た老人のしわ枯れた声が尋ねる。 「ようやく命乞いでもなさってみる気におなりか?」 「いいえ。助けを乞うぐらいなら、いっそあなた方の手にかかる方がましというものですわ」 即答は偽らざるフレイリオの本心だった。 死にたいなどと毛頭思わないが、同じくらいに……場合によってはそれ以上に受け入れがたい生き方もある。 「気丈なことですな。だが、残念ながらいずれにせよもう遅い……」 「え?」 「今、迎えが……」 だが、老人の声は背後の数人の短い狼狽の悲鳴に遮られる。 刹那。 空間が大きく揺らいだ。 見えない足場が左右に傾いだようにまずは立っていられなくなり、膝をついた途端に今度は叩きつけられたような、または何かをぶつけられたような鋭い衝撃が上下に走る。 鐘が鳴り響くかのようにしばらく小刻みな震動が辺りに漂い、震えるごとにフレイリオの周囲から人影が近づき、あるいは遠ざかる。 移動しているのは自分なのか、相手なのか、その両方か。まるで盆の上に並べていた小石たちが、下からの突き上げで跳ねあがるように不規則に散らばっていった。 だがそれも束の間のこと。 瞬く間に飛びかう人の移動が、震動のおさまりと共に緩やかになっていく。 何が起きたのか……。 繰り返されていた無秩序な転移が止み、這うようにして辺りをうかがう王女に分かったことは、ただ一つ。 この空間に存在する人間の数が倍以上に増えていること。 そして、互いに手を伸ばせば届きそうな位置に頼もしい顔があった。瞳を失おうと、腕を奪われようと、残された全てを賭してなお戦う彼女の騎士が。 さらに遠目に、白く浮かび上がる女性の姿。 「ガイ……ジルベル……」 来てくれたのね、と言うべきか。 来てしまったのね、と言うべきか。 相反する思いの狭間でフレイリオの声が震える。 けれど、王女にはいずれの涙をこぼすよりも先にしなければならないことがあった。 腰を抜かしている場合ではない──自らを奮い立たせ、跳ねるように身を起こす。 華奢な身体が立ち上がるのと、力強い腕に引き寄せられ甲冑の胸の中に転げ込むのは同時だった。 細い背中に回された腕から、安堵が伝わってくる。 言葉はなかった。一瞬、視線を合わせただけで互いを確認し、隻腕の騎士は王女を背に庇い、まだ周囲に動きがないことを見てとると剣を抜き放つ。 ここがどこなのか、どうやってここに来たのか、ジルベルは無事か、他の者たちは……。 ガイトンの脳裏に疑問が積みあがる。 だが、何と言っても、いま、一体何がどうなっているのか? たった一つの鋭い眼光で見る限り、状況は限りなく混沌としている。 幾つかのよく見知った同郷の顔。紺の甲冑達はすでに刃を抜いて油断なく身構え、その立ち姿には誇り高ささえうかがえる。 となれば、いずこの者とも知れぬ黒尽くめが、恐らく敵。 それらが散り散りに点在するという、誰にとっても思わぬ顔合わせだった。 | |
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