** ある錬金術師の物語 **
  • 鬱金の波紋 09
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     ここより遠い北の国、二十年よりさらにいくらかの昔。
     吹き荒れる風雪が戸板を激しく打ちつけ氷の息吹に身も心もふさぎ込むような夜、一人の女の子が生まれた。
     実直で真面目な夫とごく普通の妻の間に生まれたその子は、まるで外の吹雪を固めたような白く弱々しい赤ん坊。彼女はこの世に産声をあげた瞬間から、いく度となく生死の境をさまようことになる。
     良い薬、良い医術師、すこしでも良い環境──死の淵に沈もうとする我が子を救うため、両親は身も心もすり減らせて病に立ち向かった。
     長い病の床から離れることができたのは、とうに七歳にもなろうとしていた頃。
     まるで待っていたかのように、看病に疲れた両親は相次いで逝った。
     遺された少女は途方に暮れる間もなく、一人の魔導師に出逢う。それは偶然。
     彼は優れた魔導師ではあったが、少女の持つ資質はそれとは違う方向にあった。
     それは運命の大きな分岐点。
     もしも彼がそこで少女を見放したなら、全く違う人生が待っていただろう。
     彼は少女を一人の別の魔導師へと引き合わせた。
     それもまた運命の大きな分岐点。
     スーニエルの魔女と呼ばれた彼女──大魔導師シェイザが慧眼と気まぐれでもって弟子入りを許したのでなければ、また違う人生を歩むことになっただろう。
     やがて見出された少女は誰もが目を見張る勢いで成長を遂げる。
     齢十四を数える頃には、魔女の名を継ぐ者となっていた。
     畏敬をこめてその名は呼ばれる。
     王都に現れた次代を担う魔女──グノーシルの魔女、ジルベル、と。


    「あの、私はあまり口が達者ではなくて。今までのところはお分かりになりましたか?」
     さわさわと初夏の風が、豊かに茂る緑の木の葉をざわめかせる。大ぶりなその枝の下、日陰を求めたエマリーとミューリフは並んで寄りかかりながら立っていた。ジルベルの過去は、ほんの一言で済ませられるような短いものではなかったから。
     エマリーの肯定の笑みにミューリフはホッと胸をなでおろす。
     何故、こんな異国の顔を合わせたばかりの人間に話をする気になったのか。
     ましてや、ジルベルから言うなと口止めされているにも関わらず……。
     そんな頭の中の思いとは裏腹に、ミューリフは話の続きを語り始めていた。
    「その後、ジルベル様は十六歳で魔導院の塔主になられました」
    「塔主?」
     耳慣れない言葉をエマリーが復唱する。
    「魔導院については、昨日少しお話いたしましたね?」
    「ええと。確かスーニエルの王都にあって魔導の研究なんかをする所、でしたっけ?」
    「他に魔導師たちの統括を行う管理機関でもあるのですよ」
     魔導国家と名高いスーニエルで魔導師を束ねるとなれば、どれほど重要な位置にあるかはエマリーと言えど想像するに容易い。
    「魔導院は幾つもの建物を所有・管理しておりますが、この中に五つの塔があります」
     古いものから順に一の塔、二の塔と名付けられた四つの塔。そして、その中心にある一際低く、一際古い、黒の塔。
    「これらの塔は我々スーニエルの魔導の歴史であり、象徴なのです」
     最も新しい四の塔でさえ数百年を経て、黒の塔にいたってはいつ建てられたのかさえ定かではないのです。付け加えられたそんな一文に、エマリーは素直に目を丸くした。
    「脈々と受け継がれてきた魔導を元に数多くの魔導師たちが今現在も研究に励む所。この塔を管理するのが」
    「塔主」
    「はい」
    「それってやっぱり、単なる塔の管理人なんかじゃないですよね?」
     エマリーの上目遣いの問いに、ミューリフは視線を天に向けた。
    「それはもう……。塔とはスーニエルの魔導そのもの。つまりはそれを行う魔導師たちの指導監督者。それが塔主です」
    「家柄とかで決まったりなんてはしないですよねぇ?」
    「はっきりと個人の能力の見える世界ですから。より優れたものが選ばれ、逆に力の衰えた者は降ろされます」
     惰性ではなく、厳しい実力主義の中で魔導を究めてきたスーニエル。
     五つしかない塔主の席は、名実共にスーニエルの魔導師の頂点にたつ者にのみ与えられるのだ。それが、いかにゆるやかに衰えゆく力であったとしても。
    「じゃあ、ジルさんって少なくとも五番目にすごい魔導師ってことなんだ」
    「そうですね。ジルベル様は二の塔の塔主でしたが、黒の塔以外は特に優劣が定まっていませんから」
    「黒の塔は特別なんですか?」
    「ええ、黒の塔だけはその存在自体が特別ですから」
     不意にミューリフの口が重くなった。話すべき事柄を反すうするように、もごもごと口ごもる。
     エマリーはじっと辛抱強く待った。
    「黒の塔には、スーニエルでも手に負えないような古い魔導が封じられています」
    「へぇ……」
     それほど興味をひかれた様子のないエマリーの気の抜けた返事に、ミューリフは少し苦笑を浮かべてからうっすらと眉をひそめた。
     話の続きを求めるようにエマリーが顔を覗き込む。
    「魔力の衰えた我々人間にはもはや扱えない過ぎたる力。我々は『太古の智慧』と呼んでいますが」
     今よりもまだ多くの魔力を持っていた先達でさえ危険と思った力を、何故に自分たちが行使できるなどと思い上がれたのだろう。
    「長い間、禁術として塔の地下に眠ってきました。古い古い封印に守られて……」
    「あの、それってジルさんが昔、解いたっていう?」
     思いがけないエマリーの問いかけに、ミューリフの身も心も跳ね上がった。息を詰めてエマリーの琥珀の瞳を見つめる。
    「ジルベル様がご自分でお話になられましたか?」
    「少し前にこの国のアズフェンっていう街で、古い本の封印を解いたことがあったんです。すごく悩んで、悩んで」
     追い詰められて仕方なく封印を解いてしまったけれど、悔恨と迷いに苛まれていたことは傍目に見ていてもよく分かった。
    「また、あんな事になってるんですか?」
     必死のあまりエマリーの手は無意識に、すぐ近くにあった青年のローブの袖をギュッと引っつかんでいた。
     ミューリフは少し躊躇い、だが、何かをきっぱりと決意したように口を開く。
    「昨晩、我が国スーニエルの王女フレイリオ様が何者かに連れ去られました」
    「え?」
    「一時期、シェイザ様は宮廷魔導師をしておられました。その頃はまだ弟子であったジルベル様も王宮にいらしておいでで、王女とは年が近かったせいもあって、以来、ずっとお親しくしておいででした」
    「……」
    「その王女の命と引き換えにジルベル様をよこせ、との要求がありました」
     言葉もなくエマリーはただミューリフの瞳をのぞきこむ。初めて見た柔らかな若草の色はなく、冷たい夜露にうたれたような深い緑の瞳を。
    「エマリーさん。ジルベル様はとても厳しい状況におられます」
     その優しい面差しに浮かび上がる強い懸念の表情に、エマリーはゆっくりと頷いた。
    「我が国は王女を救わないと決めました」
    「ど、どうしてですか!?」
    「かの封印を心なき者が放てば、どのような悲惨な末路が待っているか」
     ミューリフは静かに微笑んだ。透きとおりそうなほど儚い笑みで。
    「スーニエルでは二つの街が壊滅し、数え切れない程の国民が命を失いました」
     封印を解いたのは、そのために巻き起こった災厄は、決して彼女一人の責任ではない。
     最後まで躊躇し続けていたのだ。そうせよと国が決断したのでなければ、きっと解いたりはしなかった。
     ぎゅっとミューリフの噛みしめた奥歯が音をたてる。その隣りでは声を失ったエマリーの脳裏に、ふとジルベルの声がよみがえった。
     その封印は命と引き換えに自らを呪具とする封印だと教えてくれたその声は、震えて苦しげだった。
    「あれ……ま、待ってください。今、また封印されてるんですか? ジルさんが解いたはずなのに?」
    「………はい」
    「じゃ、じゃあ、誰かが……」
     エマリーの身体が我知らず震えていた。
    「その事もご存知でしたか……。はい、当時の塔主のお一人が自らを呪具になさいました。その方もジルベル様ととてもお親しい方で……」
     苦々しく言葉を連ねてきたミューリフだったが、とうとうぶっつりと口をつぐむ。
     エマリーの目尻からは今にもこぼれ落ちそうな涙の粒。きつく唇を噛みしめ、泣き出しそうになるのを懸命にこらえていた。
    「あ、あの……」
     流れ出しそうな涙を拭ってやる事もできず、かといって気の利いた言葉もでてこない。
     一人で勝手に混乱しているミューリフをよそに、エマリーはどうにか涙をのみこんだ。
    「ジルさんにもう後悔させちゃだめだよね」
    「は?」
     自ら立ち直ったエマリーが力強く宣言する。
    「ジルさんが何でも自分でしたがるのって、もう、誰かを犠牲にしたくないからですよ」
    「え、ええ。そうだと思います」
    「だったら、ジルさんも犠牲になっちゃだめなんです。だから、助けに押しかけましょう!」
     エマリーは言った。それはもう、ミューリフが呆れるほどにすっぱりと。
    「しかし、来るなと」
    「でもジルさんは行っちゃだめって言っても行っちゃうでしょ? だから、わたし達だって来ちゃだめでも行くんです」
     筋が通っているようないないような力説に、ミューリフは瞼を瞬かせる。
    「そういう……ものでしょうか?」
    「そういうものでいいんです」
    「は、はぁ」
    「それで、ミューリフさんも行きましょう。ミューリフさんも後悔してるんでしょ?」
    「え?」
    「だって、ジルさんを見送るの辛そうでしたもん。もう見送るのイヤなんですよね? 本当は何が何でも一緒に行きたいんですよね?」
     呼吸すら忘れたように少女の顔を見つめながらミューリフはただ必死に頷いた。
    「よーし、がんばりましょうね! って、具体的には……どうしたらいいでしょう?」
     意気込んだ気合の行き先を見失ったエマリーが顔を赤らめ、吹き抜ける涼やかな風に忍び笑いのミューリフの髪がゆるく波打つ。
    「そうですね。まず、ガイ様にお会いになりませんか?」
    「ガイ様?」
    「ジルベル様の幼なじみで、あの方の行動を一番よく理解していらっしゃるかと」
    「会います!」
    「どうぞ、ご案内いたします」
     おそらく待ち呆けているはずのふたりの元へ案内しようとして、ミューリフは何者かに袖をひかれる。
     まだ彼の袖を握りしめていた手を、エマリーは慌ててほどこうとした。その手の上にそっと細い指の大きな手がかぶさる。
    「エマリーさん。本当にありがとうございます」
     重ねた自らの手の甲に額をつけるようにして、ミューリフは深く腰を折り頭を下げた。
    「な、な、何がですか!?」
    「ジルベル様のお傍にいて下さったことがです」
    「そ、そんなお礼を言われるようなことじゃないですよ! ふ、普段はですね! わたしの方がお世話になってる方が多いんです!!」
     真っ赤になりながらあたふたと言い訳をするエマリー。
     そっと彼女の手をおろし、ミューリフは柔らかく微笑した。
    「ジルベル様はとても落ち着いた目をしておられました。きっと、貴女の明るさのおかげでしょう」
    「ええっ! そ、そんなこと……」  
     まだ照れ笑いを殺せないエマリーを促し、ミューリフは建物の内へと引き返す。
     丁度その頃、ガイトンもまた長い昔話を終えようとしていた。
    「……こんなところでよろしいかな、エルディン殿」
    「よくそれ程の魔導師を手放したものだ」
    「好きこのんで手放したわけではないさ。勝手に出て行ってしまったのですよ、皆ね」
    「皆というと?」
     エルディンはかすかに片方の眉をあげた。
    「五人の塔主のうち、スーニエルに残ったのはたった一人」
    「昨晩の黒い鏡板の向こうの?」
    「ああ。黒の塔の塔主、プロパートル様だ」
     あの白髭の老師が、スーニエルのすべての魔導師の長か。聞かされた話の一言一句を、エルディンは素早く脳に刻み付ける。
    「災厄の終わりにお一人の塔主が亡くなられた。間をおかず、シェイザ殿──ジルベルの師がスーニエルを去った」
     その日もまた風の冷たい日だったと伝え聞く。当時、目と腕とを失ったガイトンは、未だ覚めやらぬ黒い悪夢にうなされていたから。
     それから数週間後。ガイトンから死の影が失せたことを確認し、師を追うようにしてジルベルもまたスーニエルを離れた。
    「さらに数ヵ月後、四人目の塔主も姿を消した。それももう数年前のことになるが」
    「止める者も連れ戻す者もないのか?」
    「塔主たちの力の程を見せつけられたばかりではな」
     ガイトンは苦々しく自嘲を浮かべた。
    「過去の遺物を持ち出して兵士でもない人間を戦いに駆りだしたのですよ、スーニエルは」
     無念さ、悔しさが強くにじみ出る口調に、エルディンもかすかに共鳴する。
     戦う者、守る者としての自負がくつがえされる痛みに。
    「あの、ガイ様。遅くなりました」
     漂う深い沈黙を打ち破ったミューリフに二人の視線が移る。正確には、ミューリフの後ろの少女に。ガイトンは軽く額を押さえた。
    「ミューリフ。このような場所に一体、どなたをお連れしたのだ?」
    「こちらはジルベル様のこの国でのご友人です」
    「は、初めまして。エマリーと申します」
     名乗りをあげながらエマリーは、こっそりと下げた頭の陰から部屋の様子を盗み見る。
    「ジルベルの……。失礼いたした。私はガイトンと申します」
     簡略なりに儀礼にのっとった騎士の一礼に、エマリーは思わず赤面する。
     スーニエルの人々はなぜこうも美しく典雅なのだろうか。
     そんな場合ではないと頭では分かっていても、よぎる思いまでは止められない。
    「えっと、ジルさんは放っておいてもいいんですか?」
    「各街門と彼女の家付近の通りにはすでに騎士隊の者を潜ませたが、今のところは動きはないようだ」
     答えたのはエルディンだった。
    「ジルさん家、裏口があるのご存知ですか?」
     ちょこんと首をかしげたエマリーの一言に、エルディンの視線が鋭く尖る。
    「外の小さい物置小屋に続く壁をぶち抜いて、路地というか……家の隙間を通ってですね……」
    「そこから人目につかず出入りできるわけか。見張る範囲を広めさせよう」
     やれやれと小さく息を吐く。
    「あと……こういう時に普通に門から出て行くなんてしないと思いますけど……」
    「どういうことだ?」
    「抜け道があるんです。そのぉ、一人でこっそり採集に行ったりするんで。あ、たまに、ですよ? 本当に滅多には行かないんですけど、たまに!!」
     焦って言葉をにごすエマリーを見て、ガイトンとミューリフは苦笑を浮かべる。
    「相変わらず勝手気ままにやってるようだな。ミューリフ。でかした」
    「そのようでございますね」
     そして、エルディンの方は今度こそ深々と溜息をついた。
    「早急に対策を考えねばな」
     くっきりと浮かんだその眉間の縦じわを見て、エマリーは少しばかり気が咎めた。
     この密告者の存在が後のジルベルの命運に大きく作用することになろうとは、今はまだ誰も知らないことである。
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