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通りの店々の軒先には朝一番の商品が勢ぞろい、ルイーダの街に活気が満ち始める。 増え始めた人々の威勢のよい声に居ても立ってもいられず、ジルベルは明るい陽射しの中にとび出していた。 そろそろ王宮への出入りが可能になるはずだ。待ちわびて逸る気持ちで駆けだしそうになるのを、なんとか急ぎ足で踏みとどまる。 いつもならば足を留める正門の向こうの見事な王宮の花の庭園に目もくれず、向かった先は守護騎士隊詰所だった。 一直線に飛び込んだ部屋の中で、ダグレイが目を丸くする。 「お、ジルさん。ちょうど良かったぜ」 「え?」 「今、呼びに家まで行こうとしてたんだ。隊長の命令でね」 「エルディン様が」 「ちょっと待っててくれよ。隊長に報告して……」 「その必要はない」 新たに加わった声に導かれるように入り口に目を向けた途端、ダグレイの背筋がピンと跳ね上がる。 いつの間に現れたのだろうか、エルディンの姿が詰所の入り口にあった。 部屋中にたむろっていた騎士たちが一斉に緊張感をみなぎらせる間を通り抜け、ずかずかとこちらに向かって来る。 「門兵にお前が来たらこちらに通し、私に連絡を寄こすようにと言っておいたのだ」 何故? と無言で投げかけるダグレイの視線に、問われずとも淡々と応じる冷静なエルディンの声。 どおりで、朝早くにも関わらず依頼品の確認などという緊急でもなさそうな理由で通してくれたわけだと、ジルベルは軽く息をつく。 「あの、エルディン様。それで……」 不安げに見上げたジルベルの前に、エルディンの手がかざされる。 「話は直接聞くがいい」 それきりさっと身をひるがえし出て行こうとするエルディンの後を、大慌てで追いかける。 ついて来いの一言もなかったが、なんとなくこの展開にも随分慣れてきたジルベルだった。 間もなく二人は、同じ建物内のそれほど遠くはない別室へと足を踏み入れる。明かりとりの窓と書類や雑多な品々が放り込まれた棚と小さな机。その周りのとりあえず腰掛けることはできる貧相な椅子に、見慣れた二つの顔が待ち受ける。 廊下の突き当たりのこじんまりとしたその部屋は、国賓を滞在させるにはあまりにも簡素で暗かったが密談にはふさわしかった。 「ジルベル様……!」 「ミューリフ……それにガイも……」 同じように眠れずに夜を明かしただろう男たちの疲労をのせた顔が、ジルベルの心に重く圧し掛かる。 押し留められた先ほどの問いが口をつくのと、背後でギッと鈍い音をたてて扉が閉じるのが同時だった。 「フローは……どうなりまして?」 「無事のようだ。今のところはな」 俺達の目で確認したわけではないが、と隻眼の下で口元に苦いものを浮かべる。 「……要求はやはり、”太古の智慧”ですの?」 「ひいてはそうだろうな。だが、直接的にはお前の身柄だ」 ごまかしのない短い返答にジルベルは目を細めてかすかに頷く。 予想がつかないでもなかった。あの夜、魔力の波紋は何よりもまずジルベル自身を最初に狙ったのだから。 白い顔に落ちた陰りに何かを察し、ガイトンは話題を転じる。より核心へと。 「黒の塔の封印とやら……お前にしか解けないらしいな、ジルベル」 一瞬、言葉に迷い、わずかに視線を落としたものの、もう何度目かの吐息とともに重たい声を吐き出す。 「……正確にはわたくしともう一人ですわ」 「何?」 「わたくしとわたくしの師であるシェイザ、今となっては二人きり。でも、ご存知のとおり、シェイザの行方は全く分かりませんの。もっとも、わたくし自身は本腰を入れて探そうとしたことはありませんけれど……」 何せ、ジルベル自身さえ国を出奔した身である。探されたくない気持ちはよく分かっていた。 生を受けてより一度も離れたことのない土地を捨てるには……それ相応の理由がある。 もう戻るつもりはないのか、あるいは傷を癒して戻るつもりなのか──それは分からない。自分自身も含めて。 ふと過去の痛ましい記憶に引きずられている自分に気づき、背筋を伸ばす。 いま考えるべきことは、 「それで、わたくしはどうすればよろしいんですの?」 「どうにも。そもそも、スーニエルはお前にはこの事は伝えない決定をしたのだからな」 「ガイ、”どう”とはそういう意味ではないのは、お分かりでしょう? 要求を拒むという選択をするつもりはありませんわ」 厳しい表情で断言するジルベルの前で、ガイトンの短い溜息がおちる。 「実はそれが問題なんだ。相手との交渉方法がなくてな」 そうして、老魔導師から語られた祖国の現状を短く伝える──すなわち、王女は見捨てるつもりである、と。 軽く眉をひそめたものの、けれどジルベルは重い嘆息でその事実を受け入れた。 「グノーシルを当てにするな……プロパートルらしいですわね」 重ねてもう一度吐息を落としてから、ジルベルはガイトンへと斜めに視線を向けた。 「ガイ、魔導院はともかく、国王陛下をお恨みするようなことはなさらないで下さいな。陛下にとっても苦渋の決断だったはずですわ」 「分かって……いる。二度と……もう二度と、”欲”という魔物を呼び起こしてはいけない」 「…………」 初めて黒の塔の封印を解いた時、祖国に災禍が巻き起こるなど考えもしていなかった。 国を守るため、そして純粋な学術の徒として、遥かなる過去の遺物を目覚めさせたつもりが、それらはたちまち欲望の手垢にまみれた。 魔導師としての功名心、商人としての物欲、力を欲する支配者。 厳重に管理されるはずの諸々の秘密は、あっという間に裏切り者たちの手で千切りとられ世にばらまかれ、手に負えぬ過ぎたる力の欠片は国を蹂躙した。 惨事を引き起こしたのが個々人の小さな欲望が発端であったことを、悟らざるを得ない。 そして、残念なことにそうした欲望の芽は決して潰えないことも。 「フローを連れ去った輩は”古代の智慧”の脅威を知ってよこせと言っている。何者かは知らんが、今度は国一つの問題ではなくなるだろうことは嫌ってほど想像がつく。そうなってからでは遅い。分かっている。だが……諦められない」 「もちろんですわ。それはそれ、これはこれですもの」 「……で、お前は何を考えているんだ?」 祖国にいる頃から変わらぬ、考え事をする時はそっと指先をあごに添えるというジルベルの仕草に懐かしさを覚える。 同時にその思索の先には、大概、困難が待ち受けていることも思い出してしまった。 「どうやって連絡をつければよいのか、考えていただけですわ」 「何か良い手はあるか?」 「──いえ、まだ。一度家に戻って調べてみますわ。しばらくお待ちになっていて」 そう言って身を翻そうとしたジルベルの腕に手を伸ばす。 「何か思いついてるだろう、お前」 「別に何も……」 「嘘をつくな。長い付き合いだ、それぐらい分かる」 「ですから、まだ何も、と言っていますでしょう?」 隻腕とはいえ、いやだからこそ鍛え抜かれたその膂力は振りほどきようもなく、ジルベルはしばし無言でガイトンと見据えあう。互いの内側を探り合って。 沈黙を解いたのはガイトンだった。 腕を掴んだまま椅子から腰を浮かす。 「な……どうなさいましたの、ガイ? 一体……?」 ジルベルが怪訝に慌てるのも無理は無く、突然床に跪き、長身を精いっぱい縮こまらせながら頭を垂れた将軍は低い声で呻くように呟いた。 「すまない。フローを助けるために……お前の力を貸して欲しい」 「そんなこと……」 「お前の安息の日々を踏みにじる願いを持つ俺は、もはやお前の友とは呼ばれ得ないかもしれない。それでも、助けて欲しい」 そうして冷たい石の床に押し付けられた拳が固く握り締められてわずかに震えるを見てとり、ジルベルは眉尻を下げた。 「わたくしにとっても、フローは大事な人だという事を忘れていますわね?」 「お前ならそう言うだろうと思っていた。だから、フローを助けるお前を、俺が助ける」 「それには及びませんわ。あなた方は気安く動けまわれる立場ではございませんでしょう?」 ジルベルの反論にガイトンは立ち上がり、待っていましたと言わんばかりに不敵に笑う。 「ジルベル。俺たちはまだこの遥か異国の地において、まだ正式には裁決を聞いてないんだ」 「そんなの子供の言い訳にもなりませんわ」 「別にかまわないさ。今すぐ行動を起こすためだけの口実だ。で、どうやって渡りをつける?」 妙にすっきりとした明るい表情のガイトンの前で、ジルベルはきつく眉をひそめ渋々と口を開く。 ここで振り切って逃げたところで、どうせ見張られれば分かることではある。 「……どうもこうも、昨晩と同じですわ」 「同じ……?」 「この街を守る結界を離れれば、彼らの方から手を出してくると思いますわ」 「なるほど、確かに妥当か。ならば同行しよう」 「簡単に仰らないで。何があるかも分からないんですわよ?」 語尾を荒げるジルベルをまっすぐに見る。 「だからこそ、一緒に行くんだ」 「だから、ダメなんですわ!」 ガイトン以上の即答で、ジルベルは大きく息を吐き出した。 「あなたは大切な人ですもの。スーニエルに無くてはならない、大切な……」 今、ジルベルとガイトンとが生きていること──それは一つの奇跡。 迫り来るグリフォンの爪に引き裂かれるはずのジルベルの運命は、文字通り彼の献身によって塗り替えられた。瞳と腕の一つずつ代償として。 とめどなく流れる血を、今にも消えそうになる息を、どれほど口惜しくはがゆく見守ったことだろう。 どれほど、自分の生を呪ったことだろう。 「フローを助け出してもあなたがいなければ、意味がありませんわ」 「それはお前に関しても同じだろう?」 「いいえ、いいえ……。わたくしは解封した者として、自分の命を賭す理由がありますの」 「で、ではジルベル様、私だけでもお連れ下さい!」 不意に椅子が大きな音をたてて床に倒れ、乱暴に立ち上がったミューリフが前のめりにジルベルを見つめる。 「いいえ、ミューリフ」 「私ごときの魔導師であれば国にはいくらでも」 「いるわけありませんでしょう!」 ジルベルのあまりの剣幕に、ミューリフは困惑顔で言葉をつまらせる。 「いくら人手不足だからといって、宮廷魔導師を適当に選ぶはずがないでしょう?」 国の祭祀を司り、宮廷と魔導院とを結ぶ重要な役割。誰でもいいと言うのなら、もっと風格のある相応の年齢の人間を選んだはずだ。見た目にもいかにも年若く見える青年を抜擢する必然の理由。ミューリフもまた、十分に優れた魔導師なのだ。 本人にその自覚がないせいで、つい、他人の支援に甘んじてしまうのが彼の良さであり悪さでもあった。 と、声を荒げて言い争う異邦人達の耳に、不意に床を打つ固い響きが飛び込む。 つい今までその存在さえ忘れていたエルディンが、甲冑の踵を小さく鳴らしていた。さりげない警鐘。寄りかかっていた入り口から身を起こし、耳と精神とを研ぎ澄ましている。 遠く届いてきた足音が部屋の前を行き過ぎ聞こえなくなると、また静かにたたずむ。まるで気配さえも押し殺したかのように、ひっそりと静かに。 ジルベルの唇に苦笑が浮かぶ。 誰よりも職務に忠実で、誰よりも危険に対して優れた嗅覚をもった騎士。この人物がいなければ、恐らく自分も王女と共に姿を消してしまっていただろう。 あるいはその方が都合が良かったのかもしれない。少なくとも、こんな風に手の届かないところで、あれこれと思いを巡らせずにすんでいただろうか。 つい思い浮かべてしまった埒もない苦い恨み言を振り払い、ジルベルは緩んだガイトン手の束縛からするりと腕を引き抜く。 「とにかく、フローは必ず無事にとり戻しますわ。ですからお二人は安心して待っていらして」 「ジルベル!」 「怒鳴っても無駄ですわ、ガイ」 「おい、ジルベル……!」 「ジルベル様っ!」 制止の声を振り切って、ジルベルはそそくさと部屋の入り口へと足を向けた。 「我らにも国王陛下より、王女救出の任が命じられているのだが」 低く落ち着いたエルディンの声が、前を通り過ぎようとしたジルベルの頭上に降る。 「せっかくですけれど、どなたのお力添えも結構ですわ。こればかりは剣ではどうにもならない事でございましょう?」 「そうであろうな」 腕を組み壁によりかかったまま、エルディンはひき止めはしなかった。 長い白髪の背中が遠ざかっていく。 「ジルベル様っ!」 黙り込んだままのガイトンとエルディンを見比べていたミューリフが、ついにジルベルの後を追って部屋を飛び出していく。 やがて、ミューリフの慌しい足音も去り、静寂が室内を満たしていった。 「彼女は一体何者か……お聞かせ願いたい」 エルディンの密やかな声だけが重苦しく響く。 「ジルベルは何も?」 「訊ねもしない昔話を進んでひけらかすような人間ではないと思うが」 「ああ、まして面白おかしい話でもない」 ガイトンは深く椅子に座りなおす。それは、昔語りの始まりの合図だった。 一方のミューリフは、取りつくしまのないジルベルの後をいまだ付いて歩いていた。 「お待ち下さい。ジルベル様……ジルベル……様……」 そこは、つい先日、数年ぶりに再会を果たした場所。二人は再び向かい合っていた。足早に歩みを止めないジルベルを、ミューリフはとうとう前に回りこみたちはだかって止めたのだ。 「ジルベル様。どうか、どうかお考え直し下さい」 「……」 「確かに我々では力不足かもしれません。しかし、万一の時にはせめて……貴女の盾になることぐらいは……!」 「放してくださいな」 「我々に手を出すなと仰るなら、この国の護衛だけでも受けられる……べきです」 珍しく強気な態度で──だが声は震えて涙声で──嘆願するミューリフを、ジルベルは険しく睨みつけた。 「魔導の心得も知らぬ者にどう戦えと言いますの? みすみす危険の中に放り込めと?」 「でしたら、やはり我々を」 敢然と壁となったつもりのミューリフに、ジルベルはずいと一歩踏み出す。 「目と腕とを失ったガイに、これ以上、何を失くさせるおつもり?」 「ジ……」 「もう既にわたくしを守ることしか頭にないあなたが、フローをとり戻せますの?」 「ジルベル様、わたくしは……」 ミューリフとジルベルの長い髪が、絡み合うようにして風にひるがえる。 潤んでぼやけた視界から、やがて白い人影は消え去っていた。 「大丈夫。なんとかしますわ、きっと」 ジルベルの立ち去った王宮の庭の片隅。残された言葉が幾度もミューリフの心の奥深くでこだまする。 何度も聞いたことのある、その言葉。 ──大丈夫、大丈夫だから、と。 「あ、あのぉ」 ぼんやりと虚空を眺めていたミューリフの耳に運ばれてきた控えめな声。きょろきょろと辺りを見回せば、立ち並ぶ何本かの木の陰から少女が半分顔をのぞかせていた。 「あ、えと、昨日お会いしました……よね?」 不安げにおうかがいをたてる少女に、ミューリフは慌てて目元を袖で拭って向き直る。 「はい。ジルベル様とご一緒にいらした方でございますね。お見知りおき下さいまして、ありがとうございます」 「あー、良かった。こちらこそ覚えててもらってホッとしました」 たちまち明るい笑顔の少女が駆け寄ってくる。まるで、この暖かな国の陽光そのもののような輝く笑顔で。 「あ、わたし、エマリーって言います」 「エマリー様でございますね?」 「わーー! 様なんてやめて下さいよ」 盛大に照れてむきになって首を横に振りまわすエマリーに、ミューリフの頬がゆるむ。 「では、エマリーさん」 「うん、そうして下さい」 照れ笑いがおさまると、エマリーは再び表情を曇らせた。 「あの、ミューリフさん。ジルさん、どうかしたんですか?」 「え?」 「珍しくすごく怖い顔してたから、気になっちゃって。あんな顔するのって何かあった時だけでしょう?」 「……」 困った顔で口を閉ざすミューリフに、エマリーはさらに詰め寄った。 「ジルさん、本当に『 大丈夫 』なんですか?」 「聞いていらっしゃったんですね」 「立ち聞きしてごめんなさい。なんだか割り込める空気じゃなくって、でも、聞かないふりもできなくて……」 エマリーの琥珀のような柔らかな色の瞳が、心から心配だと訴えかけていた。 「ジルベル様のこと、本当に好いていらっしゃるのですね」 「え? そ、そりゃ、お世話になってるし。一緒に採集に行ったり魔獣と戦ったり。それからお友達……だと思ってるし」 言葉をまごつかせるエマリーに、ミューリフは哀しげに微笑んだ。 「私のよく知るジルベル様は、よくあんな風にお辛そうな顔をされていました」 「そうなんですか?」 半信半疑のエマリーが小首をかしげる。 「エマリーさん、あれは……戦いに赴く時の顔なのです」 「!」 「私たちが不甲斐ないばかりに、ジルベル様にはいつも苦しい立場を背負わせてしまう」 先の見えない戦い、辛いことしかない戦場。 もう二度と、あんな顔は見たくはないと願っていたのに──ミューリフの濡れた瞳が、ジルベルの去った方向を見つめる。 それがあまりにも辛そうで、そう、ジルベルよりもさらに辛そうで。置き去りにされた子供のような寂しさに、エマリーは長く口にせずにいた言葉をこぼしていた。 「ジルさんって、どういう人なんですか?」 奇しくも、別の場所で別の人間に投げられた問いが、ここでも繰り返されたのだった。 | |
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