** ある錬金術師の物語 **
  • 鬱金の波紋 07
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     フィールデンの王都ルイーダの朝は、いつもと変わりなく訪れた。大通りには人々が賑わい、太陽は明々と無遠慮に込み入った町並みを照らす。
     改めて王宮内に与えられた客室の大きな窓の傍らで、ミューリフはガラス板の向こうから訪れるその目も眩まんばかりの輝きを浴びて立ち尽くしていた。
     一年の半分以上をのしかかるような分厚い灰色の雲の下で暮らす、北の果ての国スーニエル。たとえ暦の上で夏を迎えても、彼の国の太陽はこれほど鮮やかに輝きはしない。薄雲をようやく越えてどこか頼りなげに届く光──それがミューリフの見慣れた太陽の姿だ。
     親善使節団の一員として大陸を南へと下るごと、ミューリフはこの明るい陽射しに羨望と、そして、同時に言い知れぬ不安とを膨らませていた。
     鮮烈な光は背中合わせに濃密な影を生み出すことを肌で感じていたのかもしれない……。
    「ミューリフ、まだグノーシルから連絡はないか?」
     不意の呼びかけにハッと現実に舞い戻れば、昨夜、姉弟子から預かった黒板を前にしたガイトンのしかめっ面と鉢合わせる。
    「一度こちらから呼びかけてみましょうか?」
    「そうだな。頼む」
    「畏まりました」
     窓辺を離れ、苛立ちを隠せないガイトンの前でゆっくりと黒板を持ち上げる。一度息を吐き出し、またゆっくりと吸い込む。自らの神経を細く長く研ぎ澄ませ遠い祖国へと向けた。
    「プロパートル様、その後いかがでございましょう?」
     ミューリフの問いかけに、だが、”遠見の鏡”は応えはしない。
    「……プロパートル様?」
     それから多少の時間をおいて何度目かの呼びかけにも相変わらず無反応に黒く沈んだままの板面に、ミューリフはわずかに眉をひそめる。
     応えないのか、応えられないのか──いずれにせよ、事態が動いたのではなかろうか?
     無言のままガイトンへと視線を送れば、軽く机に腰をかけた将軍は唇を引き結び高い天井を見上げていた。  
    「……いよいよ、か」
     いよいよ──王女はきられた、か。
     ガイトンが口にしなかった……出来なかった言葉を、ミューリフは心の内だけで付け加える。
     王女と共に馬車から消えた女官と騎士二人は、程なくして亡骸となって発見された。ここフィールデン王国から遠く離れた祖国において。危急の帰国の原因となった暴かれた黒の塔の中、その最後の封印の前で。
     その意味するところは言わずもがなではあったが、あれから正式な要求があったに違いない。
     ありきたりの文句で、王女の命が惜しくば──と。
    「フローは国のため、世界のため、スーニエルの王女らしく一命を捧げるわけか」
    「ガイ様、まだそうと決まったわけでは……」
     言いかけたミューリフは、ズンと身体に響いた衝撃に身をすくめる。寄りかかっていた分厚く重い机が、ガイトンが打ち下ろした拳に揺さぶられていた。
    「決まったからこそ言えない……俺がいるから……違うか?」
    「……」
     王家の娘と名門貴族の子息、二人は幼馴染だった。やがて彼らは、王女と若くして才を見せた騎士として国務を担う身となる。
     国の存亡をかけたとも言える苦難の中で、ガイトンは瞳と腕をそれぞれ一つずつ失くしたが退官は許されなかった。一人の騎士としての力量以上に、その人望と指揮官としての能力ゆえだ。多くの人命の潰えたスーニエルにおいて、若さを差し引いても惜しまれた人材だった。
     過酷な状況において、真価や資質を現したのは彼だけではない。
     現在、病床に伏している国王を支え、懸命に代理を務める王女フレイリオ。彼女もまた過ぎ去った戦いの日々において、王宮の一部を傷病者の収容施設として開放することを提案し、自らも不眠不休で傷病兵の看病にあたった。物資や人力を提供させられた貴族にとっては扱いにくい姫君とされたが、積極的に働く王女の姿に内心苦々しくあったとしても追従せざるを得ない状況となったわけだ。
     そんな二人が結婚を望んだ時、否やを唱えられる者などおらず、婚約に際しては国中の祝賀の声をあげた。少なくとも、表立っておもしろくないと口にする者はいなかった。
     このフィールデン王国を経てさらに後数カ国を巡り、諸国親善の旅から帰れば婚儀が待っている……はずだった。
    「……すまん、八つ当たりだな」
     ギリッと一度奥歯を噛みしめたガイトンは、ゆっくりと肩から力を抜き目を伏せる。
     己の無力に苛まれるのはミューリフもまた同じだった。
    「それでガイ様のお気が少しでもラクになるなら、いくらでも……。申し訳ありません、今の私では他にお役に立てることが……見つかりません」
    「何言ってんだ、馬鹿」
     途端に肩に載せられる温かな掌。弱々しく首を振ったガイトンの薄い笑みに、ミューリフはますます自己嫌悪に陥る。
     こんな言い方をすれば尚のこと他人を責めることなどできない──そんな性質の人だと知っていたのに。
     謝ったところで、謝られたところで、互いにどうにもならないと分かってはいた。
     他に言うべき言葉を見つけられなかったとはいえ、励ましにも、慰めにもならない自身の存在がたまらなくもどかしかった。
     こんな時あの人なら何と言うのだろうと、すがるような気持ちで白い髪の姉弟子の面影を思い浮かべた時、載せられていただけのガイトンの手が肩を強く鷲づかむ。
    「おい……!!」
    「え? あ!!」
     ミューリフが手にしたままの”遠見の鏡”が、いつの間にか歪んだ像を映し始めていた。
     黒の中に様々な色が入り乱れて浮き上がり、間もなく見慣れた人の貌を描く。
    「プロパートル様!」
    『──あまり時間がなくての。要点だけ伝えるぞ──』
     待ちかねていたミューリフの興奮は、辺りを憚るような老人の仕草と声色に遮られる。
    『──姫は今のところご無事のようじゃ。そうでなくては交渉にならんからの──』
    「やはり、”太古の智慧”を渡せ、と?」
    『──それならば知らぬ存ぜぬで良かったんじゃがの。実際、儂らにしてもアレの解封の仕方なぞ知らん。勝手に試せとでも言ってやったものを──』
    「……では?」
    『──ジルベルを寄越せ、と言ってきおったわ──』
     鼻白む老人の言葉に、顔色を失ったミューリフの身体がグラリと揺れた。危うく取り落としそうになった”遠見の鏡”を掴みなおし、息を整える。
    「一体……誰が……。その事を知るほどの者が……何故……」
     震える声の呟きに、黒い鏡の向こうの老魔導師もまた一瞬表情を曇らせた。
    『──悲しきことじゃが、これもまた現実よ。ある程度高位の者の関与は覚悟しておったが、我ら塔主に近しい者たちをも疑わざるを得ん……──』
    「……」
    『──その詮議については、今行っておる。それよりも、これからのそなたらについてじゃが……ミューリフ、聞いておるか?──』
    「は、はい!」
    『──お前たちに任せる。好きにするがよかろうて──』
    「え……?」
     諦めて帰って来い──ではなくて?
     面食らって口を半開きにしたままのミューリフを無視し、厳しい表情の老人は矢継ぎ早に言葉を連ねる。
    『──国王陛下は君主として娘の救出を諦めなさった。魔導院の長たる儂もまた、”古代の智慧”の脅威を知る者として、ジルベルには何も告げぬことを勧めた──』
    「では、何故?」
    『──まあ……なんじゃ……無茶をしでかすのはいつの世も若者の特権じゃろうて?──』
     遥かな距離を隔てて浮かべる老人の悪戯っ子のような、けれど温かな目元に、ミューリフは複雑な笑みを浮かべる。
    『──足音が迫っておるな。最後に一つ。これより先、グノーシルを……年寄りを当てにするでないぞ。己の目で、耳で、己の進むべき道を選び、己が足で進むがよい──』
    「……」
    『──感情に流されてはならぬ。さりとて、正しさばかりに囚われておっては先には進めぬ。ゆえに……自らが選んだ道を精いっぱい駆け抜けよ。己自身に胸を張れるようにの。さて、時間切れのようじゃ。命を惜しみ、労を惜しむでないぞ……──』
     返事をする間もなく、老師の声は結ばれていた像とともに黒い闇が作る渦の中に溶け込んで消えた。
     すでに色を失った『遠見の鏡』を覗き込んだまま、しばし耳に残る言葉を咀嚼するミューリフの襟首がひょいと軽くつまみ上げられる。
    「ジルベルのところに行くぞ」 
     ミューリフが躊躇し続けていたその決断を、ガイトンが下した。  
    「ジルベル様にこの事を告げれば……」
    「あいつなら間違いなく動くだろうな」
    「本当にそれで良いのでしょうか?」
    「……さあ、どうかな」
     二人の間に落ちる重い沈黙。
     うつむいたミューリフの形の良い唇が、小さく震えながら呻くような呟きを吐き出す。
    「どうして……私には力が無いのでしょう。努力しているはずなのに、結局、いつも大事なところで力が足りない……」
    「お前に限ったことじゃないさ」
    「もっと私に力があれば巻き込まずに済んだのに。もしも、私に力があれば──」
     今にも泣き出しそうに瞳を揺らすミューリフの頭に、軽い拳骨が落ちる。
    「『もしも』と悔やむにはまだ早い。全てが終わってしまったわけじゃない、だろう? 反省なら好きなだけすればいい。だが、後悔は何もかもが手遅れになって、他にする事がなくなってからにしろよ」
    「ガイ様……」
    「俺達にはまだ考えるべき事がある。やるべき事もある。目の前には可能性がある……たとえ、先が見えなくともだ」
     自身の言葉の一つ一つに強い意志をこめるガイトンの背中が、ミューリフの濡れた視界の中で小さくなっていく。
     用意された広い客室を歩幅も大きく横切って扉に手をかけたところで、足を止め顎を上げて背筋を伸ばす。
    「俺には力が足りない。フローを助ける力も、国の災いを祓う力も。だから、助けを求めに行く」
    「ジルベル様に再び危険を背負わせる事になっても……でございますか?」
     共に育ち、共に戦い──誰よりも互いの平安の日々を願っていると知りつつ、ミューリフはその問いを口にしていた。
    「それでもだ、ミューリフ」
    「……」
    「俺は欲張りだからな。フローも失いたくない、国も守りたい、ジルベルにも幸せでいて欲しい。その全部を最終的に叶えることができるだろう可能性が最も高い選択肢を選んだつもりだ」
     眼前の扉を──その向こう側に何かを見据え、
    「あいつなら何とかしてくれるんじゃないか、ってのは俺の身勝手な願いだ。そして、避けうる危険を背負い込むかどうかはあいつが自分で考えて決断することだ──」
     ふと言葉を切ったガイトンが、肩越しに振り返る。
    「だが、どんな選択にせよ、俺も一緒に背負っていくさ」
     はっきりと言い切るガイトンの横顔に、清々しくさえ思える笑みが浮かぶ。
     わずかに視線を合わせ再び向けられた背中は、ミューリフにとってはひどく眩いものだった。
     うつむき加減の頬を覆うように肩からすべりおちた長い金糸の髪を、そっと背にかき流しながら目を閉じる。
     ガイトンの言い分を否定する者も少なくはないだろう。
     友を巻き添えにすることを良しとするのか、と……ミューリフ自身、そう問うたばかり。
     大切な人を巻き込みたくないという躊躇いとて間違いではないはずなのに、何故にこうも打ちのめされたような気分になるのだろうか。
     窮地を救う力ある者として認められるジルベルへの羨望か?
     断固たる意志と自らの強さで己の行く先を決断できるガイトンへの妬みか?
     そのいずれでもあり、またいずれでもない。
     過去の祖国の苛烈な戦いの日々において、二人が導きあいながら無理と呼ばれる困難を乗り越えていくのを何度も目の当たりにした。
     何もかもが成功したわけではないが──無茶の代償にガイトンの左眼と腕とを失ったりもしたのだから。
     けれど、手に手をとって一歩を踏み出す二人の姿に、どれほど憧れたことか。
     引き換え自分は……傷つくことを恐れ、誰かが傷ついたことによってまた自らが傷つくことを恐れ、今日もまた一人ぼっちで身をすくめている。
     いつまでたっても追いつけない、とそう考えた時、不意にガイトンが見せている背中の意味をはっきりと理解した。
     止める気なら、俺を討て、と。
    「本当に……いつまでも私には敵わない方ばかりで……困ったものです」
     深い吐息をこぼしつつ小首を傾げる。
     至極あっさりと命懸けの決断をするような男を、討つことはおろか、引き止める勇気さえ自分にはない。まして、その決断に勝る妙案もある訳がない。
     どうぞお気をつけて──そう言おうとして顔をあげたミューリフの前で、くるりと今度は身体ごと振り返ったガイトンの真剣な瞳が強く光る。
    「お前も来るだろう?」
     じっとミューリフを見据え、最後に閉じた口の端を持ち上げる。
     ちょっと悪戯でもしに行こうかと誘うような、少しずるくて、自信に満ちた不敵な笑み。
     昨日からずっと気張っていたミューリフの肩から力が抜け、表情が緩む。
    「……ご一緒いたします」
     ああ、まただ──と、いそいそと立ち上がり開いた扉の向こうにガイトンを追いかける。
     戦いに追われた過ぎ去った日々の中、こうして彼らの後を追いかけて行った自分を久しぶりに思い出していた。  
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