** ある錬金術師の物語 **
  • 鬱金の波紋 06
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     派手に散らかしてしまった二階をそのままに、階下に降りたジルベルはエルディンをお茶の席へと招いていた。
    「あの……よろしければお茶でもいかがでございましょう?」
     表の扉をくぐり抜けようとするエルディンの背に、どうしてそんな事を言ってしまったのか。
     事が起きたばかりの今では、まだ何らかの情報を引き出すことも望めないだろうことは明らかで。かといって、お茶をはさんでの交歓には時も人も適切とは言い難い。
     自問自答している間にも湯は沸きあがり、ついに結論に達さぬまま慌てて火から下ろす。
     ポットの中にはすでに手製の薬草茶の葉が用意してあり、注がれた湯にそって小さく刻まれた茶葉がくるくると踊りながら膨らんでいく。
     茶器を盆に載せて振り向けば、日頃エマリーが陣取っている椅子に今宵はエルディンがいた。重そうな甲冑を着込んだままでは少々窮屈そうだが、いつもどおり表情を抑えた生真面目な顔にはそんな様子はうかがえない。
     蒸らす間のしばしの時を沈黙で過ごし、間もなく二人分の茶を注いで机に並べる。
     立ちのぼる馴染みのある優しい香気には鎮静の効用があり、意識的にも、無意識的にも、今の自分にそれが必要だと感じていた。
     少々無作法ではあったが、置物のごとく背筋を伸ばしたままのエルディンをさしおいて、先に一口を口に含む。ふくいくたる香りと温もりとが身体の内に染みていった。
    「あれは……もう五年ほど前のことになりますでしょうか……」
     カップの中身を半分以下にまで減らした後、ようやくジルベルは言葉を紡ぎ出すことに成功した。
     かすかな音を鳴らして置いたカップの内に広がる、澄んだ黄金色の揺らぎに目を落とす。
     その波紋の発生と同じく、全ての始まりはほんの小さなことだった。
     だがその波はたちまちのうちに大きく大きく広がり……。
    「わたくし達は自らの手で災厄の扉をこじ開けてしまいましたの」
     と、そこまで呟くようにもらしてから、何から話すべきかと口ごもる。
     しばし逡巡してから、眉間に深いしわを刻みつつエルディンの瞳を見据えた。
    「ユクートの森に現れた漆黒のグリフォンを覚えておいででしょうか……?」
    「無論だ」
    「アレは、わたくし達、スーニエルの魔導師によって産み出されたものですわ」
    「……そうか」
     ジルベルの告白を、エルディンはただ一言であっさりと受け入れる。
    「あまり驚かれませんのね」
    「いや、多少は驚いている。あのようなモノが人智によって創り得るのか、とな」
     驚くところが違うのではないか……と言おうとして、けれどジルベルは口をつぐむ。
     あえて論旨を外してくれているような、そんな気がしたのだ。
     後始末は自身の手でつけたとはいえ、幾人もの尊い人命を奪ったモノの創造者としての責を問われても仕方のないところだろう。ことに、目の前にいるのは国の守護者たるエルディンなのだから。
     責めたてられる覚悟の上での告白のつもりだったのだが……と、多少の拍子抜けで向けた視線の先で、エルディンは涼しげな顔で話の続きを待っている。
     予測していた話の展開を覆され戸惑うジルベルの耳に、一呼吸の後、思いがけない一言が飛び込んできた。
    「人智を超えたもの……あれも『太古の智慧』とやらなのか?」
     ジルベルのビクリと肩が震え、見開いた目がエルディンの口元に釘付けとなる。
     やがて、少し紅のおちた唇から深い吐息が吐き出された。
    「……どなたかが口に致しましたか?」
    「あの黒い板……『遠見の鏡』とやらを見たガイトン殿がな」
     納得したというように頷いたジルベルだが、同時に哀しげに表情を曇らせた。
    「その言葉は、恐らく、現在のグノーシルでは禁忌の如くに扱われているはずですわ」

     ──太古の智慧──
     魔導国家と呼ばれるスーニエルにおいて、禁じられてきた魔導が膨大にある。
     御しきれぬ力など求めてはならない……そんな先人たちの教えを守り、敬意とともに封じられてきたのだ。
     歴代の魔導師たちが頑なに守り続けてきたそれを、なぜ紐解いたのか?
     それは長らく断絶してきた他国との国交を開くと決断したことに起因する。
     大陸の北の果てに位置し極寒の大地を国領とするスーニエル。
     歴史と魔導こそ他国を凌ぐものの、お世辞にも富貴な国ではあり得なかった。
     自然の険──険しい山脈に三方を囲まれ、残る一方は冬ともなれば流氷の漂う凍てついた海──と、一年のうち半分以上が冬に閉ざされる厳しい気候。作物の育ちは悪く、これといって特別な産物があるわけでもない。
     とりえといえば失われいく魔導の知識のみのうまみのない僻地……と思われていたがゆえに、周辺国も積極的な侵攻をしてこなかった。
     大陸の歴史に国々が覇権をかけた戦いを刻み付けていた時代、スーニエルは深い雪に身を潜め、息を殺して生き延びてきたのだ。
     だが、戦乱という淘汰を勝ち残ったいくつかの大国と小国とにより、小競り合いや政治的な戦いは残したとはいえ、大陸に一定の平定を見せた十年ほど前より各国の使者が国交を求めて訪れるようになる。
     スーニエルの上層部に位置する人々は恐れた。豊かな物資に支えられた他国からの侵略を。
     魔導が廃れていった理由はその有限性にある。
     魔術は万能ではなく、持ちえる魔力には限界がある。術者の質にはばらつきがあり、その能力も日々一定ではない。
     結局のところ術者が生物である以上睡眠と休息と補給が必要であり、個人が身を護るだけならばともかく、国家をあげての戦争ともなれば生産性の薄い土地柄ではあっという間に疲弊しきってしまうのは目に見えていた。
     国家としての生存競争を目の当たりに突きつけられたスーニエルは、一つの道を見出す。
     魔導国家……その名に恥じない力を、と。
     そうして開けてはならない扉を開けてしまった。
     それに気づくのは、自らの手で亡国の憂き目に陥ってからのこと。

    「『太古の智慧』によって産み落とされた力は人の手を振り切って膨れ上がり、ついには様々な災厄という形でスーニエルという国を一つ丸ごと呑み込み、多大な犠牲の上にようやく平穏の兆しをとり戻したのが三年前……」
    「様々な災厄とは?」
    「呪具の暴走によって大地が汚染されたり、危険な魔術に巻き込まれて建物ごと崩壊したり。野に解き放たれてしまったグリフォンやその他の魔獣たちとの戦いも……」
     どれほど時がたとうとも、決してその日々を忘れることなどあり得ない。何度でも鮮明に繰り返すことができる。
     見知らぬ魔獣の脅威に立ちすくむ騎士たち。
     暴走する魔力を前に混乱を極めることしかできなかった魔導師たち。
     そして、何もできずに、何も知らずに、死んでいったスーニエルの民……。
     隔離された土地柄であったため、周辺諸国を巻き込まずに済んだことがせめてもの慰め。
     だが、代償はあまりにも多く、そして大きかった。
    「ガイの……ガイトン将軍の腕と目も、戦いの中で失ったものですわ。生き永らえたのが不思議なぐらいの大怪我で……」
    「そなたを庇ってのことか」
    「……」
     ジルベルは言葉なく、ただうな垂れて頷く。
     過酷な戦いの最中、ガイトンのみならず、数多くの人々より優先されたジルベルの生。
     それは力ある魔導師としてさらに多くを生かすための苦渋の選択であったに違いないが、彼らの苦しみ、痛み、死に直面するたびに耳元で囁く声が聞こえた。
     死に逃げることなど許さないと、生をもって償えと。
     追い立てられるようにして魔導の研鑽と戦いとに明け暮れた日々。
     ようやく一つの終着にたどり着いた頃、ジルベルの姿はスーニエルから消えていた。
    「……荒廃しきった国の再建を投げ出してきたのですけれど、結局、逃げることはできなかった……いえ、まだ終わってはいなかった……ということですわね」
     じょじょに途切れがちになった言葉は、最後の方はしんと静まり返った室内でさえ聞き取ることが難しいほどの囁きとなって霧散する。
     色のない渇いた声だった。
     慟哭、悔恨、憤慨……そうしたあらゆる激しい感情が燃え尽き、触れれば崩れて消え去るのみの灰のような……。
     声だけでない。
     うつむいた瞳からは生気が失せ、青ざめた肌は蝋でできた作り物めいてさえ見える。
     ここらが退け時か──。
     ポツリポツリと語るに任せ耳を傾けていたエルディンは、ずっと手をつけないままでいたカップへと手を伸ばした。
    「疲れているようだな。早く休むのがよかろう」
     とうに冷めきったお茶をひと息に飲み干し立ち上がる。
    「あ……申し訳ございません。お引止めしておいて、つまらない話をとりとめもなく……」
    「得るところがなかったわけでもない」
    「でも、何かお聞きになりたい事があったから、こうして招きに応じられたのではありませんの?」
     尋ねたい事がないわけではない。
     目の前にいる女の素性、『太古の智慧』の具体的な中身、災厄と呼ばれる程の被害の実情……。
     聞いておきたい事は数え上げればキリが無いが、それらはすでに起こってしまった、もはや変えようのない過去。
     もっともこの国において──それも自分の目の前で──異変は起きたのだから、遠い異国の出来事よと高をくくることはできないが。
     だが、現状についてはスーニエルの使者に問うべきであるし、動かしようのない過去ならばこれ以上疲れた身体に鞭打ってまで早急に聞き出す必要もないだろう。
    「……では一つだけ。この話の続きはまたいずれという事でよいか?」
    「は……? あ、ええ、お望みとあれば……答えられることでしたらいつなりと……」
    「ならば、よい。夜分に長居したな」
    「あ……」
     エルディンを追って立ち上がりかけたジルベルの手が、お茶を余したままのポットにぶつかる。
     反射的に押さえ込めば、辛うじて温かであった名残をわずかに残す程度。それほどの時間が経過していたのだと今さらに気づき眉尻を下げる。
     そんな束の間にもエルディンの身体は甲冑を纏っているとは思えぬ機敏さで、さっと扉の隙間に滑り込んでいた。
    「……馳走になった」
     いく分低めた声で言い残し、応える暇もなく手早く扉が閉められる。周囲を気遣うような、緩やかな足音はたちまち遠ざかっていった。
     そして、訪れる独りの夜。
     窓辺に寄りすでに人の気配の失せた通りを眺める。
     思えば、去っていった人は国の守護を司る者。本来なら、今頃は今後についての協議や対策に奔走していてもおかしくはない。
     無論、大きな支障はないと判断してのことだろうが、わざわざ時間を割いてくれたには違いない。
     関係者であるとはいえ、たかが一人のために人が好いにも程がある……。
     そんな苦笑を浮かべふと室内に目をやれば、つい今しがたまで確かに人がいた痕跡。
     何もできなかったという無力感は突き刺さった棘のようにうずきはするが、焦燥し責め苛まれるような痛みではない。
     それがどうしてなのか……気づかないフリをする事はできなかった。
     さして実りのあるわけでもなかったあの会話は必要だった、自分のために。そうして、消えた友の身を案じるより、その喪失感を埋めることを優先したのだ。
     一体、自分はいつの間にこんなに弱くなったのだろうと、窓枠に額をもたせかけながらそっと吐息をこぼす。
    「すっかりお世話になってしまいましたわね……」
     他に人もあろうものをよりにもよって……、誰にともなく呟くジルベルの眉間に小さなしわが浮かぶ。
     外は濃い闇が静かに広がっており、それは夜明け前の最も深い夜の刻限。
     休めと言われたけれど……と、ジルベルは手近な椅子を引きずって改めて窓辺に腰掛ける。
     無性に昇る朝陽を見たかった。
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