** ある錬金術師の物語 **
  • 鬱金の波紋 03
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    「ミ……ミ、ミューリフ。ちょーっと、こっちにおいでませ!!」
     不自然な笑みを貼りつけたジルベルが、しっかりとかきつく青年の体ごと少し離れた木陰へと引きずり込む。
    「もう! いい加減、お放しなさいな!」
    「あ、はい。申し訳ありません。つい……」
     ようやくのことで青年の体を引っぺがした。
     しきりに鼻をすすりあげていたミューリフが、にっこりと微笑を取り戻す。
    「お会いできて本当に……本当に嬉しゅうございます」
     言いながらまた赤い目を潤ませはじめるのを見て、ジルベルは大慌てでミューリフの顔の前に指を一本突き出した。
    「とにかく!!」
    「は、はいっ」
     予想外の大声にジルベルは声をひそめる。わざとらしい咳払いを一つ。
    「よろしいですこと。グノーシルでのわたくしの事については、一切、口にしてはなりませんわよ」
    「はあ……?」
    「よろしいですわね?」
    「は、はい」
     灰色の瞳をそば寄せてミューリフの顔をのぞきこみ、無言の圧力をつきつける。
     反射的に青年の頭が上下に揺れるのを確認してから、ジルベルはいつもの微笑をとり戻した。
     そそくさと元の場所に戻りながら、もう一言付け加える。
    「それから、様づけで呼ぶのもお止めなさい」
    「努力はいたしますが……」
     口ごもるミューリフの腕がぐいと引っぱられ前に押し出された。
    「エマリーちゃん。こちらはね、グノーシルでわたくしと同じ師のもとで学んだ、弟(おとうと)弟子ですのよ」
     目の前に立つ小柄な少女を見下ろし、二人の騎士に見下ろされ、視線をさまよわせるミューリフの横腹がつつかれる。
    「ほら、ミューリフ。ご挨拶なさって。わたくしがこちらでとてもお世話になっている方々ですのよ」
     見知らぬ人の前で思わず我を忘れたことに、ミューリフは今さらながら顔を赤らめた。
    「あの、お恥ずかしいところをお見せいたしました。私はミューリフと申します。以後、よろしくお見知りおきくださいませ」
     柔和そのものの微笑をたたえ、青年は片膝を深く折り頭をさげた。
     優しげな風貌に似合いのいかにも典雅なその仕草。
     衣擦れのざわめきをひきつれてミューリフが再び微笑を掲げた時、気づけばエマリーの頬はほんのりと色づいていた。
    「あ、あのぉ! グノーシルってなんですか?」
     照れを隠すようにエマリーはさっと視線をジルベルへと移し、叫ぶように尋ねる。  
    「スーニエルの王都ですわ……と申しましても、他にはさほど大きな街はないのですけれどね。王宮をはじめ、議会や研究施設など主だった全ての機関が集まっていますのよ」
    「じゃ、じゃあ、ジルさんはそこで錬金術を学んだんですね」
    「錬金術だけではありませんわ」  
     王都といってもグノーシルの中心は王宮ではない。
     街を囲む高い街壁、それよりもさらに高くそびえ連なる塔の一群。
     古くから受け継がれた本や資料、呪具、薬品などなど──およそ魔導に関するあらゆるモノがおさめられた、名実ともに魔導国家を支える中核、魔導院。
     全てが開放されているはずもないが、才能と努力いかんによってより多くの扉が開かれる。
     ……大陸の大部分で失われてしまった、数え切れない知識の泉への扉が。
     魔導を志すものであれば誰もが一度は訪れてみたいと思うことだろう。
     エマリーも例外ではなかったらしく、薄茶の輝く瞳がもっともっとと話をせがんでいる。
     残念ながら、いつ来るかも分からない次の機会に持ち越される事になってしまうのだが。
    「スーニエルよりの使者のおひとりとお見受けいたすが?」
     和やかに過ぎ行こうとする空気の色を変えたのは、深みのある低いエルディンの問いかけだった。
    「あ、はい。あちらの見事な庭園に見とれているうちに……道を見失いまして……その……」
     ふと、ミューリフは自分の立場を思い返す。
     他国の……それも王宮を一人でうろついていれば、怪しまれるどころではすまない。しかも親善の使節として来ているのにである。
     エルディンのきつい視線と、拭いされない詰問の口調に焦りを隠せない。
     だが、助けの手は意外なところから現れた。先ほどの女官が舞い戻ってきたのだ。
    「まあ。こんな所におられたのですね」
    「も、申し訳ありません。つい、あちらの美しい庭園に目を奪われておりましたら、どうも曲がる角を間違えてしまったようで」
    「いいえ。こちらこそ不案内な場所をお一人にしてしまって、申し訳ございません」
     ミューリフに、向き直ってエルディンにと、女官は忙しく頭を下げる。
     上目遣いにうかがいの表情を浮かべるミューリフを掠め、エルディンの視線はジルベルへと止まった。
     一瞬、何かをはかるように見据えてから女官に向かって小さく頷く。
    「改めてご案内申し上げますわ。さ、どうぞこちらに、宮廷魔導師さま」
     取り繕うようなにこやかさで先導する女官の後ろで、一歩を踏み出そうとしたミューリフの体が跳ね上がった。
     恐る恐るといったていで、ジルベルをふり返る。
    「あなたが……宮廷魔導師ですの?」
    「ああっ!! 言わないでください! 私だって何もなりたくてなったわけではございません!!」
     これ以上はないと言うほど赤くした顔を歪め、ミューリフはさらに大声で喚きながらつかんだジルベルの肩を揺さぶる。
    「そもそも、あなたがいらっっしゃれば……っっ!!」
    「あなたならぴったりですわ、ミューリフ!」
     言いかけたミューリフの口を強引に手の平を押し付けて塞ぎ、ジルベルが作り笑いを浮かべる。
     明らかに笑っていない目に気圧されてコクコクと頷いたところで、ようやく解放された。
    「……は、はぁ。ところで、ジルベルさ……は、こちらで何をなさっておいでなのですか?」
    「ご城下のルイーダの街で錬金術の小さな店を開いていますの。今日はその納品に来ただけですわ」
     まさに商売向けの微笑みを浮かべるジルベルの前で、ミューリフは唖然と口をあける。
    「ジ……ジルベル様が……接客をなさっておいでなのですか?」
    「何か?」
    「いえ。そ、そう、でございましたか」
     二人の間にしらけた沈黙が広がる。
    「あの、申し訳ありませんが、よろしければそろそろご案内申し上げたいのですが……」
     おずおずと口をはさんだ女官に向かって、ミューリフはぱっと微笑みをかえした。
    「あ、はい。お願いいたします。では、皆様、失礼いたしました」
     素直につき従う素振りのミューリフではあったが、どこかまだ名残おしそうにジルベルを瞳にとどめていた。
    「ミューリフ」
    「はい?」
    「先ほどの話、他の方にもお伝えになってくださいな」
    「承知……いたしました」
     かすかに見せた寂しげな表情を押し殺すように、ミューリフは深く一礼をほどこした。
     ゆっくりと遠ざかる青年の背中の寂しそうな影に、ジルベルはそっと吐息をこぼす。
    「……ミューリフ」
     名前の主がゆっくりと顔を肩越しに傾ける。  
    「ガイとフローに会ったら、よろしく伝えておいてくださいませ」
     はい、と今度は嬉しそうに目を細めたミューリフに、ジルベルもホッとしたように微笑を浮かべた。
     と、何らかを尋ねようと口を開きかけるエルディンやダグレイの前で、拒絶の意味をこめて背を向ける。
    「さあ、わたくし達も帰りましょう、エマリーちゃん!」
    「あ、そうですね。じゃあね、ダグレイ」
    「え、あ、ああ。気をつけて帰れよ、二人とも」
     はーいと元気のよい返事を残して、エマリーとジルベルの姿が緑のむこうに消えた。
    「無事に見つかってよかったですね、隊長」
    「このまま、何もなければよいのだがな」
    「……大丈夫でしょう」
    「そう願うことにしよう」
     短く言い捨てたエルディンは、すでに詰所へと足を向けていた。その後を追いながら、ふとダグレイは思い出す。
     ──胸騒ぎか、予感とでもいいますのかしら。
     赤い唇が残していった言葉が、不意にダグレイの心に影をおとした。
    「まさか、な」
     軽く頭を振って笑い飛ばし、自らも詰所へとかけていく。
     翌日、ルイーダの街を視察するスーニエルの一行の警護を言い付かったことを思い出しながら。

     けれど、その明日が訪れることはなかった。
     
     数刻の後、辺りが少しずつ遅くなる夜に支配された頃、王宮の広間では賑やかな晩餐会が催されていた。
     着飾った王侯貴族が遠い異国の使者をもてなす。
     フィールデンに集まる限りない食材を惜しみなくふるまい、国の威信をかけた饗応はつつがなく終わりを告げようとしていた。
     エルディンの背後で広間の大扉がわずかに開く。
    「何事か?」
    「はい、スーニエルからのご使者さまが……」
     言いよどむ年老いた女官の後ろに顔を見せたのはミューリフだった。
     つい先ほど、他の使者たちより少しはやく退席したばかりである。
    「申し訳ございません。火急の用につき、何とぞお通しいただけませんでしょうか」
     その青ざめた顔色にエルディンは無言で道を譲った。
     淡い色の長い髪を左右に揺らし、人の輪の中心に並んだ二人の使者のもとに駆け寄る。
     この男女こそが最も重要な国賓。大使たるスーニエルの王女であり、スーニエルの護衛長をつとめる若き将軍であった。
     王女らしい優雅な風貌の女性の傍らに、さりげなく立つ騎士。戦いに赴く者としてはやや細いようにも思われるが、れっきとした戦士であることは目に見えて分かる。顔にくっきりと刻みつけられた傷跡は左目を永久に閉ざし、その延長上にあるはずの左腕は肩から先が失われていた。
     彼だけではない。スーニエルからやってきた騎士たちは、誰もがどこかに激しい戦いの面影を残していた。
     エルディンは目を細めて、改めてスーニエルの一行を見つめる。
     談笑していたフィールデンの国王も気づいたようで、ひそめきあうスーニエルの使者たちに視線を向けていた。
     やがて、三人の間でなんらかの決断が下されたらしい。
     スーニエルの王女がフィールデンの国王の前に小さく跪く。
     辺りにいた貴族たちがざわめき、それがおさまる前にスーニエルの使者の一行は慌しく退席を始めた。
     エルディンの前を通り過ぎていく、青い顔をした一団。
    「待って、ガイ。このドレスうまく走れないわ」
     スーニエルの王女がさし伸ばした手を、隻腕の騎士が受け止める。
    「貴女はこのまま、フィールデンに残られた方が……」
    「いいえ。病床の父上お一人には任せられません」
    「間に合えばいいのですが」
    「急ぎましょう、ガイ」
     勇ましく言いながらスカートの裾を踏んで前のめりになる王女の体を、もう一人の青年の手が掴んでおこす。
    「お気をつけてください、フロー様」
    「ありがとう、ミューリフ」
     顔を赤らめた王女と共に、スーニエルの使者たちは速やかに立ち去っていった。
     ほんの短い間に交わされたか細い会話の破片。
     だが、当然、耳ざといエルディンが聞き逃すはずもない。
     ガイ──ガイトン将軍、フロー──フレイリオ王女。
     今聞き、昼間も耳にしたその名について、事態の急変に眉をひそめながらも不思議と得心するエルディンがいた。
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