** ある錬金術師の物語 **
  • 鬱金の波紋 02
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     初夏を迎えたフィールデン王国の、広大な王宮の一角。常緑の高い木々に囲まれた簡素な建物の奥に、王国の精鋭が集う守護騎士隊の詰所があった。
     そのよく茂った枝葉をざわめかせた心地よい風が、窓際にたたずむジルベルの髪を揺らす。
     高く明るい木漏れ日に白い手をかざし目を細めて見た。
     毎日、当然ののように降り注ぐこの輝きを……かつてはどれほど望み焦がれた事だろう。
    「どうしたんですか、ジルさん?」
     ぼんやりとつっ立っていたジルベルの隣りで、ぴょこんと現れた蜂蜜色の髪も揺れエマリーが愛嬌のある無邪気な笑顔を向けた。
    「どうという事もないんですのよ。いい天気だと思って……」
     ジルベルの言葉にエマリーも同じように木々に覆われた空を見上げた。
     そして浮かべた不思議そうな表情に、ジルベルは小さく笑う。
    「快晴、というわけではありませんけれどね」
    「ですよねぇ?」
     それはごくありふれた一日。
     小さな雲がポツポツと浮かぶ薄青の空の下、少しぬるい風が頬をなでる。
     そんななんの変哲もない午後の陽射しを、ジルベルはもう一度見上げた。
    「わたくしの生まれ育った所は、一年の半分以上が深い雪の中なんですの」
     万年雪の高い峰々に見下ろされて、飽きるほど長い冬に閉ざされた国スーニエル。
     記憶に残された空のほとんどは、低い雲をしきつめた灰色に染まっている。
     誰もが温かな太陽の恵みを待ち望みながら、じっと凍てつく日々を過ごしたものだった。
    「どうしたものか……ふっと、そんな事を思い出してしまいましたのよ」
     ジルベルはいつもどおりに鮮やか笑う。
     けれど……。
    「珍しいですね、ジルさんが昔の事を話してくれるなんて」
     エマリーは心から嬉しそうに笑い返した。
     ジルベルがどういう経緯で故郷を離れ、このルイーダの街にやってきたのか、エマリーは知らない。
     魔導国家と名高いスーニエルから来たこと。
     腕のいい錬金術師であること。
     知っているのはその程度だ。
     語られないからこそ、間違いなくただならない過去……その全てを暴きだそうとは思わない。
     けれど、そうして昔語りをしてくれるのが、気を許してくれた合図のようで嬉しく感じていた。
     そんなエマリーの笑顔にジルベルの表情は曇る。
    「なんだか、今朝から落ち着かないんですの」
    「落ち着かない?」
    「胸騒ぎか……予感とでもいいますのかしら」
     ジルベルはそっと白い指先をあごに添える。その仕草が何かを考え込む時のクセだと知るエマリーが、怪訝そうに肩をすくめた。
    「また、何か起こるんじゃ?」
    「何もねぇよ」
     突然、エマリーの頭上に力強い手の平が降り、クシャクシャと髪をまぜかえした。
    「いったーい。もう、何するのよ、ダグー!」
    「つまんない事を言ってるからだ」
    「だってぇ、ジルさんが……」
     そう言ってエマリーは口をとがらせる。
     チラリと向けられたダグレイの視線に、ジルベルは慌てて苦笑をつくった。
    「別に何の根拠もありませんのよ。何となく気分がすっきりしないというぐらいの事で」
    「悪い夢でも見たんじゃないのか?」
    「そうかも知れませんわね」
    「ったく、勘弁してくれよ。やっと、ここしばらくで落ち着いてきたんだからな」
     ダグレイは額に手をあて、ふっと小さく息を吐いた。
     グリフォンにリヴァイアサン──今まで考えもしなかった事件が二つ、春先から立て続けに起こったばかりなのだ。
     事件が解決したからといって、すぐに何もかもが元通りというわけにはいかない。
     様々な事後処理や軍備強化にと忙しい日々を過ごしてきたのだ。
     ジルベル自身にしても、ようやく平穏な毎日をとり戻し始めたばかりである。
    「……本当に何もないんだよな?」
    「え? え、ええ」
     ジルベルは確かに首を縦に振る。
     少なくともいま現在、何かの予兆があったわけではない。
     ただ……何故だか心の奥が重くふさぎ込んでいくのを止める事はできなかった。
     何らかの原因でも見つかればいっそ手のうちようもあるのだが、何もないからこそ消し去ることのできない漠然とした不安がジルベルの眉間にしわを刻む。  
    「ならいいんだけどな。何かあるなら教えてくれよ? 今、大事な客が来てるんだからさ」
     難しい顔で腕を組むダグレイに向かって、ジルベルが小首を傾げる。
    「あら。ご家族の方でもいらしてるんですの?」
    「あ? いや、違う違う。そういうのじゃなくってさ。国賓の警護ってやつさ」
    「まあ……」
     ジルベルとエマリーは顔を見合わせた。
     言われて見れば、確かにこの騎士隊詰所に来るまでの城内、警備にあたる兵士の数はいつもより多かったような気もする。
     もっとも、大陸屈指の大国フィールデンでは賓客が滞在していることもままあり、さほど特別なことでもなかったが。
    「そういや、ジルさん。スーニエルの出だったよな?」
    「ええ」
    「いま来てるのが、丁度、スーニエルからの御使者のご一行様なんだぜ?」
    「…………え?」
     さも良い事を教えてやったとばかりに満足げなダグレイの前で、ジルベルの表情が固まる。
    「知り合いの一人ぐらいいるんじゃないか?」
    「……」
    「ジルさん?」
    「あ、ええ。な、何ですかしら?」
     滅多には見られそうもないジルベルのその動揺ぶりに、今度はエマリーとダグレイが顔を見合わせた時だった。
     ふと、窓際に一つ、背の高い人影が加わる。
    「ダグレイ。隊の関係者とはいえ、職務についてを話すことは控えることだ」
     決して大きくはないのにじんと腹に響く低い声。
     無論、振り向くまでもなくわかる声の主は、守護騎士隊のエルディン隊長以外の何者でもない。
     穏やかで静かで威圧感のある視線の前で、ダグレイが恐縮しきった様子で背筋を伸ばした。
    「も、申し訳ありません!」
    「気をつけることだ。それから、明日の視察警護について話がある。皆を集めておいてくれ」
    「は!」
     威勢の良い返事とともに慌しくダグレイの背中が遠ざかる。
     いや、遠ざかろうとした入り口の手前、転げるようにして飛び込んできた若い女官の体当たりに足止めをくらった。
    「も、申し訳ありません!!」
    「いや、こちらこそ、失礼いたしました。ところで騎士隊に何か御用でしょうか?」
     粗野の欠片すら見当たらない品行方正の見本のような物言いに、エマリーとジルベルが思わず笑みを交わす。
     ダグレイとてやろうと思えば国を代表する騎士らしい振る舞いができるのだが、普段を知るだけにおかしさがこみ上げてくるのだ。
    「いえ、実はこちらに……その……おいでになられないかと思いまして……」
    「どなたでございましょう? 隊長でしたら、確かにおられますが?」
    「あ、いえ、その、スーニエルからのお使者の方なんですけれど」
     困ったようにしどろもどろになる女官の前に、いつのまにかエルディンも立ちはだかっていた。
    「どういう事だ?」
    「は、はい。ご案内の最中に別の御用を承りまして、遠くはございませんでしたので先に行って頂いたのですが……」
    「まだ着いていらっしゃらない、という事か?」
    「は、はい」
     エルディンの鋭い口調に女官はますます身を小さくする。
     今にも泣き出しそうな女官から視線を移し、エルディンは詰めていた騎士らに頷く。
    「この付近は我々でお探しいたす。そなたもいま一度戻って探すが良かろう」
    「は、はい。失礼いたしました」
    「あ、ちょっと……」
     残念ながらダグレイの引き止める声は、急ぎ足で立ち去る女官には届かなかった。
    「隊長、どのような方をお探しすればよろしいでしょうか?」
    「うむ……」
     騎士たちのやりとりを横目に見ながら、ジルベルはエマリーの肩を指先でつつく。
    「何か込み入ってきたみたいですわね。わたくし達はそろそろ戻りませんこと?」
    「そうですね」
     二人の錬金術師はそっと退出の支度を整え、入り口を陣取っている騎士たちに小さく声をかけて静かに詰所を後にした。  
    「急にバタバタしちゃいましたね」
    「ええ。本当に……」
     いつもならば、手のすいた騎士たちともうしばらく話などをするところだった。
    「まさか、エルディン様がおいでになるとは思いませんでしたわ」
    「わたしもここで見かけた事なんて、今までほっとんどなかったですよ。あ!」
    「なんですの?」
    「朝からの胸騒ぎって、これの事だったんですか?」
    「それはないと思いますけれど」
     苦笑しながらジルベルが額に手をかざす。
     建物の外はまばゆい程の陽射しが降り注いでいた。
     高い空、明るい陽光、温かな風。
     豊かな緑と、鮮やかな色彩を放つ花々。
     ずっと憧れ続けた風景が伸ばした手の先に広がる。
     フィールデンの王宮の美しい庭をのぞみ、ジルベルは軽く目を細めたが……ある一点でピタリと止まる。
    「あれ、誰かいますね」
     ジルベルの視線を追ったエマリーが身を乗りだし、二人はよく手入れされた造園の合間ににたたずむ人影を見つけていた。
    「いつもの手入れの人じゃないみたいですよね?」
     かといって、フィールデンの者とは明らかに違う着衣は城づとめの者とも思えない。
     ふと、手をかざし天を仰いだその姿が、つい今しがたのジルベルと重なる。
     似たような薄い色の長い髪がさらにそう思わせるのだろうかと……思い至ったエマリーがぱっと笑みを結ぶ。
    「あ、もしかして……」
     スーニエルから来た迷子の使者ではないかしら? そう問おうとして瞬きを繰り返す。
    「ジルさん。どうかしたんですか?」
     微妙に身をかがめながら、無言のまま先を急ごうとするジルベルがこわばった笑顔を見せた。  
    「ちょっと急ぎの合成を思い出しましたの。お先に失礼いたしますわね」
     ひそめた声がまたジルベルらしくなく、エマリーはまた目を瞬かせる。
    「おーい。何やってるんだ?」
    「あ、ダグ」
     背後からの声にふり向くと、数人の騎士たちが客人を探しにバラバラと散らばって行く光景が目に入った。
    「あのねー、あそこにいるの。探してる人じゃなーい?」
    「ん?」
     エマリーの呼びかけにダグレイが小走りに近寄って来る。その後ろを声をききつけたエルディンも歩く。
    「どれ……っと」
     ダグレイが庭園をのぞき込むと同時に、どうやら相手もこちらの様子に気がついたようだ。軽やかな足取りで庭木を避けながら近づいてくる。
     確か探し人は青年と聞いていたが、遠目には女性と見まごうほどだ。
     魔導師らしい薄手の長いローブをまとう華奢な体が、ある程度の長身でなければ間違いなく青年だとは思わなかっただろう。
     顔のつくりまで判別できる距離まで来ると、エマリーは我知らず呟きをこぼしていた。  
    「すっごーい。綺麗な人……」
     淡い麦わら色の長い髪が風になびいて揺れ、額にかかる前髪のすき間から見え隠れする優しい薄緑の光。よく整った中性的な顔立ちに白い肌が映える。
     佳人のこぼれ落ちる柔らかな微笑が足取りとともに一瞬止まったのは、それから間もなくのことだった。
     立ち止まった足がぎくしゃくと再び動きだす。
     途端に、青年はそれまでとは別人のように生真面目な表情を浮かべ、力強く前進してきた。
     近づくにつれ歩幅は広がり、他の誰にも目をくれず……立ち止まったのはジルベルの手前。
     やや高い位置にある青年とジルベルの視線とがはっきりとぶつかった瞬間、青年の喉が震えた。
    「……ジ……ルベル……さま……」
     掠れる声。
     若草色の瞳が潤んで一粒の小さな雫が青年の頬を伝い、笑顔が泣き笑いに歪んだ。
     骨ばった細い指先がジルベルの肩を掴み、しっかりと抱き寄せる。
    「ジルベル様! よくぞご無事で! ああ……本当にジルベル様なんですよね? 本当に……本当に!! どれほど心配したとお思いなんですかーっ!!!」
     ジルベルの首筋にしがみつくようにして、ぐずぐずと鼻をすすりあげながら青年がまくしたてる。
    「何も仰らずにグノーシルを去られて……はや三年。本当に……もう、二度とお会いできないのかと……」
    「ミューリフ……」
     小さな呟きとともにジルベルの白い手が、そっと青年の肩に添えられる。
     懐かしい顔……懐かしい声。
     どれほど洗ってみても染み付いた薬品の臭いの抜けない着衣が郷愁を誘う。
     絡みつく腕に幾分の息苦しさを覚えて軽く顔を背けたところで、はっと我にかえった。
     沈黙のままに注がれている視線。
     嫌な予感はこれだったのだろうかと自問自答するジルベルの耳元で、まだ青年の嗚咽が響いていた。
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