** ある錬金術師の物語 **
  • 鬱金の波紋 01
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     ────ねぇ、覚えているかい?

     毎日、毎日、身も心もすり減らして、壊れ続けていくばかりの日々を必死でとり繕ってさ。
     まったく……あんなに虚しい事はなかったねぇ。
     何度投げだしてやろうと思ったか。
     できやしないことは分かってたから、一度だって口にしやしなかったけどさ。
     ………………
     あんただって同じだろう?
     もう沢山だ、って言ってたじゃないか。
     なのに……なんだってまたこんな事に足を突っ込んだんだい────?


     乾いた喉はかすれ、どれほどの思いをこめた言葉も声にはならない。
     這うようにして跪いていた女は、ふり乱れた長い髪の陰でやつれた顔を歪める。
     着古したローブのすり切れた袖からのぞく腕は、骨の上にかさついた皮膚がのっているだけだ。
     まだ四十代半ばには到底見えない、あまりにも無惨な自分の姿を見下ろす幾つもの視線の壁。
     そして、さらにその向こうから放たれる一際冷ややかな眼差し。

     ──あんたじゃなけりゃねぇ──女は哂おうとしてまた顔を歪める。

     仲間だと思っていた。あるいは戦友でもいい。
     ……だからこそ気を許してこの様だ。
     身体を支える手首や膝の関節が、息苦しそうに震える。
     こうやって、ただ肉体だけが最期を迎えるのならばいい。
     だが今、死に瀕しているのは精神であり理性であった。

     ──このままじゃ、今まで耐え凌いできた意味が失くなっちまうからね。

     女は呼吸を整え始める。
     そうと気取られぬよう、わざとらしく大きく吐いた息の下で、静かに、ひっそりと。
     もう唾液すらも干上がった口を小さく小さく蠢かせながら、女は時を待っていた。
     これまでもずっと待ってきた。
     彼が己の過ちに気づいてくれることを。
     どうやらそれも叶わぬ願いであると悟ってしまった今、できることはただ一つ。
     全力で彼の望みを阻止する以外にはなかった。
     ……残された力はごく僅かではあったが。

     ──そう、いつもこの辺りであんたは帰るんだ。

     抉るように冷たい視線が消え去ったことを肌で感じとり、女は今度こそニヤリと哂った。
     肺にためた息を細く吐ききると女の身体はそのまま呼吸を……いや、一切の生命活動を止める。
     途切れようとする意識の最後に浮かび上がったのは白の風景。
     凍てついた大地に深く降り積もる雪。
     一年の三分の二を厳しい冬に閉ざされる遠い祖国。
     長い長い月日を、自ら招きいれた災禍を鎮めるために費やしたものだ。
     さらに、過ちと戦いとを共有したかつての同胞たちの顔が瞼に浮かぶ。
     今は亡き男がいて、数十年来のつきあいの男もいた。


     ────それにあんたも。
     後のことは…………ま、どうにかなるだろう。

     あの子ならきっと────。


     辺り一面に広がる雪景色に溶け込むような、一人の女の白い面差しがよぎる。
     こんな時だというのに笑顔の一つも思い出してやれない。
     それは、安らぎのない世界をもたらしてしまった自分達への罰だろうか……。
     弱音も泣き言も、醒めた瞳と無表情に覆い隠して戦いに赴かせてしまったのだから。
     ごく稀にに見せた、噛みしめた唇の紅さだけがやけに鮮明に思い出される。
     もう何年も会っていないその顔を最後に、懐かしくも哀しい思い出の景色は霞んで消えた。


    「おい、どういう事だ!?」
    「見てのとおりだ。もはや、我々の手には負えんだろうな」
    「悠長に構えている場合か。すぐに、盟主殿をお呼びしろっ!」
     黄色い薄明かりの中に男たちの声が騒然とこだまする。
     盟主と呼ばれる男が舌打ちと歯ぎしりを響かせるのは、しばらく後のこと。
     残された者たちの失意も怒りも、もはや女には預かり知らぬことであった。
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