** ある錬金術師の物語 **
  • 蒼の天蓋 10
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    「はぁ……はぁ………」
     初老の男は苦しげにうめき声をあげ、何度も大きく息をつく。首筋に冷ややかに見下ろすいくつもの視線を感じながら。闇染めのローブ姿が輪を描いて彼を囲んでいた。
    「やれやれ。せっかくの盟主殿のお力も無駄づかいだったな」
    「恥ずかしげもなく、手ぶらでご帰還とは」
    「いやいや、相手が悪かったのだよ。相手はあの封印を解くほどの力の持ち主なのだから」
    「……にしても、馬鹿な策に陥れられたものだて」
     真っ黒なフードの陰にどの顔も定かに見ることはできない。だが、その声色には明らかにスリガンの失敗を喜んでいる嘲笑の響きがあった。
     ついと一人が輪の内へと歩み出る。
    「失敗は失敗。この始末……どうつけようか……」  
     他の者たちとはまったく違う。若くも老いてもいるような刺々しく暗い声、緩慢な挙動でありながら途絶えることのない威圧感。そして、ひどく酷薄な空気を漂わせていた。
     跪いたまま、卑屈な笑いを貼りつけてスリガンが顔をあげる。
    「め、盟主よ!! まだ策はあります! どうか吉報をお待ちください」
     声が震えるのは臆病からか、屈辱からか。
     そこは不思議な空間だった。
     ぼんやりと黄色に明るく、暑さも寒さもなく、気だるい空気に埋もれて何もかもが曖昧。
     ただ、スリガンの声だけが、何倍にも増幅されたように鮮明に響き渡る。
    「必ずや、かの封印の書は貴方様の元にお届けいたします。いま一度、お力添えを!」
     何を考えているのか量りかねる、どこか虚ろな盟主の視線に背中を震わせながら、スリガンは必死で声を絞り出した。
    「どうかぞ、私めに 『 水神の珠 』 の力をお与え下さい」
    「……」
    「更なる混乱と恐怖を与え街の安全と引き換えにと申せば、彼の者どもも大人しく封印の書をさし出しましょう」
    「……」
    「どうか、どうか……!!」
    「やってみるがいい」
     腹の奥深いところにまでしみ入るような男の声。
     頭上に降り落ちる主からの認可の言葉に、畏怖に引きつれていたスリガンの顔が崩れた。下卑た笑いが浮かび歪んだ怒りの炎を目に宿す。
     その眼前に浮かぶ青白い光球。伸ばした手の先端に触れる滑らかな珠の感触。震える掌が珠を包み込んだかと思うと、スリガンの存在がこつ然と希薄になり、間もなく消えた。まるで、最初から何者もいなかったように。
    「よろしかったのですか、盟主殿。あのような無力な老人にせっかくの珠を持たせて……」
    「もう用済みなのだ……あの珠も……あの者も……」
    「は?」
    「見るべきものは見た。惜しむらくは、彼の女の知る解封の様を見れなかったことか」
     どうやら独り言のようだと、黒ローブ達は黙り込み互いに見えはしない顔を見合わせる。
     惜しいと言うわりに盟主と呼ぶ男の口ぶりはどこか楽しげで、事実、ことの成り行きを楽しんでいた。
     先の時代にうち捨てられた、リヴァイアサンなどというご大層な玩具を弄っていたら、失われたはずの封印の鍵を持つ者が現れた。解封をのぞき見てやろうと仕掛けてみれば、予想を超える行動力で阻んでくれた。  
     ──愉快なことよ。  
     そんな心の呟きと共に、盟主と呼ばれた男の姿もまた霧散して消える。
     黒ローブ達の影もほどなく失せ、後にはただ空虚な広がりだけが取り残されていた。




     ジルベルがそのページに目をおとすのは、もう何度目か。
     いや、そのページだけではない。
     手にした古い書の端から端にまで、もういく度も目を通してはため息をこぼす。
    「ジルさん。やっぱり無理なんですか?」
     目の前にさし出されたお茶から昇る温かな湯気が、ジルベルの頬をくすぐる。
     目をあげればそこに、不安そうな面持ちのエマリーがいた。雨に濡れた髪もすっかり乾き、いつものツヤツヤとした蜂蜜色に戻っている。
     それだけの時間が経過し、十分に暖もとった。
     それでもなお、ジルベルが肌を震わせる原因は明日への懸念。
     見通しは予想以上に暗かった。  
    「とてもわたくしに、どうこうできるような代物ではありませんわね」
    「そんなにすごいんですね……」  
     エマリーの問いに答える代わりに、ジルベルはただ視線を窓に向けた。
     騎士団の詰め所が崩壊してから数時間を経た現在、アズフェンの街は更なる災厄に見舞われていた。
     もう昼を越えているというのに外はいつまでも薄暗く、降り続く雨は止むどころか勢いを増していく。時と共にせりだす分厚い雲は、すでにアズフェンの街を覆いつくして激しい雷雨をもたらしている。
     さらには、海岸線にうち寄せる魔獣たち。凶暴性を増し、数を増し。放っておけば、アズフェンの街だけでは手に負えなくなるのは必定。
     いや、すでに調査に来たはずの守護騎士隊が指揮をとる戦場と化していた。
     ……全ては海から。
     遠い沖の向こうに垣間見せる偉大なる獣リヴァイアサンのもたらす力の強大さの前に、人は情けないほどに無力だった。自分たち人間が、はるか記憶のかなたに生み出した生命であるにも関わらず。
    「やはり神殿に納められていたあの珠そのものが必要ですわね」
    「再現するのは難しいんですね」
    「この事態を引き起こしているリヴァイアサンを生け捕りにして、血肉の欠片を手に入れて下さるのなら」
    「そんなことができるくらいなら!」
    「……さっさと倒してしまいますわよね」
     二人は何とも言えない渋面を浮かべた。
     遠い時の向こうの故人たちにとって、リヴァイアサンはただの戦いのための呪具でしかなかったのだろう。
     生かすも殺すも自由自在。だからこそ、珠を失った時のことなど考えもしなかったのだ。
     そう、珠はあくまでも制御を促すためだけのもの。考える必要などなかったのだ。
     けれど、現在を生きる自分たちにとっては……。
     珠とリヴァイアサンとは、同じ素材から生まれ、同じ合成の中から生まれた。
     雌雄一対という伝説になぞらえたのか、それとも、この呪具こそが伝説となったのか。
     今となっては知る由もないが、伝説の如く両者は一対だったのだ。  
    「厄介な置き土産を遺して下さったこと」
     ジルベルの呟きは思いのほか恨めしげに響く。
     小さくお茶をすするエマリーの目の前で、白い額にくっきりと縦じわを刻んでいた。
     重い沈黙の中で、窓をたたく雨音の激しさがいっそう際立つ。
     と、不意にちょうつがいを軋ませて部屋の扉が開いた。
     たった今戦場から帰ってきたとは思えない、隙のない足どりがエルディンらしい。
     だが、確かに野外にいたことを示すかのように、石の床に一歩ごと鎧から髪から雫がしたたり落ちる。
    「何かよい策は見つかったか?」  
     こちらが何か言い出す前に、エルディンの低い声が静かに響いた。
     ジルベルの目がゆっくりと伏せられる。  
    「やはり、リヴァイアサンを御するためには、持ち去られた 『 水神の珠 』 をとり戻して頂かなければ……」
    「探索のために人員を割くのは厳しいな」
     エルディンの手が濡れて頬に張り付いた黒い髪の一筋を、わずらわしげに払う。それは滅多に見せない彼の苛立ちの断片であった。
     引き結ぶ唇の青さに気づいたエマリーが、大慌てで水気を拭うものを探して辺りを見回す。
     ようやく探し当てた白布を手渡す前に、エルディンの姿はもう部屋にはなかった。
     雨水でできた小さな水たまりだけを置いて。
    「なんとか──と言われましてもね」
    「え?」
    「……」
    「ジルさん?」

     ──なんとかならぬものか。
     
     去り際に残した低く掠れたエルディンの声が、ジルベルの耳の奥によみがえる。
     恐らく、聞かせるつもりではなかっただろう言葉。もしかすると彼自身、口の端にこぼしたことに気づいていないかもしれない。
     それ程に切迫しているのだろう戦場に、エルディンは舞い戻っていった。成すべきことを成すために。
     では、自分の成すべきことは?
     ジルベルはそっと指先をあごにあてた。
    「……この急激な攻勢が詰め所の破壊と同じところから端を発しているのは、ほぼ間違いありませんわよね」
     不意の呟きにきょとんと小首を傾げるエマリーに構わず、ジルベルは独り言を続ける。
    「この書を得るために、どうしてこのような手段を選んだのか理解に苦しみますわ……」
    「そうですか? 古代のもの凄い知識が得られるなら、欲しがっても不思議じゃないですよ?」
     怪訝そうなエマリーに、ジルベルは目をすがめる。
    「見ず知らずの他人であればそうですけれど、あの方の場合は……。現時点での神殿の最高責任者として返してくれ、と言えば済むことでございましょう?」
    「あ……」
    「後に封印されるにせよ、国家に没収されるにせよ、少なくとも一度は黙っていてもあの方の手には戻るでしょうに……」
     解封の知らせは当然、持ち主である神殿にももたらされるであろうし、そうなってからこちらでも検証したいとでも言えば、ほぼ障りもなく手に入れられたはずなのだ。
     なのに、何故……?
    「何か見られたくないことでも書かれていたとか?」
    「見られたくない内容が書かれていると予め知っていれば、解封なんてさせないと……」
     言いかけた言葉を喉の奥に残したまま、ジルベルは沈思に陥る。
     『見られたくない』 という一言に、何かひっかかりを感じたのだ。
    「解封させたのは中を知りたかったから……黙っていれば手に入るものを待てなかったのは……見られたくなかったから……?」
    「どういう事ですか?」
    「つまり、自分は見たいけど、他人には見せたくないのですわ」
    「ええっと、何が書かれているのか分からないから知りたいんですよね? アレ? でも見せたくないってことは、中が分かってるってこと?」
     思考に軽い混乱をきたすエマリー。
     なるほど、とすでに得心しすっきりとした様子のジルベルの服の端をしっかりと掴む。
     その茶色の瞳の上目遣いに、紅色の唇は苦笑をこぼした。
    「一言で言えば、独占欲ですかしら」
    「独占欲?」
     あるいは優越感と言い換えてもいい。
     他者の知らない事柄を知っているという、そのことに満足を感じる心が人にはある。大なり、小なり。
     それを伝える事に大きな価値を見出す者もいれば、その逆もまた確かにいる。
     一握りの選ばれた者として、ある事象を知る権利を得ること、またこれを秘匿することに大いなる意義を見出す者が……。
    「よく……分からないです」
     健全なる精神の持ち主たるエマリーの、眉尻を下げた困惑顔にジルベルは微笑する。
    「とにかく、このままではこの書は検証のためにこの国の権威ある魔導師に与えられるでしょうし、場合によっては研究のためにさらに多くの者たちが目にするところとなってしまう。そうなるのは好ましくない、ということですわね」
    「で、でも、それならもうジルさんが……」
    「ついでにわたくし達を片付ければ、秘密を知る者は減りますでしょう?」
    「だったら、アズフェンを全滅させてから、後でゆっくり探すんじゃないですか?」
    「エマリーちゃん。残念ながら、この書はもうごく普通の紙の束なんですわ」  
     どんな衝撃や異常にも耐えうる封印も、解かれてしまえばもはや何の効力もない。
     ろうそくの火にさえ燃え上がり、容易く引き裂かれ、水に浸かれば記された文字は消える。
    「書を渡せ、さもなくばアズフェンは滅ぶぞ……という脅迫」
    「そんな!!」
    「ですけれど、逆に、攻撃を止めなければ書を焼き捨てるという脅迫の種にもできますわね」
    「あ……! でも……」
     一冊の書と数え切れぬ人命と。天秤に載せられたものの大きさと重さのはるかな違いに、エマリーが表情を曇らせる。
     と、ジルベルの灰色の瞳に小さく光が宿った。
    「対等の交渉をするには、こちらの分が悪い。いえ、本来ならば街が危機に瀕している以上、無条件降伏でも仕方ないところですわ」
    「でも!」
    「ええ……でも、なんとかなるように考えましょう」
    「わたしも手伝います!」
     力強く身を乗り出すエマリーに微笑をかえし、ジルベルはもう一度窓の外へと視線を向けた。
     たかが一冊の書のために、多くの人命を失うことなど愚かなことだ。されど、その一冊がさらなる災厄を招く危険をもはらんでいる。
     『 水神の珠 』 を手に入れる。そして、封印の書は渡さない。
     例えどんな手段を用いたとしても。
     スッと一瞬にして沈み込むジルベルの表情。
     雷光のきらめきと轟音の中、ガラスに映るその横顔をエマリーの茶色の瞳がじっと見つめていた。
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