** ある錬金術師の物語 **
  • 蒼の天蓋 09
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    「おお、都よりの錬金術師殿、お怪我はありませんかな? いやはや……つい、気短なことをしでかしてしまいました」  
     昨日のように笑みを称えたスリガンだが、それは同じものではない。
     嘲笑とも言うべきその口調に、エルディンがわずかに眉を動かす。
     無言のまま今にも詰め寄りそうな甲冑の身体を制したのはジルベルだった。  
    「本当に随分と手荒ですこと。わたくしはともかく、お目当てのモノが永久に失われたかもしれませんわよ?」
    「……ほう、私が何を欲するかご存知か?」
    「あまりにも性急で都合のよすぎる登場でございますもの」
    「なるほど、なるほど」  
     頷きながら歪んだ笑い声をあげたスリガンは、悠然と足を前へと運びながらゆっくりと右手を差し出した。  
    「では、渡して頂けますな?」
    「お断りしたらどうなさいますの?」
     言い終わらぬうちにジルベルの頬の隣りを小さな光が通り過ぎ、長い白い髪の一部がサラリと風をはらんで散った。  
    「これは失礼。驚かせてしまいましたかな?」
    「詠唱もなく魔力を放つなんて魔族か魔獣ぐらいだと思っていましたけれど、人間も進化したようですわね」
    「進化! 良い響きですな」
    「それとも、もう人間とは呼ぶべきではありませんかしら?」
    「ほう?」
    「リヴァイアサンと同じ。誰かに力を与えられただけの生き人形とでも……」  
     ジルベルの耳に風のうなりが聞こえた時、すでに閃光にちぎられた髪が肩をすべり落ちていくところだった。
     スリガンの品のない薄ら笑いが近づき、さらに階上からは苦痛の色に染められた大勢の人の遠い声が届いている。
     と、老神官を見据えていたジルベルの肩にエルディンの手がかかった。
     一瞬、二人の視線がすれ違い、紺の甲冑はいつものように壁と化す。
     盾であり、剣──それが、いつでも、彼の果たすべきことであった。  
    「止まれ」
     エルディンの低い制止の声にも、スリガンは歩みをとめない。
     鞘を放たれた刃がまっすぐに老人に狙いをつけていた。エルディンの目はその白刃よりもさらに鋭い。
     だが、老人は勝ち誇ったように喉で笑うばかり。
    「その剣が私を斬りつけるより先に、貴方様が私の術で吹き飛ぶでしょうな」 
    「単なる条件反射だ。敵の前で無防備ではおれぬだけのこと」
    「大人しく封印の中身を渡してくだされば命は保証してさしあげますぞ。今日のところは……」
    「これだけ破壊された後では信用できぬというのが本音だな」
    「どちらでも結構。結果は同じですからな」  
     スリガンの右の瞳が火花のような光を散らし、刹那、細い赤い筋がエルディンの頬に刻み付けられた。
     悪意の塊りのような粘ついた老人の笑い声に改めて白刃が煌く。  
    「……だと、いいがな」  
     抑揚のないエルディンの声は重く冷たく響く。
     さらにと開いたスリガンの口から放たれたのは、声にならない悲鳴だった。
     何が起きたのかも分からなかったのだろう。
     老人の身体が勢いよく前にのめり、派手な音をたてて頭から崩れ落ちる。
     注意深く刃を向けたままのエルディンの目が、冷やかに眼下に見下ろす老人は完全に白目をむき、口からはだらしなく唾液がふき出していた。  
    「戦場でのおしゃべりは身を滅ぼす、の典型でございましたわね」  
     背中という壁を失い、その淡々とした口調に似合いの醒めた微笑のジルベルが現れる。  
    「何をしたのだ?」
    「砂の塊をぶつけただけでございますわ」
    「それは……石というのではないか?」
    「元はそこいらの塵芥ですわ。エルディン様が長らくお話の相手をして下さったので、随分と沢山集められましたわね。助かりましたわ」  
     嫣然と微笑むジルベルに、エルディンは片目を細める。
    「それは重畳。ともかく一度地上に出るぞ」
    「ええ……」
     思いのほか建物全体の損傷がひどく、バラバラと頭上に散りかかってきた天井の破片をエルディンが片腕で払う。
     せっかく戦いに勝ったのに生き埋めでは話にならない。
     ジルベルに先を促したエルディンの目に、気を失い微動だにしない老神官が映る。
     捕縛しておきたいところだが、と見回してみても周囲にあるのはただ瓦礫ばかり。
     軽く息を吐くと、横たわるスリガンの襟首に手をかけた。
     罪人と言えど捨て置けぬ……というのも一つにはあるが、それ以上に、一連の騒動に関する重要な手がかりを逃すわけにはいかないという職業意識の方が優先していただろう。
     と、老人を吊り上げようとした手に違和感を感じる。  
    「エルディン様、お手を引いて!」  
     叫び声と共に、ジルベルは身体ごと飛びつくようにしてエルディンを後方へと引き倒す。
     もっとも、そのまま勢いよく転げそうになったのはジルベルだけで、その身体を支えたエルディンは一瞬老人から目を離すことになった。  
    「一体……」  
     何事だ、そう言いかけて目を見開く。
     視界の中では、相変わらず老人が倒れ伏している。だが、その腹這いになった地面が、まるでそこだけが水面になったように波打っているではないか。
     無意識に伸ばしかけたその手の甲に、白い手の平が重ねられ留められる。  
    「危険ですわ」
    「逃すわけにはいかぬ」
     けれどジルベルは短く首を横に振った。そして、奇怪な光景にしっかりと視線を定めたまま呼吸を整える。
     腹の底に重い力が集まっていくのを感じ、魔力が身体の隅々にまで満ちる。
     エルディンが手にする剣の切っ先も、鋭くスリガンの首筋に狙いを定めている。
     共に、いつでも攻撃に転じる用意はできあがっていた。
     二人が息すらつめて見守る中、前方の空間がまるで陽炎のようにユラユラとぶれ、ひずむ。
     直後、金色の渦が吹き上がった。
     地面から突如湧き上がった空気が、旋回しながら散乱する瓦礫の欠片を巻き込んでのぼっていく。はぐれた風の一陣が、二人に砂のツブテを投げつけた。  
    「あ……」  
     風にすがめた狭い視界の中、スリガンの身体は宙に浮き上がった途端、フッとそこは虚空となる。
     破壊の爪痕ばかりの残る地下の廊下に、ジルベルとエルディンだけが立っていた。
     目にした不可思議な事態が、しばし二人の思考を奪う。
     我に返ったのはほぼ同時だった。
    「逃げられたようだな」
    「そのようですわね」
    「良かったのか?」
    「あの方法ではいずれ逃げられたでしょうし……」
    「確かに」
     そこまで短い会話を交わして、ようやく二人は互いの顔を見合う。
    「下手な巻き添えがなくて良かったのかもしれませんわ」
     パタパタと今さらながら膝を払うジルベルに、エルディンも頷きを返した。
     鈍い光をちらつかせた剣先で辺りをうかがいながら、改めて背にかばったジルベルへと問う。
    「あの手は一体なんだったのだ?」
    「手……でございますか?」
    「お前からは死角であったか。ちょうどあの男の顔の下から……青白い腕が這い出していた」
    「手……」
    「まあ良い。ともかく予定通りここを離れるとしよう」
     エルディンが見上げた天井は、かすかな震動にさえ塵の雨を降らせる。少し離れた所からは滴り落ちる水音もして、地上に降り続く雨までもが地下に降り始めていた。
     できうる限りの滑らかな足取りで地上への階段を目指した。背後に近寄る崩落の足音を感じながら。

     
    「ったく、何だってんだよ、これは」  
     ダグレイは額にかかる髪をかきあげた。
     つい今しがたまで滞在していた建造物が、あっという間にまさか崩れ壊れるなどどうして想像できただろう。
     降りしきる雨にも関わらず、辺りに漂う粉塵で喉や鼻の奥がザラザラと痛む。  
    「ダグーー!!」
    「お、エマリー。どうだった?」
    「ダメ……治療所にも避難所にも、ジルさんもエルディン様もいなかったよ」
    「そっか」  
     息を切らして駆けて来たエマリーの頭をポンポンと軽くはたき、ダグレイは再び破壊された建物に目を移した。
     エマリーも見る。
     多少古くなっていたとはいえ、いや、だからこそ頑丈そのものだった建物だった。その石造りの建物はいま、巨大な石くずの山。見物人がとり囲む中、怪我人があわただしく運びだされていく。
     けれど、まだそこに肝心な人間の姿を見つけることができずにいた。
    「ねぇ、ダグ。大丈夫……だよね?」  
     エマリーの瞳が不安げに揺れながらダグレイを見上げる。
     もう一度、ポンと頭の上に大きな手の平が添えられたが、ダグレイの無言は肯定なのか、否定なのか。
     しばし雨と野次馬の声を聞いていた二人だが、不意に足元にかすかな震動を感じた。  
    「エマリー!! しゃがめっ!!」  
     ダグレイの手がエマリーの肩を掴み、地面へと押し付ける。途端に地面が大きく上下に跳ねた。
     続けざまに襲いかかる揺れに、バランスを崩したダグレイも地を這う。
     エマリーの小柄な身体をどうにか抱え込むようにしながら目を上げた時、  
    「崩れる……」
     呟きをかき消すように、石と石とがぶつかり砕け散るけたたましい音が辺りを満たす。
     悲鳴と言葉にならない喚きが散らばり、灰色と黄色の混じりあった砂煙の向こうに大小様々な瓦礫が地面へと飲み込まれていくのが見えた。
    「ジル……さんが……」
     がらんと拓けて惨状しかない眼前の光景に、エマリーの手は無意識に指先に触れる泥をかき集めていた。
    「火の手はあがってない。大丈夫だ、きっと間に合う、きっと……」  
     自身に言いきかせるようなダグレイ。そして、気合を入れてエマリーごと立ち上がる。  
    「向こうで待ってろ、エマリー。ちゃんと見つけ出してくるから、な」
     そうして雨の中に走り出しながら、一度振り返る。
    「いいか、くれぐれも大人しくしてるんだぞ? お前が下手に動くと余計こじれるんだからな!」
    「どういう意味よーーっ!!」  
     エマリーの声が雨音よりも賑やかに響き、眉尻を下げたダグレイの背中は瓦礫の海の中に紛れ込んでいった。
    「一体何が起きたんですか……?」
     崩壊の現場にたどり着いたダグレイはなるべく口を開かないようにしながら、その辺りにいた人影らに誰という事もなく尋ねる。
     騎士たちや自警団員らはせっせと救助活動の真っ最中で忙しなかったが、一人が振り向いてくれた。  
    「突然のことで何が何やら、誰も分かってないんだ」  
     割れた重い壁を持ち上げながら、そんな答えにならない答えをくれたのは同じくルイーダからやって来た守護騎士の一人。
     少し年長のその同僚の甲冑もところどころいびつにひしゃげており、ダグレイの想像以上に、事態はあまりにも突然で、あまりにも大きかったことを悟る。  
    「まったく、この街は一体どうなっているんだかな……」  
     忌々しくののしる言葉の陰ににじむ苛立ちに、ダグレイもまた頷く。
     苦い嘆息をこぼす二人の顎からは雨だれが次々と落ちていく。
     除けても除けても、なかなかに片付く気配のない瓦礫。雨と汗とに濡れそぼり、体力の消耗も著しい。
     何よりも、最も頼るべき人の不在が、騎士たちの不安を煽っていた。  
    「なんだ、また崩れるのか!」
    「危ないぞ、離れろ!」
     今は残骸しかない建物跡地のやや奥の方、ようやく分厚い石壁などが運び出され始めた場所で、がたがたと地面が揺れる。
     散り散りに人々が遠のく中、ダグレイはじっとそこに目を凝らした。
     一瞬だけ、地下へとくぼんだわずかなその隙間に、銀色が横切ったような気がしたのだ。  
    「違う…………た、隊長?」
    「何!?」
     顔を見合わせた騎士二人は、そろりそろりと近寄る。
     臆病からではない。用心のためでもあるが、それよりも緩んだ地盤が二人分の体重に耐えかねて崩れれば、その下に惨事をもたらしかねないから。
     地の下の方から確かに聞こえる命あるものの蠢きの音に呼応して、地上を塞いでいるいくらかの瓦礫を慎重に脇へと寄せる。
     間もなく崩れて倒れていた壁の残骸が砕け、地上と地下とを隔てるものがなくなった。
     暗い穴の淵から這い出した手が力強く大地を掴み、さながら胸像のように甲冑の男の姿が地上へと浮かび上がる。  
    「隊長!!」
     ダグレイは思わず駆け寄りかけた足を辛うじて制し、注意深く穴の縁に跪く。
     地下より出でたエルディンの擦り傷に染みた薄い血と泥とで汚れた顔を雨が洗い流していった。
     その表情には動揺も安堵もなく、淡々と顔色さえもいつもと変わらぬ様に、膝をついて見下ろすダグレイの方こそが感極まって表情が崩れる。
    「手を貸してくれ」
    「は、はい!!」
    「……私ではない」  
     さし出したダグレイの腕に、眉根に小さなしわを寄せたエルディンが半身をずらす。
     そっと身を乗り出して覗き込んだ穴の奥には、土ぼこりにまみれてもなお白い顔が見上げていた。  
    「ジルさん!!」
    「ご面倒をおかけ致しますわ、ダグレイさん」
     泥や砂で濃淡様々な茶色に彩られてはいたが、こちらもまた何事もなかったかのような微笑はかえって拍子抜けするほど。
     ダグレイとエルディンに支えられ、泥まみれのジルベルの身体が地上へと生還する。
     雨足はなおも激しくあっという間にぐっしょりと着衣を重くしていったが、深く吸い込んだ空気はひんやりと新鮮で、喉を通過する砂の微細な粒も閉鎖された地下のそれに比べれば問題にならない。
     程なくしてエルディンも甲冑の重さを感じさせない身軽さで地上の人になると、ようやく駆けつけてきた他の部下らに囲まれる。
     だが、無事の生還の感慨に浸る間もなく、事態収拾の指揮をとるべくたちまち混乱する人垣の向こうへと消えていった。
    「まったく動じず、か。さすが隊長。……にしても、ジルさん、派手にぶっ壊したなぁ」
    「ダグレイさん、人聞きの悪いことを仰らないで下さいな」  
     にっこりと微笑したままにも関わらず、ピクリとつりあがったジルベルの片眉にダグレイは笑いを飲み込む。  
    「違うのか?」
    「エマリーちゃんじゃあるまいし……」
    「ま、そりゃ、そうだな」  
     思わず笑いを交し合ったダグレイとジルベルの会話に、居残っていた幾人かの騎士らもまた同意を示す。
     が、その後ろで、いつの間にか近づいていた小さな一つの人影ががっくりと肩をおとしていた。  
    「二人ともぉ……」
    「あら、エマリーちゃん」
    「い、いたのか」  
     ただでさえずぶ濡れな上に、陰鬱として表情を曇らせる少女の姿は小刻みに震え、ぎゅっと拳を握り締めたその後で
    「ホントにホントに心配してたのに、もう……!! ひどいーーっ!!」
     少女のあまりにも真剣な叫び声は、灰色の雨にうたれる破壊の爪痕に笑いを誘いながら響いたのだった。
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