** ある錬金術師の物語 **
  • 蒼の天蓋 08
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    「すまんな」
    「お気になさらずに……」
     暗い室内に響く、互いに独り言のような呟き。
     エルディンとジルベル──二人がいるのは倉庫として使われていた地下室。
     部屋におさめられていた荷物の大半は廊下に出され、唯一の出入り口である扉にはエルディンが背を預け、その目で室内を一望している。
     ガランとした部屋の真ん中に置かれた机。天板の四方に灯されたろうそくが、その向こう側にいる白い人影を揺らめいて浮かび上がらせた。
     かすかにひそめられた眉根の下でジルベルの色の薄い瞳は小さな炎の色を宿しながら、ただ机の上に並べられた三つの包みをじっと見下ろす。
     耳に届くのは細く保たれた自身の呼吸の音だけで、確かに同じ空気の中にいるはずのエルディンは息づかいすらも殺しているかのように、まるで気配がない。
     内側へ内側へと研ぎ澄ましていた神経を浮上させれば、確かに見間違いようもない見事な体躯がそこにある。
     不思議な人だと少し思考を現実に戻し、しばらくの間保っていた沈黙の時を破った。
    「それでは……何が起きても……お静かに」
     いつもと同じ紅色の唇からこぼれた声は、けれどいつになく抑揚に乏しい。
     まるで何か不吉な宣告でも下されたかのような寒気を首筋に感じながらも、エルディンはただ静かに頷く。
     面差しの昏さ、声の重さ。
     部屋が暗いからだ、儀式のためだと、割り切れないのは、意に染まないことをさせるうしろめたさのせいだろうか。
     そんな自嘲をひそかにもらしたエルディンは、右の手をさし伸ばしたジルベルに不意に声をかけた。  
    「逆だ。左端の封印を解いてもらおう」
    「…………え?」
     まっすぐ右端の包みを今にも手に取ろうとしていたジルベルは、怪訝な顔でエルディンへと視線を動かす。
    「命じられるままに封印を解いた。そなたの責はそれだけだ」
     そうきっぱりと告げた男の生真面目な顔に思わず見入る。
     部屋に入ってから置かれた椅子に腰掛けようともせず、背筋を伸ばして腰に提げた鞘を握っていた。
     視線以外の全てで外の気配を伺っているのは、きっと 『解封の方法を他の誰にも知られない』 ため。
     もっと正確に言えば、提示されたその条件を遵守するため。
     一国の兵らの頂点にある者がそんなに正直で良いのだろうか……と、苦笑でジルベルの口元の緊張がほどけていた。
     大人しくエルディンに頷きを返すと、右の手が不自然に体の前を横切って、左のはしの黒い包みの上に乗せられた。
     ゆっくりと瞼を落とし半分ほどまでに瞳が隠れたところで、精神はこの世ではないところへと向かう。

    『我が声 我が叫び 汝に届きしかば 暗闇を従え 我から全ての裁きと掟とを遠ざけよ』

     いつか聞いた硬く冷ややかな旋律が、地下のよどんだ空気を裂く。
     エルディンの背筋に走った悪寒。雨に打たれて凍えた空気のせいなのか、それとも目に映る光景のせいなのか。
     まるで氷の糸を紡ぐように声が連なる。

    『我に代わり 失った命のための償いを 汝が名を 我が力となす』

     ジルベルの白い手と対照的な黒い包みとにできたほんのわずかな空間に、幾つもの空気が十重二十重に絡みあっている。
     いや、実際そうであるのかは分からない。
     ただ目の前で広がる光景を、魔導の心得の少ないエルディンにはそう表現するしかなかった。
     ろうそくの灯は相変わらず事もなげに揺らいでいた。
     と、ジルベルのにじませた汗の一粒が顎からしたたり落ちる。

    『── アルマロス ──』

     途端に黒い包みが震え、何かを引き裂くような乾いた音が一度だけ響いた。
     まるで蒸気のような光の筋が、鈍い金色の帯から立ち昇る。ゆるゆると、ゆるゆると。同時に覆っていた黒いものは薄い氷片のように小さな音をたてて砕け、剥がれおちていく。
     そうして最後に金の帯が身をよじるようにしてほどけ、消えた。
     ジルベルが呼吸を整えるように大きくこぼした息に、飛散する黒い塵たち。それは年を経て乾ききった紙の成れの果てで、白い指先がそっとなぞっただけでさらに細かく崩れてしまう。
     紙屑たちの間から現れたのは分厚く綴じられた紙の束で、だが、こちらはそれこそつい先ごろ作られたものであるかのような柔軟さで、同じ時の流れを過ぎたものとは思えなかった。
     何も記されていない表紙にじっと見入るジルベルの上に、一歩近寄ったエルディンの影が落ちる。
    「無事か?」
    「ええ、この通り……確かに解封致しましたわ」
    「……」
    「どうかなさいまして?」
     封印の内から現れた紙の束を差し出しつつ首を傾げるジルベルに、エルディンはかすかな吐息をもらす。
     薄暗がりの中でも疲労の色が見てとれるというのに、自分の身の心配をされているとは全く思っていないらしい。
     ふと配下の魔導師の言葉を思い出す。
     何故、この封印を解くことができないのか? とごく単刀直入に尋ねたエルディンに、目尻に老いのしわを刻む彼は少し考え込んだ。
    「さて……簡単に申しますと、二つのものが足りないのでございますな」
     その一に、力。
     封印をなさしめている魔力を圧倒的に凌駕するほどの力があれば解くのではなく、単純明快に力をうち破ることができる。だが、魔力にせよ、膂力にせよ、それ程の力を持つ者がいないということ。
     では、どうするのか?
     そのニに、鍵。
     不要なものを処分するという意味での封印ならば、再び世に出る事を前提としていないがゆえに力でこじ開けるしかない。
     が、今回のように重要なものを人目から隠すという封印はいわば錠前であり、どれほど強固な錠前であっても適合する鍵があれば開くものだ。
    「魔術による場合、この鍵となるものは色々ありましてな……例えば、言葉、物質、手順や時間、そういったものを揃えなければいけないわけです」
     だが、この鍵となるものが皆目分からない。
     何の情報もないまま、この鍵を見つけ出すことは広大な砂丘から、とある一粒の砂を見つけ出すにも等しい作業である。
    「これほど頑丈な封印とあらば、恐らく鍵となるものも一つや二つではないでしょうな。ちょっとした偶然などでは解けぬように」
     仰せとあらば鍵の探求を始めるが、国中の魔導師を総動員しても奇跡に恵まれない限り一日二日で見つかることは在りえない──それがこの国の選びようのない結論だった。
     そんな事実を改めて認識しながらジルベルから受け取った書類をめくる。
     長い年月の流れから隔離された紙束を次々と繰り、間もなく最後にまで達するとジルベルの方へと突き返した。
    「わたくしが見てもよろしゅうございますの?」
    「構わぬ。私には何が書かれているか分からぬからな。他の二つの封印も解く必要があるのか確かめてもらいたい」
    「では……」
     自身の手に戻ってきた紙を、細い指先で一枚めくる。
    「これは……古代魔導言語でございますわね。もう、使われなくなって久しい古い言葉ですわ」
    「何が記されている?」
     長身から手元をのぞきこんでいるエルディンの言葉に急かされるようにして、ジルベルはさらに一枚、また一枚とめくり続ける。
     しんと静まり返った部屋に紙のこすれる音と、ちりちりとろうそくのしんの燃える音だけがしばし響く。
     束ねた紙の半分ほどまでめくりあげた頃、ようやくジルベルは視線を上げた。
    「あの神殿にまつわる呪具や秘術の記録、それに古い伝承。何百年か昔の大司教殿が記されたようでございますわ」
    「当たりというわけか?」
    「その可能性は……高いかと……」  
     言いながら、ジルベルの瞳はまた文字を追うことに没頭し始める。
     一つ小さく息をつくと、エルディンは数歩下がり再び戸口へと寄りかかった。
     外の気配をうかがう耳に時おり聞きとれないほどの呟き声を聞きながら、辛抱強く無言を貫き通す。  
    「……水神の珠の合成は、できない事はないと思いますわ……でも……」  
     ようやく顔を上げたジルベルは開かれた書の一節をなぞり、古い過去に失われた文字で綴られた言葉を読んで聞かせた。

     ──その始祖たるは、アムルタートとハルワタート──
     古来より、リヴァイアサンは雌雄一対。決して自然の理を曲げることはならず、人の手に成るとも、必ず違えることはなし。

    「待て。あのリヴァイアサンは人が造ったのか?」
    「恐らく伝説を模して造られた生命」
    「人が……造りだせるものなのか……」
    「もっとも、それさえも遠い昔の話でございますわ」  
     それきり、ジルベルは口を閉ざす。
     彼女の背後にエルディンは過ぎた日の黒い影を見た。
     ルイーダに災厄の日々をもたらした漆黒の獣、グリフォン。
     その生態、性質、そして戦い方。現存しないはず、あるいは秘されていたはずの獣についての深い知識は、浅からぬ因縁があることを明らかにしている。
     だが、ついに彼女の口から何一つ聞き出すことはできなかった。
     過去において、スーニエルという国でグリフォンの討伐に参加したのだということ以外、何も。
    「先日、わたくしの意識に入り込んだリヴァイアサンは、何かを……半身を探しておりました」 
    「雌雄一対というわけか。何処に居るのだ?」
     エルディンの問いかけに、ジルベルはふっと息を一つ吐き表情を険しくする。
    「その対となるものが水神の珠なのですわ」  
     ジルベルの視線が手の中の紙片に綴られた文字をたどる。

     同じ材料の中から生み出す二つの珠。
     一つを人の手に、一つをリヴァイアサンの体内に。
     さすれば彼のもの、人の意に従いてその力もて汝らの敵を滅ぼすものなり。

    「水神の珠はリヴァイアサンという器を思いどおりに動かすための呪具」  
     訝しげに目を細めたエルディンの前で、ジルベルは今度こそ大きなため息をついた。  
    「つまり、強大な力を持つリヴァイアサンにつけた繰り糸ですわ」
    「戦いの道具とするために、か」
    「……恐らく」
    「繰り糸が切れた操り人形はどうなるのだ?」
    「ご覧の通りのようですわ」  
     肩をすくめるジルベルの前で、エルディンはますます深い渋面を刻んだ。
     人形のように動かなくなってくれるだけならば、どれほど簡単な話だっただろう。
     グリフォン以上の強大な魔力を秘めたリヴァイアサン。
     嵐を招き波を呼び、他の海の魔獣たちにまで力をあたえる程の、無類の獣。
     その被害は日を追って深刻さを増している。
     一刻も早く何とかしなければならない──だが、今、人に何ができるだろうか。
     黙りこくってしまった二人の耳に、人の足音が近づいてくるのが聞こえた。エルディンの手が素早く剣の柄にかかる。  
    「何用か? 扉を開けずそのまま話せ」
    「は、隊長。神殿から使いの者が火急の用との事ですが。いかがいたしましょう?」
    「どのような者か?」
    「先日お会いしたスリガンと言えば分かる、と申されておりますが」
    「分かった、すぐに向かおう。上階で待て」
    「はっ」  
     耳をそばだて、用心深く足音が遠ざかるのを待つ。
     と、不意にジルベルの背筋をなぞる悪寒。次の瞬間、ざわりと全身が総毛立っていた。  
    「話を聞いてこよう。見張りはおく。しばらくここで待っていろ」  
     エルディンが扉に手をかけた瞬間、ジルベルは大きく声をあげていた。  
    「エルディン様!」
    「なんだ?」
    「あ……その、お気をつけになって下さいませ。何やら嫌な感じがしますの」  
     曖昧すぎるジルベルの言葉に表情を変えぬまま、無言でエルディンは身をひるがえし出て行った。
     扉が閉まり、直後、みまわれる爆音の轟きと地響き。  
    「こ、これは……」  
     よろめきながらジルベルは、とっさに紙束を胸に抱えて机の下に転がり込んだ。
     余波がまだ覚めやらぬうちに、腹にまで響く次の衝撃が襲いかかる。
     上下に揺さぶられるような激しい震動。天井を支える木の柱が砕けて木片が壁砂と共に降り注いだ。
     ローブの袂で顔を覆い、霧のように煙る粉塵を避ける。  
    「ジルベル、無事か?」  
     エルディンの声が届く。分厚い木の扉を間に挟んでくぐもってはいても、声の中の切迫した響きを消すことはできなかった。  
    「エルディン様……一体、何事ですの?」
    「分からん。そちらは大丈夫なのか?」
    「いいえ、天井が崩れ始めていますわ」
    「廊下はまだ大丈夫だ。そのままでは生き埋めになる。こちらに出てこれるか?」
    「すぐに参ります」  
     ジルベルはすぐさま机の下から這い出した。
     倒れたろうそくに炎がないことを確認し、砂にまみれた黒い包みをつかむ。
     たちこめる微細な土ぼこりにむせ返り瓦礫を避けながら扉に近寄る。幸いにも扉付近の破砕はまだ免れていた。
     若干たてつけの悪くなった扉を力を込めて開く。
     細く廊下の明かりが部屋へと差し込んだ瞬間、ジルベルの鼻先を閃光がよぎった。
     廊下に向かって開きかけていた木の扉は光に持ち去られる。
     反射的に身体を室内へと戻したジルベルの前に、光の来た方向から口元の血を拭うエルディンが駆けつけてきた。
    「無事か?」
     頷きを返しながらエルディンの黒く光る瞳を追えば、薄闇と化した廊下の向こうを睨みつけている。
    「逃げろと言いたいが、逃げ道はあそこしかない」  
     エルディンの指差す階段の前には人影が一つ。どうやらすぐにも第二撃を放ってくる気配はない。  
    「エルディン様、お怪我の具合は?」
    「逃げられないことはない」  
     あまりにも簡潔すぎる返答に、思わずジルベルは眉尻をさげる。
     が、第三の人物が一歩二歩と近寄りつつある足音に、慌てて口元を引き締めた。
     近づいてくる人影が何ごとかを呟くと、辺りに明かりが広がった。  
    「こんな所におられましたか」
     そこには昨日会ったばかりの見知った老神官の顔。
     温厚そうな笑みを浮かべ、けれど、眼だけがよどんで裏切りの光を輝かせていた。
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