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結構な広さのある資料庫の奥深く、恐ろしく頑丈そうなその戸棚は見るからに曰くありげに、薄暗がりの中で鎮座していた。高さは大人の腰ほどのものだが、奥行きは机と呼んでも差し支えのないほどに深い。 ジルベルは身を屈め、戸の前にぶら下がった大きく厳めしい錠前を眺める。いかにも一筋縄では開きそうもない。 「そこは禁書の類がしまわれております。……お約束ですからお見せ致しますが、中身や内容などについては口外しないで頂きますぞ」 ジルベルの背後から灯りをさし出しつつ、スリガンがもったいぶったため息をこぼした。渋々といった様子の緩慢な動きで鍵を取り出し、ジルベルの前に出て錠前を開く。 驚くほど分厚い戸が蝶番を軋ませて重たそうに開き、その奥にひそむ暗闇に薄気味悪そうに目を細めた。 「貴重な書物などもありますから、くれぐれも扱いには気をつけて下さい」 言いながらスリガンはすでに逃げ腰で、まるでそこから怪物でも飛び出してくるかのように、言い終わるや否やそそくさとジルベルの背後へと移動している。 だが、そんな老神官の呆れた挙動など気にならないぐらいに、ジルベルは開いた戸棚からかび臭さと共に流れ出る気配に心を奪われていた。 棚の下段の一番奥深くがうっすらと明るい。 古びた書類の束や蝋で封じられた包みをかき分けると、そこには光の元となっている金の帯をかけた黒い包みが三つ隠すようにして積み重なっていた。 「これ……は……」 ジルベルの詰まらせた言葉をを疑問と受け取ったのだろう、スリガンは気味悪げに首をすくめつつ、ああ、とうめくようにして眉をしかめた。 「一体いつ頃から……それすらももう分からぬ昔よりここにありましてな。どうやら強力な封印をされておるようで、何十年も前にずいぶんと解除を試みたようですが失敗に終わり、それ以来ここにしまいっぱなしというわけです。さて、何が記されているのやら……」 と、何の相槌さえも無いことを訝しみ、覗き込んだ女の顔は白を通り越して真っ青になっている。 「い、言わんことではないっ! どなたか!」 耳元で響くスリガンの叫びを煩わしく思いながらも、全身が凍りついたかのように強張り動けなかった。 視線さえも吸い寄せられるようにして、薄明かりを放つ黒い包みに留まっている。 スリガンの呼び声に駆けつけたエルディン、そしてエマリーの前で、ジルベルはまだ小さく身を震わせつつも深い呼吸を繰り返して自らを落ち着かせようとしている最中だった。 尋常ではない様子にエルディンは詰問をスリガンへと向ける。 「何事だ?」 しごく短いたった一言が、鋭い眼光に導かれて身を刻みつけるような錯覚を覚え、スリガンは完全に圧倒されていた。 「わ、私は何も……!!」 「何があったのかと聞いている」 「……この戸棚の錠を開けただけでございます。た、ただ、この棚に収められている品々は、曰くつきと呼ばれるような怪しいものばかりでして……その毒気に当てられたのではないかと……」 しどろもどろの説明が終わるとエルディンの視線は戸棚とジルベルの方へと移り、やっと呪縛から逃れたスリガンは全身から力を抜いた。 ジルベルの方もすでに身震いはおさまり、息も整っていた。見開いていた目も今はもう閉じ、けれど眉をきつくしかめている。 「ジルさん、ジルさん……、大丈夫ですか?」 ジルベルの袖を掴みながら、エマリーが不安そうに顔を覗き込んだ。 「……もう、大丈夫ですわ」 「本当に?」 「ええ……」 二人のやりとりを見ていたエルディンは、再び視線をスリガンへと向けた。 「どこか休める場所をご用意頂きたい」 「は、はい! すぐに……!」 老人が可哀想なほど萎縮し転げるようにして資料庫を出て行った後、エルディンもジルベルの傍らから古びた棚の奥をのぞきこむ。 骨董や古紙に特有の臭いこそするものの、さしたる違和感は受けない。 それとも毒気とやらはすでに飛び出してしまった後なのか、というエルディンの密かな問答を見抜いたように、ジルベルは白い指先で自分が見ていたものを指し示した。 「その……黒い包み……。もしかすると、そこに 『 水神の珠 』 の記録があるかも……しれませんわ」 「これか」 エルディンの手はあっさりと棚の奥からそれらを引きずり出す。 三つ共にそれ程の重量はなく、いずれもをも包む黒いものは布とも紙ともつかぬ不思議な手触りだ。さらに不思議なものはそれらの縦横に交差して掛けられた金の帯で、発光しているだけでなく、よく見れば継ぎ目というものが見当たらない。 怪訝そうにしながらもさし出した三つの包みを、ジルベルは首を横に振って受け取らなかった。 「あ、あの……お休みになられるお部屋の支度が出来ましたが……」 やや離れた所から恐る恐る声をかけてきたのはスリガンではなく、おそらく用意を命じられたのだろう年若い神官だった。 エルディンが頷いて了承すると、ホッとしたように近づいてくる。 手に何かを握り締めているのを見咎めると、慌てて手の平を開いて見せた。 それは先ほどスリガンが使った古い戸棚の鍵で、錠をしてくるようにと命じられたのだと説明する。 扱いに気をつけろと言っていたわりに杜撰な管理だこと……などと考えられるだけの思考が戻った自分に、ジルベルは胸をなでおろした。 青年神官が掛けた錠前の音が、カチャリと響く。 元より毒気とやらに当てられたのではなく、個人的に精神的な衝撃を受けただけでもう休む必要もないのだが、どうせ休ませないという結論は出さないだろうと思いながらちらりとエルディンを見てぎょっとする。三つの黒い包みは、堂々とまだ彼の手にあるではないか。 驚きのまなこでまじまじと見上げたエルディンの顔は、いたって平静そのもの。 若い神官は案の定、棚の中に何が入っていたかを詳細に知るはずもなく、何の咎めだてもなく怪しげな黒い包みは三つともあっさりと資料庫から持ち出されることとなった。 「……では、何かありましたら廊下を突き当たって右手の奥の部屋に、控えの者がおりますので」 休憩の部屋まで案内してくれた神官は、結局、最後まで気づくことなく立ち去った。 足音が遠ざかると、体調を気づかうエマリーに微笑で応えておきながらも、エルディンにはやや呆れた視線を向ける。 「あの……それ、勝手に持ち出してよろしいんですの?」 「国王陛下の名代として借り受けるのであれば問題はなかろう」 淡々とした様子に肩をすくめつつも、ジルベルはそれ以上の追求を止めた。 フィールデンは王国であり、当然、国の最高権力者は国王である。直接目にしたことなどないが、巷の噂によれば、幸いにも独裁者でもお飾りでもないらしい。 ならば、国王の名代という後ろ盾を持っている以上、言うことは何もない。いざとなれば、責任は国王陛下が被ってくれるだろうと信じておくことにする。 肩をすくめたところで、エルディンが黒い包みを改めて差し出してきた。 「中を確認してもらいたい。 『 水神の珠 』 について書かれているのかどうか」 「……」 「どうした?」 目をすがめるエルディンの前で、ジルベルは椅子に腰掛けた自分の膝に視線を落とし、目前にある包み達から目をそらした。 「少し……考えさせて頂けませんでしょうか」 「何を考えねばならない?」 「この封印を外してよいものかどうか……まだ……決めかねておりますの」 形の良い眉をひそめるジルベルをしばし見下ろしていたエルディンだが、やがて近くにある机の上に包みをそっと置き、その傍らにある簡素な椅子に腰を下ろした。 長身で体格がよい上、騎士の甲冑を身にまとったエルディンには随分と窮屈だろうに、それでもきちんと姿勢よくおさまって身動きさえせずに沈黙を保つ。 「……あの、エルディン様?」 「もう答えはでたのか?」 「は……? もしかして、わたくしがどうするのか決めるのを……お待ちになっていらっしゃいますの?」 「そうだ」 しごく簡潔な答えに、ジルベルはただ呆気にとられ瞬きを繰り返す。 そんなジルベルの様子に、逆にエルディンが怪訝そうに眉間にしわを寄せた。 「どうした、私がここで待つことに何か不都合でもあるのか?」 「い……いえ。ただ、その……」 急かされたり、問い詰められたりするだろうと思っていた。封印を解けと頭ごなしに怒鳴りつけられてもおかしくはない、と覚悟していたのに。 普段はこちらの都合などお構いなしにどんどんと話を進める人が──思えばいま現在ここにいるのも、こちらの了承もなく協力者とされてしまったからだ──、この時に限って見せた待ちの姿勢に意外さを禁じえなかった。 戸惑いに言葉をにごすジルベルの様子を肯定と受け取ったのか、エルディンはすっと立ち上がる。 「その封印とやらを解くにあたって、何か危険が伴うのか?」 「……いえ、特には危険はないと思いますけれど」 「だが、解けない、あるいは解かない理由がある……というわけか」 エルディンは最後の方は呟くようにこぼしながら足を踏み出し、机に並べられていた包みをとりあげる。 「これは我々の方で預かる。騎士隊付きの魔道師の意見も聞かねばならぬからな。何か、あればアズフェンの騎士隊詰め所を訪ねてくるがよい」 言い終わる頃にはエルディンは部屋の戸を開いており、声と共にその姿は扉の向こう側へと消えた。 「行っちゃい……ましたね」 部屋にとり残され、困惑した様子のエマリーはジルベルに瞳を向ける。 ジルベルもまた、らしからぬ態度を見せたエルディンを不思議に思いつつも、ホッとした様子で肩の力を抜いた。 椅子に身をもたせかけたまま答える声のないジルベルに、何をどうしたらよいものかと所在なげにエマリーは仕方なく沈黙する。 それから少しして、ようやくジルベルはゆっくりと息を吐き出した。 「心配させてしまいましたわね。ごめんなさい、エマリーちゃん」 ジルベルがぎこちなく浮かべた笑顔に、エマリーは何度も繰り返し首を横に振る。 「あの……」 「身体ならどこも何ともありませんわ。ただ、あまりにも驚いてしまっただけですもの」 「アレってそんなに驚くようなものだったんですか?」 「わたくしにとっては、ですけれどね」 再び表情に陰を落とし唇を閉ざしたジルベルに、エマリーは余計な詮索をしてしまったと息を呑む。 けれど、気にすることはないと苦笑をこぼし、ジルベルのいつもより色を失った唇は再び声をつむぎ出した。 「スーニエルにいた頃、あの封印について研究したことがありますの。もう何年も昔のことですわ……」 過去をさまよう遠い目は決して険しいものではなく、一瞬、郷愁とも呼べる優しささえにじませる。 だが、すぐに青ざめた顔色に似合いのきつくひそめた眉の下、薄い銀色の瞳は苦渋に揺れた。 「この封印は、人が命を賭してかける封印なんですの」 「い……のち?」 「そう。人が自らの命と引き換えにこの黒と金の呪具へと姿を変えて……」 「呪具なんですか!? そんな呪具が……!?」 信じられないと丸くした目で語るエマリーに、ジルベルは目を伏せる。 「解封した書の中に記されてありましたの。皮肉ですわね」 「……」 「一番皮肉だったのは、その書を元に始めた研究の数々が国に多大な災厄を招いたことですわ。たとえば、あの漆黒のグリフォンも──」 言葉が喉の奥でつっかえる。 エマリーもまた、声を失う。真っ暗な夜の森で、死さえ覚悟した闘いは記憶にまだ新しい。その異形の強大な敵を思い出し、首をすくめていた。 「遠い昔に誰かが命懸けで秘したものを暴いたばかりに、取り返しのつかない愚を犯してしまった。だから、開けるのが怖いんですわ……あの包みの中に一体何が隠されているのか……」 言いよどんだジルベルが思わず奥歯を噛みしめた時、冷え切った白い手の先が温もりに包み込まれる。 「ジルさん。明日、もう一度、最初から探してみましょう、水神の珠に関係のある文献! 大丈夫、きっと他にだってあるはずですよ!」 ぎゅっと握り締めてくるその手の平と同じく、明るいく温かな声と笑顔がエマリーを彩った。 「……ありがとう。エマリーちゃん」 ずっと寒風にかじかんだように強張っていた口元が自然に微笑みを描くことを感じ、ジルベルは目を細める。 目の前で明日のことを明るく語るエマリーは、自分がどれほど一人の人間の心を救ったかなど気づいてもいないだろう。 かつての自分の罪が消えることは永久にない。それでも、ここに一人、その罪の一端を垣間見てもなお傍にいてくれる誰かがいる。 過去のすべてを知った時に、まだこの赦しを与えてくれるかは分からないけれど──。 今はまだここに居ていいのだという、それだけがジルベルの暗く曇った心に光を投げかけるのだった。 | |
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